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第十三話 愚策

「誰だ、このような献策をしたのは? 無能にも程がある。民のことを考えろと私は言ったはずだが? たったそれだけのこともできないのなら、出て行け。これ以上文句があるのなら、噛み殺してやろう」


「シャァァァ!」


 足元にいた細く長い蛇が、その言葉に呼応するように大きな口をあけて威嚇する。

 鋭い牙がギラリと光り、気弱そうな文官が「ヒィッ」と悲鳴を上げた。


 蛇香(じゃこう)帝の凍てつくような氷の視線が、玉座より数段下にある広間を睥睨(へいげい)する。

 その様子を仮面越しに見つめながら、菊花(きっか)は震える手を握りしめた。


(こ、怖すぎる!)





 菊花の部屋に数人の宦官がやって来たのは半刻(いちじかん)前のことである。

 毎夜の楽しみである柚安(ゆあん)とのお茶会の最中、突如として駆け込んできた宦官たちは、菊花の前に平伏した。


「助けてください、菊花様!」


「これ以上あの方の機嫌を損ねたら、一体何人の犠牲が出るか!」


「陛下はお疲れなのです」


「ここはぜひ、あたため係である菊花様が、お慰めしてくださいませ!」


 あたため係。慰め。

 どうやらこの宦官たちも、あらぬ勘繰りをしているようである。


(おおかた、膝枕とかしてキャッキャウフフしている図とか想像しているんだろうなぁ)


 色っぽい名称だが、そんな要素は一切ない。

 菊花の役目は、至って単純。寒がりな香樹(こうじゅ)をただあたためるだけなのだ。


(癒やすなんてとてもとても……いや、おなかの肉に癒やされるとか言っていたから、それのことかも?)


 犠牲者が出るなんて、尋常じゃない。

 いつも気怠そうに──否、眠そうにしている香樹しか知らない菊花には、当たり散らすような彼を思い浮かべられなかった。


(犠牲って言ってもあれですよね? ちょっと八つ当たりされるとか、そういうのでしょ?)


「あのぅ、陛下はどうしてそんなに機嫌が悪いのですか?」


 宦官たちの異様な様子に、柚安がおずおずと問いかける。

 柚安の問いに、宦官たちは壊れたおもちゃのようにガクガクと首を振りながら「その通り」と震える声で答えた。


「ここ最近、雨が続いているせいで肌寒い日が続いているでしょう?」


「雨は田畑の恵みですが、陛下にとっては厄介なものなのです」


「蛇神様を祖にする皇帝陛下は、体温調節がままなりません。ですから、冬と長雨の時期は機嫌が悪くなる」


「寒いとどうしても睡魔が襲ってくるらしく……問答無用で襲ってくる眠気と戦いながらの執務は、陛下をどうしようもなく苛つかせるのです」


 今日は既に三人の文官が医務室に運ばれているのだと、宦官たちは涙した。


(文官が医務室に運ばれる? よほど気が弱い方なのかしら?)


「えっと……そんなに機嫌が悪いのに、私なんかで機嫌が良くなるとも思えないのですが?」


「そんなことはありません! 陛下は仰いました。菊花を持ってこいと!」


 菊花を持ってこい。

 菊花という字の裏に、肉という字が透けて見える気がするのは気のせいだろうか。


(いや、気のせいじゃないわね。だって、連れてこいじゃなくて、持ってこいだもの)


 そう思いはしたが、菊花は皇帝陛下自らが任命したあたため係である。

 ご本人からのお呼びとあらば、行かないわけにはいかない。


 菊花はふぅ、とため息を吐いた。


「分かりました。それで、どちらへ伺えばよろしいのでしょうか?」


「ああ、菊花様! ありがとうございます! それでは準備がございますので、少々失礼いたします」


 そうして宦官たちに取り囲まれた菊花は、あれよあれよという間に身支度を調えられ、仮面をつけられ、連れて行かれた先が香樹の膝の上だった──というわけである。


 仮面越しに見た広間には、菊花が見たこともないような数の、偉そうな雰囲気の大人たちが平伏している。

 誰も彼もが、香樹の怒りを買うまいと必死な様子だ。


 ある者はチラチラと周囲の様子を窺い、またある者はわれ存ぜずと視線を逸らす。

 ピリピリとした張り詰めた空気が、この場に漂っていた。


 迂闊(うかつ)なことを言えば、噛み殺される。文字通りに。

 皇帝陛下の足元に侍る蛇は、死刑執行人ならぬ死刑執行蛇なのだ。


 菊花が広間からヒソヒソと聞こえる小声を拾ったところ、「ひと噛みであの世行き」だそうだ。恐ろしいことである。


(八つ当たりとかいうレベルじゃない。医務室に運ばれた文官は、冗談抜きで蛇の毒にやられたのだわ)


 先程悲鳴を上げた文官は、見ている菊花でさえかわいそうになるくらい震え上がって、今にも舌を噛み切りそうな勢いだ。


(もしかして、あの文官さんの案なのかしら? かわいそうだけれど、本気で考えてあの案を出したのだとしたら、ちょっと現実的ではないわね)


 今、ここで話し合われていること。

 それは、()の国の南、(しん)の国にほど近い正澄(せいちょう)という地域についてだ。

 なんでもここ最近、大量の虫が発生して田畑を荒らしているのだとか。


蝗害(こうがい)……つまり、飛蝗(ばった)の大量発生による災害のことね)


 蝗害は、天災の一つに数えられている。

 そして、天災とは皇帝の不徳によるものだと、民たちは信じていた。


 だが菊花は、女大学で学んで知っている。

 蝗害は天災かもしれないが、皇帝の不徳とはなんら関係ない。


(そう。だから、国中から貢ぎ物を集めて皇帝陛下に捧げるっていうのは、全く意味がない)


 皇帝の不徳なんてないと天に知らしめるために、国中から貢ぎ物を集める。貢ぎ物があるということは、国が豊かなしるし。故に、皇帝陛下に不徳など一切ない──というのが、恐怖に震える文官が出した献策のようだ。


 蝗害で農作物が収穫できないというのに、そんな中で貢ぎ物を要求すればどうなるのか。

 当然、民は不満を持つに決まっている。

 そして、蝗害は皇帝の不徳のせいだと反乱を起こすかもしれない。


 本来文官は、恐ろしく難しい試験を突破してそこにいるはずなのだが、あの文官はどうしてそんな意味のない案を提出したのだろうか。


(ハッ! もしや、お金を積んで裏口就職したとか⁈ うわぁ……ないわ)


 菊花は、自分が登月(とうげつ)に対して行おうとしていたことを盛大に棚上げして引いた。

 香樹が怒るのも、当然である。菊花でさえ分かることが、あの文官は分からないのだから。


(でも、私も女大学で学んでいなかったら、きっと皇帝陛下のせいだって思っていたわ)


 勉強していて良かったと、菊花は心底思った。

 そして、蝗害について教えてくれた(じょう)先生に、こっそり「ありがとうございます」と感謝した。


読んでくださり、ありがとうございます。

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