第1話 神使と送還
先ほどまで僕は学校の教室にいた。
何の前触れもなく、いつか見た日本庭園に立っていた。
青々とした自然の中、澄んだ空気が肺を満たす。
程なくこちらに女性が歩いて来る。
なびく黒髪に紅玉の瞳。
神秘的な美を讃えて、人ならざる空気を纏うもの。
「またお会いしましたね、貴方様」
「えっと、お久しぶりです。あなたが僕を呼んだんですか?」
目の前の女性、夜刀さんは静かに首を振る。
テンマと瓜二つの容姿だが、彼女の静謐さはテンマが逆立ちしても表れないだろう。
「愚かな輩の陳腐な仕掛けです。その指輪には時限装置のような式が組まれていたのでしょう。一定時間使用されなければ、強制的に指定座標に転移させられるような」
マジかよ。あいつ、本当にやることえげつないな。
何が親切だ、そんなもの欠片も持ち合わせていないだろ。
「強制転移の座標も、人間族の大陸に設定してありました。私の方で妖精族の集落があった付近に変更いたしますが、宜しいですか?」
「お心遣い痛み入ります」
キッチリと頭を下げてお礼をしておく。同じ超越者でもこうも違うのか。
この人の爪の垢を、あいつの口にねじ込みたい。
「承りました。……心苦しい限りですが、無償でというわけではありません。相応の対価を頂きます」
おっと、それはそうだろう。別に彼女からしたら僕のことなど放っておいてよかったのだ。
何かしら対価は払う必要があると思うけど、はたして僕に払えるものなのだろうか。
夜刀さんが手を二度鳴らせば、庭園に竹で組まれた長椅子に、湯気だった湯呑と皿に乗った串団子が現れる。
「私どもは永い時間を生き、交流は非常に少なく退屈しております。出来ましたら、しばし話し相手としてお付き合いいただければと思うのですが、如何でしょうか?」
「それくらいならば喜んで」
何ともささやかなお願いだった。
上位観測者もどきも同じようなことを要求してきたし、超越者はコミュニケーションに飢えているのだろうか。
お互い長椅子に腰かけて、素朴な味の串団子と味わい深いお茶に舌鼓を打ちつつ、僕は彼女に促されるまま話しをした。
聞かれたのは高校での話が主だった。
勉強したり、お弁当を食べたり、友達と話したり、取り留めもないことを喋った。
あまり表情は変わらないが、楽しげな雰囲気は伝わって来る。
いや、それだけとも言い難いというか、それ以上は感情が読めなかったというのが正しい。
もっと別の何かを思っているような気がしたが、その機微が読み取れるほど僕は彼女とは親しくはない。
お茶も串団子もおかわりが出て来て、それも食べ終えて暫くたったところで、不意に夜刀さんの話が途切れた。
「……今回のお話はここまでとしましょう。これ以上貴方様の貴重な時間を浪費させるわけにも行きませんので」
いつにまで話すかと思っていたら対価の分だけだったようだ。キッチリしているというか、律儀というか。
僕は立ち上がり転移に備えたが、夜刀さんは座ったままじっとこちらを見上げていた。
「……最後に一つだけお聞かせください。私は貴方様に忠告しました。テンマと共にあれば喪失感に苛まれると、道具として使えばまやかしのままだと」
「そうですね。確かに覚えています」
「貴方様はテンマに対して、一つの生命として惜しみない愛をもって接していました。3度の別れを経験して、さぞ辛かったのではないですか?」
夜刀さんのこちらを見る目は、殊更感情が見えない。
その質問の意図を見せまいとするかのように。
「別れは辛いです。でも記憶が消えても何もかもが消えるわけではありません。僕は彼女のことを覚えていて、彼女が世界に残した証は確かにあるんですから。あの子は正真正銘の世界の救世主で、僕の相棒ですよ」
「誰の記憶にも残らず、誰にも讃えられず、異なる存在故に共にいることを拒絶され、大切な人からも忘れ去られ、意味を無くした道具が幸福だと思いますか」
テンマの話、なのか?
