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第一話 ホークシティの“空っぽ頭”②

 第一話 ホークシティの“空っぽ頭”



 空から、光が降ってくる。

 そんな夢を見た朝は、無性に空が恋しくなる。

 だからテテンは、今日も暇を見つけて空を眺めていた。

「今日も」というのは、つまるところ空を眺めているのが何も今日という日に限ったことではない、ということだ。昨日も一昨日も一昨々日も、ついでに言うなら一昨々々日も一昨々々々日も、彼は同じように空を眺めていた。ちなみに昨日空が恋しくなった理由は「星が流れる夢を見たから」で、一昨日は「何も夢を見なかったから」、一昨々日は「寝覚めが良かったから」で、一昨々々日は「仕事がいつもより早く終わったから」、一昨々々々日は「昨夜の夕飯に双子の卵がでたから」だ。

「暇を見つけて」というのは、つまりは探さなければそうそう暇はないということだ。

 テテンの生家は代々修理工を営んでおり、彼は教会学校に通いながらも、普段は見習い技師として家業を手伝っている。修理工という職業柄、その仕事量は時々で酷くムラがある。たとえこの町が、国内有数の工業都市だとしても、年がら年中技師が駆けずり回っている姿が目撃されるような場所であっても、ムラがあるものはしょうがない。暇な時は暇だし。忙しい時は忙しいのだ。

 しかして本日はどのような塩梅かというと、二者択一ならば間違いなく忙しい部類ではあったけど、見習い技師のテテンになら空を眺めるくらいの暇を作る余地はある、そんな一日だった。

 つまりはそう、この空を眺めるという行為は、テテンの日課なのである。

 ずっと昔。まだ少年から抜け切れていないようなテテンが、自ら少年の頃と思うほどに昔から、つまりは物心が着いた時から、ずっとずっと、彼は空を眺め続けていた。

 何をするでもなく、ひたすらに空の表情を眺めている時間が、テテンにとってこの上の無い至福のひと時だった。それは趣味を通り越して、生甲斐であり、生活の一部だった。

 高山地域の中腹部に位置するこの工業都市の空は、いつも濁った白で覆われている。街中に乱立する工場の煙突から吐き出される濛々としたモノトーンの煙と、悠然と頭上を回遊していく雲の群。傍目には比率がわからない混々濁々とした一面の灰色と眼前に広がる鉄色の町並みと、それを四方にぐるりと取り囲む山々の削り取られた土色の斜面とが、この都市に暮らす者が眼にする日常の色だ。

 色気も何も無い景色だけれど、テテンは知っている。このくすんだ風景が一変する時があることを。その時は気まぐれで。それを逃さないよう、彼はじっと空を見上げている。

 日中から、傾斜の緩い屋根に仰向けに寝転ぶその姿は、端から見て王侯貴族よろしく惰眠を貪っているようであり、のんびりと暇を持て余しているように映るだろう。が、当のテテンからすれば、彼が幸せを噛み締めるその時間は決して怠惰なものではなくて、空に向けるその視線にはむしろ真剣を交わす勝負師のような色が見て取れた。

 彼方の灰色を掴むように、そっと手を伸ばす。右と左、煤に塗れた両の手を通して空を見れば、空の高さが増したような気がして、少し切ない気分になる。

 その時、指先に感じるものがあって、テテンは上半身を跳ね起こした。眼を細め、眼前の色を凝視する。

 次の瞬間、

「てめぇこら! クソったれの半人前が! いつまでも人様の頭の上ぇ寝そべって、のん気に夢見てんじゃねっぞ! 昼寝の時間はもう終わりだ! さっさと降りてきて仕事をしろってぇんだ!!」

 野太い罵声と合わさって、屋根を揺らすドゴンと鳴った音と衝撃。

 突然のことに驚いて、勢いよく立ち上がったテテンの身体が、これまた唐突に屋根に沿うように吹き上げてきた突風に煽られてよろめいた。傾斜が緩いとはいえそこはやはり屋根の上、テテンは必死で身体を仰け反らせて倒れこむように斜面に張り付くと、頂上付近で開けっ放しになっている天窓まで這い上がった。窓の中を覗き込むと、床に伸びた縄梯子の横で腕を組み、無精髭の目立つ厳つい顔を不機嫌そうに歪めて、睨み上げている中年の男性がいた。

