いつまでも愛されていると思っていたのですか? と枯れ葉令嬢は言った 【コミカライズ】
枯れ葉シリーズは、枯れ葉と呼ばれる少女の別個の作品となっています。
よろしくお願いいたします。
青銅の扉が重い音をたてて開いた。
扉には浮き彫りがしてあり紋章の百合の花々で縁取られて、優美さを際立せている。
「行ってらっしゃい、マリエル」
「ええ、楽しんでくるわ。お姉様」
マリエルの双子の姉マリージェリンは、夜会に出席するために華やかに着飾った妹を執事や使用人とともに頭を下げて見送った。
18年前に、侯爵家の双子として生まれたマリージェリンとマリエル。
王国では、性別に関係なく長子が後継者と定められた法律がある。
ゆえにマリージェリンは、後継者となるべく厳しく教育されて育てられた。
両親の期待にこたえ、マリージェリンは素晴らしく有能な後継者に成長した。
その一方で妹のマリエルは、蝶よ花よと甘やかされて我が世の春とばかりに傲慢な性格に成長した。母親が、自分にそっくりなマリエルを砂糖菓子のように甘く盲愛したことに原因があった。父親が、母親に任せっきりで双子の養育に口出しをなかったことにも要因があった。
「お姉様のお菓子が欲しいわ」
「お姉様のドレスが欲しいわ」
「お姉様の宝石が欲しいわ」
「お姉様のーーーー」
わがままが全て通るマリエルは、マリージェリンの持ち物を奪いとることに罪の意識はなく、マリージェリン自身も抵抗はしなかった。母親がマリージェリンを激しく叱責するからだ。姉なのだから妹に譲って当然、と。
そして美しいもの雅やかなもの豪華なものは、マリエルに。
マリエルは、それらを身に纏ってきらびやかに装い、金髪青目の可愛らしい容姿から花のようだと称えられて。
マリエルの隣で、くすんだ古っぽいドレスを着たマリージェリンは茶髪茶目の地味な容姿から枯れ葉のようだと陰口を囁かれたのだった。
可愛いと愛されるマリエルと、賢くとも容姿で見下され我慢するしかないマリージェリン。
マリージェリンも愛されたかった、マリエルのように。そのために、教養を身につけて知識を増やして侯爵家の誇れる後継者として寝る間も惜しんで勉強をして。
髪や肌の手入れもして、数少ないドレスを工夫して両親から可愛いと思ってもらえるように精一杯に努力もした。
けれども、マリージェリンは愛する娘ではなく、両親にとって優秀な後継者としての価値しかなかった。
マリエルが母親と買い物に行き、観劇を楽しみ、お茶会でお喋りをしている間マリージェリンは、執事とともに将来の領主として領地の仕事をしていた。家族からは褒められることもなく甘やかされることもなく、労いの言葉もなかった。
そんな子ども時代のマリージェリンに蓄積されていったのは、不安であった。愛されない自分が人よりも秀でた後継者ではなくなった時、見捨てられるのでは、という不安が凝固して体内に澱み、両親に言われる通りに必死に行動することしかできなかった。切り立った崖っぷちの細い一本道のように。足下の底無しの奈落みたいな暗闇を感じながら、マリージェリンは後継者としての勉強にすがりついたのだった。
しかしマリージェリンは。
成長するとともに執事といっしょに政務をして領地をまわり、情報を蓄え、知らないことを知って。見えていなかったものが見えるようになっていった。
そして、マリージェリンが17歳の時。
マリージェリンには、半年後には結婚する予定の婚約者がいたが、この婚約者が浮気をしたのだ。
王国では血を継ぐ者が当主となる。マリージェリンが次期侯爵となり、婚約者は婿に入るはずであったが。浮気相手がマリエルであったため、全てが入れ替えられてしまったのである。
婚約者と婚儀を結ぶのは、マリエルに。
侯爵家の次の当主となるのも、マリエルに。
マリエルにとっては、マリージェリンのものは自分のものであるのが至極当然で。マリージェリンの婚約者も次期侯爵の座も、自分に与えられるべきものであった。
父親は、法的に問題があると難色を示したが、妻の実家から領地の河川工事に際して莫大な資金援助を受けていたことから強く反対する態度がとれなかった。結局ずるずると妻の言いなりとなって、賄賂を使って貴族院において後継者の差し替えをしてしまったのである。
