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第二十三話 麗人

「ねぇ、知っている?」


「なぁに、何の話?」


「あのね──」


 後宮では、また新しいうわさ話が広がっている。


(飽きないわねぇ)


 相変わらず珠瑛(しゅえい)に疎まれているせいで友達がいない菊花(きっか)は、我関せずといった様子でうわさ話に花を咲かせる宮女候補たちの横を通り過ぎた。


 毎日毎日、同じことの繰り返し。

 ただぼんやりと流れに身を任せているだけでも、日々は過ぎていく。


 宮女候補たちが集められて、半年と少し。

 後宮という鳥籠に閉じ込められて、宮女候補たちには自由がない。

 最初こそ三食昼寝付きの待遇に喜んでいた者も、慣れればそれも好待遇とは思えなくなってくる。


 ああ、にぎやかな街が恋しい。

 すてきなお店ですてきなものを眺めて、自由にお買い物がしたい。


 あと数カ月もすれば、正妃やそれ以下の妃たちが決定し、残りの宮女候補たちは里へ帰されると分かっていても、窮屈に思う気持ちは止まらない。

 ただ繰り返すだけの日々に潤いを求めるように、彼女たちは忙しなくうわさ話に花を咲かせる。まるで鳥籠の鳥のように、ピーチクパーチクとさえずるのだ。


 ()の国から訪れた、女学者。

 彼女のことを、宮女候補たちはこう言った。男装の麗人・リリーベル様、と。


 可憐(かれん)な名前に似合わず、男のように凛々(りり)しい顔立ちとスッとした高い背。金色の髪を無造作に一本に束ね、澄んだ青い目は一目会うだけで腰が砕けそうになるという。

 ()の国へは、戌の国の王命でやって来たという女学者に、後宮はお祭り騒ぎである。


 巳の国より与えられた部屋に大量の書物を持ち込み、日がな一日何かを調べていたかと思えば、後宮にいる教官たちと談義をしていたり、かと思えば後宮の庭に生えている草をむしりながらああでもないこうでもないとブツクサ呟いている。

 完全におかしな人だが、見た目が良いおかげで全てカバーしているらしい。


 ここに来てから数日しか経っていないというのに、彼女のうわさは瞬く間に広がった。

 目の保養が来た、という意味で。


 皇帝陛下が来ない後宮など、禁欲的な場所でしかない。

 押し込められた彼女たちが、女であっても美男子にしか見えないリリーベルにうつつを抜かすのは、仕方のないことだった。


「お邪魔します」


 周囲に人がいないのを何度も確認して、菊花はそろりと円い窓のような扉を開いた。

 誰にも見られないように素早く入室して、扉を閉める。


 入った部屋には、人一人通れるくらいの細い通路が、奥まで続いていた。

 通路の右にも左にも、書物が天井近くまで積み上げられ、絶妙なバランスを保って壁と化している。


(下の書物を読みたい時は、どうするのかしら?)


 一番下で押しつぶされている書物を見つめて、菊花は思った。

 なんともぞんざいな扱いである。

 菊花は後宮へ来るまで紙さえ買えなかったというのに、ここでは数えきれないほどの紙や書物がおざなりな扱いを受けていた。


「もったいない。ちゃんと棚へ入れて整頓したら良いのに」


「そうしたいのは山々なんだよ? でも、この部屋じゃあ、収納しきれないのだもの」


 そう言いながら奥からやって来たのはうわさの男装の麗人、リリーベルだった。

 リリーベルは、菊花を見るなり顔をパッと明るくする。


「待っていたよ。私のかわいい菊花さん?」


「待っていたのは私ではなく、これでしょう?」


 そう言って、菊花は一束の草を差し出した。

 リリーベルは草を見るなり、目を輝かせる。


「そう、これだよ! 後宮のどこかにあるとは聞いていたのだけれど、なかなか見つからなくってね」


 リリーベルは草を恭しく手に載せると、くるくると嬉しそうに回った。

 背の高い彼女の腕は長く、積み上げられた書物に当たって、壁がグラグラと揺れる。


「リリーベル様。壁が崩壊する前に落ち着いてくださいね?」


「分かっているとも!」


 菊花が持ってきた草。

 それは、薬草である。


 後宮の隅っこの方、日当たりの悪いジメジメした場所にしか生えていないそれは、紅梅草(こうばいそう)という。

 春先に花を咲かせる紅梅によく似た花を咲かせる草で、さまざまな薬に使うことができる。


 菊花にとっては、なじみのものだ。

 崔英(さいえい)の田舎に住んでいた時、裏山で何度も採集しては売りさばいていた。


「嬉しそうですね、リリーベル様」


「嬉しいよ。だってこれがあれば、研究が進むもの」


「紅梅草は薬の効果を高める効果があるんでしたっけ?」


「よく覚えているね。そうとも。紅梅草は薬の効果を高める効果がある。だがね? 逆に、毒の効果を高める効果もあるんだ。これ一つでは治せもしないし殺せもしないけれど、これがあるというだけで、霊薬にもなれば劇薬にもなるというわけだね」


