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果てしなく続く物語の中で  作者: 毛井茂唯
エピソード 絶縁の箱庭 妖精族の集落
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第10話 sideルーヴィ 人の幸福



 妖精族の長、ルフリア様が倒れてから半年が経った。


 腐食毒を持つ生物の攻撃から子どもたちを庇い、腐食毒を大量に浴び、倒れられた。

 既に毒は全身に回りきっている。

 妖精族で誰より美しかった面立ちは黒く変色し、体は腐り、見る影もない。

 

 私はルフリア様に師事し薬を調合することが出来るが、彼女を快復することの出来るニアの宝珠の加工に成功していない。

 この半年で希少な実を5つも使い潰している。

 

 ルフリア様の症状が和らげる薬を調合するために、必要な薬草を摘みに今日も出かけていた。


 私たちの暮らす森は豊かだ。

 果実は実り、湧水が森全体に行き渡る。

 木々は青く生い茂り、枯れることがない。

 希少な薬草が自生している。

 それがずっと、ずっと、続いている。


 凄まじい早さで再生する森は切り開くことが出来ず、常に採取によってのみ糧を得ている現状。

 森が豊かでも食料は不安定だし、満足に食事が取れない時期もある。

 住む場所を広げることも出来ず、人も増えていない。

 長命である私たちは緩やかな滅びへと向かっていた。

 

 それでも私たちは、大人はこの集落から離れない。

 人間族に追いやられて漸くたどり着いた安住の土地。

 命を狙われることなく、争うことなく暮らせるこの地は大人たちにとって楽園だった。


 私と同世代で人間を知らない若いルグランなどは人間を恐れていない。

 寧ろ敵愾心が旺盛で、集落の外を熱心に見回っている。

 成人してもその悪癖は変わらない。



 目的の薬草を摘み終えて戻ってきてみれば、集落の様子がいつもと違っていることに気付く。

 恐れ、怒り、不安、悲しみ。負の感情に満ちていた。


 私たち妖精族は大小力の差はあれど、人の心を感じ取ることが出来る。

 私はそんなに力が強くないので、嘘が真実か、その人の考えていることや感情の波が感じられる程度だ。

 私は近くにいた大人に話を聞いてみた。

 

「何かあったの?」

「ルーヴィか……そうか、薬草を摘みに行ったんだったね」

「この森に人間が現れた。ルグランが捕らえて今尋問している」

「人間って、あの人間?」


 人間って本当に実在していたのか。

 それに捕まえたのが普段から人間を倒すと息巻いているルグランだったのだから、何とも言えない。

 

「見つけたのは人間の子ども一人だけだが、子どもが一人でこの大陸にいるはずがない。必ず仲間がいるはずだ。手荒だろうと情報を吐かせなくては」


 青い顔で震えながら答える大人から強い恐れが伝わってくる。

 私にもその感情が伝播し、ブルリと体が震えた。

 

