第5話 side有紗 人形のような少年
「はじめまして、ぼくの名前は青野信也って言います」
信也君は、小学二年生の時に越してきた先で出来た、友達の花音から弟として紹介された。
第一印象は礼儀正しい少年だった。
ニコニコと嬉しそうに自分の名前を自己紹介していた。
ロシア人の血を引く母の白人特有の容姿から、同年代の子に悪戯されたり、変な目で見られたりすることが多かった私たち姉妹は人の目に敏感だった。
信也君の瞳はとても澄んでいて、平等だった。
夕希は直ぐに信也君と打ち解けた。
妹がいる所為か、面倒見がよくいい意味で特別扱いをしない。
私もそんな信也君のことを身内として受け入れたけど、彼にはどうしても不自然な部分があった。
兎に角、困っている人を放っておけない。
どんなに面倒なことでも嫌な顔一つしないで自分から手伝いを申し出る。
明らかに騙されているのではと思えることでも気にしない。
指摘しても少し困ったように笑うだけで、文句も陰口も出てこない。
私が単なる幼馴染だから言わないのかと思えば、花音やその両親に聞いても悪口は聞いたこともないという。
まるでお人形のようだと思った。
別に不気味に思ったり嫌いになったりはしていない。好ましいと思っている。
ただこの子の心はきっと自分とは違うものでできているんだろうと思っていた。
誰にも傷付けることのできない、鋼鉄で出来た心。
月日が流れてもその性格は変わることはなかった。
寧ろ体力や筋力、物を考える力が育ったおかげか年々親切の幅が広くなっていった。
私の中で転機が起きたのは、あの事件からだろう。
面倒見が良くて、大人から好かれる信也君のことをよく思っていない同級生からの、彼らの考えではちょっとした悪戯だった。
そして取り返しのつかない悪戯だった。
信也君を騙して教師からの手伝いを頼まれたと偽り、目的の場所に誘導してから外から鍵を閉めて、旧校舎の教室に監禁したのだ。
当時の旧校舎は教材を置くなどの倉庫としてしか使われていなかった。その日は金曜日で、鍵を掛けられたのは放課後だった。
2階で窓も子供の手に届く位置にない、自力で脱出が出来ない部屋に、信也君は誰にも見つかることなく3日間取り残された。
月曜日の朝に学校で、信也君が金曜日から行方不明になっていることを聞かされた生徒が慌てて旧校舎の部屋の鍵を開け立ち去り、何食わぬ顔で倒れている信也君を見付けたと報告した。
当然嘘はすぐにばれた。
下手すれば殺人だ。彼の家族の怒りは凄まじく、法律とは関係なしに復讐でもしそうな勢いだったが、当の信也君は許した。
少し困ったような顔で。死の一歩手前まで衰弱していたのに。
信也君が処罰を求めなくても、少年たちに何の罰もなかったわけではない。
噂が広がりこの街で暮らせなくなったし、その罪は残り続けるだろう。
私にとっては、信也君の態度だけがシコリとして残り続けていた。
これの日以降、私は私の出来る範囲で悪意に対して何の自衛もしない彼を助けるようになった。
時間は流れ、私も高校生になった。
花音も一緒だ。
小学校の頃からずっと同じクラスで別れたことがない。セット扱いでもされているかもしれない。
「そういえば信也の運動会に行ってきたんだって?私も予定がなければ見に行ったのに」
「そうね。夕希に付き合わされてだけど」
「夕希ちゃんは相変わらずね。そこが可愛いんだけど」
「ふふ、そうね」
お昼休み、お弁当を食べながら二人で話す。
話題は先日の信也君の運動会でのこと。
夕希は信也君の学校行事に良く顔を出す。
私たちと信也君は学校が違うので、行事の日程がズレていて応援や参加をすることが出来る。
今回は運動会で、夕希目的は信也君ではあるけど、活躍を見に行くというよりは牽制のためだった。
お洒落にめかし込んで自分の容姿の良さをこれでもかとアピールして、私がいるから信也君に手を出すなと威嚇するのだ。
我が妹ながら可愛いことだが、私もその牽制役として加担させられるのは若干うんざりする。
別に信也君の応援が嫌というわけではなく、妹の行動でまた信也君が要らぬ悪意に晒されないかという心配だった。
それが分かっていて止めないあたり、妹に甘すぎるのかもしれない。
「夕希ちゃんは行動力のわりに、信也の手すら握れないんだもんね……本当に初心ね」
「その癖、嫉妬深いわ。もうちょっと自分に自信をもってもいいと思うんだけど難しいわね」
夕希は身内贔屓抜きで可愛い。
それこそ10年に一人のアイドルなんて言われる人にだって負けないし、事実この学校の中等部にもファンは多い。
