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第七話 世界の境界①

 魔女がいた。

 魔女は一人の男と出会った。

 男は追放者だった。

 魔女と男は恋に落ちて、やがて二人は家庭を持った。

 二人の間に娘が生まれ、始まった幸せな日々。

 こんなにも素敵な、夢のような毎日がずっと続けばいいのにと魔女は願った。

 けれど魔女は気付いていた。

 男の心がいつも空の彼方に向いていることを。彼方の故郷に想いを寄せていることを。

 魔女は男の願いを叶えたかった。

 そして魔女は禁忌を犯した。

 男の持つ異世界の知恵と、自分の力を一つに併せて、強引に世界の壁を越えた。

 男は無事に元の世界に帰れたが、彼女は追放者として異世界に落された。

 元の世界に、娘だけが残された。

 魔女の罪は隠されて、境界を越えた先駆者と呼ばれ、英雄と称えられた。

 魔女の娘は罰を受け、世界の執行人としての役割を負わされた。

 けれど娘は、罪人である両親を誇りに、喜んで責務に応じた。

 そして時が過ぎる。

 時が過ぎ。

 魔女の物語は伝説になった。

 しかし、そんなことを当の魔女は知る術も無く。

 異なる世界の空の下、長い時を贖罪に費やし。

 その内に、魔女もまたかつての夫と同じ想いにとり憑かれていた。

 だから、魔女は行動を起こした。

 たった一つの望み叶えるために。

 全てを犠牲にして、たった一つの望みを…。

 それが全ての始まり。

 そうして始まった物語は、いまその果てへと至る。



第七話 世界の境界



 空が割れた。

 全ての世界を覆い尽くしていた、空。

 どこまでも高く、彼方まで広がる空が、割れた。

 割れた空のその向こう側に、逆さ吊りになった世界の像が姿を覗かせていた。

 “空”は全てと繋がっている。

 “空”は全ての世界を区切る境界。

 “空”は全ての世界の中心。

 壁が破壊された今、“空”を介し幾十、幾百、幾千の世界達が、その姿を一様に晒していた。その様を目にし、白装束の女の顔が恍惚に歪んだ。

「追放者である私に、自力で境界を越える術は無い。だったら、境界そのものを無くしてしまえばいい。実にシンプルな答えでしょ」

 白装束の魔女は、事も無げに言って見せるが、それがどれほど途方もないことか、アザナミ達の様子を見れば明らかだった。

「けれど、どれほど強大な力を、境界を壊す術を手にしても、私には何もできない。ゆえに待っていた。壁を越える者を。そしてついに、忌々しい壁は消え去った。長かった…、本当に…。これでようやく、私は帰ることができる。あの懐かしい、インステリアに」

「インステリア…! あなたは、インステリアの魔女なの!?」

 零れ出た単語に、アイシャは愕然と目を見開いた。その意味を察して魔女は破顔する。

「まさかとは思っていたけれど、お嬢ちゃんもインステリアの魔女なのね。ふふふ、これは愉快だ。感謝するよ。お蔭で私は、ようやく満たされる」

「それは何よりだ。ならば思い残すこともないだろう。魔女よ」

 その時、パンッ、パンッ、パン! と耳を刺すような破裂音が立て続けに鳴った。同時に、魔女の体がびくんっ、と跳ね上り、白装束の胸元に朱色の染みが広がる。

「これは…、どういうことだい…」

「ふん。それはこちらのセリフだ」

 搾り出すような魔女の言葉に応えたのは、何時の間にか部屋の入り口に立っていたユヅカだった。その手には、淡い光の残滓を残す鉱石銃が握られていた。

「あれはどういうことだ?」

 ユヅカが指差すのは光の玉に成り果てた飛行船だ。

「のこのこと乗っていたら、俺たちの命はなかったということか。よくも謀ってくれたな。従順な狗を演じていれば、変わらず使ってやろうと思っていたが、あいにく私は躾けのなっていない狗は嫌いでね。残念だが、ここでお別れだ」

 黒服の男達が雪崩れ込んできて、あっという間に魔女もろともテテン達は包囲された。

「気付かなければ。夢と共に旅立てたものを、ね。けれど、どうやったかは知らないけれど、私の感知を逃れるなんてね。先ほどの坊やといい。どうやら私は、この世界の人間を低く見積り過ぎていたようね。考えを改めることにするよ」

