第一話 ホークシティの“空っぽ頭”⑥
その日の正午過ぎ、約束通りエイシアが丘の中腹にある高台にやって来ると、そこには奇妙な人だかりができていた。
年齢性別関係なく、老若男女が一通り揃っている。だらしない格好で酒を浴びている者もいれば、いかにも仕事中に抜け出してきたという風な作業着姿の者もいて、横に立つ初老の男に白い目を向けられていることに気付かずに、クルクルと日傘を廻している恰幅のいい中年の婦人がいたりと、実にさまざまな人々が、何故だか下に大量の乾し草が敷き詰めてある高台を、取り囲むように陣取っていた。
そんな中で特に目立っているのは、エイシアと年の近しい若者達の姿だった。いくつかのグループに纏まって、好き勝手に騒いでいる若者達。中にはパン屋の常連だったか、見かけたことのある一団の姿もあった。そんな集団の中で、一際目立っているグループがあった。その中心で談笑している少年の顔にエイシアには見覚えがあった。スラリと背が高く、原色柄の洋服と諸々の装飾品で着飾った少年、テテンの弟のイレイだ。
イレイはエイシアの姿を見止めると、口の端の片方を吊り上げて笑みを浮かべた。本人にしてみれば不敵な笑みを演出しているつもりかも知れないが、どうにも厭らしく見える。
イレイは高台の上に駆け登ると、大きく腕を広げた。
「さぁさぁさぁ! 紳士淑女の皆々様方。この度は大変お忙しい中、貴重な時間を割き、このような場所まで足を運んでくださいましたことに、まずは感謝いたします」
恭しく一礼するイレイに、パチラパチラとまばらな拍手が送られた。
「この度、不本意ながら我が兄にして、ホークシティ随一の夢追い人の“空っぽ頭”が、長年引き篭もり続けて行っていた研究の、その成果がついに完成と相成りました。つきましては二十日の後に控えました大展覧博の大舞台を前に、皆々様にその世紀の大発明をお披露目したいと、この場を設けさせていただいた次第にございます。そもそも我が兄がこの研究を始めましたのは今より溯りますこと……」
大仰しく冗長なイレイの物言いに、「さっさと始めろ」と野次が飛ぶ。観衆の不満が最高潮に達するのを見計らって、イレイは「それでは」と話を打ち切った。
「そろそろご登場願いましょう。テテン!」
イレイの呼びかけに応えて、高台の上に一つの影が現れる。それは確かにテテンだったが、真昼の太陽を背に浮かび上がる彼の輪郭はエイシアの知っているものではなかった。
それもそのはずで、頭にヘルメットを被り、ぶかぶかの服の上から関節を守るプロテクターを身につけて登場したテテンの背中には翼が生えていた。
目を凝らして見てみれば、それは鉄でできた翼だった。鉄と鉄を組み合わせて作られた、まるでガラクタの寄せ集めのようなその翼には見覚えがあった。背負った翼の付根にはあるのは、芋虫のような鉄の塊。間違いなく、工房でテテンが作っていた機械だ。
ドクン、と、胸が高鳴った。
猛烈に湧き上がる、ある予感が、ジリジリと胸の奥を焦がしていく。眩暈がして、頭の中に靄が掛かったように思考がまとまらなくなる。フィルター一枚通したかのように、視界から現実感が奪われていく。見ている光景、全てが夢だと言われても、彼女は納得したかもしれない。
それでも、そんな状況にあってもエイシアは、これから起こるだろうことを、テテンがやろうとしていることを、絶対不変の未来だと確信していた。
「さぁ兄貴。最高に盛り上がるお膳立てをしてやったんだ。せいぜい楽しませてくれよ」
かくして、下卑た笑みを見せるイレイの言葉に促されて、テテンが一歩を踏み出した。
テテンの身体の前でクロスしている、ガラクタの翼を繋ぎ止めているバンドの、中央部に取り付けられた小型の炉の中に、宝石のように磨き上げられた鉱石を一粒投入した。半透明な溶液で満たされた炉の中で、鉱石が泡立って溶け出していく。やがて炉が、青白く発光を始める。その光はベルトに沿って伸びる管を通じて、背中の翼全体にまで行き渡った。ガラクタの隙間から青白い光が漏れ出していく。