「おまえは病弱のため、マリエルが次の侯爵となる。よいな?」
父親は、ザクロの実が口を開けたような呵責が心に巣食い、早口で断言した。後ろめたさに苛まれ、マリージェリンの反論を制した。聞きたくなかったのである。
幼い時に厳しい後継者教育が始まって以来、わがままを言ったこともなく逆らったこともなく常に心を表面に出さず従ってきたマリージェリンは、
「それは決定事項なのですね、お父様? はい、了承いたしましたわ」
と苦悩や苦痛をいつもと同じくあらわすことなく頷いた。
「では、私は他家に嫁ぐと言うことでしょうか?」
「いいや。マリエルは当主の仕事ができない、おまえが補助をしてやってくれ」
「それは使用人になれ、と?」
「家族として助けてやってほしいのだ」
つまり、働いても功績はマリエルのものとなる無給の労働力となれ、と告げる父親にマリージェリンはグッと奥歯を噛んだ。父親を睨み付けたくなる気持ちを意志の力で抑え込む。
一時の感情に振り回されてはならない。
マリージェリンは、屈辱で震えかける背筋を伸ばした。
侯爵家の後継者でありながら、ずっと家族から尊重もされず蔑ろにされてきた。
両親から失望されることが怖くて恐ろしくて、びくびくしていた時期もあった。
それでも、自分が侯爵家の後継者であるという矜持が、萎れた花みたいに俯きそうになる頭を毅然と上げさせてきたが、それも今日までだ。
マリージェリンは、婚約者の浮気を知っていた。マリエルの行動も。瞬きひとつの時間で、すばやく思考をめぐらした。
沈黙は短かった。
私が、マリエルの補助。
あの愚かしいマリエルの?
見たいものしか見ず、聞きたいものしか聞かず、自分本位の極致で承認欲求の塊みたいなマリエルの?
マリエルが当主なんて、お父様は侯爵家を潰すおつもりなのかしら、いえ、お父様は考えることを放棄しているわね。最近は仕事だって私と執事に丸投げだし。お父様は厄介事が嫌いだもの。
嗤いそうになる衝動をマリージェリンは喉に流し込んで、
「半年後の結婚式は、では私からマリエルへの花嫁の交代でおこなうのでしょうか?」
と父親に尋ねた。侯爵家の結婚式である。準備や費用を計算すれば、そのまま利用するのが一番妥当だろう。その上、父親には急ぐ理由があった。
「そうだ。急ぐ必要がある、マリエルは妊娠しているのだ」
「わかりました。しかし招待状はすでに各家に送られています、花嫁の名前は私で。それに3年も婚約をしていたのですから、周囲も突然の花嫁の交代は不審に思うはずです。醜聞は間違いなしですわ」
「ですので、お父様」
冬空に残った熟るる木の実のように赤い唇から、マリージェリンは父親が同意するであろう言葉をもらした。うてる有効なよりよい手段は他にもあるが、それよりも父親の望み通りの言葉を。
「侯爵家の体面を守るために、結婚式と同時に爵位の譲渡もおこなってはいかがでしょうか? 侯爵家を腐蝕する泥土のような醜聞を、幸福な慶事を重ねることで濃霧のごとく覆い隠すのです。影を払拭するには光ですわ。人々の目を祝い事に向けさせるのです」
「もちろん悪い噂の残滓はなごりのように残るでしょうが、注目度は低くなるかと考えられます。と愚考いたしますが?」
父親は唸った。深く考え込む。
普通は、浮気をした婚約者とマリエルを結婚させて侯爵家の外に出すのが、手軽な問題解決方法だ。しかし、それでは母親が納得しない。母親もマリエルも侯爵家を継ぐことを望んでいる。
そのためにマリージェリンを使い潰そうとしているのだ。
確かにマリージェリンがマリエルの補佐につけば、侯爵家は安泰である。マリージェリンの能力は高い。今回のように侯爵家を立派に守れるほどに秀抜である。
どう足掻いても、酷すぎる醜聞なのである。
妹が姉の婚約者を寝とって、しかも妊娠。
急遽の花嫁の交代。
最悪なのが、侯爵家の当主の座に法的に認められた長子の姉ではなく妹が座る──これで醜聞にならないはずがないのだ。