前半はそう聞こえたが、後半は当て嵌まっていない。
拒絶したこともないし、テンマは全部忘れるから、そもそも忘れられたことなんて認識できない。試練を超え続けている、意味だって無くすことはない。
まして僕にとって、テンマは道具なんかじゃない。
そんなことは、夜刀さんだって分かっているはずなのに。
「……幸福ではないでしょうね。ですが忘れてしまえるのなら、不幸だとは思えないのでは」
「忘れられません。どれだけの時間が流れようと、それは忘却の助けにはならないのです。一人忘れることも出来ずに、遥か昔の……訪れるはずのない幸福を願って、絶望し続けるだけです」
やはりその言葉の意味は僕には分からず、彼女の前髪に遮られた、黒い帳の降りた表情からは何も読み取れなかった。
「失礼しました。言葉が過ぎました」
夜刀さんは立ち上がり、指先で光輪を描いて僕をその輪で包む。
光輪に包まれていると、淡い輝きと共に体が解けるように崩れていく。
夜刀さんは少し逡巡し、もう一つ光の輪を作り、僕の頭上へと飛ばしたが、それは空気に溶けて見えなくなった。今のも転移に関わる何かだったのだろうか?
「つまらない質問をしてしまい申し訳ございません。旅の無事を祈っております」
「いえ、大丈夫ですよ。今回は有難うございました。行ってきます」
「行ってらっしゃいませ、」
『 』
夜刀さんの最後の呟きを、聞き取ることなく僕は転移した。
彼女もその言葉を聞かせるつもりは無かった。
目が覚めるとそこは森の中ではなかった。
明らかに整地された道の上で、均された地面だった。
周囲には何も植えられていない農耕地が広がっている。
夜刀さんが言うには妖精族の集落の近くという話だけど、どちらの方角がそうなのだろうか。
試練でないから背負い袋はない。よって物臭の地図がない。当然テンマもいない。
服は学校の制服で、戦装束もなければマサムネも白鷺も小狐丸もない。
……これ、人間族と戦えるのかな。
戦力ダウン著し過ぎる。
内側にこれでもかと溜め込んだマサムネの力を暴発させれば、山くらいならいくつか吹き飛ばせるけど、そしたら僕も死んじゃうんだよなあ。
というよりこの溜め込んだ力どうしよう。マサムネがないから体外に放出するのは結構辛い作業になる。
何もしなければ無害だけど、長い時間体に入れっぱなしでは体に悪影響が出てしまいそうで怖い。
どうにもならないことには目を瞑り、ステータスを弄ってみる。
平時と同じように、ストレージは取り出す専用で使えるようだ。
人が見つからなくても、すぐさま野垂れ死ぬ心配はない。
整地された道を兎に角真っすぐ歩いて行くことに決めて歩き出す。
夕暮れまでに人里があればいいけど。
時間が流れ、夕暮れから夜になりつつある。
辺り薄暗くなってきた頃、人里が見えた。
途中獣に会わなかったのは運がよかった。流石に素手で鉄塊猪みたいな怪物は倒せない。
集落と言うには大きく、町に近いだろうか。
ちゃんと塀で囲ってあり、外敵への対策が取れている。
暗いし人間であることは誤魔かせるだろうと考え、入口にいた人に話しかけた。
ケモミミの男性で、耳の形に何となく見覚えがある。狐人族だろう。
「こんばんわ、ここは何処でしょうか?妖精族の友人を訪ねて来たのですが、道に迷ってしまって」
「うん?ここは狐人族の町だ。妖精族の集落はこの道の反対方向だよ」
逆走していたのね。あんまり疲れていなかったが徒労感で疲れを感じる。今から徹夜で歩けば朝には辿り着けるだろうか。
「有難うございます。戻ってみますね」
「いやいや、今からじゃ何日もかかるよ。今日のところはこの町に泊って行った方がいい」
「いえ、急ぎなので。有難うございました」
人間だとバレて試練の二の舞になったら最悪だ。