「この森に人間が来るの?私たち、どうなってしまうの?」

「分からない……こんな時にルフリア様がご健勝であられたら……」


 その言葉に胸が痛む。

 この人に私を責める意思はない。

 でも、その言葉は私の心を確かに軋ませた。


 尋問は夜まで行われた。

 私はその場所に近付くことは出来なかった。

 大人たちに止められた。

 私も強い負の感情が渦巻く場所へは近付きたくなかった。


 次の日の朝も、集落の雰囲気は暗く淀んでいるのが家の中にいても分かる。

 朝早くに家を出ていた父が戻ってきて、私を連れだした。


「ルーヴィ、今から囚われている人間の元に行くよ。集落の人間は全員集まっている」

「どうして、何かあったの?」

「尋問で口を割ったらしいんだが、どうにも様子が変なんだ。皆で話し合い、人間の心を暴くことを決定した」


 心を暴く。

 それは単純な心を読むとは一線を画す行為だ。

 心を暴かれたものはどれだけ隠そうとしても、言葉を交わさずとも全てを見られ読み取られる。

 それが出来るのはルフリア様を除けば、集落で最年少の子どもたちの二人だけ。

 読み取られた、暴かれた心は私たち妖精族の心を読み取る力によって周囲の者にも共感し、伝播される。

 私たちも二人ほどではないが、人間の心の内に触れることが出来るということだ。

 当然、直接心に触れる二人はより強く人間の感情に晒されてしまうのだが、幼い彼らは大丈夫なのだろうか。


 この集落の全ての人が集まる場所、人間族が囚われた牢に近付く。


「うっ……」


 下半身は服を着ていて見えないが、上半身や顔には夥しい暴力の痕が見えていた。

 元の形が判別できないほど変形し、腫れあがった顔。

 全身ずぶぬれで、体には赤い腫れ、紫色の痣、怪我のない箇所は血の気がなく白い。

 殴打によって切れたのだろうか、体の至る所に乾いた血が張り付いている。


「ひどい……どうして、こんな……」


 ここまでのことをしているのに、大人は未だこの子どもに対して恐れを抱いている。

 身を案じる気持ちを一切持ち合わせず、怒りを抱いている。


「人間を甘く見てはいけない。奴らは悪魔だ」

「それは……」


 大人と認められたとき、私は妖精族の辿った人間との歴史を聞いた。

 妖精族をただの素材として扱った彼らの所業を知る限り教えられた。

 しばらくは恐怖で眠れなくなるほど恐ろしい話を。

 今なお残る大人たちの怒りと恐怖の感情を。

 

 でも、今目の前にいる子どもはその当時の人間でも何でもない。

 こんなことが許されるの?


「……始まるぞ」


 二人の子ども、ルカとルリが祈るように手を合わせて集中する。

 皆、固唾をのんでそれを見守った。

 

 初めに感じたのは暖かさ。

 幼い頃に父の腕に抱かれ眠りを誘われるような。

 

 次に感じたのは寒さ。

 極寒の冬に放り出され、身を切るような冷たさと吹雪で何も見えない不安。

 

 続く心の内を感じても、私には分からなかった。


 大きくて、深すぎて、私の感じ取り、認識できる範囲を超えている。

 

 でも、彼の心のありようだけは分かった。

 正しさと清らかさ。

 優しさと誠実さ。

 そうあろうとする精神。

 そうあり続けた心。

 

 私の持つ、大人たちの語る人間のイメージとかけ離れている。

 私はこの心に近い人物を知っている。


 この人間の子どもの心はルフリア様に近い。

 種族も違う、年齢に途方もない開きがあるのに、どうしてなのだろうか。

 清らかな共感に包まれ、負の感情が変化していく妖精族の皆を見ながら、私はそう思った。




 人間の子どもはシンヤという名前らしい。

 私が彼の世話役を任された。


 怪我が酷いため、薬の知識があるものが最適だからだろう。

 彼の服を脱がせて状態を確認したが、下半身も上半身同様に執拗に痛めつけられていた。

 見える範囲で骨は折れている様子はないが罅は入っているかもしれない。

 怪我の具合を考慮して、まずは出血した箇所を治すための塗り薬を調合し、全身に塗り込む。

 

「うぐっ……」


 僅かにうめき声をあげて身をよじる。

 染みるが効果は高いので許してほしい。

 難を言えば鎮痛作用が余りないのが欠点だ。

 

 食事に鎮痛効果のある薬草を混ぜて飲ませようと考えてはいるけど、あれは料理をなんでも吐くほど不味くさせるから、一度食べさせてみて駄目そうだったら、出血が塞がってから塗り薬を鎮痛効果重視のものに変えた方がいいだろう。


 全身に痛みがあるのか苦しそうで眠る様子はない。

 今日はずっと彼の傍に付いていることにした。




 それから色々なことがあった。

 薬入りの美味しくないスープを美味しそうに食べたり、シンヤ君の荷物を取りに行って鉄塊猪を倒したり。


 そして、シンヤ君から貰った薬でルフリア様が快復した。


 全身に振りかければ時間が戻るかのように体が再生していき、口に含ませれば顔色が健康なものに戻るばかりではなく、すぐさま歩くことが出来るまでになっていた。

 ニアの宝珠も凄いけど、このポーションはそれ以上だ。


 起き上がったルフリア様は、ルカとルリがシンヤ君のためにと見付けてきたニアの宝珠を加工している。

 本当に凄い効果。

 

