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第三十九話 蘭瑛

「……っ!」


 プツンと肌を刺す痛みに、菊花(きっか)は目を覚ました。

 痛みはすぐに広がって、じわじわと熱を帯びる。


(な、に?)


 ぼんやりとした意識の中、菊花は痛みを覚えた腕をさすろうと手を動かした。が、動かない。


 ゆっくりと体を見下ろせば、菊花は椅子に拘束されているようだった。

 手足が椅子に括り付けられている。


桜桃(おうとう)(だま)されたんだ)


 かわいそうに思って戸を開けたら、桜桃の後ろに隠れていた男に引き倒されて、彼女が持ってきていた怪しい香を嗅がされた。

 あれはたぶん、意識を混濁させる香なのだろう。鼻の奥にまだ、甘ったるい匂いが残っている。


(この程度で済んだのは、訓練のおかげね)


 リリーベルに感謝だ。登月(とうげつ)柚安(ゆあん)にも。


 それにしても、ここはどこだろう。

 菊花は、焦点の合わない目を凝らして、周囲を見回した。


 華やかな部屋だ。壁には絵が描かれていて、朱塗りの柱も磨き抜かれている。

 見える範囲にある調度品はどれも、高価そうだった。


 身じろぎするようなかすかな音を頼りに視線を動かすと、椅子に腰掛けた男が見えた。


 ほっそりとした痩せこけた体に、不似合いなくらい上等そうな服。黒い髪には白髪が交じり、男が壮年であることが窺い知れた。

 ぼやけた視界で子細までは分からないが、神経質そうな雰囲気を持つ男である。


(確か桜桃は、私の身柄を蘭瑛(らんえい)に引き渡すと言っていたわ)


 もしや、この男が蘭瑛なのだろうか。

 年齢的には、珠瑛の父親と言われても納得ではあるが……。


「……、……?」


 意を決して声をかけようとして、菊花は驚いた。

 声を出そうとしているのに、ヒュウヒュウと息しか出てこない。

 菊花の喉は声の出し方を忘れてしまったかのように、機能していなかった。


(どうして?)


 その疑問は、目の前の男が答えてくれた。


「どうして、と思っているのだろう? 答えは簡単だ。私が、おまえの声を奪ってやったからだよ」


 男は立ち上がると、ゆらりゆらりと覚束ない足取りで菊花の前へ歩いてきた。

 そして、乱暴に彼女の髪を一房掴み上げる。


「……!」


 ブチブチと音がして、何本かの髪が千切れた。声が出ていたら、「痛い、離して!」と叫んでいたに違いない。

 痛みに顔をしかめながら、菊花は男をにらみつけた。


「おお、怖い怖い。さすが、蛇を手なずけるだけはある。この状況でそんな反抗的な態度が取れるとは。お見それするよ。なんて、愚かな娘だ。声帯を使えなくしておいて正解だったな。そんな状態では、きっとうるさく騒いでいたに違いない」


 私は、女の甲高い声が嫌いなのだ。

 そう言って、男は水たまりの中でふやけたみみずの死骸を見るような目で菊花を見た。


 自分から菊花の髪を掴んできたくせに、髪を掴むことさえ汚いと思ったのか、彼女の髪を投げ捨てて、懐から取り出した手巾で手を拭う。


「ところで、娘。おまえは知っているか? 夾蓮花(きょうれんか)という植物には毒があってな。それを摂取すると、どうなると思う?」


 夾蓮花。蓮の花によく似た綺麗な花だが、毒がある。

 その効果は、体温の上昇。異常なくらいに体温を上げ、死に至らせる。


 だが、薬として使われることもあった。

 薬として使われる場合、霜焼けに効果があるとされている。


 リリーベルの研究室で、菊花はさまざまな毒や薬に触れた。

 そのおかげで、夾蓮花の効果も十分過ぎるくらい理解している。


 先程のプツリと刺されたような感覚は、まさかこれを注射されたのだろうか。

 菊花は信じられないような思いで、目の前の男をにらみ続ける。


「熱が上がるのだ。人はな、体温が許容限界を超えた温度になると、六刻(じゅうにじかん)ほどで死に至る危険性が高くなり、さらにもっと高温になると短時間でも回復できなくなるのだ。ふぅむ。おまえには少々難しい話だったな。つまり、だ。馬鹿なおまえにも分かるように説明すると……」


 男の唇が、奇妙に引き攣れる。

 気持ち悪さに、思わず菊花は身を引いた。


「おまえは、ここで、毒殺される。私の手によって、な」


 男の手から、注射器がスルリと落ちた。

 かたい石の床の上に落ちたそれが、四方に飛び散る。


 注入された毒のせいだろう。

 自覚させられたせいなのか、菊花の体が信じられないくらい熱くなる。


 風邪をひいた時以上に、熱くてたまらない。

 今まで何度か死ぬかもしれないと思った菊花だったが、今度こそ本当に死ぬのだと思った。


(動いたら、早く毒が回る。おとなしくしていたら、少しは長く生きられるはず)


 試験に菊花が居なければ、きっと誰かが探してくれるはずだ。

 怖いけれど、それ以外にどうすることもできない。


 菊花のこめかみを、汗が伝う。

 それは毒のせいで熱があるせいなのか、恐怖による汗なのか。


 もっと早く毒に耐性をつけていれば。

 そう思っても、もう遅い。夾蓮花の毒の耐性は、まだなかった。


「死ぬのが怖いか? 大丈夫だ、一人では死なせない。もう一人、道連れを用意しているからな。ん? 誰かって? おまえと一緒に死にたがるやつなんて、一人しかいまいよ」


 男は笑う。楽しそうに。

 言っている内容と表情がちくはぐで、それがとても恐ろしい。

 震える菊花の後ろで、扉が開く音がした。


読んでくださり、ありがとうございます。

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