テテンは一度大きく深呼吸をすると。
次の瞬間、高台の突端へと向けて駆け出した。
力強く蹴り出して、何の迷いもなく背中の翼を大きく広げ、前後左右上下六方何もない空中へと身を投げ出した。
ギュリギュリと、ガラクタ同士が擦れ合う音が、エイシアの耳にまで届いた。
観客達が大きくどよめいた、次の瞬間。
真直ぐ空へと飛び出したかに見えたテテンが、頭から急降下を始めた。
「テテン!!!」
その光景を目の当たりにして、エイシアの中に渦巻いていたものが一瞬で消し飛んだ。気がつく間も惜しむように、エイシアは高台から数メートル下の乾し草の山頂に墜落したテテンの下へと駆け出していた。
「ぎゃはははははっ。もう最高だったな。見たかよ、あれ。すっっげ、だっせぇの」
「つーかさ。やっぱ少しは期待するじゃん? 普通にひいちゃったもんね」
「大体なんだよあのガラクタ。あんなんで鳥にでもなったつもりなのかよ」
「そもそもあれだ。鳥の真似事をすれば空が飛べるって、発想が貧弱つーかよ、幼稚なんだよな」
「ま、これであいつもようやく、馬鹿な夢を見てたって気づくんじゃねーの」
「今頃あの廃墟に引き篭もって泣いてんじゃねーか」
「ああ、なんて可愛そうな彼。何かに夢中な男の子って、ちょっと可愛く見えちゃったりするのよね~」
「だったら行っとくか? いまなら優しく誘ってやればコロッとイッちまうだろうぜ」
「ん~~どうしよっかな~~」
「おいおい迷うのかよ」
「うっそ! あいつに色目使うぐらいなら煙突掃除のボボスコスの上に跨る方がましよ」
違いない、と。光石燈の明かりが煌々と街を照らし始めたホークシティの歓楽街を闊歩する若者達がいた。彼等は昼間、高台にいた連中で、彼等が笑いの種にしているのは当然テテンのことだ。
そんな連中の中で、一人浮かない顔をしている少年がいた。他の誰でもない、テテンの弟にして、今日の披露会の立案者であるところのイレイその人だ。
他の連中と同じで、イレイもテテンの研究が成功するとは露とも思っていなかった。
あんな、何の比喩でもなく、廃材置き場に転がっている正真正銘の屑鉄を寄せ集めて作ったガラクタで空を飛ぼうだなんて。とても正気の沙汰ではない。街角でショーをするクラウンだって、もっとましな法螺を吹く。
そもそも空を目指そうという発想自体が、異常極まりない。まだ魔法が信じられていた昔から、多くの人々が、さまざまな手段を用いて空を目指してきた。けれど、結局人が飛んだという話なんてのは、御伽噺の中でしか聞いたことがない。鳥だって飛んでいるのだから、人間だって何らかの手段をもちいれば、飛ぶことは可能だと。小賢しくももっともらしく講釈する輩は古今東西、どれほど居たとも知れないが、結局のところ人と鳥は別の生物であって、互いの真似事などできるはずがないと、歴史が証明している。
なのに、それだというのに兄は、テテンは空を目指している。彼は本気で自分は空を飛べると信じていて。本気であのガラクタで飛ぼうと考えているのだ。
どうしてそんな叶うはずもない夢を、いつまでも信じ続けていられるんだ? どうしてそんなことに真剣になれるんだ。イレイには理解できなかった。そうして真顔のテテンを見る度に、胸の奥にイライラが募っていった。
特に、大展覧博の知らせを受けた時のテテンの様子などは、いまだに思い出す度に腹が立ってくる。口にこそ出してはいなかったが、彼の目がポスターの片隅に本当に小さく刻印されている“飛行機械コンテスト”の記事に釘付けになっていたのは明らかだった。