「半年ぶりに起きられてご無理は……肉体は大丈夫でも精神はお辛いのではないのですか?」

「いえ、苦しみから解放されたことで寧ろ清々し気分です。それに私たちの不徳によって傷付けた恩人の怪我を放って、私が休むなどあってはなりません」


 ルフリア様は黙々と作業を進めてすぐさま加工を終え、その足でシンヤ君の元に向かった。

 私も一緒について行こうとしたが、ここで待つように強く念を押された。


「安心しなさい。私が全ての責を負います」


 ルフリア様からは強い決意と、私には読み取れない感情が渦巻いていた。




 帰ってきたルフリア様は心ここに在らずといったようでボーとしていて、時折独り言を漏らしていた。

 初めて見る様子に戸惑いはしたが、流石に疲れているのだろうと深く疑問には思わなかった。

 

「……やっと………どうやって………今の私は………いっそ…………望まないだろうし……ううっ……」

「あの、私は戻りますね」


 シンヤ君の様子が気になるので、恐らく聞こえていないであろうルフリア様に声を掛けて家に戻った。




 ルフリア様が快復したその日の夕方には宴が開かれた。

 あれだけ絶望的だったルフリア様の快復と、鉄塊猪を一番いい状態で仕留めたことで大盛り上がりだ。

 至る所で肉が振舞われて、お腹を満たされ、笑顔にあふれている。

 

「うまっ、うまっ、うまっ!」


 シンヤ君も一生懸命食べている。

 傷が無くなり、包帯の取れた彼の顔は想像以上に幼かった。

 それこそ顔立ちだけとればルカとルリとほとんど変わらない。

 聞けば年齢は15歳と言われた。

 一緒に過ごしていて見た目に合わない老獪さは垣間見えたけど、今みたいにお肉を必死にかぶりつく様子を見れば年相応に幼い。


「シンヤ君、美味しい?」

「あのスープより美味しいです!僕の中の美味しいものリストの1位を抜きましたね」

「……今日はたくさん食べましょう。他にも美味しいものがあるから。私、料理をとってくるわね」


 彼の親は一体今まで何を食べさせてきたのだろうか。

 あの携帯食料というものもルグランの様子を見て、欠片だけ舌に乗せてみたが、えずいてすぐさま吐き出した。

 あれは不味いという次元ではなく、食べる人を苦しめるために味付けされたようなものだった。

 シンヤ君のように噛んで飲み込めるようなものではない。


 私は宴に出ていた食べ物を、お肉を中心に集めて彼の元に持って行った。

 よく考えることなく虫料理を持ってきてしまったけど、私が片付ければいいだろう。


「なんだその態度は、俺が礼を言っているんだぞっ!食うのを一旦止めろっ」

「あんた、また絡んで。いい加減にしなさいよ……」


 戻ってきてみればシンヤ君はルグランに絡まれていた。

 手が塞がっているので、シンヤ君に見えないようにルグランの脇腹に蹴りを入れて黙らせる。

 こいつには昼間ひどい目にあわされたのだ。同情の余地はない。

 シンヤ君は持ってきた料理に目を輝かせて、迷いつつも一番に虫料理に手を付けた。

 幸せそうにお肉と一緒に頬張っている。

 

「あら、人間は虫を食べないって聞いてたけど、美味しそうに食べるのね」

「そうですね。僕の国でもそこは同じですけど、食べ物がないときは虫を食べて飢えを凌いでいました。いつも生で丸かじりだったので、こんなにちゃんと調理されている虫は初めてです。美味しいです」