あれから何年経っているか分からないけど、ここに僕を知る狐人族がいるかどうかも分からない。いらぬ危険は冒せない。
「そうかい……せめてこれだけは」
狐人族の男性は懐から石を出して打ち付けた。火花が散ってパッと光る。
切り火を切る、マサムネの影響だな。
お礼を言って集落を後にしようとした。
「待ちなさい」
凛と通る声。
夜に浮かぶ黒。
敵意と戦意、それに強者の出す闘気。
刀を帯びた黒髪の狐人族の女性が、諦観を宿した暗い瞳で、炯々とこちらを睨み付けていた。
強い。武器無しでは勝てないと思わせられるほどに。
僕は戦闘になる可能性を考慮し、ステータス閲覧を使用した。
「何者ですか。その佇まい、只人ではありません。それに、よく見ればあなたにはこの大陸の人族の特徴が…………え、この気配は………………」
女性は言葉の途中で止まった。
信じられないものを見る目で、黒い瞳がこちらを凝視している。
僕もステータス閲覧を見て固まった。
『アオイ 女 21歳
関係:他人 感情:混乱 状態:健康 精神:混乱
技能:刀術LV25 武術LV20 頑強LV19 俊敏LV19 奇襲LV9 気配察知LV9 索敵LV9 生命強化LV9 気配遮断LV9 隠形LV9 獣の血脈(夜狐) 水晶眼 天翔 身体技能制限解除
称号:宵闇に輝く黒晶
狐人族の集落の長の娘。
先天的に水晶眼を持ち、制御できない力が呪いに変じ、盲目となる→
呪いの解呪に成功し、その力を自在に操るまでに至る。
武の才能が開花するも、強すぎて嫁の貰い手がない→』
ステータス閲覧、レベルが上がって遊び心でも手に入れたのか。個人情報晒し過ぎだろ。見てはいけないものを見た気がするだろうが。
未だ混乱の解けていない彼女に声を掛けた。
「これは見違えたよ……久しぶりだね、アオイさん。僕のこと覚えてる?」
腰まである長い黒髪を首元で結われ、月の光を反射している。
ピンと張った狐耳と、長く艶やかな黒い尻尾。
細身で女性としては大分身長が高い。
白い面立ちに、唇は紅を引いたように赤い。
幼かった彼女は、可憐さと優美さを併せ持つ女性に成長していた。
……暴力的な近接特化のステータスにはそっと目を逸らした。
アオイさんはフラフラと僕に手を差し出し、顔に触れてきた。
「暖かい、柔らかい…………本当に、シンヤ様なのですか?これは夢ではないのですか?いつものように覚めて消える夢ではないのですか?何で、どうして……姿があの日のまま?あれから11年も経っているのに?人間族ならとうに成人されているのにどうして?もっと触れてもいいですか?離しません。またいなくなってしまいます。とにかく捕まえないと。家にシンヤ様用の白燐鉱製の手枷と足枷と首輪があったはず。成長されていないならそのまま使えますね。どうしましょう、しばらく手入れしていないわ。そんなものをシンヤ様に使うわけにわ。荒縄でしばってお待ちいただいている間に。でも荒縄程度では不安が。鎖でもいいかしら。でも冷たいのはお嫌でしょうし………………………………」
見張りの人はドン引きしていた。僕もドン引きしていた。
薄暗い中、うら若き女性が少年の顔を抑えたまま、息継ぎなしで不気味なことを喋り続けているのだからそりゃ怖い。
「アオイさん、落ち着いて。積もる話もあるだろうけど、落ち着いて。僕ここにいるし、急に消えたりもしな……いこともないけど、今は大丈夫だから。深呼吸、深呼吸」
そういえば僕って急に消えたんだよな。
クラスメイト達は不安になっているだろうか。
転移装置のことは知っているから、箱庭に転移したと認識してくれていればいいけど。
アオイさんは深呼吸している間も手を離さなかったが、段々落ち着いてきていた。
頬から離れた手は首の後ろに回って、そのまま胸の中に抱きしめらえる。
アオイさん僕より背が高い。鎖骨の辺りに鼻が当たる。
