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第四話 予言

「……あれ?」


 ボロ家とまではいかないがすてきな家とも言い難いわが家。

 その前に見慣れないものを見つけて、菊花(きっか)は首をかしげた。


 いつものように食費を稼ぐために山へ分け入り、帰ってきたところだった。

 そんな彼女はかごを背負ったまま、服はドロドロのひどいありさまである。どこかで転んだのか、あごのあたりにも泥がついていた。


「どうして馬車がこんな場所に?」


 馬車なんて、貴族が乗るものである。

 平民である菊花はもちろん、今は亡き両親だって縁があったとは思えない。

 こんな田舎の、さらに町外れにある菊花の家の前に停まっているなんて、おかしな話だ。


(道に迷ったのかしら?)


 この辺りまで馬車で来るのは、さぞ大変だっただろう。

 道は整備されていないし、菊花の家は山のそばにあるのだから。

 馬にとっては、迷惑な話である。


(山を越えてきたのか、これから越えるのか……どちらにしても、馬からしてみれば地獄のような仕打ちね)


 菊花は背負っていたかごを下ろすと、畑の隅に転がっていた桶に水を汲み、どこか疲れた顔をしている馬たちに水を与えた。

 馬たちにつけられた装飾品は、それなりに上等なものだ。その後ろにつながれた、馬車もしかり。


「貴族ってまではいかないけれど、それなりに裕福そうな馬車ねぇ」


 商売に成功した商人あたりが乗っていそうな馬車だ。

 こんな田舎でも、それくらいなら見たことはある。


 もっとも、貴族の馬車なんて菊花は見たこともなかったから、あくまで彼女の独断と偏見による感想でしかない。

 貴族といえば、皇帝陛下より偉くはないけれど雲の上のお人なのだから、目も(くら)むような豪華な馬車に乗っているに違いないと、思ったことがポロリと口から滑り出ただけである。


「おい」


 馬車を見上げていたら、不機嫌そうな声がして、窓から男が顔を出した。

 その瞬間、眩しい光が菊花の目に降り注ぐ。

 慌てて目を背けていると、一人の男が馬車からえっちらおっちら降りてきた。


 ふくよかな体形をした男だ。

 髪の両脇は油のようなもので塗り固められていて、てっぺんである頭頂部はビカビカと日の光を反射させている。


(眩しかったのは、これのせいね)


 脂ぎった頭頂部は、鏡のようになるらしい。

 初めて知った知識を、菊花はこっそり心の手帳に書き記した。


 菊花は、いろいろなことを知るのが大好きだ。

 貴族ではないために学校へは行けないが、新しいことを知るたびに心の手帳に書き込むことにしている。

 本当は紙に書いておきたいのだが、残念なことに家計の問題で難しいのだ。


 新しい知識に上機嫌になっていると、男が菊花の方へ歩み寄ってきた。

 でっぷりとした腹は、歩くたびにタプタプ揺れる。


(走る時、大変なのよねぇ)


 菊花の場合は、腹より胸の方がよく揺れる。

 走るとボヨンボヨンして、非常に走りにくいのだ。今日だって、山で遭遇した瓜坊に追いかけられて大変だった。


(美味しそう、って言ったのがまずかったのかしら?)


 しかし、本当に美味しそうに見えたのだ。

 猪の肉は、ごちそうである。


「おまえ、名は?」


 男の目が、いやらしげに濁る。

 猪の肉に思いをはせる菊花は、男の値踏みするような露骨な視線に気付かない。


「おい。聞いているのか?」


「へっ?! あぁ、すみません。菊花と申しますです」


 男の苛立たしげな声に、菊花は慌てて答えた。


「ふむ。声は悪くないな」


 首と一体化したような丸い顎を撫でながら、男は満足げに頷く。

 その視線は相変わらず、ねっとりと菊花を捉えたままだ。

 男は鼻の下に申し訳程度に生えたひげを撫でつけながら、ゆったりと菊花の周りを一周した。


(この人は、一体何をしているのかしら?)


「あのぅ……?」


 問いかけて背後を見れば、男は前を向けと言わんばかりにシッシッと手を振る。


(私、犬じゃないのだけれど!)


 これには菊花も腹が立ったようで、ムスリと顔をしかめた。

 唇を尖らせて、男のお望み通りに前をにらみつける。


「ふぅむ。登月(とうげつ)が目をかけていると聞いたからここまでやってきたが……無駄骨だったな。白い肌は合格だが、それ以外はまるでなっておらん。まぁ、それで良い。私は私で選んだ女を連れて行けば良いだけのこと。このような醜女であれば、早々に脱落するに違いない。とうとう登月にやり返す機会がやってきたぞ」


 菊花のことを犬くらいにしか思っていない男は、彼女の背後でそのように独白していた。


 菊花に学はない。

 だが、常日頃から心の手帳を書き込む習慣があるせいか、記憶力だけは秀でていた。

 そのため、男の何気ないこの独白も、彼女はしっかりと記憶していた。


 そうとも知らず、男はグフグフと変な声を上げながら笑う。


(豚みたいな笑い方ねぇ)


 菊花が失礼なことを考えているとも知らず、男は再びニンマリと気持ちが悪い笑みを浮かべた。

 なんだか背中がゾゾゾとする。菊花は、迫り上がる悪寒に体を震わせた。


「さて、菊花とやら。残念ながら、おまえは私のお眼鏡には適わなかった。だが、諦めることはない。これより数日後、宦官の登月という男がやって来る。その男は、おまえのことを後宮へ連れて行ってくれるだろう。せいぜい、都の素晴らしい光景を目に焼き付けて、すごすごと帰郷するが良い。ではな」


 いかにも悪党というような高らかな笑い声を上げながら、男はえっちらおっちらと馬車に乗り込む。

 言いたいことを言い終えたのか、男の顔は満足げである。


 重たい体は自力で馬車に乗り込むこともできないようで、御者が必死の形相で男を押し上げる。

 ようやく男の体が馬車の中に入ると、車体がギィギィと悲鳴を上げた。


(馬車って、どれくらいの重さなら耐えられるのかしら?)


 ギィギィと悲鳴を上げているあたり、男の体重は許容範囲を超えているのだろう。


(貴族だったらなぁ。こんな計算も、ちょちょいのちょいってできちゃうんだろうなぁ。いいなぁ、貴族。せめてこの人くらい稼げたら、少しくらい学校に潜り込めたりしないかしら?)


 ギッコギッコと音を立てながら、馬車が動き出す。

 菊花はそれを羨ましそうに、見えなくなるまで見つめていた。


読んでくださり、ありがとうございます。

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