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第五話 家族④

 工房から出ると、既に陽が落ちかけていた。

 ぼんやりと歩いていると、いつのまにか工房の真逆にある丘の上に来ていた。

 いつだったかアイシャと並び空を眺め、イレイに乗せられて翼のお披露目をした丘だ。

 そこには先客がいた。色彩豊かな小奇麗な服を雑に着こなす青年、イレイだ。心ここにあらずといった風に、夕焼け色に沈む町並みに、遠い視線を向けていた彼は、テテンに気づくと、あからさまに不機嫌な表情を作った。

 引き返そうとしたテテンを、意外なことにイレイの方から引き止めた。

「待てよ。人の顔見て逃げることはないだろ。こっちに来いよ」

 心の中を見透かされたようで居心地は悪かったが、そう言われては無視もできず、テテンはイレイの横に並び茜色の町並みを眺望した。

 久しぶりに眺めるその風景は、どこか重々しく暗澹として見えた。

「なぁ、あんた。兄貴とはどんな関係なんだよ?」

 しばらくして、視線を下界に向けたままイレイが呟くように尋ねた。

「兄貴にあんたみたいな知り合いがいるなんて、俺は知らなかった」

「…彼とは、翼が行き着いた先で知り合ったんだ」

「はん。それで、のこのここんなとこまで着いて来たってか? 信じられねぇな。そもそもあの兄貴が、初対面の人間と意気投合するなんて、ましてやあの工房に招き入れるなんてことあるわけがねー」

 力強く否定するイレイに、言い返せないことが情けないが、今回のケースを除けば甚だ事実その通りなのだから仕方がない。

「あんたさ。兄貴がいま街でなんて呼ばれてるか知ってるか? 疫病神だぜ」

 耳慣れない文句に戸惑うテテンに、イレイは得意気に、それでいて、そうすることをどこか自嘲しているようにツラツラと言葉を連ねる。

 それによると、どうやらテテンは巷では第一級のテロリストと噂されているらしい。

 大展覧博の後、飛行装置について王国の軍部が情報の開示を求めたが、それを拒否して逃走。必死の捜査のすえに身柄を拘束するも、その時には既に飛行装置のノウハウが記された設計図面など、一切の情報が隠蔽済みだった。不振に思い事情聴取を行ったところ、自らのテロ計画を暴露したのだという。

 いつしか、そんな話がホークシティ中で噂され始め、そのことを裏付けるかのように黒服の軍人が大挙しておしかけてきて一大捜索が行われた。それが、アザナミがユヅカに捕まった翌日からのできごとである。

「ついこの間は英雄だとはやし立てて、一転、今じゃホークシティ中が兄貴の敵ってわけだ。あんたもあんな奴に肩入れしてもろくなことはねぇぜ? さっさと手を引けよ」

「それでも、僕は、彼がそんな人間じゃないって、知っているから」

 知っているも何も、自分自身のことなのだから当然の話だけれど。そう考えて、思わずにやけてしまうテテンに、イレイは、ふざけるなっと声を荒げた。

「お前が一体、兄貴の何を知ってるってんだ! くそっ! どいつもこいつも、どいつもこいつも、どいつもこいつも!! どうして簡単に知った風な口がきけるんだ。あんな勝手な奴らだぞ! ジジィは好き勝手に機械弄りばかりしやがって、そのくせ俺が気を使ってやったら決まってシカトしやがるんだ。オヤジは、年がら年中酒、酒、酒、酒! 兄貴はいつも空ばっか見上げて、寝てんのか起きてんのかもわかりゃしねぇ。どいつもこいつも自分勝手好き勝手に振舞いやがって、協調性ってやつがまるでねぇんだ。どんだけ俺が気を揉んでると思ってやがる」

 それは独白だった。誰に向けられた言葉でもない。視線は眼前のテテンを通り越し、目に映らない何者かを見据えていて、その言葉は、仮初の身に魂を置くテテンの心に直接響いてくるようだった。

「そうさ。さっきのことだって本当は違う。確かに兄貴のことを疫病神と罵る奴もいる。けど兄貴のことを知っている奴等は、そんなの嘘だと歯牙にもかけやしない。なんでだよ! あんな…、あんなに勝手な奴なのに…、町のやつらの信頼を勝ち取っていやがる。この俺よりもだ! だったら俺は…、何のために今まで…」

 赤ら顔で言い放つイレイに、テテンは長らく振りに弟の姿を見た気がした。

 そして気づかされた。気づかされて、そして気づいた。

「知っている。みんな知っているよ。どれだけ家族のことを思ってくれているか、(ぼくも)、お爺ちゃんも、父さんも…。いつも家族と町の人の間に立って、頑張ってくれていることも。でも、みんな不器用だから、いつの間にかそういうことは任せきりにして、甘えてしまっていたんだ」

 祖父ほど職人気質ではなく、父ほど町に愛着もなく、イレイほど町に溶け込んでいない自分は、家族の中でも劣等生で、だからこそ人並みでなくて当たり前。社交性がなかろうが、協調性がなかろうが、自分のことだけで精一杯で、それが許される、と。無意識に自身の甘えを自覚しながら、目を逸らしていた無自覚なそれに、

