第三話 “ 空 ”②
いったいどれ程の時間が過ぎたのか。
“空”は何時までも表情を変えることなく。
どこまでも、果てなく。
テテンは突然手いれた本物の翼を持て余しながら、よたよたと空の中で溺れていた。
上にも下にも、右にも左にも、まるで自由の効かない中空で途方に暮れた。目指すべき場所はずっと眼前にあるのだけれど、なにをどうすればそこに辿り着けるかさっぱりわからない。それどころか、自分は今本当に飛んでいるのかさえ怪しく思えてくる。
そうしてあてどなく“空”を飛び回り続けること幾時間。
以前にも一度身を持って実感したことではあったが、人間の「慣れ」という能力は非常に便利なもので。“空”の中で足掻き続ける内に、テテンは次第に飛ぶコツを、まさに身を持って覚え始めていた。
だからといって、いきなりアザナミのように飛べるはずは無く。それでも“ヨルベ”へと辿り着けたのはもはや奇跡としか言いようがなかった。
疲労困憊でよろめきながら、文字通り羽を休めようと、うろ覚えながらもなんとか最下層の部屋まで戻って来たテテンは、そこで違和感を覚えた。
アザナミに連れてこられた部屋は本当にここだったのだろうか、と。
似たような部屋が幾つも並んでいるから、間違えたのかもしれないと、テテンは悩んだ。なぜなら、その部屋に彼女の姿がなかったのだから。
そう思い至った、次の瞬間。
いきなりテテンの身体は背後から押さえつけられ、その喉元にひやりと冷たく、硬い何かが押し当てられた。
「ここはどこ?」
視界の隅で、灰色掛かった長い髪が揺れていた。間違いなく彼女だ。彼女の唇から発せられたであろうその声音は、テテンの知っている柔らかなそれとはまるで真逆で、けれどテテンは、その声を知っている。たったの二度、だけど忘れられるわけが無い。自分の命を狙ってきた、黒マントの人物。その声、雰囲気、そのものだった。
夢であればいいと思った。何かの間違いであってほしかった。
けれどもう駄目だ。確定だった。自分の命を狙った黒マントは、エイシアだ。
「あなたは?」
身動き一つしないテテンの様子に、彼女は訝しげに首に傾げ、押し当てていたナイフを離した。そうして、しげしげとテテンの様子を観察して、
「あなたは、浮遊人……。 やっぱりここは境界なのね?」
テテンの、今はアザナミのそれである姿を見て、エイシアは自分で答を導き出して、愕然と膝を折った。
「そんな…、そんなことって、境界を越えた? どうして? あの状況から? どうやって? あの時、落下する私を……ッ!? テテン! ねぇあなた! 教えて、何故私はここにいるの? ううん、そうじゃない。私をここまで運んだのは、誰?」
掴みかかってくるエイシアは、やはり自分で既に答えを導き出しているようだった。
その答えは間違いではないと、テテンにもそれを隠す理由はなかった。
(「君をここまで運んで来たのは、僕だよ」)
そう口にしようとして、不思議と言葉に詰ってしまう。
よくよく考えれば今のテテンは、アザナミの姿をしているのだ。だったらその言葉は相応しくないのかも知れない。それにもしエイシアが締め上げている浮遊人の正体がテテンだとわかると、今度こそ彼女の右手のナイフで刺されて終りかもしれない。
「君を、ここまで連れて来たのは、翼を背負った、少年だよ…」
テテンは慎重に、たどたどしくも言葉を選びながら、大まかな状況を彼女に伝えた。
エイシアは、テテンが“空”へとやってきたこと、そのテテン―正確には入れ替わったアザナミだが―が元の世界に戻ったことを聞き愕然とした風だった。
「そんな……。間に合わなかったの、私は……。ううん、まだ…。まだ間に合うはず。直ぐに戻れば、でも、万が一のことも考えておかないと……。ともかく、あなた! 一刻も早く私を彼の世界に連れて行って」
打ちひしがれながら、ようやくテテンを解放したエイシアは、ぶつぶつとひとしきり呻くと、噎せ返っている彼の肩に手を置き強引に振り向かせ、今度は襟元を掴んで正面から締め上げた。
不細工ながら、ようやくテテンはエイシアと正面から向き合うことができた。
灰色掛かった長髪を揺らし、色素の薄い瞳を険しく細めるその顔は、見紛う余地も無くテテンの知るエイシアその人だった。