確かに、世の中には飛空航行装置の研究をしている連中がいることはイレイも知っている。けれどそれらは、多くが国家を挙げてのプロジェクトだったり、私財を持て余している大貴族の道楽だったり、良くも悪くも高名な技術者達が中心となって行われている研究だ。そんな連中と自分が同列だとでも、テテンは考えているのだろうか。だとするならおこがましいにも程がある。意気揚々とコンテストに出向いて、無様な結果に終わったら。テテンだけではない。一家全員が笑いものになってしまう。そんなのは我慢ならない。
そうなる前に、壊してやろうと思った。くだらないお遊戯の成果を衆目に晒してやろうと。どうせ失敗するに決まっている、思い切り笑いものにして、目を覚まさせてやろう。目指す夢が、幻想の中にしかないという現実を突きつけてやろうと。
そのために準備を進めてきた。うまくテテンを口車にのせて、舞台に立たせた。見知った連中に片っ端から声をかけて、さらにその知り合いの、もう一つ知り合いにまで声を掛けさせて、大勢の人をかき集めた。
かくして幾多もの好機の目が向けられる先で、ガラクタ仕立ての翼を背負ったテテンは案の定墜落して、披露会は嘲りの笑みで幕を閉じた。
全ては計画通り。
だというのに、イレイは今、こうして浮かない表情を浮かべている。晴れやかな気分になど、微塵もなれないでいる。なぜだ。
理由はわかっている。
テテンだ。
テテンが高台から飛び立った瞬間、確かにイレイは見た。一見して真直ぐに地面に墜落したかに見えたテテンの翼が、一瞬、そうそれはまさに一瞬のことではあったが、重力に逆らって浮き上がろうとしていたところを。
それはもしかしたら目の錯覚だったのかもしれない。それでも、すくなくとも確実に言えることが一つ。
テテンは自分が空を飛ぶことができたと信じている。ほんの僅かな一瞬でも、自分は飛んだのだと、何の迷いもなく信じているに決まっている。
今頃は連れが言うように廃屋に篭っているだろう。けれどそれは、独りで泣きじゃくるためではない。自前の工具を机に並べて、鼻息荒く痛んだ翼の整備をしているはずだ。
目に焼きついた、あの一瞬の、空に飛びたった時の会心の表情が、イレイにそれを確信させる。
(なんでだ。あんな一瞬のこと。ただの気のせいかも知れないじゃないか。あと二十日で、何ができるってんだ。一生かかったって、空なんて飛べるわきゃねぇだろ)
それでも諦めない。それがテテンだ。イレイには解る。兄弟だ。幼い頃には同じ景色を見ていたことだってある。
「いつまでもあの頃のままじゃいられねんだ。一体あんたは、どこに行こうってんだよ」
「ん? レイ君どっかした?」
「別に……なんでもねぇよ……」
「そうかい? んじゃ、俺らはこの辺で、今日は最高だったよ。またなんか、イベントがあったらよろしくねン」
気がつけば、歓楽街の外れにまでやって来ていた。
今日のために集まった連中が次々に抜けていき。最後に残ったのは、イレイがいつも連れ立っている数名の仲間達だった。
「あー、それにしても、本当に今日は最高だったな。最高に笑わせてもらった」
そう言ったのは、いつもつるんでいるククルナという少年だった。彼だけではない。今残っている全員がイレイと同年代の、昔からの顔なじみだ。幼い頃には、この中にテテンの姿もあった。
「最後に、いい思い出ができたよ」
「最後? 何言ってんだよ。こんなこと、この程度のこと、この先いくらでもあるさ。俺達なら、もっと面白くて、もっともっと最高なことができる。そうだろ」
不敵な笑みをこしらえて握りこぶしを掲げるイレイ。けれどククルナは首を横に振る。
「残念だけど、これで最後だよ」
「あん?」
「西の方にちょっとばかり離れた場所にさ、さる貴族様の研究施設があるんだけど。知ってるか? 実はさ、そこが緊急で技師の募集をしているんだ。俺はそこに行こうと思う」