あとは傷つく家名の被害を最小限におさえる手段だが、父親にはマリージェリンの提案が最上だと思えた。それに、汚名にまみれる侯爵家の当主でいることに耐え難かった。
父親は、苦渋をたっぷり含んだ溜め息をついた。
「そうだな、それが最善手かもしれぬな……」
自室に戻ると、マリージェリンを黒髪の執事が待っていた。
「予定通り、このまま逃亡しますか?」
「いいえ、踏みつけにされたまま逃げ出すのはイヤ。それに、私、わがままを言いたくなったの。私も幸せになりたい、というわがままを」
強い風をものともせず真っ直ぐに飛ぶ鳥のように、マリージェリンの目は決意に輝いていた。
そうして、半年後にマリエルの結婚式は盛大におこなわれて。
マリエルが侯爵となり。
さらに、1年後。
18歳のマリージェリンは、マリエルを見送って下げていた頭を上げて、
「さようなら、マリエル」
と微笑んだ。
マリエルが侯爵位を継承して、たった1年。
たったの1年間で侯爵家は、沈む船のように傾いていた。
侯爵家の領地は、王国の食糧庫と称賛される豊かな大地である。
代々の蓄財もあった。
しかし、それらはマリエルとマリエルの夫となった元婚約者の度を過ぎた浪費により瞬く間に湯水のごとく散財されたのだ。
国宝級の宝石を求め、王妃よりも豪奢なドレスを仕立てて、侯爵邸にて連夜の豪華絢爛なパーティー三昧。財貨がなくなり借金を重ねても、マリエルは綺羅星のような華美な生活を続けたのだった。
両親は、社交界に流れるマリエルの噂に辟易した母親の希望で外国を長期にわたり旅行中だった。
マリージェリンはマリエルを止めなかった。お金は使えばなくなるということを、マリージェリンはマリエルに教えることもなかった。
少し考えればわかることだ。収入よりも支出が限度を超えて遥かに巨費となればどうなるか。説明するまでもない。
マリージェリンは、たんたんと侯爵家の実務をこなして、毎日マリエルに書類の確認を要求した。だが、マリエルは内容が理解できず読むことすら嫌がった。必然的にマリエルは、マリージェリンが作成した書類に署名するだけとなった。面倒事は投げ出す性格だったので、白紙の書類に先に署名してマリージェリンに渡すこともあったほどだった。
「わずらわしい書類なんていらないわ。全部お姉様が処理をしてちょうだい。ほら、サインはしたからサッサと働いて。それより商人はまだ? あのステキなダイヤモンドで今度の夜会も私が主役になるのだから」
とマリエルの侯爵としての仕事は、マリージェリンに命令をすることだけであった。
マリエルは、18年間従順であったマリージェリンが裏切る可能性をこれっぽっちも疑ったことがなかったのである。
物事を的確に見抜く賢いマリージェリンの目には、マリエルも母親に歪められた被害者に映った。けれども同時にマリエルは、マリージェリンを蝶々の羽をむしるように残酷に扱って喜ぶ加害者でもあった。
双子として誕生したマリージェリンとマリエルは、天の女神と地の女神の神話のごとくもはや交わることはできなくなっていたのである。
結果として、侯爵家には膨大な負債が積み上げられることとなったのだった。
マリエルの馬車が出て行った青銅の門からは、次々と大小の様々な馬車が入ってきた。商人たちの馬車である。
それとは別に、王家の紋章が刻まれた馬車も静かに停まっていた。周辺には兵士の姿も多数みられた。
別名、借金取りと呼ばれる人々は我先に侯爵邸へ突入した。侯爵の執務室は王家の監査のために入室禁止であるが、それ以外の侯爵夫人の部屋もマリエルの部屋も商人たちが洪水のように雪崩れこむ。
宝石、ドレス、靴、帽子、小物。高級な家具も高価な美術品も、食器から絨毯にいたるまで屋敷中のあらゆるものが持ち出された。
「はーい。借金のかたにどんどん持っていって下さいね。早い者勝ちですよ~。足らない方は、侯爵に請求して下さいね~」
とマリージェリンが楽しげに声を出す。
「さぁ、あなたたちも並んで並んで」
屋敷の使用人たちと一人一人握手しては、マリージェリンは金貨の小袋と紹介状を手渡した。
「今までありがとう。どうか元気でね」
「お嬢様……ッ!」