「父さん。危ないじゃないか。落ちたらどうするつもりだよ」

「知るかぁよ。てめぇの縄張りだろぅが。こんぐれぇで落っこっちまうってぇなら、そいつぁてめぇの間抜けが原因よ。んなことより、さっさと降りて来い。仕事の時間だ」

「今日の分の納品は済んだんじゃないの?」

「おいおいテテンよぉ。お前ぇはまぁだ夢ん中か? 忘れってんじゃねぇだろぅな? 俺らぁ修理屋だ。そこらに並ぶ瓦礫造りの鶏小屋たぁ違ってよ、御利巧さんなダイヤで廻してぇんじゃ、商売になんねぇんだよ」

「仕事はそつなく迅速に…でしょ」

「おうよ。でねぇと、喉を濡らす時間がなくなっちまうからな」

 いつもの調子で、がらのわるい訛りを効かして捲くし立ててくる言葉を、右から左に聞き流しながら縄梯子を降りたテテンの肩を、父親はガハハっと豪快に笑いながら叩いた。

「…で、なに? 大きいの?」

「おうよ。イレイの連れに、ナナンリィって奴がいっだろ? そこんとこのが廻してきた。いまジィさんが構ってる。が。こいつが、だ。聞いて驚け。なんと自走車ぁだっぜ。自走車。ひっさびっさの大口の仕事だぁ。三人がかりでもきちぃかもしんねぇ。気合入れてぇけよ。おぅ?」

 さきほどまで怒鳴り声を上げていたのはなんだったのかと思うほど、打って変わって鼻歌交じりの上機嫌で口を動かす父親。頭の中では既に、その大口の仕事とやらを、いかに迅速に片付けて、どれだけ高額な工賃をせしめて、一秒でも長く上等な酒を浴びられるか、という算用が始まっているようだ。

 蒸気式自走車。先頭に取り付けられた炉の中で、鉱石を反応させて発生した熱で蒸気を作り、それを動力として車体を動かす車両運搬装置。人力や馬力の車両とは比べ物にならない速度と力を誇るこの自走車は、新たな流通の基盤として国内外においてその地位を確固たるものにしつつある。

 とはいえその数はまだまだ少なく、組織単位で所有している場合はあっても、それを個人で所有しているのは一握りの王侯貴族くらいのものだ。

 国内有数の工業都市を謳うこの街ですら、蒸気式自走車を目にする機会はほとんど無い。ましてやそれに実際に触れる機会など、たとえ一流の職人でも、そうそうあったものではない。テテンですら、自走車と聞いた瞬間から気分が高揚しているのがわかる。口ではあれこれ言いながらも、父親も職人魂を押し殺せないようだ。

 ただ、テテンには一つ気がかりなことがあった。確かに、テテンも顔見知りであるナナンリィの家は、蒸気式自走車に関連のある工場のはずだ。けれどそれは、テテンの記憶が確かであるなら…。

「あのさ。確かナナンリィの工場って…」

 テテンが口を開きかけた時、それを遮るかのように怒鳴り声が響いた。

「二度と来るな! ここにお主のような職人の魂を溝に捨てた痴れ者が跨げる敷居は無い!」

 足元。階下の工房から届いたその声は、先ほどの父親の罵声すら小鳥の囀りに思えるほどの大音声だった。続いて聞こえる扉が勢いよく閉じる音。そして家の外からなにやら聞きなれない重低音が遠ざかっていくのが聞こえた。

 テテン達は顔を見合わせ、狭い廊下を駆け出した。

 もつれ合うように工房に飛び込むと、そこには椅子に腰掛け背中を丸め、黙々と工具をふるう老人と、その背中を不機嫌という文字を貼り付けた表情で睨んでいる長身の少年の姿とがあった。

 因みに老人が工具でもって弄くっているのは、街の各所でよく目にする据え置き型の光石燈である。小型の炉の中で鉱石を発光させる照明装置だ。それも型が一世代以上前のオンボロばかりが十数個。それが老人の足元に転がっている。ほかに工房内で目に付くものは、壁際に乱雑に並べられている工具一式くらいのものだ。