「リリーベル様は、蛇晶帝(おじさま)に頼まれて、毒の研究をしているのですよね?」


「ああ、そうとも」


 戌の国からやってきた男装の麗人は、後宮の宮女候補たちへ他国の文化を教える教官として招かれたことになっている。

 だが、それは表向きのことだ。

 実際には先帝・蛇晶(じゃしょう)帝を毒殺した犯人を見つけるため、毒の分析をするためにやって来た。


 女学者、リリーベル・ラデライト。

 その真の姿は、戌の国の王族、王位継承権第二位である第二王子の妻だというのだから、さらに驚きである。


 そんな二人が一緒にいるのは、都合が良かったからだ。

 蛇晶帝の事情を知る菊花なら助手に最適だということで、毒の耐性をつけることを交換条件に、こうして手伝いをしている──というわけなのである。


「王子様のお嫁さんが、毒を専門に研究する人というのは、珍しいですよね」


「そうかな? まぁ、夫との出会いも解毒がきっかけだったから、毒の研究家でなかったら、出会うこともなかっただろうね」


 カラッと笑いながらとんでもない出会いをサラリと告白してくるリリーベルに、菊花は目をパチクリとさせた。

 あまりに自然に言うものだから、思わずそういうものかと納得しそうになる。


(いやいやいや。そんな、普通なことじゃないよね⁈)


「ふふ。菊花さん、普通じゃないって顔をしてる。でも、王族なんてそんなものだよ? 権力争いに巻き込まれたり、巻き込んだり、大変なんだ。異母兄弟だったりするとさ、本人にその気がなくても母親の方が殺る気になったりするし、面倒なんだよ、もうほんと。巳の国だって、蛇晶帝と香樹(こうじゅ)様の兄は毒殺されているでしょう? 毒の耐性があるのに毒殺されるなんて、めったにないことだけどさ」


 なんだか聞いてはいけない戌の国の事情を聞いてしまった気がするが、菊花は聞かなかったことにした。そうすることが、正しいと思えたから。

 だって、菊花は皇帝陛下のあたため係で、蛇晶帝の話し相手で、リリーベルの助手だけれど、他国の内情を知れるような立場ではない。


(あぁぁぁぁ。ますます後宮から出してもらえないような気がしてきたわ……)


 気のせいではないのだろうか。

 彼らは、菊花を後宮から出さない前提で話しているのだろうか。


 万が一菊花があたため係を解任になったり、話し相手を解任になったり、助手を解雇されたり、宮女候補として残れずに追い出された場合、彼女に残されているのは死──!


(死にたくなぁぁぁい!)


 ブルブルと震える菊花の肩を、リリーベルはなぜか「分かるよ」とたたいた。

 労るような優しい手つきに、菊花はすがるような目で彼女を見上げる。

 覗き込んだら吸い込まれそうな青い目が、菊花を優しく見つめていた。


「リリーベル様……」


「菊花さん……」


 しばし見つめ合う。

 相手が女性だと分かっているのに、菊花の胸はトクトクと早鐘を打った。


「菊花さん、頑張るんだよ。私は、応援しているからね」


「は、はい……」


 ほんの少し色っぽい展開になったかと思いきや、リリーベルは深々とため息を吐いて菊花の肩をぐわしとつかんだ。


 その目は真剣に、菊花を見つめている。

 一体、何を頑張れと応援されているのだろうか。


(まさか、私と香樹が恋仲だって勘違いされている?)


 しがない田舎娘、それも美人とは対極にいるようなぽっちゃり女子と、地位も名誉も財産も、なにもかもを持っている皇帝陛下の、叶わざる恋……。

 リリーベルは、そんな二人を応援すると言っているのか。


 皇帝陛下のあたため係。

 やはり、この名前がいけないのだろうか。


 単純明快でわかりやすい役職名だが、どうにも色っぽい想像をされやすい。

 実際には、寝る時の抱き枕でしかないのだが。


「あの、リリーベル様? 私と陛下は、リリーベル様が思っているような関係ではないですよ? あたため係っていうといやらしく聞こえるかもしれませんが、実際には抱き枕と変わらないのです。私は彼の幼馴染みとして、彼を母のような気持ちで想っています」


「ああ、いや。菊花さんがどうとかいうわけじゃないんだ。問題は、──の方でね……」


 言いづらいことなのか、リリーベルの言葉は最後まできちんと聞き取れない。

 困ったように眉を下げるリリーベルに、菊花はそれ以上追求することをやめた。


(もしかしたら、だけど。リリーベル様の結婚には何か問題があったのかもしれないわ。だから、私と香樹のことを心配して言ってくれているのね。せっかくのご好意だもの。黙って受け取っておきましょう)


 これ以上突っ込むとリリーベルの方が大変になるような気がして、菊花は一人、訳知り顔で口をつぐんだ。

 近すぎる距離を少しだけ離れて、「そういえば」と話題を変える。


読んでくださり、ありがとうございます。

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