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第二話 “飛行機械コンテスト”③

『キィギイイィィィッッ!』

 金属同士がぶつかり、擦れ合い、軋み合う耳障りな甲高い音が会場中に響き渡った。

「大丈夫ですか」

 テテン目掛けて振り下ろされたナイフの切っ先は、横から伸びてきた細身のサーベルによって止められていた。

「グレン……さん?」

「覚えていただけていて光栄ですな。さ、この場は私に任せて、下がっていなさい」

 グレンは器用にサーベルを捻ってテテンと黒マントとの間に割って入る。黒マントは小さく舌打ちをして跳び退るが、グレンはそれを許さない。すぐさま黒マントとの距離を詰めて、間断なくサーベルを突き出す。それはまるで、全ての動作があらかじめ定められた一連の流れの中にあるような、無駄の無い精錬された動きだ。黒マントもその攻撃の尽くを捌いてはいるが、その動きにはグレンほどの余裕は見られない。

 幾手かの攻防を果たした後に、黒マントは痺れを切らしたかのように強引に退くと、牽制するかのように大きく外套を翻した。視界を遮られ一瞬動きが止まったグレンに向って、黒マントは左手を突き出した。それを見たグレンは距離をとってサーベルを構えなおした。明らかに黒マントの動きを警戒していることがテテンにまで伝わってくる。

「あなたもしつこい方だ。どうやら彼はよほど芳しい蜜の巣を首から下げているらしい」

「そう言うあんたこそっ! いつもいつも、邪魔ばかり! いい加減にして!」

 驚いたことに、黒マントのフードの奥、口元を覆っているこれまた黒いマスクから漏れ出したその声は、力強くも細い、中世的な、まるで女性のそれだった。

 が、それよりも驚いたのは今の二人の会話。グレンは黒マントに向って、しつこい方だと漏らし。黒マントはグレンに、いつも邪魔をと言い放った。それはつまり、

「ずっと、狙われていた…?」

「ユヅカ様の指示でしてね。あの日から、陰ながら君の護衛をしていたんですよ」

 グレンの言う、あの日が、工房での出来事であることは疑いようが無かった。テテンはずっと狙われていた。テテンの知らない場所で、この二人は何度も刃を交えていたのだろう。間違いじゃなかった、テテンの確信は紛うことの無い現実だった。

 黒マントは通り魔では無く、その狙いは、テテンと、彼の翼。

 今日の日のために、心血注いで作り上げた翼を失ってしまえば、そのために費やしてきた時間全てが無駄になってしまう。

(それに、彼女との約束が……そんなのは嫌だ!)

「な!? 待つんだ! 私の後ろから離れてはいけない!」

 静止するグレンを無視して、テテンは異変に気付きざわめき始めた技師達の間に紛れるように駆け出した。後を追おうとする黒マントを遮るよう、グレンがサーベルを振るう。

「どきなさい!」

 黒マントは懐から数本のナイフを取り出すと、行く手を遮るグレン目掛けて投擲した。黒マントの左手から放たれた、一見どこの雑貨屋にもあるような果物ナイフは、まるで弾丸のような勢いで、紅い軌跡を残して飛んでいった。

 グレンはサーベルと鞘を両の手で器用に振り回し、全てのナイフを避けることなく叩き落した。その隙をついて黒マントは駆け出していた。すぐさまその後をグレンが追う。

 一方、人ごみを掻き分けて逃げるテテンは、どうすれば助かるのか、どこに逃げるのが最適か、必死で頭を回転させるが、考えて、考えて、考えても、どうすればいいのかわからない。グレンを信用していないわけではないが、いまのままでは絶対に助からない。そんな妙な確信を抱きながら、より確実に、黒マントの目に止まらない、手の届かない場所に逃げなければと、焦りに駆られ、森と呼ぶには無骨すぎる場所へと紛れ込もうと必死に逃げた。より人のいる方向へと。大展覧博の本会場なら、延々と人ごみの中で息を潜められたに違いない。けれど、いくら広い会場とはいえ、所詮はマイナーなコンテストの会場だ、一心不乱に人だかりに混じって、その中を突き進んだ結果、テテンの視界が急に開けた。紛れ込んだ人だかりの先頭へと辿り着いてしまったのだ。