「おぉいおい。こいつぁ一体どうしたこった? さっきまでここにいやがった自走車様ぁ、一体どこに行きやがったんだ」

 父親が指す場所を見れば、なるほどたしかに、いやに整然とした空間がある。

「んなもんねぇよ」

 吐き捨てるように答えたのはじっとりと恨みがましい眼をした少年だった。

「つーか、さっきまではあったんだけどな。まったくよ。信じられねぇぜ、このジジィは。自走車だぜ、自走車! せっかくこの俺が貧乏家族のことを想って仕事を持ってきてやったってのに。ろくに話も聞かずに追い返しやがったんだ!」

「っな! おいおいマジかよジィさん。せっかくの大口の仕事だったってぇのに。一回こなしゃあ、いつもより上等な酒が三日は飲めたってぇのに。一体全体何が気に食わなかったってぇんだ。ジィさんも自走車だってぇ話ぃ聞いて、職人魂に火がついたって言ってたじゃぁ……って、おわぁあっ!」

 少年と父親の言葉を浴びるうちに、黙々と仕事をしていた老人の背中が次第にプルプルと震えだすのを見て、テテンが危ないなと思った次の瞬間。父親の抗議が終わるより早く、老人は手にしていた工具を勢いよく放り投げた。振り向きざまの一投は、おそらく的であった父親とはてんで明後日の方向に飛んでいき、壁に立てかけてあった別の工具を巻き込んでガラガラと耳障りな音を上げた。

 振り返った老人は、眉間に皺をよせ、口元の髭を逆立たせた、怒りの形相が浮かべていた。工房の中は静まり返り、老人の荒い息遣いだけが妙に大きく響いた。

「確かに、自走車という言葉にワシも年甲斐も無く、はしゃいでおった」

 しばらくして息を整えると、老人は立ち上がり、専用の工具箱の中に手を突っ込んだ。

「あの痴れ者はな、自走車の部品を直して欲しいと言って来たんじゃ。よりにもよって、自分の工場でこさえた三流品をじゃ。確かにワシは修理工じゃ。直せと言われればどんな難解な依頼であっても請け負う。じゃがな、大量生産じゃか、コスト削減じゃか、薄利多売じゃか知らんが、あんな職人の魂が一遍もこもっとらん鉄屑を相手にするほど、ワシはまだ落ちぶれちゃぁおらん!」

 それだけ言うと老人は再び腰を下ろし、ひとり作業を再開した。

 そう、確かにナナンリィの家は蒸気式自走車に関連のある工場ではある。けれどそれはあくまで関連のある工場であり、彼等が作っているのは幾重もの部品で組み上げられている自走車の一部にしか過ぎない。さらに言うなら、その部品というのも特別自走車のために製造されるようなものではなく、機能的にはあってもなくても何の問題もない装飾品の類だった。使用している部品も自社製造の汎用品で、この街に住む職人であれば、誰であっても簡単に修理可能な代物のはずだ。そうした部品をナナンリィの工場では、完全な流れ作業で粗悪乱造していると悪評は絶えない。それでも価格の安さと納品の速さには定評があり、たとえ故障しても直ぐに修理対応可能ということで一定の支持を得ていた。

 テテンの懸念が当たっているのなら、そんな誰にでもこなせる仕事を、さも恩着せがましく、依頼してきたので、職人気質の祖父からすれば、バカにされた気分であり、それと同時にそんな修理も他人に頼る職人が、この街で代表面していることが情けなくて、怒り心頭に発した、といところだろうか。

 黙々と仕事をしているそんな背中を見て、父親はやれやれと頭を掻き毟ると、祖父が投げて散らかった工具を拾い上げた。

「かぁぁぁ~、ったくよぉ……。これでまぁた、当分は安酒かぁよ。まぁ、ジィさんがそう決めたんなら、しかたねぇやぁな」

「ざっけんなよ! なんでそう簡単に納得しちまうんだよ! オヤジだって自走車弄りたかったんだろ? いい酒飲みてんだろ? さっきまでキレてただろがよ!」

「イレイよぉ。そうは言ってもよぉ。ジィさんがこう言ってぇんだ。どうしようもねぇだろが。うだうだ言ってねぇでよ、少しでも仕事を片付けて、酒場にでも繰り出したほうがましってぇもんだ」