 脱力したように項垂れながら、しかし両足でしっかりと立っている魔女は、ゆらりゆらりと上体を揺すりながら、くつくつと不敵な笑みを漏らした。

「けれど残念ね。一歩及ばない。もしも、境界が消え去る前、この船が飛び立った直後であれば、私を殺せたものを…。お前達は千載一遇の機を逸したのさ」

 魔女の、その朱に染まっていた胸元から、光が漏れ出す。目を覆いたくなるほど黒々と輝く闇色の光は、傷口から漏れ出して、魔女の全身を呑み込むように伝播していった。闇色の光が四肢を巡り、白髪だった頭髪は漆黒に染まり、先ほどまでどくどくと流れ出ていた血はすっかり止まっていて、全身に精力漲っている風であった。

「くそっ、魔女め!」

 ユヅカに倣って、幾つもの銃口が白装束の魔女に向けられる。

「ぅふふはぁははははははっ。境界が消え、再び故郷の理を得た今、魔力を取り戻したこの私に、貴様等のような原始世界の凡愚が敵うとでも思うておるのか?」

「思っているさ」

「笑止!!」

 魔女が片手を翳すと、その先に闇色の光球があらわれた。光球は魔女の手を放れ、高速でユヅカを目掛けて飛んでいった。しかしその光球はユヅカに着弾した次の瞬間霧散して消えてしまった。

「ふんっ、貴様のような危険分子を、ただで野放しにしておくと思うか? 秘密裏に研究してきた異世界の技術。境界が消え、力が発揮できるようになったのはお前だけでは無い。貴様が思っている以上に、我々も進化しているのだよ」

 ユヅカは臙脂の袖をまくって見せる、豪奢な服の下に光沢のある黒いボディスーツを着込んでいるのが見て取れる。私兵達も同様のボディスーツを着ていた。

「対魔術式を編みこんだ職布を複製したか、なるほどどうして。ふふふっ、それにしても進化。言うに事欠いて進化ときたか。面白い、いや滑稽と言うのかな、こういうのは。なかなかに知恵をつけたようだが、お止めよ。しょせん貴様等には過ぎたおもちゃだ。増長した子どもは可愛げがないぞ?」

 そう言って再び魔女は闇色の光球を作り出すと、それを掌で握り潰した。潰れた光は、その掌の中でまるでナイフのように形状を変えた。魔女はそれを無造作に放り投げた。力なく手から離れた光のナイフは、次の瞬間、高速で動き出し、ユヅカの横で鉱石銃を構えていた黒服の身体に突き刺さった。

「ぐっ! あ・あ・あ・あああああぁぁぁぁぁっっっ……」

 つい今しがたユヅカが誇らしげに語って見せた、対魔術式を施した装備をあっさりと突き破って、光のナイフは傷口から黒服の身体の中に潜り込み、その身体を燃やし尽くした。後に残ったのは、黒い服とかつて人間だった塵の山だけ。

「馬鹿な! 魔力は通じないはずだぞ!!」

「何を驚く? それもまた私が授けた技術に少しばかりの刺繍を施した程度の廉価品。この私が、己のアキレス腱となりうるものを本気で渡すと思うたか? 言ったであろう? 過ぎた力だと。いかに手を加えようと、子どもの手に負えるものではない」

「く…! しかし、これだけの数を相手に何ができる! そいつらを皆殺しにしろ!!」

 号令にならい、黒服たちが一斉に動き出した。

 ユヅカの言ったそいつらには、当然テテン達も含まれている。黒服達は優秀で、眼前に最優先で排除すべき規格外がいるにも関わらず、忠実にその命令に従った。むしろ、魔女と相対する恐怖から逃れるために、その矛先をテテン達に向けたのかもしれない。

 確かにテテンとアザナミには、黒服達と渡り合うだけの戦力は無い。大人数入り混じっての乱戦だったら、まだ好機を見出せていたかもしれないけれど、黒服達は、離れた場所から一斉に銃口を向けている。

 絶体絶命、と。誰もがそう思っていた。

 闇色の光を纏う魔女と、もう一人以外は。

 テテン達向けられた鉱石銃から一斉に、鉱石同士が衝突することで生まれるエネルギーの破裂音が響き、銃口から発射された弾丸は、けして遮ることのできない、降り注ぐ雨のように迫った。