若草と汗の匂いが混じって香ってくる。
見掛けが変わり過ぎて、初対面の女性と対しているようで緊張してしまうが、まだ子どものアオイさんを思い出して、ゆっくりと彼女の背を撫でた。
「ずっと、ずっとお会いしたかったです……。私はこの日を夢見て、何度も何度も夢見て、何度も…………やっと……今になってシンヤ様に会えるなんて……」
「ごめんね。こんなに時間が経っているなんて知らなかったんだ」
視線を落せば尻尾がブンブン振られていた。艶が良く大きい尻尾だ。触り心地が良さそう。
マーレはアニマルセラピー推奨してたし、ハチクロに尻尾でも触らせてもらおうかな。あいつも大きかったし同性なら大丈夫だろう。
どれくらいそうしていたか分からないけど、納得してくれたのか抱擁が解かれた。
「ん、んんっ!……失礼いたしました。再会は喜ばしいですが、この町にどのようなご用が?」
「この町というか、人里を探してたんだ。転移したばかりで、自分が何処にいるかも分かってなくて」
「転移ですか?どのような現象なのか分かりませんが、人里ならば狐人族の里に向かいましょう。シンヤ様がいた頃から、道も整備されていますので直ぐに辿り着きますよ」
「いや、ここ妖精族の集落の近くだよね。それなら妖精族の集落に向かった方が早いよ?」
「狐人族の里に行きましょう」
「妖精ぞ」
「狐人族の里に行きましょう」
「よ」
「狐人族の里に行きましょう」
……狐人族の里に行きましょうボットになられたか。圧が強い。
「分かった、どちらにしろ行くつもりだったし、時間の猶予はある。ダンクロウさんやハチクロも里にいるの?」
「はいっ、お父様もお兄様も健在です。シンヤ様との再会を、首を長くしてお待ちですよ!」
本当かな。そんなイメージないけど。
ハチクロは再会しても「よう、久しぶりだな」くらいのリアクションしかしない気がする。
アオイさんの登場に固まっていた狐人族の男性にお別れを言って、町の中の宿に案内された。
この町ではアオイさんはいいとこのお嬢様という認識なようで、僕のような不審な人間でも顔パスで快く泊めて貰えた。
通された部屋は和室で、イ草もどきの畳が張られ中々趣ある部屋だった。
旅館と言われても通じそうだ。
「部屋は一部屋ですけど十分広いですよ。食事も直ぐきますのでお寛ぎください」
「え、僕とアオイさんで一部屋?」
「はいっ」
嬉しそうに返事をする彼女に対して返事に詰まる。
彼女の路銀で泊めてもらっている立場で物申すのはどうかと思うが、それは駄目だろ
「えーアオイさん、僕の故郷には男女七歳にして席を同じゅうせず、という言葉があってね。家族でも恋人でもないから同衾は駄目だよ。僕は野宿するから」
「……私がシンヤ様から目を離せだなんて、そんなことするはずありません。何処にも行かせませんよ。シンヤ様は私と共にいるのです」
瞳孔が開き、野生の獣を思わせる表情に変わる。控えめに言って僕の首を食い千切ってきそう。
アオイさんって、こんな感じだったっけ?
目がバッキバキで迫力凄い。
ダンクロウさんの娘さんだわ。思い出してみるとルフリアさんを凄い顔で睨みつけてたな。
うん、別の話をするか。
「アオイさんはどうしてこの町にいたの?」
「父の名代として、遠方の町の顔役に挨拶をしておりました。その帰りに宿をとろうとこの町に訪れて、シンヤ様と再会した運びとなります」
コロリと嬉しそうな表情に戻ったアオイさん。丁度夕食が運ばれてきたので頂くことにする。
一汁三菜、川魚の塩焼きがメインの和食だ。
ここが箱庭だと忘れそうになる。
頼めばお風呂に入ることが出来るらしいが、それすら付いてきそうだったのでお湯で体を拭うにとどめた。
同じ部屋に布団を引いてその日は休んだ。
別々の布団だが同じ部屋で一緒というのは緊張し…………スヤァ。