涙ぐむ使用人たちは、マリージェリンの後ろに立つ黒髪の執事に念をおす。
「頼むぞ。お嬢様を、お嬢様を、頼んだぞ」
黒髪の執事は真摯な色を表情にたたえ、即答する。
「命にかえてもお守りします、安心して下さい」
ちょうどその時、新たな馬車が青銅の門をくぐった。
外国から帰宅した元侯爵夫妻の馬車であった。
「捕えろっ!!」
兵士たちが元侯爵夫妻に縄をかける。
「無礼なっ! わたしは元侯爵だぞっ!」
元侯爵夫妻は抵抗するが兵士たちは手をゆるめない。かえって乱暴さが増した。
「元侯爵がなんだっ! おまえたちは王国法違反により貴族籍の剥奪が決定しているっ!」
「王国法違反だと!?」
叫ぶ元侯爵──父親に、マリージェリンは歩み寄った。
「お帰りなさいませ。ええ、王国法違反です。貴族院に虚偽申請をなさったでしょう? 私が病弱ゆえにマリエルを当主とする、と」
マリージェリンはニコニコと笑った。マリージェリンの背後には黒髪の執事がいる。
「私、健康であるとの診断書を複数の医師に書いてもらって、それを貴族院に提出しましたの。でも、診断書がなくても病弱であるはずの私がマリエルの代わりに仕事をして、彼方此方で動きまわっているのですもの。誰だって疑いますわ。私を後継者から引きずりおろしたのに、マリエルの補佐にしたのは悪手でしたわねぇ」
「国王陛下直属の貴族院への虚偽は重大な罪となります。貴族ですもの、ご存知ですよね? 嘘偽りの報告は大罪である、と。ましてや正統な継承者を廃嫡するためとあっては、尚更に罪は重くなりますわ」
辛辣さを穏やかに包んでマリージェリンが言葉を綴った。
「私が侯爵家の当主となった暁には、マリエルもろとも排除しようと思っていましたが、まさか自滅するとは予想外でしたわ」
元侯爵夫妻は、驚愕のあまり口を大きく開けて唖然としている。逆らうこともなく奴隷のように服従する娘だと信じていたのだ。
「私は、お父様とお母様を心から愛していましたわ。愛して、愛されたかった。お母様は私の愛の上に胡座をかいて、いつまでも私の愛が継続すると勘違いなさっていらっしゃったけれども、私の愛はとうに消え失せていたのですよ。お父様にもお母様にもマリエルにも元婚約者にも」
「連れていけ!」
兵士たちに縄を引っ張られて、痛みに元侯爵夫妻は我にかえって喚き出した。ころがるように連行される元侯爵夫妻を、凛と見つめるマリージェリンの両眼を黒髪の執事は掌で優しく覆ったのだった。
「無理はなさらずに、マリージェリン様」
「平気よ、でも、ありがとう。アルヴィス」
黒髪の執事アルヴィスに抱きしめられるマリージェリンの耳に、こほん、と咳払いが聞こえた。
あわててマリージェリンとアルヴィスが姿勢をただして礼をとる。
「ああ、楽にして、楽にして」
若い恋人たちにほほえましげに目を細めて初老の男性が、王家の紋章付きの馬車から降りてきた。徴税官である。それも高位貴族専門の徴税官であるので、身分は末端であるが王族であった。
王国では、税に関しての厳格な法制度があるのだ。
「久しぶりだね、マリージェリン嬢。ほぼ1年ぶりかな」
1年前マリージェリンは、この男性に密かに接触した。
以前から王家は、侯爵家の穀倉地帯を狙っていた。それを知っていたマリージェリンは領民の保護を引き換えに取り引きを申し出たのだ。
「マリージェリン嬢の言う通りになったね。君の妹は本当に愚かだ。たった1年で侯爵家は、税金を納めることもできないくらいに窮乏するなんて」
「マリエルは侯爵としての覚悟も素養もなく、教育もされていませんでした。しかもマリエルは優越感に浸るタイプで。他人から羨望を浴びることを無上の快感としていました。少し煽るだけで、贅を極めた生活に堕ちて行きました」
本当にほんの少し煽っただけなのですけど、と苦笑するマリージェリンに初老の男性は、
「借金だらけの現侯爵に侯爵位と侯爵領の税金を納めることは不可能だ。莫大な金額だからね。事情があれば未納であっても猶予を与えられるが、現侯爵には情状酌量の余地がない。救済措置もあるのに現侯爵は手続きすらしていない。何よりこのままでは現侯爵に侯爵領は食い潰される、と国王陛下は判断なされた。領地も爵位も王家に返納されることになるだろう」