「そんな…いつから!」
「明後日にはこの街を出る」
「なっ! いくらなんでも突然すぎるだろ!!」
「だから、緊急だって言っただろう?」
「限度ってもんがあるだろう! そんな、俺達に何の相談もなしかよ。俺達はずっと一緒だって、そう言ってたじゃないか。それをてめぇ! 裏切るのかよ!!」
イレイはククルナの襟を掴んで締め上げた。けれど、ククルナは慌てることなく、こうなることがわかっていたと言わんばかりに、冷静にその手を取って。
「別に、裏切ったつもりはない。今生の別れってわけじゃないんだ。ただ、いままでと同じように遊んでばかりいられないって話だよ」
「それが裏切りだろうがよ! そんな、俺達が嫌いな、この街のオヤジ共と同じような生き方なぞって、お前は満足なのかよ。俺達は、いままで楽しくやってきたじゃないか。そんな地味に働かなくたって、俺達ならなんとでもなる。何でもできる。そうだろ?」
襟を締め上げるイレイの手に力が篭っていく。流石に苦しくなってきたか、ククルナは強引にイレイの手を払いのけた。イレイはそのことが、そんな些細な、至極当然の拒絶が、信じられないという風な顔をしている。
「なあイレイ。お前、本当にずっと今のままでいられるとでも思ってんのか? 仲間とつるんで。悪ぶって。一日中遊びまわって。非合法スレスレの危ないハシ渡って小銭を稼いで。そんなのいつまでも続くわけねぇだろ。それでこの先一体どうなるよ? マフィアにでもなるつもりか? 悪いが俺はそんなのはごめんだ。そこまで付き合ってられるかよ」
イレイは何も言わない。ただ視線をそらし、唇を噛む。
「笑いの種にはしているが、俺は、テテンはすげぇ奴だって思ってんだ。自分の好きなことをするために、夢を叶えるために、働きながらしっかり地に足つけて、直向に努力をしている。まぁ、見ている夢には難ありだけどな。それはお前だって認めてんだろ」
ククルナは答えを求めていない。イレイも決して応えない。けれど握り締める拳は、彼の無言の肯定だった。
「ナナンリィも、親父さんの後を継ぐって実家で働いている。グラナラも、エポエも、リリアムも、自分の道を歩き出してる。いつまでも今のままじゃいられない。そうだろ? そこで提案なんだ。イレイ。みんなも聞いてくれ。俺が向う研究所は、使える奴だったら猫一匹でも欲しいくらいの人手不足らしいんだ。どうだろ。一緒に行かないか?」
差し伸べられた手を乱暴に跳ね除けたイレイは、
「はっ、誰がそんなとこ行くかよ。行きたきゃ一人で行けよ! 朝から晩までほこり臭ぇ豚箱で、汚ねぇ汗水滴らせて、宵越しの安酒を心待ちにし続ける! そんなしけた未来図なんか、誰も興味ぁねぇんだよ! 俺らはいままで通り、楽しくやって行くさ。なぁ?」
そう言って仲間達に同意を促すよう周りを振り見た。しかしその呼びかけに、仲間達は気まずげに視線をそらし、沈黙を持って応えた。
「お、い。……おいおいおい。お前ら、まさか…」
「あの…さ」
愕然と目を見張るイレイの前に進み出たのは、仲間達の中で最も気が弱いことで知られるフォルフだった。
「実は僕もその話聞いたことあって…。前から興味があったんだ。だから…」
「実は、俺も?」
「………」
その一言を皮切りに、誰も彼もが、控えめに主張する。
気が付けばイレイ一人が、孤立無援の状態だった。
「あぁ…そうか。そうかよ! だったらてめぇら勝手にしやがれ!!」
壁を殴りつけ、怒鳴り上げるイレイに、通りを行く人々の視線が集まる。「喧嘩か?」と野次馬根性まるだしの輩が寄ってくる。
(ちくしょう。どうしてだ! どうしてどうしてどうして!! ついさっきまで、最高に楽しくやってたじゃねぇかよ。一体何が不満なんだよ。どうして、どいつもこいつも、こんなにも俺を苛つかせる!)