「……そっか」


 まともに食事を与えられなかったのか。

 生の虫なんて私たちでも食べないし、よくよく聞けばシンヤ君の話に出てくる虫は食用とは言い難い。

 今の彼に痩せた様子がないのは、恐らく食用でない虫や携帯食料のような誰も食べないほど美味しくないものを選んで食べていたから。

 いやそれしか選べなかったからだろう。

 森の恵みに頼る私たちより、ずっとひもじい思いをしてきたのね。

 

 当たり障りのない範囲で彼の話を聞いた。

 彼は明るく私に話してくれる。

 さも幸福な生活をしているかのように。

 それはシンヤ君の視点の話ではないだろうか。

 他人の幸せを知らないから、盲目に過酷な自分の生活でも、幸福だと思い込んでいるだけじゃないの?


 私は彼に幸せを知ってほしいと願った。

 私に与えられるものがないのか考えた。

 私は彼に幸福を教えたかった。

 でも、世界は彼に優しくない。

 その日、夥しい悪意が彼を襲った。




 次の日の朝、彼はいつもと変わらない。

 穏やかな様子で現れた。

 包帯が取れてから初めての朝だからかもしれないけど、少なくとも昨日のことを引きずっている様子はない。


「おはようシンヤ君。よく眠れたかしら」

「はい、お陰様で。痛みがないので久しぶりにぐっすりでした」

「それは良かったわ」


 私の用意した朝食を美味しそうに食べている。

 そんな彼を見ていると、なんだか胸の中があったかい気持ちになる。

 自分より年下の家族、弟がいたらこんな感じなのだろうか。

 

 彼の予定を聞けば今日はルフリア様の元を訪ねたいという。

 理由を問えば、情報収集と別れの言葉が返された。

 頭が一瞬真っ白になり、考えていた以上にショックを受けた。

 動揺して捲し立てるようにまだここにいるように話したが、シンヤ君の意志は固かった。

 納得できなかった私は、ルフリア様と共に、彼の話を聞くことにした。


 ルフリア様の家に向かう途中でルグランも同行させた。ルグランも口は悪いがシンヤ君のことを悪く思っていない。

 いざという時は、私と同様に彼を止める側に回ってくれるかもしれないと考えてだ。

 


 ルフリア様の家で、シンヤ君の口から全てを聞いた。

 何故この場所にいるのか、ここに至るまでの必要な情報を全て語られた。

 私は彼の言葉に嘘はないと感じた。ルフリア様も認めたことから間違いはない。


 シンヤ君に課せられた試練は、余りにも理解しがたかった。

 常識なんていくつも飛び越えて、頭の整理が追い付かない。

 確かなのは、彼が今回の試練を超えられなければ命を失うということ。


 だけど、運はシンヤ君を見放していなかった。

 なんと帰還に必要な拠点は集落の外れにあったのだ。

 私は朧げにしか覚えていなかったけど、石の台座が拠点というものだったらしい。

 残りの日数を一緒に集落で過ごしてから、彼の世界に帰還すれば何の問題もない。

 今まで通り私がシンヤ君の面倒を見ても大丈夫だろうか。




「天竜ベリエル。原初の生命であり箱庭の王。森の巨木を優に超える強大な体躯と無限に等しき力を持ち、七日でこの大陸の七千万の人間族を全て滅ぼした竜種です」


「人間族を滅ぼした結果、大陸の拠点は全て天竜ベリエルの支配下にあります。私以外の妖精族や別の人族たちは、人間族のいなくなった大陸にひっそりと渡り、暮らしているに過ぎません」


 ルフリア様とシンヤ君が話している。

 二人とも静かな心だ。まるで収穫の確認作業でも行っているかのように。

 事実を淡々と話している。


 なんで。

 なんで?

 こんなの試練なんかじゃない。


 処刑だ。

 30日間の猶予を設けられた処刑。

 拠点は絶対に手に入らない。

 時間切れで試練に失敗して、試練資格を失い、シンヤ君には死ぬ運命しか用意されていない。

 

 残り時間を死の恐怖に怯えて過ごせというの。

 シンヤ君だけがおかしなルールで、絶対に突破できない状態で挑まされている。

 たくさんの人たちを助けようとした結果がこれだなんて。


「これは無理ですね。お手上げです」


 なんで笑うの?


