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第五話 家族①

 彼が母親のことを思い出すとき、初めに思い浮かぶのは、一緒に遊んだ時のはじけるような笑顔でも、誕生日にミートパイを作ってくれた時のやさしい横顔でも、研究に没頭していた静かな後姿でもなくて、安らかに瞳を閉じた別れ際の顔だった。

 別にその日以外に記憶に残るような日々が無かったわけではない。

 ただ彼にとってその日の出来事が、あまりに印象的であったから。

 それは葬儀の最中。

 整然とした室内。いつものしかめっ面をさらにしかめて伏せる祖父。まるで赤子のように泣きじゃくる父。何を考えているのか、ぼんやりと空を見上げている兄。そして、部屋の中央に据えられた棺桶の中で眠ったように横たわる母の遺体。

 思い出したように、ちらほらと町の人間が訪れては、花を供えて帰っていく。

 いまでも、思う。

 夢にまでみて思う。

 なぜあの時、あの場所に行ってしまったのだろうと。

 その日、その時を、家族の傍を片時も離れずに過ごしていれば、母との最後の記憶を、あんなに屈辱に塗れた記憶として思い出すことも無かっただろうに。

 いまとなっては、その理由は思い出せないが、その日はいつも以上にどんよりと雲が厚く、今にも涙雨の零れ落ちそうな日だった。空模様と同様に沈んでいる家の空気に、朝からどっぷりと浸かっていて、苦しい息を吐き出したかった。おそらくはそんなちょっとした気分転換のつもりだったのだろう。

 そっと家の外に忍び出た自分の耳に飛び込んできたのは、誰とも知れない、おそらくは花を供えにきたのだろう人の囁き声だった。

 曰く、「怪しげな魔術に没頭していた彼女は、呪われて死んだのではないか」「死ぬのは勝手だが、妙な呪いに巻き込まれるのはごめんだ」「気味の悪い女だった。死んでくれてよかった」「いないほうが町のため」「あの家の誰が死のうがどうということはない」「どうせなら人知れず死んでくれれば、こんな場所まで足を運ばなくて済んだのに…」

 言い放つ方は無自覚で、それ故にどこまでも鋭い、心根からの悪意がそこにはあった。

 正直、薄々は自覚があった。頑固者の祖父に、粗野で酒飲みの父、人付き合いが苦手で自分の研究に没頭していた母、掴み所が無くふわふわと何を考えているのかわからない兄。自分を含めた家族に対して、他人が奇異の眼差しを向けていることに、彼は気づいていた。と同時に、地方都市の片田舎の更に僻地に住居を構える彼の家が、町の人間から疎外されてはまともな生活ができなくなることを、彼は子ども心に察していた。

 だからこそ、現実に向けられた悪意を前にして、彼は恐怖した。

 まるで町の全てが、彼と家族に刃を向けているような、そんな錯覚を覚えた。

 けれども、そんな家族でも、彼にとって世界中の何者よりもやさしくて、何物よりも大切だったから。

 だから彼は決意した。

 いまさら家の者に社交性を求めたところで不可能だろう。

 だったら自分が家族を守ろう、と。

 異端を虐げる町の人々と家族を繋ぐ架け橋となろうと。

 それはまだ、少年と呼ばれ始めたばかりの小さな彼の、大きな決意だった。



 第五話 家族



 アイシャの魔法で飛ばされたその場所に、どこか見覚えがあると思っていたが、他でもないそこはテテンの工房だった。初見で気づけなかったのは(目覚めて直ぐに絶世の美少年に目を奪われてしまったことも大きな要因に違いないが)先に見た工房とは様子が違っていたからだ。アザナミが工房に訪れた際には散々に散らかっていた室内が、今はきれいに片付いていた。あくまでもテテンの工房にしては、の話だが。

 そんな、いつもよりほんの少し小奇麗な工房で、彼らは互いに情報を交換した。“空”を下ってからのいきさつ、町の様子、荒れた工房、そして湖岸の研究所での顛末。

 話を聞くうちにテテンは言葉数少なになり、仕舞いには顔面蒼白で俯いてしまった。

「そんな……嘘だ、ユヅカさんが……エイシアが…………っ!!!」

 アザナミの話を聞き終えて、しばらく呆然と伏していたテテンは、やがて何かを決意したかのように眼光鋭く顔を上げ、興奮に顔を赤らめて、座っていた椅子を跳ね飛ばす勢いで立ち上がった。