 けれどその弾丸の雨が、テテン達に到達することは無かった。

 光が爆発した。

 しかしそれは魔女ではない。

 テテンの直ぐ隣で、アイシャが光に囲まれていた。

 無色透明な魔力の輝きが彼女の内側から溢れ出し全身に浸透していく。灰色掛かった長髪が銀色に染まり、色素の薄い瞳に紅い炎が宿った。テテンの知るアイシャの姿が、黒衣の執行者のそれに変わっていく。

 幾重もの光の輪が彼女の周りで漂っている。

 突如、風が吹いた。テテン達をぐるりと取り囲むように現れた風のなかに、煌く光が見えた。それは糸。巻き起こる風の中で、幾条もの輝く光の糸が踊っていた。糸に触れた弾丸はその勢いを殺されて地面に転がった。ひとつ、ふたつ、と次から次へ、テテン達に向けられた弾丸は、全て空中で光の糸に落とされて、彼らにまで到達しなかった。

 唖然とする黒服達に向けてアイシャが手を突き出すと、数条の光の糸が手の平の前に魔法陣を編み上げた。魔法陣は光の槍へと姿を変えて、黒服の男に突き刺さった。

「制約が解除されている。本当に、境界がなくなってしまったの…」

「恐れるな! 相手はたかだか女二人。いかに未知なる術を使おうと、我らの敵ではないことを、思い知らせてやれ!」

 明暗対称的な魔法の光が混々濁々と照らすさまを前に、足が竦む連中を鼓舞するように、ユヅカの側近であるグレンが駆け出した。それに倣って男達が次々と動き出した。

「ふんっ、我が主に仇なす異世界の雌狐め。今日こそは決着を付けてやろう」

 腰を低く落しながら燕尾服を靡かせて、腰のサーベルを一閃する。

 幾度と無く刃を交え、苦戦を強いられ続けたグレンの攻撃を、しかしアイシャは特段身構えるでもなく、無造作にかざした左手一つで受け止めた。

 正確には、その手のひらの前に収束した光の環が、サーベルを絡め取っていた。

 続けて差し出した右手の先で光の糸が編み上げた紋様が、グレイの体を打ち抜いた。

 たったそれだけで、グレンは声も無く崩れ落ち、二人の戦いに終止符が打たれた。

 それは一方的な展開だった。

 グレンが早々に倒され、気勢を殺がれた黒服達は、声を荒げて互いを鼓舞しようとするも、体制を立て直す間もなく、二人の魔女によって次々と倒されていく。

 アイシャが光の玉で黒服を弾き飛ばせば、魔女の漆黒の弾が男の体を穿ち。魔女が放った闇色の光の帯が黒服を絞め殺せば、アイシャの手からのびる光の縄が男の体を拘束し。アイシャの生み出した光のナイフが黒服を縫い付ければ、魔女が作り出した千の刃が男を切り裂き。魔女の放った魔力の衝撃が黒服の内臓を潰し、アイシャの放つ光の波が男を失神させた。

「ばかな…。ばかな! ばかな!! こんな馬鹿なことがあってたまるか!!」

 瞬く間に部屋中を占拠していた黒服たちは全員倒れ、最後にユヅカ一人が残された。

「私は空の神に愛された男だぞ! こんなところで足踏みしている暇はないんだよ!!」

「ずっと言いたかったんだけどね坊や。いい加減甘い夢を見るのはお止め。空に神なんていないんだよ」

 その瞳は何よりも暗く、冷酷に真実を映し出していた。

「う…あ、あああ……うわぁぁぁぁぁああああ!!」

 魔女の視線から逃れるように、ユヅカは鉱石銃を突きつけた。その先端を魔女がそっと触れると、銃身を伝って黒い電流が奔り、ユヅカは白目を剥いて昏倒した。

「で。結局また、この構図になったわけか」

 静けさを取り戻した船室で、再びテテン達と魔女が対峙した。

 とはいえ、先の乱戦の中、テテンとアザナミにできたことといえば、魔女達の戦いの邪魔にならないでいることだけだった。明らかな実力差を前に、なんとかこの場を納めることはできないかと、思案するアザナミと魔女との間を割って、アイシャが立ち塞がった。

 アイシャの纏う数条の光の糸が、テテンとアザナミの周りを取り囲み、床に染み入り魔法陣を描き出した。

 何事かと、アイシャに向けて伸ばそうとしたテテンの手が、空中の不自然な位置で何かに阻まれた。地面に描かれた魔法陣の円周に沿って、見えない壁がテテン達をその内に閉じ込めていた。

