第2話 超越者と化け物
『世界の皆さん、御機嫌よう。先日の試練はお疲れ様でした』
『皆さんの成果は我々の想定を大きく超えました』
『よって皆さんに相応の報酬がもたらされます』
『これから1ヶ月の時間を掛け、太平洋上に新大陸が創造されます』
『この新大陸には自然豊かな豊穣の大地であり、膨大な資源を獲得できる大地でもあります』
『この新大陸は箱庭における拠点のシステムを採用しております。拠点の数は5つ。初回の拠点所有者は現住生物となります』
『本来、次の試練は奈落に変わった大地で行われるはずだったのですが、次の試練はこの新大陸を使用し行われます』
『試練に挑まずとも人類に何ら不利益はございません。試練後も大陸は残り続けます』
『新大陸創造から試練終了までの間、この大陸の出入りは試練資格者のみ自由となります。その後は全ての人類の出入りが自由となります』
『人類の皆様。賢明な選択と、良き戦いを』
画面の中の女性がそう言って配信からその姿を消した。未だ配信は続いていて、誰もいない部屋を映し続けている。
藍色の髪と瞳、サファイアと見紛うばかりの色鮮やかさだった。
非人間的なのはそこだけで、他は人間の女性だ。
ルフリアさんのような人を超えた美貌を宿した女性からは、どうにもあの影がちらついて離れない。
授業中に、突然スマホやテレビが強制的に最大音量で画面が表示されて、今のような状況になったのだ。
〈今の映像の背景はアメリカのホワイトハウスだったな。この配信は凄腕のハッカーをベースボールスタジアム満杯に用意しても、不可な芸当だ。流石というべきか〉
メイアは冷静なようだ。そう装っているだけかもしれないけど、少なくとも動揺は表に出ていない。
「どうだったかしら、私なりのサプライズは」
それもここまでだった。
突然現れた、画面に映っていたはずの女性がこの場に現れたからだ。
白い一枚布の衣装をゆったりとたなびかせて歩みを進め、僕の目の前に辿り着く。
配信画面にもその様子が映っていた。
要は世界規模で悪目立ちさせられている。ここまで来たら開き直るしかない。
「あなたならやりそうだと思うくらいですよ。見掛けも口調も違いますけど、あなたの影を感じましたから」
女性は誰もが見惚れるような笑みを浮かべて満足そうに頷く。
「ふふっ、やっぱり君は面白いな。先の試練は見せてもらった、その輝きに曇りがないようで安心したよ」
言葉遣いと雰囲気がガラリと変わる。
柔らかで、光が零れ落ちるかのような神秘性は消え、泰然とした上位種としての振る舞いを纏う。
「いつもの体はどうしたんですか」
「流石に人間との交流には向かないと思って、特別に用意したものだ。なんだ、欲しいのか?サプライズも済んだしくれてやっても良いが」
「体は1つあれば十分ですよ。それでこんなところに何の御用ですか?」
「少々遅くなったが、先日の報酬を渡しに来た。これを使うかどうかは君次第だが」
左手で僕の右手を取り、右手を上に重ねる。ちゃんと人間の感触だ。
黄金の光の粒子が彼女の手の中に集まり、中指に異物を感じた。
彼女の手が離れたとき、銀色の、何の変哲もない指輪が中指にはまっていた。
「それは以前、試練の地として選ばれた箱庭への転移装置だ。込められている力は一人の片道分だ」
往復なら喜ぶところだけど、片道切符とか使えないだろ。
「何故そのようなものを……」
「君たちの、正確には青野信也以外の試練資格者たちが箱庭にもたらした知識や技術の影響で、現在モラスティア大陸は侵略の危機にある。我々の未来予測では確実に現住民は悲惨な末路を辿るぞ」
ドクンと心臓が大きく脈打つ。だが言葉を咀嚼してみれば、おかしい点に気付く。
「早すぎる、地球の技術を教えられても、そんな数か月程度で……」
「時間の流れが違うんだよ。こちらから観測していない場合は、あの世界の時間はこの世界の20倍の速さで進む。戦争が起こり、技術はより洗礼され、人間族の大陸は統一された。軍事力、技術力は強大なものとなった」
ジワリと指輪のはまる手に汗が滲んだ。
「大陸の人族は資源としても、生物としても使い潰される。そこに人としての尊厳はない。君を慕い、君を助けた者たちも例外ではないぞ。長命で丈夫な妖精族なぞ特に悲惨だろうな」
その顔に悪意や醜悪さはない。ただ静かな笑みのままだ。
それが作り物めいたものを感じさせる。
「箱庭の王である、天竜を退けた君が味方に付けば未来は変わるかもしれない。我からの親切だと思って受け取るがいい」
「転移装置に帰りの分はないんですか」
「ないな。それは先日の報酬と言ったはずだ。それに箱庭の現状を教えたことは我からの過剰な贔屓というものだ。何も言わずに指輪を渡した方が良かったか?」
彼女の言葉を借りるわけじゃないが、試練には干渉できないと以前言っていた。
要は片道分だけでも事足りるという事だろう。