黒マントの彼女をエイシアだと確信しつつも、心のどこかで、それでもまだ、と抵抗を続けていたテテンの淡い願望は、ここに脆くも潰えた。
「ちょ…、泣かないでよ。私、ちょっと混乱しちゃってて、突然、乱暴なことをしてしまってごめんなさい。」
戸惑いながらも手を放すエイシアのその姿がまたいつかの彼女と重なって、余計にテテンの涙を誘う。
「でも、時間が無いの、私にはどうしてもやらなくちゃいけないことがある。だからお願い。私を、彼の世界に連れて行って」
すがるように瞳を潤ませるエイシア。その表情を見ただけで、テテンは無条件で協力したくなる。が、彼女は自分の命を狙っている。そんな彼女に協力することがはたして正しいのか。そもそも世界に渡る方法など知らないテテンに、協力する術など無かった。
煮え切らないテテンの態度に業を煮やした彼女はやがて、「もういい別を探す」と出て行ってしまった。テテンは慌ててその後を追う。
「あの…、教えてほしい。君は、何者なんだい?」
「あなた、からかってるの? 私が何者かなんて、これを見れば一目瞭然でしょう」
そう言って彼女が示したのは左手首にまるで吸い付くように治まっているアッシュシルバーの腕輪。幾つかの朱色の宝石とそれを取り囲むように幾何学模様の装飾が刻まれている。確かに変わったデザインだが、それがなんだというのか、テテンが首を傾げていると、唐突に腕輪の宝石が輝き、何もなかった空間に光の輪が現れた。まるで腕輪を守るように宝石と同じ朱色に輝く極細の光の糸が幾重も折り重なって環状を織り成している。テテンも何度か目にしたことがあった。初めに見たときより心なしか輪の厚みが薄いような気もするが…。
彼女は得意げにしていたが、テテンにはその光が何を意味するのかさっぱりわからない。そんなテテンの態度に、彼女は不満げに口を尖らせた。
「あきれた、まさかこれがわからないの? あなた本当に境界の番人? この環は執行人の証。境界を跨ぎ、世界の秩序を守る為に、空を渡る特権を与えられた越境者の証明よ」
「境界を…跨ぎ?」
「そうよ。ん? あんた、妙に癪に障ると思ったら、私が境界を越えたときに難癖つけてきた奴じゃないの? まさか、私のことをからかってんじゃないでしょうね?」
「境界を、越える? じゃぁ、君は(「僕」)彼とは別の世界の人間なのか」
「当然でしょう?」
「そんな…・。なら、なんで君は(「僕」)彼の命を狙ったりしたんだ」
「どうしてあんたがそのことを?」
「それは……、君たちをここに連れてきたのは僕だから。大体の話は、その時に…」
「そう…。そう言えば、彼に正体、ばれちゃったのよね」
言って、物憂げに溜息を零す彼女は、一体何を考えているのか。揺れる瞳はどこか寂しげで、そのことに彼女自身が戸惑っている風に見えた。
「悪いけど、それは教えられないわ。機密事項なの」
視線に気づいた彼女は、こほんっと小さく息をつき、澄ました風にそっぽを向いた。
「それにしても、これだけ歩いたのに、人っ子一人姿が見えないってどういうことよ」
独りごちるエイシアの言葉に、テテンはアザナミがこの“ヨルベ”には誰もいないと言っていたのを思い出した。
「なんですって、それじゃここにはあんたしかいないってこと?」
肯くテテンに、彼女は悲壮感一杯に表情を歪めて呻いた。そんな彼女を見て、湧き上がる同情心と一緒にこれはチャンスだと、テテンは思った。
「……わかった。僕が、君が彼の住む世界に移動する為の手伝いをするよ」
「本当に?」
「ただし、一つだけ条件がある」
どうせそんなことだろうと思った、とエイシアは諦めた風に嘆息した。
他人の弱みに付け込む行為に、内心を罪悪感で一杯にしながらも、それを悟られないよう、テテンは必死で平静を装った。精一杯不敵な笑みを演出してみるも、その表情は強張っていて、今にも崩れてしまいそうに震えていた。
「聞きたいことは同じ。君の目的はなんなの? どうして(「僕」)彼の命を狙うの? 納得できるように説明してくれないかな。じゃないと、協力できない」
言葉に込められた必死さを、一体どう解釈したのか、値踏みをするかのように険悪気に目を細めるエイシア。けれど色素の薄いその瞳からは、明らかな迷いの色が見て取れた。しばしの逡巡を経て、ふと、彼女の瞳から険しさが抜けた。