「これは…!」

「お願い、彼を守って」

 肩越しに言葉を交わし、アイシャは静かに魔女を見据える。

「結局、私は自分の使命を果たせなかったのかもしれない。この結果が、全て私のせいだというなら、その罰は受け入れるわ。でも、それでも、あなただけは、私の全てを賭してここで止めてみせる!」

「やれやれ、とは、私の口癖ではないけれど。それでもやっぱり、これはやれやれ、ね。初めに言ったけれど。私はお嬢ちゃんをどうこうするつもりはないの。確かに鍵として扱いはしたけれど、それまでよ。私に争う理由はない。それでも向かってくるのなら、言ったわよね。私には、その身を火の子に焦がす趣味はない、と。これが最後の警告だよ」

 魔女の最後通牒に、しかし当然アイシャは応じない。

 片や悠然と、片や悲壮な決意を滾らせて、二人の魔女は対峙する。

 同時に、魔女達が動いた。

 アイシャが傍らに漂う光の糸の束を掴んで投げると、中空に大小色とりどり幾つもの魔法陣を紡ぎ上げた。赤い魔法陣から炎の礫が飛び出し、青い魔法陣から氷の蔦が伸び、黄色い魔法陣から雷の矢がはしった。

 白装束の魔女は余裕の笑みを崩すことなく、静かに瞳を閉じて、両の手を広げる。魔女の周りの空間を隙間無く埋め尽くすように、夥しい数の闇色の光球が浮かび上がる。光球が弾け、炎の礫が、氷の蔦が、雷の矢が飛び出して、迫り来るそれらを尽く迎え撃つ。さらに尽きない光球は、続けざまに風雪の様にアイシャに迫る。

 アイシャは戦うには狭い船内を駆け回り、光の糸を操り迫る光球を打ち落としていく。

 光球はテテンにも迫ったが、見えない壁に触れた途端、淡雪のように消えてしまった。

「お嬢ちゃんの使うその術式。ユヅカの子飼いに手間取るような、なんとも要領の悪い戦術かと思っていたけれど。今みたいに複数の魔力で複雑な術式を瞬時に発動させるためのものだったのね。私の知らないうちに、インステリアの魔法も様変わりしたものね」

「そう言うあなたの魔術は、随分時代遅れのようね。自力任せの非効率の旧式の魔術とは違って、現代の魔術は、より高度に、より効率的に洗練され、日々進化しているのよ」

「何を偉そうに。予め具現化させた魔力を、編み上げることで、魔術の発動時間を短縮させる。形こそ違えど、根本は私が創造した光石魔法と同じ。やはり同郷の輩だけあって、行き着く場所は同じということね。それにお嬢ちゃん、気付いているのかい。お嬢ちゃんが口にした言葉が、どれほど絶望的なことか」

 魔女が周りに浮かぶ闇色の光球を操る。アイシャが光の糸を躍らせる。

 互いの魔術がぶつかり合う。互いに引かない、その実力は拮抗しているように見えた。

 そう、非効率と揶揄した魔女の魔術と、高度で効率的に洗練されたアイシャの魔術は完全に拮抗していた。

(いったいどれだけの魔力を秘めてるの…)