 その時テテンの目に飛び込んで来たのは、湖面に伸びる、空へと続く特設舞台。

 そう空なら、黒マントも、誰も、テテンに手を出せない。そして、その場所にいくための翼は、いまこの背中にある。

 騒然と騒ぎ立てる人々に揉まれながら、テテンは一心に人を掻き分け舞台を目指す。

 けれど人の垣根を越えたその先、特設舞台の袂では黒マントが待ち構えていた。

「やっぱりここに来た。そうまでして空に行きたいの? けれど、それは許されない…」

 言いながら、真直ぐ構えたナイフを輝かせながらにじり寄る黒マントの、バンダナの影から覗く紅い瞳は、どこか寂し気に揺れている。

「…君は、一体、どうして……」

「…どうしても。どう考えても。あなたしか考えられない。もう時間が無い。だから!」

「だから! させないと言っているだろう!」

 テテンに飛び掛ろうとする黒マントに横から飛び出したグレンが蹴りを入れる。全くの不意の一撃に黒マントは床に投げ出され身体を折った。

「グレンさん!」

「テテンくん……」

 黒マントを警戒しながら、グレンはテテンを振り見て、そしてその顔面を思い切り殴りつけた。

「このガギが! 後ろから離れるなと言っただろうが! てめぇのこたぁ俺が護ってやるっつってんだろ! いいから大人しくしてろ! いいか。今度勝手な真似をしてみろ。この俺が死なない程度に動けなくしてやるぞ!」

 紳士的な表情から一転、倒れるテテンを見下ろしながらグレンは憎々し気に吐き捨て、苦しげに起き上がろうとしている黒マント目掛け駆け出した。

 黒マントはすかさず左腕を突き出すが、その手首を目掛け、グレンはサーベルを振り降ろした。キィィッンと金属音を上げて弾かれた、おそらく腕輪をしていたのだろう左腕をそのままに、強引に右手のナイフを突き出す黒マント。仰け反るようにナイフの切っ先をかわしたグレンは勢いのまま身体を捻ってサーベルを振るう。その動きも黒マントに劣らず強引なもので、先ほどまでの流暢な動きとは全然違う。だけれど、雑な動きではあったが、その一撃には先ほどまでには無い必殺の気迫が込められている。心なしか先ほどの流麗な剣技より、いまの荒々しい攻め手の方がグレンには似合っていた。

「くそっ! ここまで事態を大きくしてしまうとは、主にどんな顔を合わせろってんだ! こっちも時間がないんだよ。コンテストを中止させるわけにはいかねぇんだ! とっとと死んじまえよてめぇ!」

 グレンの怒涛の攻めを黒マントはどうにかこうにか捌きながら、マントを翻し牽制する。そのマントの端を掴んだグレンは、黒マントを引きよせて、その顔面目掛けてサーベルを突き出す。その突きを左手の腕輪で防いだ黒マントは、はためくマントの影からグレン目掛けてナイフを突き出す。その一振りは頬を裂いたが、気にすることなくグレンはマント越しに黒マントを蹴り飛ばした。間髪入れず距離を詰めて、また攻撃を繰り出す。

 グレンと黒マント。まるで縺れ合うように、互いに攻め続ける。一進一退、いや互いに退くことをしない一進一徹の攻戦は、次第にグレンが押し始め、遂には黒マントを舞台の端へと追いやった。

「さて、と。随分と手間を取らされたが、これで終わりだ!」

 グレンの必殺の一閃が奔る。追い詰められた黒マントは強引に身体を捻って避けようと試みるが、もはや逃げる場所は無い。そしてついにグレンのサーベルが黒マントを捉えた。その一撃は回避しようとする黒マントの外套を縦に裂き、よろめいた黒マントは、舞台袖で足を踏み外した。

 舞台の高さから落ちたのなら、まずは助からない。グレンの勝利だった。

 これでもう命を狙われることもない。ほっと胸を撫で下ろすテテンの目に、転落する黒マントの姿が映った。

 切り裂かれたマントが宙を舞い、一緒に頭に巻いていたバンダナと顔を覆い隠していたマスクとが剥がれる。淡く光を孕み、透き通るような銀色の長髪が風になびき、紅い瞳は苦痛に歪み、曝されたその素顔は、

