表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/46

第二十話 先帝

 皇族である(はく)一族は、()の国を建国した蛇神様の末裔である。

 卵で生まれ、孵化し、蛇の姿で幼少期を過ごし、人の姿になることで大人と認められる。


 大抵は寿命を迎えて人の姿のままお亡くなりになるのだが、ごく稀に、不慮の事故や何らかの理由があって寿命以外でその命を終えた時、蛇の姿で蘇る。

 それは、邪神の一面を持つ蛇神が、敵討ちのために与えた呪い(チャンス)──らしい。


(え、怖くない? 呪い?)


『つまりわしは、既に一度死んでおるのだ。寿命以外で命を終えたため、こうして蛇の姿になって蘇ったというわけだな。いやぁ、参った参った。死んだ時のことはよおく覚えておる。わしは毒殺されたのじゃ。毒に耐性があるわしをも殺す毒だ、見事だのぉ』


「……」


(いや、あの……そこ、感心するところなんですかね? ちょっと、大丈夫ですか? 一度死んじゃっているのでしょう? 軽く言っていますけど、すごいことじゃないですか。っていうか、私に言っちゃって良い内容な気がしない。こんなの、どこにもしゃべっちゃいけないやつじゃない)


 もしやこれは、菊花(きっか)を後宮から出さない前提で話していやしないか。

 万が一菊花があたため係を解任になったり、宮女候補として残れずに追い出されたりした場合、彼女に残されているのは死──!


(そんなの、嫌ぁぁ!)


 心の中で悲鳴を上げながらも、菊花は慣れた手つきで茶の用意をする。

 茶を得意とする登月の指導の甲斐あってか、彼女のしぐさは洗練されていた。

 どこに出しても恥ずかしくない、登月(とうげつ)自慢の弟子である。


(そろそろ、趣味はお茶だと言っても良いのでは?)


 調子に乗ったせいでカタンと茶杯が傾きそうになる。菊花は慌てて、茶杯を支えた。


(調子に乗ると、ダメね)


 今度は茶をこぼさないように、菊花は慎重に、寝台(ベッド)のそばへ寄せた机へ茶杯を置いた。


 寝台の上では、巨大な蛇がとぐろを巻いている。

 人が上半身を起こすかのように、蛇は鎌首をもたげた。


『すまんの。この姿では香を嗅ぐこともできん。聞香杯(もんこうはい)を鼻先へ近づけてもらっても良いか?』


「かしこまりました」


 菊花は、茶杯をふたしていた聞香杯をそっと外し、蛇の鼻先へと近づけた。

 蛇はまぶたを落とし、しみじみとしているように見える。


『うむ。この姿になって良いことは、茶の香が人であった時よりもよく聞けることだな』


「そうなのですか?」


『ああ。蛇の嗅覚は人のものよりも何十倍も敏感なのじゃ。人の姿の時であっても、常人よりは鋭いが、今は比にならぬ』


「良い匂いの時は良いでしょうが、臭い匂いの時は大変そうですね」


『その通りじゃ』


 カッカッカッと笑う蛇に、菊花は不思議な気持ちだった。

 だって、目の前で好々爺(こうこうや)のように朗らかな笑い声を上げる蛇が、まさか先の皇帝、蛇晶(じゃしょう)帝だなんて、誰が思うだろう。


 蛇晶帝、白晶樹(しょうじゅ)

 彼が崩御した際にはそこかしこに高札が立てられ、皇帝陛下の死を皆が悲しんだ。


 菊花も当然、その高札を見ている。

 もっとも、その時の彼女は文字なんて読めなかったから、人々がささやく言葉を漏れ聞いて、そうなのかと納得していたのだけれど。


 菊花がいた田舎では、皇帝陛下はおとぎ話の登場人物のような感覚である。

 ゆえに、おとぎ話の登場人物が亡くなったと知らされても、心から嘆き悲しめるはずがない。喪に服すように、なんて言われても、もとよりささやかな生活なのでやりようもなく、母が残したボロボロの喪服を着て、菊花なりの哀悼は終わったのだった。


(そんな人が現実に、目の前にいるなんて。なんだか、不思議)


 しかも、見た目はどうしたって蛇である。

 報復の機会を与えるために蘇らせる、なんて蛇神様らしいといえばらしいけれど、そんなおとぎ話のようなことが現実に起こっているとは。


(たしか、異国には『事実は小説より奇なり』なんて言葉があるんだっけ? まさしく、その通りよね)


『うむ。そろそろ茶を飲むとしようかの』


「あ、はい。かしこまりました」


 聞香杯を下げて、今度は茶杯を差し出す。

 机に置くように言われてその通りにすると、蛇はチロチロと小さな舌を伸ばして茶を舐めた。


『ふうむ。菊花よ。そう畏まらずとも良い。一度は死んでいる身だ。気楽に話せ』


「しかし……」


『わしの言葉を理解できる者など、今現在、香樹(こうじゅ)とおまえさんしかおらぬ。誰に責められることもないから、安心せい』


「わかりました」


『わしのことはおじさんとでも呼んでおくれ。かわいらしく、おじさま、でも良いぞ?』


 蛇は口の中で『いずれはお義父様になるだろうがな』と呟いたが、自分の茶を淹れていた菊花には聞こえなかった。

 茶を入れて聞香を省いて茶杯を持った菊花は、蛇と対面するように簡素な椅子へ腰掛けた。


 蛇は、機嫌が良さそうにゆらゆらと揺れる。

 呼ばれるのを待つように、赤い小さな目が菊花を見上げた。


「おじさま?」


『良いのお。おなごにおじさまと呼ばれるのは、なんだかくすぐったい気持ちじゃ』


「そういうものですか? 私には、よく分かりませんが」


『わしには娘がおらんからの。息子は何人かおったが、皆死んでしもうた。生き残っているのは香樹ただ一人。香樹とて、成人して戻るまでは死んだものと思うておった』


 ケロリと、とんでもないことを言われた気がした。

 菊花は聞き間違いかと思って、「え?」と聞き返す。

 そんな彼女に蛇は、茶杯から顔を上げて「なんじゃ」と呆れたように呟いた。


『菊花はまだ知らなかったか。香樹はな、卵のうちに行方不明になり、長く消息不明だったのだよ』


 衝撃的なことを前置きもなく告げられて、菊花は驚いた。


 つるりと手の中で滑った茶杯が、床に落ちてカシャンと音を立てる。

 じんわりと足を濡らす茶の感触が、気持ち悪かった。


読んでくださり、ありがとうございます。

少しでも「面白い」と思ったら、ちょっとスクロールしていただいていいねや★、ブックマークなどで反応していただけると、嬉しいです!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