「みんな、ちゃんと認めてる。信じてる。だから、何か悩みがあるなら、自分ひとりで溜め込まずに、話して欲しいと、思う」

 どうして今まで気づこうとしなかったのだろう。自分と同じように、誰もが悩んで、迷いながら生きているなんて、そんな当たり前からすら目を逸らしていた。自分はなんと愚かだったのだろうと悔いた。それでも、と、テテンは思う。

「(僕らは)絶対に、お前の迷いを馬鹿にしたりしない。お前が決めたことを全力で応援する。だから、我慢する必要なんて無いんだ……だって、」

 それが随分勝手な言い分なのは重々承知していたが、それでも、イレイには迷いなくいて欲しいと、何の負担もなく背中を押してやりたいと素直に思った。

 そんなテテンの言葉をイレイは不服そうな口調で遮った。

「ったく、好き勝手言いやがって。だからよ、家族のことは俺が一番解ってるっつーの」

 気恥ずかしそうに頭を掻いていたイレイは、気の抜けたような表情で溜息を漏らして、

「なんか。あんたが兄貴とツルんでんのわかる気するは。あんら、よく似てるよ」

 大きく伸びをして、生意気そうに口の端を歪めた笑みを浮かべて振り返った。

「あんたさ。兄貴に伝えといてよ。『兄貴が好き勝手やってるように、俺も好きにやらせてもらう』って。それから『爺さんみたく、しばらく街を離れる』ってさ」

 そう言い残して、特に答えを待つでもなく、ひらひらと手を振りながらイレイは丘を降りていく。その姿に、さっきまで見て取れた、迷いの色はなかった。

 その背中をテテンは眩しそうに見送りながら目を細める。遠のく姿に一抹の不安を覚えつつ、それ以上の万感の想いがこみ上げてくる。自分の背中を押してくれた祖父も同じ思いだったのだろうかと考えると、どこか気恥ずかしかった。


 再び目を向けた町並みは、先ほどまでの暗澹とした景色とは違って見えた。


 昼と夜との曖昧な時間に幕を下ろす暗幕に向けて、名残を惜しむ喝采のように町中で色づき始めた明りの輝きが、まるで自分の未来を照らし出しているような気がして、山を降るイレイの足取りは、堪え切れないという風に自然と早く、駆け足になっていった。

 つい先ほどまでが信じられない。晴れ晴れとした気分だった。

 そう、悩むことなんて、初めから何もなかった。

(やってやる。やってやるさ。あんたらのように、好きなようにやり尽くしてやる!)

 例えば祖父の骨董品弄りのように、父親の酒のように、兄の飛行装置造りのように、自分のやりたいことを。

 それが何かと考えたとき。答えは簡単で、考えるまでもなく単純だった。

 それは初め手段だった。大切な家族を守るための手段。人付き合いの苦手な家族に代わって、この灰色の街で自分たちが認められるために、必死になって築き上げてきたもの。

 当初の思惑はともかく、いつしかそれは自分にとって家族と同じくらい大切なものになっていて。気がつけば、それらを天秤にかけながら、ふとしたきっかけでそのバランスが崩れてしまうことに独り怯えて、変化を恐れるようになっていた。自分が守らなければどちらも壊れてしまうと思い上がって、思い通りにならない現実に苛ついていた。

(本当に馬鹿だった。あんなガキの頃から悟った風に言ってたくせに。世界は俺を中心に回ってなんかくれない。俺も世界の一部にすぎないんだ。そして俺が少々無茶したって崩れるような、そんな柔な世界をいままで築いてきたわけじゃない。そんなことは、初めからわかりきっていたのに)

 やがて街に辿り着き、繁華街を駆け抜けて、下町のとある一角に辿り着いたイレイを少年が迎えた。おそるおそるという風に顔色を窺う少年に、彼は凄みのある笑顔で言った。

「待たせたなフォルフ。さぁ案内しろよ。俺を、仲間の所へ」

 その姿を見て、フォルフはホークシティに帰ってきて初めて、本当に心の底から嬉しそうに頷いた。



 それからしばらくして、テテンが新しい翼が完成した。

 その晩、試運転を翌日に控え、テテン達がささやかな労いの宴を開いていた時。コツコツと控え目なノックが聞こえた。訝しみながら扉を開くと、少年が立っていた。

「ヴォルフ?」

「なんかもう、テテンにそう呼ばれるのに慣れてきちゃったよ」

 照れくさそうに言ったフォルフは、直ぐに咳払いを一つして真剣な面持ちで、

「イレイから伝言だよ。『彼女は無事だ』『二日後、研究所で大きな騒ぎが起きる』『あんたはどうする?』」

 確かに伝えたから、とフォルフはそそくさと工房を後にした。

「アザナミ」

 二人は言葉無く視線を交わす。言葉は無くても、互いの考えが理解できた。理解できて、アザナミは頭を抱えた。そんな頭を抱えている自分に気づいて、苦笑した。

「確かに、一度空に至ってしまえば、何時帰ってこられるか知れない。それに、目の前にチャンスがあるのに手を伸ばさないなんて、俺のやり方じゃねぇよな」

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