試練が開始されればまた試練の地に戻らなくてはならないから。だがこの考えは希望的観測が過ぎるかもしれない。
いや、彼女の言い回しはまるで……深く考えるのは後にしよう。
「……いいえ、感謝します」
「ふふっ、大変だな。他者の業に翻弄される、人の中の輝かしき英傑よ」
一見こちらを小馬鹿にしているように思えたが、僅かに細められた目には好ましさが宿っているように見えた。
「誰よりも彼らの不幸を憂い、お前は全ての権利を放棄した。それに比べて技術を伝えたものの何と浅ましき事か。知恵があっても邪で愚かなものたちよ」
そこまで言って彼女は振り返る。視線はメイアを捉えていた。
彼女の、超越者の顔に、僕に向けていたような微笑みはない。
表情は抜け落ち、無だけがあった。
メイアは顔を引き攣らせて喉を鳴らす。
「お前は特に浅ましい人間だったな。あちらの求めるまま知恵を授け、報酬を得た。お前さえいなければ、人間族のモラスティア大陸進出など有り得なかっただろうに」
知恵……技術を大量に流出することで鉱物や資源を得たことだろうか。
それ自体悪ではないけど、知恵を得た人間が正しいとは限らない。
「少しいいですか……人間族の侵略まで、あとどれくらい猶予はありますか」
「ふむ……ここまで手間を掛けたし特別に教えようか。こちらの時間で2ヵ月と少し、あちらで言えば3年半といったところだな」
「分かりました。改めて感謝します」
「では我はこれで失礼する。楽しみにしているぞ、青野信也。果たして人の天秤はどちらに傾くのだろうな」
音もなく、光もなく藍色の女性はその場から消えてなくなった。
強制的に映し出されていた配信も途切れる。
誰もが息をすることを忘れたかのようにこちらを見詰めてくるが、僕はそれを無視した。
彼女は天竜を退けた僕なら未来を変えることが出来ると言った。
それは武力によって侵略者を殺し尽くせと言っているのだろうか。
彼女は最後に人の天秤といった。
妖精族のような人族と、別大陸の人間族を指しているのか。
それとも大陸を守ることが出来たとしても、帰ることが出来たのとしても、それを行った僕がこの世界に受け入れるか否かを問うたのだろうか。
僕自身が善か悪かに傾くことも含まれているかもしれない。
上位観測者もどきは、少々僕のことを誤解している。
僕は青野信也ではあるけど、それ以外でもある。
この手は既に夥しいほどの血で汚れてしまっているというのに、善悪を説くなんて。
さて、箱庭に行くとなれば身辺整理は必要だ。
奈落の受胎のように色々拗れないようにしないと。
「青野君、いまのは……」
教科の先生が困惑しながら話しかけてくる。
「すいません、話し込んでしまって。授業の続きをお願いします」
何も聞くなという態度に取られたかもしれないけど、これ以外言いようがない。
「信也、あれは何なんのっ!さっきの話はなにっ!?」
マーレがこちらに詰め寄って来ていた。
クラスの注目が集まり、気付けば廊下にも人だかりが出来ようとしていた。あれだけのことがあれば、どこも授業にならないか。
「何度か面識があったけど、正体は分からない。でも無用な嘘を付く者でもない。僕は箱庭にちょっと行くことになりそうだから、フランス側のやり取りは任せていい?」
僕の物言いに、マーレは眉を吊り上げ肩を掴んでくる。
「行かせるわけないでしょ、転移は片道分だって言っていたのよ!」
「関係ない。この世界の人間の都合で、恩人を不幸に出来ない」
「どうやって止めるつもりなの、人間一人で国を、大陸統一なんてした大国を止められるはずないわ。信也がどれほど強くても個人でしかないのよ」
「いいや、悪いけど自惚れなくやれる可能性は十分にある。侵略者を全員殺せば、それで足りなければ大陸に行って地球の技術を知るものを全員殺せばいい」
マーレが顔色を変えて後退るように僕から離れる。他の皆も顔色を変えた。
殺気が漏れ出ていたかもしれない。
僕に向けられた目は、人々が化け物を見る目とよく似ていた。
「僕にとっては異層空間にいた怪物と、箱庭の人間族も違いはない。大切な人たちを不幸にするのなら、居場所を奪うつもりなら、その原因を全て滅ぼすだけだ」
言葉を聞いた全員が僕に恐怖を抱いているのが分かる。
親しいはずのマーレも瀬尾さんも例外ではない。
そりゃマサムネを持ってる人間が人殺しをしますと宣言してたら怖いか。
ルフリアさんたちの危機に、予想以上に精神のタガが緩んでしまったようだ。
化け物と戦う時のスイッチが入りかけていた。
大きく一息吐き出し、緊張を解した。
「……ごめん、怖がらせるつもりは無かったんだ」
「わ、私は怖がってなんて……」
「無理しなくていいよ。ちょっと冷静じゃなかった……犬木先生に連絡して早退させてもらうよ。事情を話せば分かってくれるだろうから」
誰からも声を掛けられることなく教室を出た。
廊下に集まっていた人たちは僕を避けるように割れ、邪魔されることなく歩みを進めた。




