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第五話 家族③

 それから、恐ろしいほど忙しく、不気味なほどに静かな時が過ぎた。

 テテンは丘の上の工房に篭りきりで、昼も夜も無く、翼造りに没頭した。

 アザナミはというと、当然というか、ものづくりのイロハがあるわけもなく、かといって手持ち無沙汰を理由にテテンの身体で濫りに外出するわけにもいかず、結果あたり障りの無い範囲で雑用をこなすより他にすることは無かった。

 初めのうちこそ、ユヅカの追っ手を危惧していたが。どういうわけだか一向にやってくる気配は無い。工房の場所は知られているのに、真っ先に手が回らないことを考えると、彼らにとってテテンはもう用済みということなのだろう。

 というのが、テテン達の共通の見解だった。そうだとすれば、イレイが売り渡したという設計図の行方も自ずと推測できた。工房に篭って数日が過ぎた今となってはその推測は確信に変わっていた。そのことが一層テテンを焦らせて、作業に没頭させた。

 今も狭い工房内ではテテンが工具を振るい、手持無沙汰で暇を持て余したアザナミは、風の便りに伝え聞いていた地上世界での高等直立技法、逆立ちなるものに挑戦していた。もちろんテテンの同意は得ている(もっとも作業に夢中の彼が話を聞いていたかは甚だ疑問ではあったが)。そんな折、

「ねぇ」

 唐突に呼び掛けられてバランスを崩したアザナミは、近くの棚を巻き添えに床面に背中を思い切り叩きつけた。涙交じりに天地逆さにテテンを見ると、昼夜と問わず小気味良くも耳触りな音を上げていた工具を持つ手をピタリと止めて、作業台の上に鎮座しているアザナミにも見覚えのある翼の骨格をじっと眺めていた。

 どうした、と声をかけると、若干の躊躇の後にテテンはどこか沈痛な面持ちで、教えてほしいことがあるんだけど、と尋ねた。

「飛行技術を得た世界は、その後どうなったの……」

「別にどうもなりはしないさ。相変わらず世界はそこにある」

「そういうことじゃなくて、その…、飛行技術を手にした人達は……」

 歯切れの悪い言葉に、アザナミはどう答えたものかと思案したが、テテンなら質問を投げかける時点で答えに辿り着いているだろうと思い至り、思いつくままを言葉にした。

「別に、その人間に、罪はないさ」

 アザナミの答えに、テテンは僅かに安堵の色を浮かべたが、その表情には複雑な想いが滲んでいた。

「……。正直に言うと、前から考えてはいたんだ。翼が完成したら。それはこの世界で、どんな役割を担うことになるのか、って」

 それは未だ誰も成し遂げていない世紀の大発明。飛行技術が生まれることによってもたらされる変化。物流の高効率化や情報伝達の高速化を謳って、世間の冷めた風潮にもめげず、多くの技師が空への夢を馳せている。テテンも、そんな耳障りの良い常套句な理想を掲げて夢を語っていたが、その傍らで、それら技術が持つ危さもまた感じていた。

 現実に飛行した翼を求めて多くの人間がテテンにアプローチをかけて来たという。自分の完成させた技術が、これから多くの人々の思惑の中で扱われ、その一つの帰結として大きな悲劇を生む可能性を無視はできない。

 しかしそれらを自覚しながら、今まではどこかで自分とは関係のない世界でのできごとだとも思っていた。それは心のどこか片隅に、自分の作った翼で本当に空を飛べるはずが無いと諦めていた部分もあったからだ。だから深く考えずにいられたのかもしれない。

 けれども今は違う。ここ数日一心不乱に作業に没頭し、ガラクタしか無かった工房の中央に見覚えのある骨格が着々と組み上がっている。かつてはあれだけ長い月日を試行と錯誤に費やして完成させた翼が、いまやたったの数日のうちに、精密な設計図も無しに完成しつつある。それも以前とは違う、微妙に改良を施して、本来なら信頼できるはずも無い失敗作になるだろう代物が、しかしテテンはこの翼で飛行ができると、奇妙な確信を得ていた。一度空を飛んだ経験と。背中に翼を持つアザナミの身体を共有したことで、かつては無かったインスピレーションが次々と湧き出してくる。

