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第四十話 絶望

「お連れしましたわ」


 ドサリ。


 菊花(きっか)の隣に、何かが突き飛ばされた。

 綺麗に磨かれた床の上に、銀糸が散らばる。


 否、銀糸ではない。サラサラと流れるように散らばるのは、髪の毛だ。

 それも、菊花がよく知る人物の。


香樹(こうじゅ)……!)


 文字通り声にならない叫びを上げて、菊花は身をよじった。

 椅子に括り付けられているせいで、床に転がされている香樹の状態がよく分からない。

 ガタガタと椅子を揺らしていると、背後から「うるさいわよ」と不機嫌な声でたしなめられた。


(こう)家自慢の媚薬にも屈しないなんて。毒に慣れた体というのは本当に、厄介ですわね」


 カツカツ、と足音が近づく。

 床に転がされる香樹の横を通り、菊花の目の前にいる男の隣で、彼女──珠瑛(しゅえい)は止まった。


「媚薬も効かぬか。ならば、仕方あるまい。やはり当初の予定通り、この二人には死んでもらって、おまえには新しい皇帝の正妃になってもらう」


「そうしましょう、お父様」


 お父様、と珠瑛は確かに言った。

 目の前にいる男はやはり、蘭瑛(らんえい)だったのだ。


 だが菊花にとっては、そんなことは瑣末(さまつ)なことだった。

 心配なことがある。香樹だ。


 床に転がされたままの彼は、浅く息はしているものの身動き一つしない。

 体を丸めて、まるで冬眠中の蛇のようにピクリとも動かないのだ。


(香樹!)


 ガタガタと椅子を揺らし続けていたら、弾みで床に転がる。

 それでも芋虫みたいに床を這って香樹のもとへ行こうとする菊花に、黄父娘(おやこ)は嘲笑を向けた。


「なに、心配することはない。次の皇帝はもう、決めてある。先帝の妹御が産んだ男が、()の国にいるのだ。金の髪に青の目を持つらしい。異国の人形のように可愛らしい顔立ちをしているそうだからな。おまえもきっと気に入る。呼び寄せる手筈は既に、整っておる。おまえはただ、待っているだけで良い」


「まぁ! では、予定通り、彼女と陛下は殺すのですね? 菊花様は正妃に選ばれなかったことを苦にして無理心中を図り、恐れ多くも皇帝陛下を毒殺。そしてその後、服毒自殺をする……筋書きは、これでよろしかったでしょうか?」


「ああ、そうだ。既に娘の方には夾蓮花(きょうれんか)の毒を注射してある。ほら、見てみろ、あの真っ赤な顔を。じきに意識が混濁し、脳が破壊され、死んでいくだろうよ。それで? 珠瑛、おまえの方はどうなのだ?」


「滞りなく。香樹様には、白梅草(はくばいそう)の毒を飲ませてありますわ。毒蛇ですら死に至る、特別な毒……眠るように死ねるなんて、ちょっとつまらないですけれど」


 少しくらい苦しんだ方が、面白いですわ。

 そう言って、珠瑛は真っ赤な唇を歪めた。


 菊花の脳裏に、過ぎる動物がいる──猫鼬(マングース)だ。

 かわいらしい見た目をしているが、毒蛇をも食らう生き物である。


「そう言うな。毒に慣らされた皇族をも殺す毒など、早々作れぬ。白梅草とて、何十年も研究してようやく完成したのだぞ」


「皇族しか殺せないなんて、つまらない毒ですわ。もがき苦しんで、苦しんで苦しんで死んでいくのが面白いのですよ? ああ、嫌ですわ。また殺したくなってきてしまいました」


「仕方のない子だなぁ。じわじわとやるつもりだったが、とっておきの仕掛けを教えてやろう。実はな、この部屋には毒が仕込まれているのだ。皇族は殺せないが、もう一人は……見るも無残な死体になるだろう」


「まぁ、すてき! でもお父様。こんなに一気に殺してしまって宜しいんですの? お父様の破壊衝動は、皇族が死ぬことで落ち着かれるのでしょう?」


「構わぬ。その時はその時だ。どうにもならない時は適当に選んで気分転換させてもらえば良い」


 黄父娘は、まるで雑談をするように笑い声を上げながら話し続ける。

 信じられない話ばかりで、菊花は夢だと思いたくなった。


(だけど、これは現実)


 どうにかして、現状を打破しないといけない。

 唇を噛みしめ、菊花は熱に耐えながら考える。


(たとえ私が死んでしまったとしても。せめて香樹だけは、生き延びてもらわないといけない)


 なにか、なにかないだろうか。

 必死になって周囲を観察する菊花の目に映ったのは、足首に巻き付いている香樹の兄の姿。


(白い紅梅草の毒で亡くなった、香樹のお兄さん。彼なら、もしかして……)


 ある可能性を見いだして、菊花の目が輝く。


 その時、微かに足音が聞こえてきた。

 近くなったり、遠くなったり、何かを探しているような声も聞こえてくる。


「おっと、もうこんな近くまで探しに来たか。では珠瑛、私たちも陛下を探しに行くとしよう」


「そうですね、お父様。死にざまを観察できないのは残念ですけれど、せめて最期くらいは二人きりにしてあげますわ。だから、ちゃんと死んでくださいね? では、ごきげんよう。あの世でお幸せに」


 まるで結婚した二人を祝福するような口ぶりで、珠瑛はクスクスと笑った。

 その顔はとびきり美しくて、とびきり醜悪である。


 珠瑛を連れ立って、蘭瑛は部屋を出て行く。

 それからすぐに、仕掛けは動き出した。


 カラカラカラ、と。

 歯車が回る不気味な音が聞こえだし、何かがはじまる。

 不気味なカラクリ音は、まるで菊花の命の残り時間を数える悪鬼の声のよう。


 絶望に目の前が真っ暗になりそうだ。

 それでも菊花はなんとか香樹だけでもと、その一心で耳を澄ませた。

 扉の向こうで、大勢の話し声が聞こえてくる。


「蘭瑛様! 陛下は……」


「こちらにはいないようだ」


「そうですか」


「ええ。あちこち見てきましたが、陛下はいらっしゃいませんでしたわ。別の所へ行っているのかもしれません」


 助けてと叫べたら、どんなに良かったか。

 だけれど、菊花はしゃべれない。

 声は、足音とともに遠ざかって行ってしまった。


読んでくださり、ありがとうございます。

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