本人は少し発育に不満があるようだけど、愛嬌があるし、しっかり女の子としては魅力的に育っている。
「恋に恋してる女の子か……羨ましい」
「花音はそういう相手いないの?」
「いると思う?」
「思わない。いたら流石に私が気付くわ」
「そういう有紗こそどうなのよ。あなたモテるでしょう。告白してきた中に付き合ってもいいかな、って思えるような相手は居たんじゃない?」
私も容姿が優れている自覚はある。視線にも敏感だ。
自分に向けられる思いがどういうたぐいのものなのか分かる。
「どうかしらね……私自身あまり興味がないの。もし夕希の恋が上手くいって、恋愛が楽しそうだったら誰かと付き合うのも悪くないと思えるかもしれないわね」
「それは……多分先の長い話になるわね」
「ふふっ、きっとそうね」
私たちはおかしそうに笑い、話を終えた。
何もない日の出来事だった。
「カッコイイなあ……先輩」
夕希は顔をデレッと崩して、スマホで信也君の切り抜き動画を見ている。
最初は試練の映像のグロテスクさに、一回目以降は話題にすら上げていなかったが、信也君が配信に映り出してからは、睡眠時間を限界まで削って見守っていた。
私も心配であったためなるべく配信は見続けたが、流石に夕希ほどの根性は発揮できずに何度も寝落ちした。
そもそも寝顔まで徹夜で見続ける方がおかしい。
「なんで本人に会う前に動画見てるのよ」
「だってしょうがないじゃん!もう、このシュッて来てパッとする所とかもう!この顔が、もうっ!」
きゃ~と言いつつ、手足をバタバタと動かし何か表現しようとしているが生憎わからない。
私は夕希のスマホを取り上げて動画を見てみる。確か一番最初の歯の怪物と戦うところだ。
後々有志によって解析されて分かったことだが、信也君は手元から石を飛ばし、その音で歯の怪物を誘導して背後から攻撃したという事だった。
だけど、この戦闘の胆はそこではない。
信也君の迷いの無さだ。
私も武術を習っていたが、彼の動きは道場の師範よりずっと洗礼されている。
蹴るのではなく床を押すことで音を消し、二歩目の着地音すら動画では分からない。
薙ぎ払うように振られた斬撃は完全に怪物に対して刃筋を通し、その首を鋭利に切断した。
洗礼された、美しいとさえ思える剣閃。
残心を取る信也君の顔は普段の優しさなど消え失せ、ゾクリと皮膚が粟立つような、一本の刀のように鋭い気迫を纏っていた。
動画の下のコメントでは信也君について色々書いてある。
全てが好意的ではないけど、その姿がたくさんの人を惹き付けているのが分かる。
「そうね、とってもカッコイイと思うわ。それじゃ、その本人を待たせないように早くいくわよ」
夕希にスマホを返して先に出る。
「あ、待ってよ、お姉ちゃん!」
玄関を出ると、父さんと母さんが既に外に出てソワソワしていた。
何をしているのだろうか。
玄関先でちょっとした茶番は合ったけど、特に変わりなくいつもの通学路を歩く。
信也君への興味本位の接触を避けるためにみんなで彼を囲む。
花音に事前に相談されていたから実行したけど、確かにこの視線と人の多さに必要性を再認識した。
「先輩が無事なのは分かっていましたけど、またこうやって登校できて嬉しいです!」
「そうだね……学校に通い続けるかどうか迷ったけど、試練が終わって何の学もないなんてちょっと嫌だったからね」
二人が仲良く話している。夕希がいつにも増して積極的で私としても面白い。
父さんではないけれど、少しだけ援護射撃を行う。
「私としても有難いわ。同じ家に住む花音はいいとして、夕希が寂しがるから」
「もぉーー!お姉ちゃんもお父さんみたいなこと言わないでよ!別に先輩がいなくても寂しくなんてならないから!」
ただの強がりだ。夕希は本当に信也君と学校に通えることがうれしいし、いなくなって平気なんて誰でもわかる嘘だ。
分かり易すぎる強がりに、他のみんなもクスクスと笑っている。
だから信也君の様子が違っていたことに直ぐに気付いた。
「…………」
私が初めて見た、傷付くことを知らない、陰ることのない顔。
その鋼鉄の隙間から覗いた心に出来た傷跡。
ほんの僅かな間だった。
彼の顔が陰り、目の中の光が輝きを失う。
夕希は恋する乙女だが、恋に盲目ではない。その変化を見逃さなかった。
「えっ、今のは………違くて……」
「ん?ああ、気にしなくていいよ。ちゃんと分かってるから」
気遣うように微笑む彼の表情はいつものものに戻っていた。
だけど、先ほどまでとは感じ方が違う。
傷を隠して覆うただの仮面のようにしか見えなかった。優しさで覆われた笑み。