 次第に形を成していく翼を前に、テテンの胸にかつて忘却することを選んだ、言い知れない不安と恐怖の感情が、ふつふつと湧きあがるのを止められなかった。

 本当に、自分は飛行技術を完成させてもいいのだろうか、と。今となってこそ、テテンは悩み、自然と工具を振るう手も鈍った。

「俺には…俺達浮遊人には、生まれた頃の記憶は無い」

 答えにはならないかも知れないけれど、と前置きして、アザナミは遠い空を懐かしむかのように目を細め、言った。

「幼いから覚えていない、ということじゃなくて、ある時目覚めたら巣にいるんだ。だから当然、親の顔なんて知らない。そもそも存在しているのかも怪しい」

 浮遊人達が巣と呼ぶ雲塊の一角で、たった独りで生まれた彼らは、誰に教わるでもなく空を飛び、本能的に行くべき場所を知っている。そうして“空”の中心にある一際巨大な雲塊に行き着いた彼らは、そこで“世界”の理の一端と己の使命を与えられ、再び“空”の方々へ散り散りとなる。そのため彼らが他人と接触する機会は極端に少ない。

 そんな彼らにとって境界を越えてやって来た異世界の人間との出会いは、数少ない他人と触れ合う機会なのだ。

 それはアザナミにとっても同じだった。世界を渡る人々との触れ合い、異世界の文化との交流がアザナミにとって何よりの楽しみだった。そうした出会いを繰り返す内に、彼の中で異世界への憧憬が日に日に増していった。

 多くの人と出会った。中には邪な目的で世界を渡った者もいただろう。けれども彼らの事情に関わり無く、世界を渡すのがアザナミの仕事だから、そんなことを気に留めることも無かった。ただそういった輩の話は、得てして鼻につく自慢話が多く、知識としては重宝しても、彼の食指の動かない退屈なものでしかなかった。

 そんな彼が一番心揺さぶられるのは、初めて世界を渡った人々との出会った時だった。

「初めて境界に至った彼らの顔は、本当にいい笑顔なんだ。まるで子どものように純粋で、心の底から嬉しそうで…」

 そんな笑顔を浮かべる彼らの住む世界は、どれほど素晴らしい世界なのだろうと、巡り会うたび惹かれざるを得なかった。

「たぶん、一番初めに境界を越えられるのは、そういう奴らなんだよ。ただ飛びたいって、その想いが空への道を開くんだ」

「でも…」

「じゃあ聞くけどお前さん。どうして空を飛びたいって思ったんだ? まさかろくでもないことを考えてたわけじゃないだろ? 因みに俺は、たまたま眺めてた“世界”で、草原を駆ける獣を見て生命の活力を感じた。俺も同じように大地を駆けたいって、だからなんとしても“世界”に降りると決めていた」

「僕は…」

 あまりにも単純な事情を無邪気に語るアザナミに、テテンは気後れして口を紡ぐ。

 そうして考える、どうして自分は空を目指すのかと。今まで何度も問われてきて、その度に「人類の夢」だと応えてきた。けれどそれは始まりじゃない。いつからか、世間に合わせる為に用意した、都合のいい言い訳に過ぎない。なら一番初めに空を飛びたいと思ったのは何時だろう、物心ついた時からずっと、何故そんなことを夢見ていたのだろう。

 散々考えて、頭を過ぎったのはアザナミに負けず劣らず、笑ってしまうくらい単純な答えだった。

「……空を見上げると、灰色の世界の切れ目から青空が覗いてたんだ。そこを飛んでる鳥を見て、あんな風に自由に空を飛びまわれたらって、たぶん、それだけだったと思う」

「だったら今は、何のために飛びたい?」

「……彼女を、助けたいから」

「それで良いんだよ。純粋な憧れと自分の女を助けたいって想い。それだけあれば空を飛ぶ資格は十分にあるさ。なんてったって“世界”にはその想いの力だけで飛べる場所だってあるんだぜ。人の想いってのはそれだけ強い力になりえるんだよ。結果なんか気にすんな、お前さんはただ自分を信じて突き進めば良いんだよ」

 アザナミの言葉は、テテンの疑問に対する答えには全くなっていなかったけれど、それでもその気持ちは十分以上に伝わってきて、自然と心が軽くなる。それがたまらなく嬉しくて、照れくさくて、情けなくて泣きたくなった。

「ごめん、ちょっと外の風に当たってくる」

 テテンの背中を見送ってから、アザナミは再び逆立ちを始めた。けれども直ぐにバランスを崩して転倒し、息も切れ切れに自嘲的な笑みを零した。

「それでもたぶん、どんなに悩んでも、自分の手で掴み取ったんだ、満足だろうな。俺は…、人づてに得た成功で、満たされることは、ない…か。ま、好き勝手した挙句がこの様じゃ、偉そうに言えたもんじゃねぇわな」

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