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第三十五話 獣人

「どうしてうまくいかないのかしら」


 毎夜恒例のお茶会。今日あった出来事を話し終えた菊花(きっか)は、項垂(うなだ)れた。

 今夜ばかりは茶を淹れる気分になれず、「じゃあ僕が」と珍しく柚安(ゆあん)が淹れてくれている。


 甘い匂いが湯気とともに立ちのぼり、部屋の中を漂う。

 (しん)の国ではよく飲まれる、甘茶という茶らしい。

 蜜も入れていないのに、甘い。菊花は一口飲んで、ほぅと息を吐いた。


「でもさ、菊花。今まで随分と悩んでいたみたいだけれど、これで納得しただろう? 自分の、気持ち」


 とは、リリーベルの言葉である。


「そうですね。それはもう、確実に理解しました。だって、あんな気持ちを知らないふりなんて、できないもの」


 思い出すのは、香樹(こうじゅ)と並び立つ珠瑛(しゅえい)に覚えた、殺意にも似たおどろおどろしい気持ち。


 その場所は自分のもの。誰にも、譲れない。


 母のような愛では、絶対に抱くことがない気持ちだ。

 あれは、香樹を異性として見ているからこそ、生まれた気持ちだと思う。


「これからどうしたら良いのかしら。だって、香樹は皇帝陛下なのよ? 皇帝陛下の責任は、とても重い。支えるためには、たくさんの妃が必要なの」


 香樹が抱える重責を、たった一人で支えることなんて不可能だ。

 正妃だけでは支えきれないから、皇帝陛下だけは例外的に一夫多妻制が許されている。


「でも菊花様は……」


 目を伏せて悩む菊花を、柚安が痛ましげに見つめる。


「そう。私は大勢の中の一人なんて、とても耐えられない。もしも香樹が私以外の人と手をつないだり、口づけしたり、抱擁したりしていたら、私は許せない。今日だって、珠瑛様を突き飛ばすところだった。ちょっと近くで話していただけなのに。こんなにも狭量な私が、後宮でやっていけると思う?」


「やっていけないだろうね」


 茶を飲み干したリリーベルが、静かに茶杯を卓に置く。

 でも、と彼女は話を続けた。


「私は、一夫多妻制にこだわる必要もないと思う。菊花は支えられないなんて言うけれど、本当にそうかな? きみは、きみが思っているよりずっと賢いよ。蝗害(こうがい)のことや紅梅草(こうばいそう)のこと。菊花は偶然だって言うけれど、必要な時に必要なことを正確に思い出すのは、すごいことだ。しかも菊花のそれは、多岐にわたる。私みたいに、毒が専門というわけじゃない」


「私は、ただ記憶力が良いだけで……」


「その上、皇帝陛下に面と向かってものを言える。誰もが息を潜めて時が過ぎ去るのを待つ中、きみだけは意見を申し上げたそうじゃないか」


「でも……」


「ねぇ、菊花、知っているかい? 蛇ってさ、とても臆病な生き物なんだよ。人が蛇を怖がるように、蛇も人を怖がっているんだ。そんな臆病な蛇を祖に持つ香樹様が、どうして人の上に立つ皇帝なんてできると思う?」


「彼以外に、いなかったから」


「それもある。けれど、それだけではないよ。彼はね、菊花と一緒にいるために、力を得たんだ」


「私のため?」


 ()の国の皇族は、人ではない。蛇神を祖にする獣人だ。

 卵で生まれ、幼少期を蛇の姿で過ごし、成人してようやく人の姿になる。


 彼らは人ではなく獣人だ。

 獣人は、人からしてみたら異端である。


 獣人はみな、人が異端を嫌うことを理解している。

 リリーベルの夫も、そうだと言う。


「だからこそ獣人は、自分が愛し、そして愛してくれる相手を、殊更大事にしようとする。異形のものを愛してくれる人なんて、そうそういやしないからね。そりゃあもう、こっちが呆れるくらい大事にするんだ。大事にしすぎて心配になって、もしも自分のせいで相手が傷つけられたらどうしようなんて思う。行き過ぎた心配は、力を得るという結論に至り、結果、獣人たちは王族として政権を握ったわけだ」


 リリーベルの夫は、()の国の王族である。

 この世界には五つの国があって、それぞれを獣の王がおさめている。


 五つの国にいるそれぞれの王たちはみな、そんな理由で王になったというのか。

 まさか、と菊花が信じられないでいると、リリーベルは苦く笑んだ。


「まさかって顔をしているけれど、本当なんだよ。香樹様は、菊花と一緒にいたくて、ずっといるためには守る必要があって、そのために力を得た。そうじゃなかったら、成人したからってわざわざ菊花と離れて都に行ったりしないさ。獣人は寂しがりやだからね。好いた相手から離れるのは身を切られるような思いらしい。重い愛だよ、本当に」


 夫から毎日のように手紙が届くんだ、と惚気るリリーベルに、菊花は反射的に笑い返した──が。

 もしやこれは、またしても聞いてはいけない類の話だったのでは。


 だって、こんな話、どう考えたってまずいだろう。各国の王族に関する話だ。

 ただの宮女候補が聞いて良い話ではない。絶対ない。万が一、菊花が香樹を諦めて帰郷の道を選ぶ場合、彼女に与えられるのは死──!


「ああ、柚安。これは他言無用で頼むよ」


 ケロリと話すリリーベルに、柚安も澄ました顔で「かしこまりました」と答えている。


(これは、もしかして、もしかしなくても、外堀を埋められたのでは?)


 外堀程度では済まされないかもしれない。

 もう抜け出すことができない底無し沼に落ちている気がするのは、大げさではないだろう。


(それならもう、腹を括るしかないのかも)


 どうしようなんて言いながら、菊花の中ではほぼ、香樹を諦めていた。

 大勢の一人になるくらいなら、香樹を諦めて実家に帰ろう。そう、思っていたのに。


「菊花」


「はい、リリーベルおねえさま」


「私を身内(おねえさま)だと思ってと、言っただろう? だからさ」


 意味ありげに、リリーベルがニヤリと笑う。

 リリーベルの言葉が、ストンと腑に落ちた。


(ああ、おねえさまは……)


 あの時からもう、分かっていたのだろう。

 姉と呼んでくれと言った、あの時にはもう。


「ええ、そうですね」


 リリーベルも、今の菊花のように悩んだのかもしれない。

 だからこそ、この結末も察しがついていたのだろう。

 菊花がもう、香樹から逃げられないことを。


読んでくださり、ありがとうございます。

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