気付かぬうちに血が滲みそうなほどの力を拳に込めていた。
私は愚か者だ。
傷付かない?そんな訳がない。そんな人間はいない。人よりずっと見付けにくいだけで、心はずっと傷付き続けているじゃないの。
心が鋼鉄なんじゃない。心を鋼鉄で覆っているだけ。
ずっと、ずっと、傷付いても、傷付いても、覆い隠し続けていた。
今の様子を見れば分かる、家族の誰一人その傷に今まで気付いていなかった。
試練のことだけじゃない。
一体いつから。どれだけの間、信也君は一人で傷付いていたの。
昼食を共にする約束をして、お昼休みに信也君の教室に迎えに行く。
私と花音は目立つから廊下で信也君が出てくるのを待とうと思ったけど、花音は教室に突撃していった。
信也君の周囲には女子生徒がいて、彼と何か話をしていたようだ。
何も知らないで面白がって話を聞こうとでもしていたのだろうか。
ドロリと不快な感情が滲むが、当たり障りのないよう対応する。
クラスのパワーバランスもある。信也君の気持ちも確かめない内に勝手なことは控えるべきだろう。
「花音、いくら何でも信也君に迷惑になるから廊下で待ちましょうって言ったのに……」
そう、今は見逃してあげる。
皆で集まれる中庭に出て、思い思いにシートの上に腰掛ける。
「何も聞かずに来たけど、これ何の集まり?」
「何もないわよ。強いて言うなら信也が休めるようにこうして身内だけで集まっただけ」
「姉さんも、みんなも有難う。色々と気を使わせてるみたいで申し訳ないけど、本当に有難いよ。思ったよりは学校の雰囲気は大丈夫なんだけど、勝手が変わって疲れるのは本当だから」
どうやら迷惑には思っていないようで私と花音はホッとした。
「夕希ちゃん、今朝の事なんだけど……」
「先輩、私、あんなこと言うつもりなくて」
始まった会話に思わず動きが止まる。
まさか信也君から話を持ち出すとは思わなかった。
彼からしたら隠しておきたいことの筈なのに。
「あ、いや、夕希ちゃんの言ったことは別に何とも思ってないよ。そうじゃなくてその後の僕の態度の話」
「ふえ?」
「あれ、演技なんだ」
「えんぎ……えんぎって、お芝居の演技ですか?」
全員その発言に困惑した。あれが演技だというの?そう思ったのだろう。
あんな繊細過ぎる機微が演技の筈がない。
「そう、その演技。丁度塚本のおじさんと有紗さんが夕希ちゃんのこと揶揄ってたから、僕も乗らないとって思って、全力で落ち込んでる演技したんだ」
「え、あれはどうみ……」
そうか、信也君の意図が読めた。私は一番に話を合わせた。
「あら、信也君は演技がお上手なのね」
その言葉は本心だ。
上手な演技だ。
夕希に気にしていないと笑いかける鋼鉄の仮面に覆われた演技。
今更騙されない。
イメージトレーニングなんて言っているけど、実戦で学んだんでしょう。
ずっとずっと隠し続けて、自然になるまで。
誰にも心配を掛けないように。
「もおぉ~人が悪いですよ、先輩!私本当にビックリしたんですから。いつもと雰囲気が違うし」
一番察しが悪かった夕希が言えば和やかな空気が流れだす。
私たちの内心は置き去りにして。
「ごめんごめん。一度スイッチを入れると元に戻るまで時間が掛かっちゃうんだ。これからは気を付ける。事前に演技します!って宣言してから演技するから」
そんなことしなくてもいい。痛いなら痛いと言ってほしい。
誤魔化さないでほしい。
「ふん、意地悪な先輩なんて知りません!演技だったら慰めたりしませんから」
でもあなたが演技だと誤魔化し続けるならそれでもいい。
演技だと言い張るあなたを慰めればいい。
信也君は先に教室に戻り、私たちは残った。
「……どう言えば、いいのかしらね」
「分からないわ。でも、良い変化だと思う。このままずっと誰からも気付かれなかったら、誰も信也のことを理解してあげられなくなっていたから」
「そうだよね。そういう意味では夕希ちゃん大金星だね」
「うん、ちょっと嫌な役をさせちゃったけど」
「………」
「私は……いえ、そう言って貰えると。色々複雑だけど」
好きな相手の脆い部分を晒されて動揺するのは、想像ではあるけど戸惑う事なのだろう。
私には分からない感覚だ。
少なくとも私の意見は花音と同じで、心の内を見ることが出来てよかったと思っている。
みんなと一緒ではなく、あとから一人で帰宅する。
途中まで同じ部活の仲間と一緒だった。
家に近付くとニット帽とサングラスをした怪しい風貌の少年がいた。
ただ、雰囲気には覚えがあった。
「こんばんは有紗さん」
「ああ、信也君なのね。その格好だと気付かなかったわ」