と濁すこともなく明確に言った。
「はい。どうか領民のことお願い申し上げます」
マリージェリンは頭を垂れた。
「安心しなさい。大事な穀倉地帯の農民たちだ。王家の直轄領として大切にするよ。それとマリージェリン嬢が案じていた現侯爵の子どもだが、王家が運営する学校つきの孤児院に入れられる。この爺が後見人となるから悪いようにはしないよ」
マリージェリンは、ほっと息をはいた。
これで何も心配はない。
「これからどうするのだね?」
「はい。もう侯爵家から離籍していますから、彼、アルヴィスとともに旅に出ようかと」
現侯爵のマリエルは書類の内容も把握せずに署名をした。マリージェリンの侯爵家からの絶縁届けの書類も。
初老の男性は従者に目配せをした。
従者は、ずっしりとした袋を載せた盆を捧げ持っていた。
「これを持っておいき。お金は邪魔にならないからね」
「いえ、でも、あのその、マリエルは書類を確認していなかったので、私はこっそりお給料をいただいていたのです」
「それはそれ、これはこれ。爺からの贈り物だ、旅の無事を祈っているよ」
高位貴族たちからは、枯れ葉のようだと後ろ指をさされた茶髪茶目は平民に圧倒的に多い色合いである。貴族は淡い色彩を所有して、平民は濃い色彩を持つのだ。
誰も、母親のように品のない色と蔑まないし、マリエルのように汚い色と嘲笑しない。マリージェリンは、一面に敷き詰められた落ち葉のように平民に紛れこむことができるだろう。黒髪のアルヴィスも同様に。
アルヴィスは、侯爵家で代々執事を務める家系だった。
父親が執事で、アルヴィスも執事になった。卓抜した才があり、何事にも抜かりのない優れた執事であった。
マリージェリンより10歳年上で、両親に反抗できない弱い立場にいるマリージェリンに心配りをして幼い頃からそっと助け続けてくれていた。
アルヴィスにとってマリージェリンは。菫の花のように小さくて、冬の小鳥のように可愛くて哀れな存在だった。
侯爵家の使用人たちも、マリージェリンに同情的だったからアルヴィスに協力的であった。もっともアルヴィスは、凡庸な侯爵と社交で留守をする侯爵夫人にかわり侯爵領と屋敷を掌中におさめていたので邪魔者はいなかったのであるが。
アルヴィスはマリージェリンの手を引いて。
春の花を見せた。
暖かな陽光を浴びて咲き匂う花々は地上の星のように色鮮やかで。
夏の花は。
きらめく風にそよぎ蝶を誘い、花と蝶だけの世界をつくり。
秋の花は。
澄んだ水に、藪に鳴く虫の音に、木間隠れの月に、散るも残るも美しく花と葉を散らして。
冬の花は。
凍る空気に水滴が氷の結晶となり草花に付着してガラス細工のように半透明に輝き。
世界は美しく、生きる場所は侯爵家以外にもあるのだと導いてくれた。
両親に立ち向かう勇気をくれたのもアルヴィスであった。決してひとりにはしない、と。ひとりで闘わせたりはしない、と。
そしてマリージェリンが婚約破棄をされた時点を契機に。この頃にはアルヴィスは、骨の髄までマリージェリンへの独占欲に侵食されていたので、いよいよ執事の仮面を剥ぎ取ってマリージェリンに求婚を始めたのだった。
アルヴィスは堂々とマリージェリンを溺愛するようになった。
マリージェリンに愛される嬉しさを教えて。
甘やかされる喜びを教えて。
そしてアルヴィスとマリージェリンは恋人となり、心を通いあわせたのだった。
マリージェリンとアルヴィスは、もう一度深く初老の男性に礼をした。
それから、青銅の門へと向かった。
「帰ってきたら、マリエルはびっくりするわね」
「ふふふ、そうですね、マリージェリン様。屋敷はからっぽの上、税金の滞納で捕縛されてしまうのですから」
マリージェリンは不満げに頬をふくらませた。
「もう貴族ではないのだから、マリージェリンと呼んで?」
「了解です。愛しの可愛いマリージェリン」
そうして、明るく笑いながらマリージェリンとアルヴィスは手をつないで、青銅の門から屋敷を振り返ることもなく出て行ったのだった。
読んで下さりありがとうございました。