「おや? どうしたねお嬢ちゃん。先ほどまでの気勢がないぞ? こちらの準備がようやく整ったというに」

 魔女が両の手を掲げた、その背後で、彼女の生み出した闇色の光球が蠢き、禍々しい魔法陣を幾つも描き出していた。

「光石魔法の応用さね。さぁ、ここからが本番だよ。お嬢ちゃん」



「いまなら呪いを解けるんじゃないの。僕じゃなにもできない。でも、君なら、君が力を取り戻せば、彼女の力になれるだろ! お願いだよアザナミ! 彼女を助けて!!」

 テテン達の前で、目を疑いたくなる壮絶な魔術戦が展開していた。

 一時は拮抗していた魔女達の攻防は、しかしいまやその均衡は完全に崩れている。闇色の光球と魔法陣を操る魔女の前に、アイシャは防戦を余儀なくされていた。

「言われるまでも無い、試したさ。けどだめだ。この結界に隔離されている限り、俺には何もできない。全くたいしたもんだよ」

 なんならもう一度キスでもしてみるか、とアザナミは頭を振る。口調とは裏腹に、その表情は歯がゆそうに歪んでいる。

 そうしている内にも、魔女の攻撃がアイシャを追い込んでいく。けれどどれだけ想おうと、テテン達にできることはない。

 祈るように、縋るように、戦況を見守っていたテテン達の前で、魔女の生み出した闇色の光球と、魔法陣から生じた数多の魔術が、一斉にアイシャに襲い掛かった。



「へぇ…」

 船体を揺るがす爆発は客室の壁面を吹き飛ばし、空中へと飛散していく粉塵の中、未だ倒れずにいるアイシャに、魔女は感嘆の言葉を漏らした。

「耐え切ったのかい。流石は執行者。けれど…、もう限界ではないかな」

「どう…して……。あなたは……」

「ん? なんだいお嬢ちゃん」

「どうして、あなたは、それほどの魔力を持ちながら、追放者に身を堕としたの。あなたもかつては、マゼンダの魔法使いに名を連ねていたのでしょ」

「……なるほど。今はそう名乗っているのね。ええ、その名はよく知っているわよ」

「『魔法は誰か為にこそあれ』、あなたも始祖マゼンダの教えに触れた一人のはず。なのに…」

「始祖…ね。ふふふ、果たしてそれほど大層な人間であったろうか……ね」

 酷くつまらなそうに、魔女は再び手をかざす。次々に現れる魔法陣に囲まれて、ぼろぼろのアイシャはそれでもなを、鋭い視線を魔女に向ける。

「気に入らないね。状況がわからないでもないだろうに、どうしてそこまで立ちはだかる。何があなたを奮い立たせるの?」

「マゼンダの魔法使いの誇りと血を賭して、私は負けるわけにはいかないのよ!」

「血?」

「そう、この身に流れる始祖の血を、汚すことは許されない!!」

「お嬢ちゃんが、マゼンダの…子孫?」

「ええ。大魔女マゼンダは私の曾祖母よ」

「それじゃあ……、お婆様のお名前は…?」

 アイシャが告げた名を、小さく反芻しながら魔女は虚ろ気に唇を引いた。

「……ふふ……うふふふふっ…随分時間が経ってしまったとは思っていたけれど、そう。私は、そんなことにも気付いていなかったなんて、ね」

 それは凄惨で、ひどく邪悪な微笑だったが、けれど不思議と悪意は感じられなかった。

「お婆様は、お元気なのかしら?」

「…数年前に、亡くなったわ。我等がマゼンダの魔女の象徴のような、偉大な人だった」

「そう……。……そうなの」

 アイシャの答えを噛み締めうるように、しばらく天を仰いでいた魔女は、体の中の全ての毒気を吐き出すように、大仰に息を漏らした。

「もう…いいわ。終わりにしましょう。だらだらと小手先を比べ合っては見たけれど、少々興が過ぎた。最大の一撃をもって、この下らないいざこざに終止符を打ちましょう」



 魔女達の言葉はそこまでだった。その後、何度か言葉を交わしている様子が、表情や仕草から見てとれたが、それらはテテン達の耳には届かなかった。

 白装束の魔女はまるで蝶の羽のように展開する魔法陣を背に諸手を掲げている。鱗粉を散らすように拡散していく光球が、魔法陣を巨大で複雑な造形に仕上げていく。

 アイシャは全身を躍らせて、光の糸を繰り魔法陣を編み上げていく。幾重にも、幾重にも、直列に連ねた魔法陣は砲身のように魔女へと向けられる。

 アザナミは蒼ざめた表情で、伏せろとテテンの肩を抱いた。

 テテンは、叫んでいた。その言葉に意味はなかった。ただ想いだけを乗せて、その声が届かなくても、震わせた大気が彼女の力となるように。彼は声を張り上げた。

 魔女達の作り出す魔法陣が大きく、多くなるたびに、魔法の光が周囲を満たし、もはや直視することすら困難な煌きに視界が飲まれる間際、アイシャが顔をテテン達の方を向け、小さく口元を動かしたのが見えた。

 次の瞬間。

 魔女が背負う魔法陣から津波のような魔力が放たれ、アイシャの魔法陣から魔力の弾丸がそれを切り裂かんと打ち出された。

 二人の魔女の生み出した強大な魔術の衝撃は船体を軋ませ、物理的な歪みがテテン達を取囲む魔法陣の描かれた床面を破壊した。直後、彼らを守っていた結界は消滅し、二人は渦巻く災禍の中に投げ出された。

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