湧き上がる怒りと、抑えようのない苛立ちに歪んだ表情を隠すように、イレイは仲間達から顔を背け、一人歩き出した。
「イレイ! 明後日だ! 明後日の正午、俺達は出発する。強制はしない、頼みもしない。お前が決めて。一緒に行くと決めたなら、街の、いつもの場所に来てくれ!」
ククルナの呼びかけに、近くに設置されていた屑籠を蹴り飛ばすことで応え、やがてイレイは雑踏の中に消えていった。
騒ぎが収まれば、見物人達は散り散りに去っていく。もう誰もククルナ達には関心を寄せない。それが当然だ。今日の騒ぎだって同じだ。確かに楽しかったが。それだけだ。余韻を消化してしまえば、それで終わりだ。騒ぎを起こせば確かに人は寄ってくる。
(でも、そんなもんじゃ誰の心にも何も残せないんだ。解ってんだろが、お前だってよ)
そしてその二日後。ククルナは仲間達と連れ立って、ホークシティを後にした。
その中にイレイの姿は無かった。
「空を飛ぶっていうのは、凄いことなんだよ。誰も成功した人はいない。まさに世紀の大発明さ。例えばそう、この丘からあの向こう。正面に見える山まで移動するのにどれくらいの時間がかかると思う? まず、ここから麓まで十分。市街まで行くのにもう十分。工場を迂回しながら市街を抜けるのに二十分。街向こうの崖を迂回するのにだいたい五分。そして山を登るのに十五分。併せて一時間はかかるんだ。もちろん移動するの経路や歩く速度、途中で自走車なんかを使えば、時間を短縮できるだろう。けど、それでも三十分も縮めることはできやしない。でもね、実際ここからあの山まで、そんなに離れているわけじゃないんだ。あそこまでの正確な距離は、徒歩にしてわずか二十分程度なんだよ。つまり、ここからまっすぐ! 空を飛んで行けば! 仮に歩くほどの速さでも、通常より四十分近くを短縮させることができるんだ! 実際には歩くよりずっと早く飛行できる。そうすればもっともっと早くあの場所に辿り着ける。ここから、あそこまで! ……え、と。あんまりピンと来ないかな? 考えてみてよ。あの山の向こう側にだって世界は広がっているんだ、そこまでだってあっという間に辿り着ける。隣町にも、都にも、外国にも、君の国にだって。空さえ飛べれば、何処にだって行ける。空を飛ぶことはキディ王国、いやこの世界に生きる全ての人、そう、人類の夢なんだ。翼が完成すれば、世界の科学技術はこのキディ王国を皮切りに、一歩も二歩も躍進する。今は誰に受け入れられなくても、この研究はその礎になるんだ。これは凄いことだよ。実際、そんなの夢物語なんじゃないか、なんて思ってた時もあった。けどね。今日、僕は確信したよ。確かに一瞬だったかも知れない。けどね、確実に、あの瞬間。僕は飛んでたんだ。さすがに飛行とまではいかなかったけど。あの時僕は、ただの滑空じゃない、重力に逆らって、風に乗って、飛んでたんだ。ねぇ、前に工房で、僕が何を造っているのかって聞いたことがあったよね。あの時の僕には自信がなくて、口にするのが恥ずかしくて、お茶を濁しちゃったけど。でも、いまなら堂々と言える。これが僕の研究の成果さ、空を飛ぶための翼だよ。こいつで。僕の作ったこの翼で、空を飛ぶのが夢なんだ。空を自由に飛びまわりたい。あの雲の向こう側に行きたい。それが子どもの頃からの僕の夢。空を飛ぶ機械だなんて、そんなの絵空事だって、ずっと街のみんなに馬鹿にされてきた。空のことしか頭にない。それ以外は全部が空っぽの変人だって。別に辛くはなかった、苦しくはなかった、ただ悔しかった。証明したいんだ。僕の研究は空っぽの夢物語なんかじゃないって! 見ていて。本番までに、絶対にこの翼を完成させてみせるよ。大展覧博。そこで開かれるんだ、“飛行機械コンテスト”が。僕はそこで今度こそ空を飛んでみせる。エイシアも見に来て。今度は今日みたいなへまはしない。誓ったっていい。それでさ。翼が完成したら、空を飛んで君の故郷に連れ帰ってあげるよ。遠くたって大丈夫さ。空を飛べれば、この灰色の隔壁を越えられれば、どんなところにだって行けるよ。そうしたら、一緒に君の好きな空を見よう。だから……」
「……ねぇ、テテン。止めて。……つまらないよ、そんな話……」
夜更け過ぎ。
街外れの丘の上。
隙間から光の漏れる、今にも崩落しそうな小さな工房。
その内部へと、音もなく忍び込む影が一つ。
一心不乱にガラクタを弄くる少年の背後に立つと、音無き侵入者はその首筋目掛けて、手にしたナイフを振り下ろした。