「ちょっと待てよ。どこにいくつもりだ」

「決まってる。エイシアを助けに行く」

 「どうやって?」と問われ、テテンは工房の一点を指差した。そこは先にアザナミが目覚めた場所だった。工房の中でも特に整頓されているその場所の壁には、二つの人間大の楕円状に焼け焦げた跡があった。テテンが言うには、もともとその部分にはアイシャの腕輪から離れた朱い光の糸が張り付いていたらしい。つい先ほど、その光の環が輝きだして、アザナミ達が現れた。ならば再びアイシャのいる場所に飛べるのではないかとテテンは主張したいらしいが、けれどアザナミはそれを否定する。

「どうして!?」

「そいつからは全く魔力が感じられない。おそらくそいつは、空間転移の目印としての役割しかなかったんだ。俺、……つーか、お前さんを見つけたら直ぐにここに飛ぶつもりだったんだろう。だから目印も二つ用意していた。が、そこには予期せぬ三人目がいた」

 そう言ったアザナミの視線の先では、フォルフがいまだに目を回して気絶している。

「もうこの場所に転移はできない。他の場所に用意していれば別だけど、そんなものがあれば、魔力の絶対量を制限されているあの女が、わざわざここに目印を作らないだろう」

 アザナミの指摘に、「だったら」とテテンはアザナミに視線を移した。正確にはアザナミの胸元にぶら下がっているペンダントに、だ。

「その御守りは、微弱な魔力を放っていて、それを辿れば…居場所が判る…らしい」

 言いながら、何故か目に見えて落ち込んでいくテテンに、アザナミは「なるほど」と相槌を打った。

「確かに、あの女が同じ代物を持っていれば、その足跡を辿れるかもな。で、どうやって魔力を感知するつもりだ? 仮に魔力を感知できたとして、あそこに行ったとして、お前さんに一体何ができる? 戦力にならないから、あの女もここに置いて行ったんだろ?」

 テテンには返す言葉はない。アザナミの言葉は一々もっともなのだから。

「それでも、ここで何もせずにいるだなんて…」

「……まぁ。正直、お前さんが勝手に無茶してどうなろうが、知ったことじゃない。好きにすればいいさ。けどな、今、その体は自分一人のものじゃないってこと、忘れるなよ」

「だったら! 僕の体を返してよ!」

 元よりテテンもアザナミを巻き込むつもりはないし、いつまでも彼の姿でいる気もない。至極当然の要求に、けれどアザナミは気まずげに視線を逸らした。

「あー、そりゃ無理だわ」

「どうして!?」

「ほら、俺はいまお前さんの身体使ってるだろ? 残念ながらお前さんには魔力を扱う素養が全く無いようだし。“空”と理を違うこの世界じゃ、俺は魔術が使えないから」

「そんな!? こうなったのは君のせいだろ! そんな無責任な…なんとかならないの」

「試したさ。さっき」

 そう言って、アザナミは下唇をチロリと舐めて見せた。その仕草で先ほどの一件が頭を過ぎり、テテンはぞわりと背筋を震わせた。

「いやー、一か八か、より親密な接触というか、濃密な繋がりが持てれば、もしかしたら? とか思ったんだけど。やーっぱり、無理だったわ」

 舌を出しておどけて見せるアザナミの悪戯っぽいその仕草が、しかしテテンの顔には酷く似合わない。どう贔屓目に見ても、人を小馬鹿にしているようにしか思えない、未来永劫、絶対にその表情だけは作らないようにしよう、とテテンは心に誓った。誓いはしたが、アザナミの言葉通りなら、そんな機会自体二度と訪れない可能性すらある。

「はぁ…、あの女が現れた時点である程度予想はついていたけど、まさか本当にお前さんまで帰って来てるなんて…。向こうで待っていてくれたら、お互いの存在を依り代に、世界を渡れたかも知れないのに…」

