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第三十四話 困惑

 最終選考まであと一週間という今この時期に、悠長なことをしている暇などない。

 通常の執務に加え、最終選考の裏側で実行する(こう)家屋敷の捜索についても考えなくてはならないのだ。


 自分の命と菊花(きっか)の命、どちらも守った上で、長年にわたり隠蔽(いんぺい)されてきた黄家の悪しき歴史を、香樹(こうじゅ)が終わりにする。

 そんなことが、できるだろうか。否。そんな弱気なことではいけない。できるかどうかではなく、やるしかないのだ。


(だというのに、なんなのか。分かっていて、嫌がらせしているのか。この狸じじいめが)


 香樹は、形の良い眉を歪めた。

 美形の顔は、眉を顰めていても美しい。


 首謀者と目をつけている黄家当主である蘭瑛(らんえい)本人が、お願いがあるとやって来た。

 聞けば、娘の珠瑛(しゅえい)が最終選考について悩んでいるという。


「陛下に不愉快な思いをさせるくらいなら、恥を忍んでいくつか質問させていただきたいことがあるのです」


 と、珠瑛は言ってきたそうだ。


 無駄なことを。

 香樹は、鼻で笑いそうになった。


 正妃の座は、菊花のものだと決まっている。

 珠瑛など、妃に残す価値もない。


 香樹は知っているのだ。

 珠瑛とその仲間が、菊花に何をしたのか。


 香樹のおつかいは非常に優秀だ。

 菊花が知らないことも知っている。なんでも、知っている。


 亡き母の形見である菊花の服を、彼女たちがどのようにぞんざいな扱いをしたのか。

 菊花のことを、何度、(かわや)に閉じ込めたのか。

 菊花のものを何度隠し、何度捨てたのか。


 菊花の部屋にある小さな置物を始末しようとした時は、頭に血が上った。

 あれは彼女にとって、とても大事なものだ。落陽(らくよう)を呼び立てて怒鳴りつけ、菊花が気づかないうちに戻させた。


 香樹はなんでも、聞き知っている。

 菊花が泣くようなら叩きつぶすつもりだったが、彼女は全く堪えていないようだ。

 頼られたかった香樹は、それをほんの少しだけ、残念に思っていた。


 話が逸れた。


 今現在、黄家に怪しまれる行動は慎むべきである。

 部屋の隅に控えていた登月(とうげつ)に目配せすると、微かに顎を引く。


(受けるべき、ということか)


 香樹は渋々、蘭瑛の申し出を受けた。


 どうでもいい女とおしゃべりに興じるくらいなら、もうずっと会えていない菊花を呼び出して、思う存分甘えて、愛でていたい。


 蘭瑛の提案は、宮女候補全員にやらせるべきだろう。

 それが、公平というものだ。


 宮女候補の中にはもちろん、菊花がいる。

 彼女との久々の逢瀬を楽しみに、香樹はもうひと頑張りすることにした。


 だというのに。だというのに、だ。

 いざ菊花の順番がきたら、なぜか彼女は仏頂面。

 香樹はわけがわからず、困惑した。


 最近の鬱憤をここで晴らそうとしていた香樹は、途方に暮れた。

 表情筋が仕事をしないせいで無表情に見えるが、彼の頭の中はどうしようでいっぱいである。


 ずっと会えなかったことを怒っているのか。

 それとも、会えない埋め合わせに贈り物をしたらどうですかという登月の意見を聞かなかったのがいけなかったのか。


 もしや、また珠瑛に何かされて、今度こそ腹に据えかねているのか。

 それなら、今度こそあの女を成敗してやろう。黄家屋敷の捜索を待たずに、彼女を後宮から追い出すための材料はそろっている。


 そう思って聞き出そうとしても、菊花はプイッと顔を背けるばかり。

 これには香樹も、かわいいのか腹が立つのか分からない。否、菊花はどんな顔をしていても、かわいいの一言に尽きるのだが。


 菊花が香樹を望んでくれるなら、どんな障害だって跳ね除けるつもりだ。

 それだけの力を、香樹は手に入れた。

 あとは菊花が、香樹の腕の中に落ちてきてくれさえすれば良かった。


 そのための宮女候補であり、そのためのあたため係。

 それなのにどうして、そんな顔をしているのか。


 菊花は香樹に甘い。いつだって、香樹のことを甘やかしてくれる。

 そんな彼女に母を求めたことがあったけれど、昔のことだ。

 今は、好いた女として、(つがい)として、愛している。


 彼女がいなければ、香樹など生きる価値もない。

 小さく弱い白蛇は、死ぬ運命だったのだから。


 息絶えそうになっていた香樹を拾い、介抱し、生き存えさせたのは他ならぬ菊花だ。

 死んでもいいやと自暴自棄になっていた香樹に、この子と生きたいと思わせたのは菊花。


 菊花がいるから、香樹は生きている。

 菊花がいなくちゃ、生きたいとも思わない。


 香樹の全ては、菊花のためにある。

 皇帝陛下の地位など、副産物に過ぎないのだ。


「菊花。どうして、目を合わせてくれないのだ?」


「別に」


「私が、何かしたか?」


「何も」


「じゃあ、何が足りない?」


「……香樹は……ううん、なんでもない」


 言いかけた言葉は何だったのか。

 問いかけても、おざなりに返されるだけ。


 無常にも、宦官が終わりを告げてくる。

 離れていく彼女に何を言うべきかも分からず、香樹は肩を落とした。


 こういう時、登月だったら何と言うだろうか。

 否、登月は優秀な男だ。好いた女に仏頂面をさせるようなヘマはしない。


『そんな腑抜けた顔をして、どうした? 息子よ』


「父上……」


『道に迷った子どものような顔をしておる。皇帝たるもの、そのような顔では示しがつかぬ』


「力を得ても、女人の心は分かりませぬ」


『菊花と何かあったか。どれ、酒を用意せよ。こういう話は、酒を飲みながらと決まっておる』


 蛇の姿だというのに、ニンマリと意地悪く笑う顔は人の姿の時と同じだ。

 香樹は苦笑いを浮かべて「かしこまりました」と答えた。


読んでくださり、ありがとうございます。

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