やはり信也君だった。とても疲れているように見える。
「……随分と汗だくのようだけど、トレーニングでもしていたの?」
「はい、次の試練までに鍛えられる部分は鍛えようと思いまして。努力が足りなくて命を落とすなんて、家族に申し訳が立たないですから」
命を失うと、家族に申し訳が立たないって、なに。
彼のズレた答えに、気持ちがささくれる。
言葉に怒りに似た感情が乗り、硬くなる。
「信也君の命は信也君のものでしょう。あなたの気持ちが分からないわけではないけど、努力は自分のために行うべきじゃないかしら」
「その通りなんですけど、僕は……」
信也君は私の雰囲気が変わったことに動揺していた。
何故、怒っているのか分からないのね。そんなにまでなっているのね。
「自分の行いで誰かが幸せだったらそれでいいかなって思うんです。自分より他人、他人より友人、友人より家族、家族より……まだ見つかりませんけど、自分がこの世で一番愛せる人。自己満足でしかありませんけど、何だか僕でも誰かにとっての必要な人間のような気がして」
「……」
気持ちが軋む。彼は何一つ嘘がない。知り合ってからずっと彼を見てきた。
この子は自分の人生を、命を見ていないんだ。全て他人に預けてしまっている。
どうしてここまでなってしまっているのか。どうして誰も彼も、彼のことをこうなるまで放っておいたの。
「あーすいません、随分とクサイことを言いました。忘れてください。別に自分を蔑ろにしているわけじゃないんです。僕は自分の出来る範囲で努力したい、それが誰かのためになることだったら嬉しい、そのくらいの軽い気持ちですから。本当に」
私の態度に意見を変える。本当はそんなこと思ってもいないのよね。理解者を必要とはしていない。
「私は、あなたのことは人形みたいな子だと思っていたわ」
人形は私。
私の瞳は何も見えないガラス玉だ。
「困っている人がいれば放っておかない。助けることは当たり前。誰に何を言われても笑っていて、悪感情を抱かない。傷付かない鋼の人形」
鋼の人形は私。彼の心が理解できていなかった冷たい女。
愛も恋を知らない。心臓までブリキに違いない。
「最近は、少し違うわね。誰かを助けることは変わらない。いえ、命を懸ける分、質が悪くなった。そして、あなたの感情が私にも見えるようになった」
やっとその心に触れる機会が巡ってきた。
でも、それは私が触れていいものではない。繊細で壊れやすいガラス細工の心。
入れ物だけは頑丈に作り上げた、儚くて綺麗なもの。
私は光に惹かれるように伸ばした手を、静かに下した。
「傷付かない人なんて、いないわよね。私が、私が人の心が分からなかっただけ。あなたは傷付いていたのに、心配させたくないから笑顔の仮面で覆い隠していただけ」
妄想かもしれないけど、あなたの瞳が助けを求めるように瞬いているように感じる。
私ではない誰か?それとも私?
「有紗さん、思い違いです。僕は普通の人間ですから勿論傷つきます。そこは合っています。ただ別に心配させたくないから隠していたわけじゃなくて、今までは本当に気にしてなかっただけです」
そんな鈍感な人間があんなに人にやさしくできる筈がない。
また嘘を重ねる。
私を庇うために重ねる。
彼が心を鋼で覆っていく。目の前が暗くなるようだった。
夕希が途中で会話に入って、有耶無耶のまま話は終わった。
信也君が家に入っていくのを二人で見届ける。
「お姉ちゃん、先輩と何かあったの?」
「何もないわ」
「……ならいいけど」
納得していないようで不審そうに私を見てくるが、私にはこれ以上説明のしようがない。
勝手に感情的になって、困らせて、追い詰めただけなのだ。彼を。
「そういえば、今日の帰りはどうだったの。信也君と手くらい繋げたのかしら?」
「唐突に話変わりすぎっ!ちょっと色々あったし、まだまだその時期じゃないというか」
顔を赤くしてしどろもどろになりながらブツブツと言い訳を捲くし立てる夕希。
いつかの花音との会話を思い出す。
夕希と信也君の関係が進展するのは先の長い話。
あの時は時間が無限にあると錯覚していた。
この先、彼の命はいつまで長らえられるのか。
試練で、手の届かない場所で、また一人で傷を増やすのだろう。
傷付いた心は誰が癒してくれるのか。
夕希が遅いのなら、彼の家族が彼の心の重しであるというなら。
「お姉ちゃんっ!聞いてる私の話っ!?」
「ごめんなさい、聞いてなかったわ」
「むきっーーーーー!開き直った!!」
興奮している夕希を玄関へと押しやり家へと入る。
最後に一度だけ、彼の部屋の位置を振り返り、玄関の扉を閉めた。