「本当に…どうにもならないの?」

 テテンは元の椅子に力なく腰を下ろし、眩暈のする頭を抱えた。その傍で、アザナミも似たように頭を抱え込んでいる。

「この術は、一種の隠形術なんだ。自分で術を解くか、もしくは正体を見破られるか、基本この術を破る方法はその二つしかない」

「正体を見破られる?」

「俺が俺でお前さんがお前さん。誰かにばっちり言い当てられたらおしまいってことさ」

「だったら……!!」

 簡単な話じゃないか、と言いかけて、テテンは言葉を飲んだ。

「どうやら心当たりがあるようだな。ってことは、やっぱりお前さんも、か。どうやらこの術、正体をばらされないように、中身に関する情報を語れないよう仕掛けが施されているらしい。ついでに、術者の方もうっかり口を滑らさないよう、同じく言葉を封じる親切設計ときてる。いやーまいったわこりゃ」

「なんでそんな魔法使ったんだよ!」

「最初に言っただろ? 教えてもらった術だって。俺も知らなかったんだよ。なにせ使ったのは初めてだったからな。言ってみれば、俺も被害者みたいなもんなんだぜ?」

 そう言ってアザナミはやけくそ気味に笑ってみせる。

 あまりのことにしばらく塞いでいたテテンは、しかし直ぐに力強く目線を定めてアザナミを見上げた。

「だったら…。だったら悪いけど、この身体、使わせてもらうよ!」

 再びの決起を宣言するテテンの双肩をがちりと掴んで押さえ込み、アザナミは溜息混じりに頭を抱えた。

「お前さんさ。どうしてそんなにムキになるよ? あの女はお前さんを殺そうとしてんだぞ? そんな奴を、何で助けるなんて言うんだ?」

「そ…それは、」

 心底理解できないという風に、覗き込んでくるアザナミから目を逸らして、小さく口ごもる。答えはある。けれどそれを口にするには抵抗があった。その言葉は、易々と口にするには特別過ぎる。先ほどまでの勢いはどこへやら、すっかり消沈してしまった少年の様子にアザナミはますます首を捻る。

「さっきも言ったけど。お前さんが駆けつけたところで、なんの助力にもなりはしないさ。むしろあの女の枷になるだけだ」

 そんなことくらいお前さんも理解できるだろうに、と。

 羞恥と苛立ちに赤面しながら、それこそ「そんなこと言葉にしなくてもわかるだろ」と、必死に視線で訴えかけるも全く通じる風ではない。そんなアザナミの態度に、テテンの赤面の内訳が、次第に苛立ちの比率を増していき。

「………すきだから」

「え?」

 小さく漏れ出た一言がきっかけだった。

「好きだからに決まってるだろ!! エイシアが好きだから、だから助けたい! 黙って諦められる訳がない。このままもう、二度と会えないだなんて、絶対に嫌だ!」

 溢れ出たテテンの、半ばやけくそ気味な告白を愕然としていた面持ちで聞いていたアザナミは、その言葉の意味を理解すると、ようやく合点がいったと頷いて、小さく肩を震わせながら、くつくつと喉の奥を鳴らした。

「くそっ、笑いたければ笑えばいい。僕は真剣なんだ!!」

「くくくくっ…。いやいや、別にお前さんを馬鹿にするつもりはないさ。むしろ気づけなかった自分がおかしくてね。まさか恋愛とは。俺的に無さ過ぎて、全く気づけなかった。それはそうだ。どこの世界でも、男と女を奮い立たせるのは色恋の沙汰と決まっている」

 馬鹿にしないと言いながら、アザナミの表情から笑みは消えない。テテンも見たことが無い、心底愉快そうに歪んでいる少年の顔がそこにあった。

「お前さんさ。いまの啖呵、本人の前じゃ絶対に言えないタイプだろう?」

 アザナミの一言に、テテンの赤面が再び羞恥の色を濃くして応える。言葉を返してこないところを見ると、どうやら思い当たる節があるのだろう。なんとも素直な反応が、とても好意的に写った。だからだろうか、

「よし決めた。お前さんに協力してやるよ。あの女の救出に、俺も力を貸してやる」

 アザナミは特段迷うことなく、自然と宣言した。

「事が事だしな。事態にややこしくしちまった責任も、…感じなくも、まぁ無い。けれどそれには一つだけ条件がある」

「条件?」

「もう一度造って欲しいんだよ。境界を越える翼をさ」

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