「わかったわ。話せばいいんでしょ」
どうやら勘弁したようだ。それにしても、自分から仕掛けておいてなんだけれど、とテテンは思考を巡らせた。機密と言いながらこうもあっさりと折れてくれるとは、思ってもみなかった。思考の切替が早いのか、もしかしたら案外逆境に弱いのかもしれない。
「とりあえず、名前を教えてくれない? どうにも話にくいわ」
「ああ、僕は……アザナミ」
「その妙な間は何よ? まぁいいわ。アザナミ。一度しか話さないからね」
そう前置きして、大きく深呼吸するエイシア。そうして、覚悟を決めたかのように真剣な表情で口を開いた。
「私の名前はアイシャ」
「え!!!?」
「何よ? いきなり話の腰を折らないでくれる」
「だって、名前、エイシアじゃ……」
「…ああ、彼から聞いたのね。それはあの世界で使っている偽名よ」
さらりと告げられた言葉は、その軽さとは裏腹にテテンに絶大な衝撃を与えた。彼女の口から語られるまで、エイシアの名が偽名であるなんて可能性すら、テテンは想像もしていなかった。
(僕は、本当に彼女のことを何も知らなかったんだな)
ほんの少し前まで、彼女は自分に心を許してくれていると信じて疑わなかった過日の情景が、見る見る色褪せて、彼女の存在が急速に遠のいたような気がした。
けれど駄目だ。この程度でへこたれていては。これから自分は、彼女の真実に足を踏み入れるのだから。その内容いかんによっては、覚悟を決める必要があるのだから。
「それでは改めて、私の名前はアイシャ。マゼンダの魔法使いよ」
そうしてエイシア改めアイシャの口から語れたのは、テテンの知らない“世界”の、テテンの知らない彼女の事情だった。
インステリア。
テテンの生まれ育った世界とは、まるで違う色をした空を持つ世界。どこまでも高く、遠く、澄んだ空を持つ世界。水玉模様のような雲が浮かぶ、吸い込まれそうな空を持つ世界。“空”と“世界”の境界があやふやなその世界は、テテンの生きる世界とは対照的に、遥かな昔から魔法が栄え、その恩恵を受け発展していった。魔法という名の科学が息づく“世界”だ。
高度に発展した魔法文明は、その力で空を制し、ついには境界を越えるに至った。
それを成したのは天才と呼ばれた、たった一人の魔法使いだった。魔法使いの力で世界は“空”に至り、他の“世界”との交流をもって更なる発展を遂げた。
そんな中において、“空”への道筋を築き上げた偉大な魔法使いの一族には、重要な使命が与えられた。それは、境界を越えた先駆者として、“世界”の平和の維持を司る、執行人としての役割。
偉大なる魔法使いの名を借りて、彼らは“マゼンダの魔法使い”と呼ばれた。アイシャもまた、そんなマゼンダの魔法使いの一人だった。
ことの発端は、少し過去へと遡ったとある日のこと。
始祖マゼンダの一子にして、マゼンダの魔法使いの象徴であった、第一の魔女が没し、七度目の夜を迎えた日、魔法使い達を驚愕させる事態が起こった。
“空”の神と心を通わせ、未来を予見する能力を持つ“空の神子”と呼ばれる特別な魔法使いが、“世界”の破滅を予見したのだ。
破滅の一因を負うのは、とある異世界に住まう者。未だ航空技術さえ確立されていないその世界で、近々境界を越える者が現れる。それが破滅の引き金になる、という。
空の神子が未来を予見した時、それは同時に、彼らマゼンダの魔法使いに執行者としての使命が告げられたことを意味する。
すなわち、世界の破滅に相対せよ、と。
かつてない重大な未来の兆しに、魔法使い達の間に動揺が広がった。
ある者は絶望に膝をおり、ある者は「我こそが救世の名を馳せる」と鼻息荒く名乗りを挙げた。けれど、そんな彼らには執行者を決める権利はない。なぜなら執行者とはなるものでなく。選ばれるものだからだ。
執行者に選ばれる者は、その時々により、人選、人数などまちまちで、定めは無い。まさに神のみぞ知るというものだ。そして執行者に選ばれた者にしか、“世界”を渡ることは許されない。それが“世界”の絶対の理だった。たとえ一見して理不尽な采配であったとしても、そこには必ず意味がある。それを見極める力もまた、執行者に求められる。
多くの仲間達が息を呑む中で、マゼンダの魔法使いの証である利き手の腕輪に紅い光を宿し、執行者に選ばれたのは、並み居る魔法使い達の中でも、経験も実績も最も浅い、新人のアイシャ唯一人だった。