「知ったことかよ! いいか。今回の仕事は俺の紹介だったんだぜ。それを追い返されたんじゃあ、俺の面子に関わるんだよ!」

 薄汚れた灰色の作業着を着ているテテン達と違って、色彩豊かな小奇麗な服を雑に着こなしているイレイは、腕に首にと、いくつも身に着けているアクセサリーをジャラジャラと揺らし、金色に染め上げた髪を逆立たせながら、苛立ちを隠すことなく言い放った。

 そんな息子に父親は冷めた視線を向けて、祖父の隣に腰を下ろすと、同じように作業を始めた。

「あぁのなぁ。それこそ、そんなこたぁ知ったこっちゃぁねぇだろぅが遊び人! てめぇの面子ぐらいてめぇで立たせろってんぇだ」

「なっ、んだとコラ……。ふん! じゃあいい。勝手にしろ! あんたらはいつまでもそうやって一生ガラクタばかり弄っていればいいんだ!!」

 近場の工具を蹴り倒し、イレイは肩を怒らせ歩き出した。工房の入り口で成り行きを見守っていたテテンと視線が合い、すれ違いざまに「兄貴には何も期待してねぇよ」と言い捨てて、イレイは工房から出て行った。

「おらテテン! お前もいつまで突っ立ってぇいやがる気だ。さっさと来いってぇんだ」

 イレイの背中を追いかけるように、ずっと視線を向けていたテテンは父親からの叱咤を受けてあわてて工房の一角に積み上げている自分の工具を手にとると、黙々と仕事をする祖父たちに倣って、一機の光石燈の前を陣取った。見慣れたフォルム、手が覚えた触り心地、ほどよく馴染んだ工具を片手に、手馴れた動作で光石燈の蓋を外した。

 イレイには悪いと思いつつ、テテンは自走車の仕事が無くなってほっとしていた。

 確かに見習いとはいえ一職人としては自走車の修理という大仕事には興味が湧く。たとえ直すものが安上がりな部品の一部だとしても、最新技術の塊である自走車の機構に直に触れることができるのだから。けれど、祖父達がどうかは知らないが、少なくともテテンにとってそれはあくまで職業柄の問題、仕事上の興味でしかない。

 それよりもテテンにとっては、いかに仕事を早く終わらせるかの方が重要だった。

 酒浸りの父親ではないけれど、早く仕事を終わらせて一日の残りの時間を、空を眺めることとは別の、もう一つの生甲斐に費やすことの方がよほど大切なのである。それに比べれば自走車にはさほどの食指も動かされない。そもそもテテンは地面を走るための道具には興味が無い。

 黙々と作業に従ずること数時間。テテンが三つ目の光石燈を修理し終えた頃には、父親はその倍以上、祖父に至ってはさらにその倍近くを片付けていて、それでその日の仕事は終わった。

 祖父は工具の手入れを始め、父親は納品のために荷車を押して工房を出て行った。作業着からくたびれた私服に着替えていたところを見ると、金を受け取ったその足で酒場に繰り出すつもりらしい。

 テテンはというと、仕事を終えるや否や、そんな二人を尻目に家を出た。

 外はもう夕暮れ時を迎えていた。夜の帳を前にして、徐々に暗澹とした色を帯び始めた空は、遥か彼方で沈もうとしている太陽の光を受けて赤白く染まっている一角から真逆にかけて、白から黒への灰色のグラデーションで彩っている。

 街の外れにある自宅越しに、仄かに輝き始めた市街の光石燈の明かりに背を向けて、テテンはさらに人気の無い丘を目指して歩きだした。かろうじて舗装はされているものの、人通りの乏しいその道には、テテン以外には人気が全く無い。その道の先。小高い丘の上に、今にも倒壊しそうな小屋がポツリと一軒あった。そこがテテンの目的の場所。

 そこは工房だった。テテンだけの小さな工房。とはいっても、亡くなった母親から譲り受けた時には既に倒壊寸前だった廃屋に、少し手を加えた程度の代物だが。

 テテンは仕事が終わると毎日この小さな工房にやってきては、日付が変わるまで篭りっきりになっている。

 今日も工房に辿り着いたテテンは、一日の残りの時間をいかに活用するかと計画を練ることで頭を一杯にしたまま、いつものように立て付けの悪い扉を力一杯開け放った。その先に、彼にとって人生最大の不意打ちが待ち受けていることも知らずに。

 そうしてテテンは、誰もいるはずの無いその場所で、彼女と出会った。

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