「エイシア!」

 黒マントの姿が舞台の端から消える。

 その瞬間、テテンは駆け出していた。

 何でエイシアがとか、そんなことまで頭は廻らない、今はどうでもいい。目の前でエイシアが転落してしまった、その事実が、沸き起こる恐怖心が、テテンを突き動かした。胸元に下げた炉に鉱石を投入しながら、静止を叫ぶグレンの脇を駆け抜けて、何の躊躇も無くテテンは舞台袖から飛び降りた。

 グレンの斬撃によってか、はたまた転落のショックのためか、先に落下している彼女は気を失っているようだった。

 テテンは必死で腕を伸ばして彼女の腕を取ると、強引に引き寄せて抱きしめる。

 ただただ落ちていくテテン達。

 過去数年、死者の絶えない、命がけの飛行機械コンテスト。滑空に失敗した者は命を投げ出すことになる。命知らずの“空っぽ頭”の集う狂祭。

 それでも、テテンは違う。

 ただただ、一歩先の水面を目指して空中を滑る彼等とは違う。

 テテンが目指すのは、一歩先の空なのだから。

 彼が背にしているのは、飛行するための翼なのだから。

 意識の失った彼女を抱えて、テテンは両脇の下からL字に伸びる翼の制御棒に片手を添えた。胸の炉の中で鉱石が泡立ちながら溶け出して、反応液が発光を始め、青白い光が背中の翼全体に拡散していく。大きく広がる翼の隙間から漏れ出す淡い光が、軌跡を描く。

 が、やはりその軌跡は一直線に地面に向って伸びて行く。どれだけ制御しようとしても、翼は浮上の気配を見せない。

(駄目なのか。僕の翼じゃ飛べないのか。彼女を救うことは……)

 頭に過ぎる絶望。けれどそんなものに気を取られている暇は無い。失敗したのなら、またやり直せばいい。翼が壊れたなら、また造り直せばいい。けれど今は、そんな場合ではない。いまこの時飛べなければ、失ってしまうのは、とり返りのつかないものだ。何よりも大切なもの。だから、諦めるわけにはいかない。絶対に。

 自然と制御棒を握るテテンの手に力が篭る。

「飛べーーーーーッ!!」

 あらん限りの想いを込めて叫ぶその声に応えるように、それは起こった。

 唐突に吹き上げてきた突風が原因なのか。それとも本当にテテンの翼が作用したのか。

 ことの真相はともかく、背中の翼が大きく唸り、テテンの身体を浮き上がらせた。

 風を切っての滑空ではない、明らかに大地の重力に逆らって、テテン達は上空へと浮き上がった。その姿はどんどんと空へと向かい飛んでゆき、そしてついに会場を飛び出し、ホークシティの上空を覆っている白濁とした雲の膜を潜り抜け、さらにその先の彼方へと消えていった。



 飛行機械コンテストの会場は、突然の騒動に騒然となっていた。

 原因はついの今まで繰り広げられていた刃傷沙汰、ではない。

 突然舞台から飛び出した年端もいかない少年が、その原因である。

 それは、観客席の人々も、参加する技師達でさえ、予想外の出来事だった。

 胸に理想を掲げながらも、その実、誰も想定していなかった。

 まさか本当に、空を飛ぶ者が現れるなんて。

 目の前で実際に起こった現実を、誰もが受け入れられないでいた。

 始めは沈黙が、やがてざわめきが生まれ、終には怒涛の喚声が会場を満たした。

 王族専用の主賓席で、眼下の騒動など目もくれずにユヅカはテテン達が消えた空を見上げていた。

 その背後に控える白装束の女が、手にした水晶球を覗き込みながら、厳かに呟いた。

「境界を、越えた」

「ではあの小僧が」

「ええ、扉は、開かれたわ」

 その言葉にユヅカは一人、会心の笑みを浮かべた。

 その背後で、白装束の女もまた、人知れずほくそえむのだった。



 ただただ、どこまでも上昇していく身体。

 全身を包む、むず痒いような浮遊感。

 空へと駆け上がる快感。

 テテンは目の前に迫る雲を衝き抜け、

 そして、そこに辿り着いた。

 足元に大地は無く、白い雲海がどこまでも続いている。頭上には一面の青。どこまでも澄んで広がる青い空色。

 テテンの腕の中には、未だに意識を失ったままの彼女がいる。

 そして、目の前には、金色の長髪をなびかせ、背に純白の翼を携えた、彼がいた。

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