「それしかできないなら、それに賭けるしかない」


 どうして前を見ているの?


「天竜ベリエルを見に行きます。まだ交渉は行いませんが、強さの一端を知ることで分かることもあるかもしれませんから」


 進むことを諦めないの?


「情報提供までで十分です。僕は本当にそういうのは嫌なんです」


 どうして助けを求めてくれないの?


 私は話のあと、彼に顔を合わせることなく夕方まで一人で薬草を採取して過ごした。

 何かしていた方が考えなくて済むと思った。

 でも頭は薬草を摘む手とは別に、シンヤ君のことを考え続けていた。

 

 やがて籠が一杯になり、集落へと戻った。

 採りすぎたためルフリア様にも分けようと尋ねてみれば、ルフリア様はニアの宝珠を加工しているところだった。


「……ルーヴィ?忘れ物でもしましたか?」

「いえ、薬草を採りすぎたのでお裾分けに。ルフリア様はどうしてニアの宝珠を?」

「ルカとルリが届けてくれたので。あの子たちは本当に見つけるのが上手いですね。御蔭で明日に発つシンヤ様にお渡しすることが出来ます」

「ルフリア様は、止めないのですか。シンヤ君が……」


「あの方は止まらないでしょう。ともに寄り添うことは出来ても……いえ、私は拒絶されてしまいましたが」


 落ち込むように下を向いたルフリア様には老獪さはなく、見かけ相応に思えた。

 ルフリア様は私の顔を見詰め、少し考えてから口を開いた。


「……私は誰より心を読むことに長けています。勿論普段は調整していますが、先ほどは調整が緩んで、シンヤ様の心の内を垣間見てしまいました」

「一体どんな……怖がっていたんですか。やっぱり諦めて…」


 ルフリア様は首を横に振った。


「覚悟を決めていました。命を賭して試練に挑む覚悟を。同時に私たちを絶対に巻き込まない決意もされています。あれではどんなにお願いしても、共に連れて行ってはくれないでしょう」

「なんで、そんな……」

「……どうしてでしょうね。とてもとても遠い、遥か果てからやってこられた方だから、ですかね」




 シンヤ君との別れの朝。

 集落の人間はみんな彼を見送ろうと集まった。

 彼の人となりは十分に集落の妖精族に刻まれていた。


 心が分かるから、その内側に目を向けさえすれば彼を受け入れない人はいないだろう。

 これまで出会った誰より、暖かく清々しい心の持ち主なのだから。

 

 皆が別れの言葉を送り、最後に、最後まで言うべき言葉を、掛けるべき言葉を見つけられなかった私の番が来た。


「本当に行っちゃうの?ここにいれば危ないことなんてない、みんなと一緒にいれば、何か別の方法が思いつくかもしれない。私だって協力するし、ルフリア様にも手を貸してもらって……」


 未練がましく言いつのってしまう私に、シンヤ君は優しい顔を向けた。

 その顔は幸福を噛み締める思いが宿っている。


 無くしたものを見つけた、子どものような顔。

 私の中に別の誰かを見ているの?

 

「大丈夫です。もう十分たくさんのものを貰いました。ご飯はとっても美味しかったし、あんなに他人に優しくされたのは覚えている限り、ルーヴィさんだけです」


 それは誠実な言葉だった。

 沢山の不幸な出来事の中で、私のほんの少しの優しさが、彼の心で宝物のように輝いていた。


「シンヤ君……あなたは素直でとってもいい子よ。報われないなんて間違ってる。もっと幸福になってもいいの。人のためだけに、自分を犠牲にするなんて悲しいだけよ……それなのにどうして……」