こうしてアイシャは周囲からの不安と絶望と好奇の悲鳴を背に、世界の破滅と相対するために、「境界を越える者」を発見し、それを阻止するという使命を胸に、インステリアを後にした。
境界を越え、〝空〟を渡り、問題となる〝世界〟へと赴いたアイシャは、現地の情報を得るため、多くの人が行き交う街の商店に身を置き、調査を開始した。
その最中、彼女がテテンと出会ったのは偶然だった。
いつものように「境界を越える者」の手がかりを求めて町中を散策していた折に、偶然町外れに廃屋を見つけて、気紛れに足を運んだ。それだけ。ただ純粋にそれだけの理由。
最初は、ただ気の弱い変わった子どもだと思った。けれどテテンのひた向きで、ともすれば滑稽に映るくらいに真直ぐな性格にはとても好感が持てた。せっかくできた地元の人間とのパイプを無駄にすることはない、テテンから何かしらの情報は得られないかと、彼の工房に足を運んだ。
けれどアイシャの中で、そんな言い訳がましい道理が通っていたのも、初めの内だけだった。すぐにそんな目的はただの化粧となり、気づいたときには彼女は単純にテテンとの関係を楽しむようになっていた。
右も左も見通しの悪い異世界に来て、初めてできた心許せる少年とのひと時は、「世界の破滅と相対する」という一個人が背負うにしてはあまりに重い使命を負うアイシャにとって、いつしか何よりの清涼剤となっていた。気づけばそのひと時を心待ちにしている自分に気づいて、それでもアイシャは、自然とそう思う自分が嫌ではなかった。
そうしてテテンと交流を重ね。けれどその中で、とうとう彼女はテテンが造っているものに、彼が追っている夢には気づけなかった。
インステリアでは、飛行する手段としては魔法を使う。過去何度か渡ったことのある異世界の飛行機械はどれも形状が異なっていて、飛行機械の知識に乏しい彼女に、それを看破することは難しかった。
いや、本当は気づくきっかけはいくらでもあって、けれども無意識のうちに、アイシャ自身その話題については触れないようにしていたのかもしれない。
だというのに、それだというのに。あの日、唐突に、よりにもよって当の本人から残酷な現実を知らされることになるなんて、思ってもみなかった。まさかテテンが彼女の前で、飛行して見せようなんて。あんな夢を語ってみせるなんて。
空の神子が予見を違えることは絶対に無い。
テテンの住む町から「境界を越える者」が現れることは間違いない。
動揺したアイシャはその夜、「彼に裏切られた」そんな、自分勝手に湧き上がってくる衝動の命ずるままにテテンを襲った。
けれどその襲撃は、謎の闖入者のせいで未遂に終わってしまった。
未遂に終わって良かったと、後で一人冷静になり後悔した。
まだ本当にテテンが「境界を越える者」とは限らないのだから。
けれども、もう、テテンと会うことはできそうになかった。例えそれがどのような想いであれ、これ以上情を移すわけにはいかない。なにより、一度は彼を殺そうとした自分が、どんな顔をして会いにいけるというのか。
そうして、自覚も無く謳歌していた彼女のモラトリアムは終了した。
その後の彼女は、体力、知識、魔法、時間、自己の持てうる全てを駆使して、飛行機械を探し求めた。今まで避けていた町に乱立する工場の奥にまで忍び込み、温存していた魔法の力に頼り、飛行機械についての情報を探した。けれどそうして綿密に調査を続けるほど、テテンに対する疑惑は色を濃くするばかりだった。
そんな日々の内、沸き立つ疑心と使命感に耐え切れなくなって、何度かテテンの下に赴いたりもした。当然もう今までのように顔を合わせることはできない。全身黒尽くめの仕事着姿で、だ。
けれどアイシャがテテンと会うことは叶わなかった。なぜなら彼は、廃屋仕立ての工房は引き払い自宅に戻っていたし、なにより陰ながらテテンを守っている存在が、彼との邂逅をさらに困難にしていた。
それらを前に、現状無理にテテンに労力を割くことが、決して得策とは言えない、と言い聞かせアイシャはさらに深く、飛行機械の探索に打ち込んでいった。
だけれども、アイシャの思いとは裏腹に、テテンの翼は日に日に完成していった。