 我慢していたものがワッと漏れ出し、涙に変わる。

 涙があふれ出て止まらない。なんでこんなに悲しいのか分からない。

 彼と過ごした時間は、私の生きてきた時間の中で本当に一瞬のことだったのに。


 彼の今の幸せそうな顔を見たら、心の中全部が掻き乱される。

 自分でも何を言っているのか分からない。

 幼子のように泣く私を、シンヤ君は壊れ物でも扱うように抱擁し、ほんの僅かに触れた体を直ぐに離した。

 そして、シンヤ君は妖精族の集落を後にした。




 彼は去り、日常は戻る。

 私の中で欠けたものは、未だ元には戻っていない。


 あれから6日が経っている。

 シンヤ君と過ごした時間より長い時間。

 

 摘んだ薬草を洗い、日向に干していく。

 吊るされた薬草が並んだ蔭から、誰かが近づいてきていた。


「いい加減その面どうにかしろよ。辛気臭いぞ」

「……あんたには関係ないでしょ」


 面倒くさそうに話しかけてくるルグランを一瞥し、先に干して乾燥させていた薬草を持って部屋の中に戻った。


「関係はないが、迷惑は掛かっている。話すたびにお前の陰気を移される身にもなってみろ」


 まだ軒先で話しかけてくるルグランを相手にする気にはなれず、さっさと次の作業に移った。

 乾燥した薬草を適当な大きさにすり潰していく。


「シンヤは今頃どこだろうな。天竜に会えたのかね」


 ゴリゴリと力を込めてすり潰す。

 細かくすればいいというものでもなく、適切な大きさがある。

 何度も繰り返してきた作業だから手が覚えている。


「案外、野垂れ死んでるかもな」


 ガンッとすり鉢をテーブルに叩き付け、中身が零れる。


「本当に、何。心にもないこと言って、本当は何が言いたいのっ」


 ルグランはシンヤ君が死んでいるなんて思ってない。

 言葉は嘘だ。

 だけど、そんなことと関係なく死という言葉に気持ちがささくれる。


「お前はさ、シンヤのことを餌付けした動物か何かと勘違いしているんじゃないのか?」

「……意味が分からないわ」

「別にシンヤはお前のものじゃない。あいつにはあいつの生き方がある。好きに生きてるんだ、幸せなことだろうよ」

「あんただって、話を聞いていたでしょ、あれの何処が好きに生きてるのよ、幸せだっていうのよっ。試練なんて馬鹿馬鹿しいだけでしょ!」

「でもあいつは自分を不幸だとは思わない」


 私の声が大きくなるが、ルグランは怯むことなく静かに声を漏らすだけだった。

 冷水の様な感情に水を差され、熱くなり過ぎた頭を落ち着かせて息を整える。


「幸福を知らないからよ、だから自分が不幸だと分からないの。誰かがついていてあげないと、教えてあげないと、あの子は最後まで勘違いしたままで死んでしまうわ」

「勘違いしているのはお前だよ。あいつは一度でも自分が不幸だなんて言ったか」

「それは……言っていないけど」

「俺から見れば寧ろ幸福そうだった。だからあいつを不幸だと決めつけるのは止めろ」

「……」


 彼は幸せそうだった。私の目映る彼は確かに幸福だった。

 それが、なんだ。


「体中を傷だらけにされて、たくさんの悪意に晒されて、絶望的な試練に挑まされて、それでも幸福そうだったから、それでいい?いいわけないでしょっ!!」


「それでも、あいつはお前みたいな顔をしていない。してほしいとも思っていない。自分のやるべきことをやる。最後になんて言ったか思い出してみろ。その言葉に嘘があったか」


 ルグランはそう言って去った。


『僕はちゃんと幸せです。幸せでい続けたいから今を頑張っているんです』


 嘘なんて一つもない。

 真っすぐで強い思いの籠った言葉だった。


 そんなの、分かってる。

 分かっているわよ。


 体を壁に預けて、ズルズルと床に座り込む。


「それでも私は……あなたには、もっと普通に、人の幸せの中で生きてほしかったの」


 漏れ出たつぶやきに、応える人はいない。

 今も一人ぼっちのあの子に、私の言葉は届くことはない。


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