刻々と期限は迫ってくる、そうしておそらくテテンがその研究の成果を発揮するだろう期限の日、アイシャに飛んで見せると約束した運命の日が迫り、
そしてアイシャは覚悟を決めた。
当初の予定通り、「境界を越える者」を、その可能性の一番高いであろう少年を、亡き者にする。それが彼女の使命であり、世界を破滅から救う術なのだから。
マゼンダの魔法使いに、境界を越える執行人になった頃から、自分の心を殺す術くらい心得ている。
そうしてついに大展覧博初日のその日、人ごみに紛れ、彼女はテテンの前に立った。一度は殺した心だ、土壇場の状況で悩むことなどない、決める覚悟などあろうはずがない。
「それなのに、結局はこんな無様な…」
自嘲的な笑みを零しながらアイシャが語ったのは、そういう話だった。
テテンとアイシャは、ヨルベの端に立ち、眼下の“世界”を見下ろしていた。
アザナミが渡った、アイシャが向かう、そしてテテンが帰る、“世界”。
アザナミは言っていた、案内人の導きが越境の条件の一つと。アザナミがテテンの手を持った途端、彼は空に消えてしまった。あれが境界を越えるということなら、いま浮遊人の身体であるテテンが一緒なら、アイシャも境界を越えることができるかもしれない。確信はない。けれど例え勢いで口をついたでまかせでも、彼女に対して嘘はつきたくは無かった。
なによりも、テテンはすでに覚悟を決めていた。
彼女に協力しようと。
彼女の言葉の全てを理解したわけじゃない。納得したわけじゃない。
世界の破滅と言われたところでピンとこない、なぜ自分が境界を越えたことがそれにつながるのかが、さっぱりわからない。けれど、そんなことよりも、テテンは目の前で真剣に悩んでいるアイシャの姿を前にして、黙って見ていることができなかった。
「どうしたの?」
「なんでもないよ。さぁ、行こう」
相当の覚悟でアイシャの手を取り、身投げするように二人重なって空へと飛び出した。
瞬間、襲い来る落下感。“世界”の引力に引かれて、“空”の中を流される。
「ちょっ…! 大丈夫なの? この間とはなんだか様子が違うけど……」
「わ…わからないけど、でも、きっと大丈夫!」
「わからないって!!」
そうして二人は空を行く。
ずっと。
ずっと、ずっと。
………ずっと。
「って! いつになったら着くのよ!!」
「大丈夫! …きっと……?」
「何で尻すぼみなのよ!? っていうか、やっぱり私のことをからかってるでしょ」
「違っ…」
「もういい、放して! 他の案内人を探すわ!」
そう言うや直ぐに、かざしたアイシャの左手の腕輪が朱い光を放つ。腕輪の周りに幾重もの光の糸を束ねた紅い環が現れる。その内、一本の光の糸が環から離れて、アイシャの足に絡みつく。
その瞬間、アイシャの身体が空中で静止した。
「ちょ、待ってよ!」
アイシャに振りほどかれないよう、テテンは必死で翼を動かした。
「やめて! 放してよ」
やっぱり慣れない翼に翻弄されて、めちゃくちゃな方向に飛び出すテテンに引っ張られて、アイシャも空中でバランスを崩した。互いに体制を立て直そうとして、てんでばらばらに体制を崩し、二人は空中で不自然に絡み合う。
その時、突然周囲の風景が歪み、気付けばテテン達は何も無い空間にいた。
何も無い、どこまでも何も無い、空の色さえもない白。
(これは、光?)
その中に飲み込まれて、自分が溶けていくような感覚。奇妙な浮遊感に全身支配され、恍惚なまでの嫌悪感に眩暈をおぼえた次の瞬間。
急に視界が開け、二人は再び空の只中に放り出された。
けれど先ほどまでの“空”とは違う。言葉では言い表せないが、どこかテテンの慣れ親しんだ匂いが大気の中に充満している。目の前に、とある景色が広がる。
果てなく続く山脈と、裾野に続く煙色の街並み、そこから少し離れた場所にある湖。それらの光景が、刻々と眼前に迫ってくる。
テテンは急ぎ翼を動かしたが、その身体が浮き上がろうとする気配は全く無い。思わずアイシャの身体にしがみつくも、いつの間にかアイシャの足に絡み付いていた光の糸も消えていた。
「「うそだーーーーー!!」」
自重と大地の引力に引っ張られ、空の景色を揺ら揺らと映し出す湖面へ向けて、テテン達は一直線に落下していく。
こうして二人は、再び“世界”へと帰還した。