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第十一話 香樹

「──そうよ。私はあの時、柚安と誓い合ったの。必ずや、決まり事を守り抜くと! なのに、どうして……どうして私は、落陽(らくよう)様について行ってしまったの!」


 だって、落陽が動揺していたから。

 あんな彼を見たことがなくて、ついうっかり。


 そんな言い訳、通用するわけがない。

 落陽はきっと「はて何のことやら」とシラを切るつもりだろうし、さすがの登月(とうげつ)も菊花をかばい切れまい。


「もう、おしまいだわ」


 近くで「……は?」と不機嫌な声がしたのだが、絶望に打ちひしがれる菊花は気付かなかった。


 すん。

 菊花(きっか)は、鼻を鳴らした。


 これでもう、終わりだ。

 菊花は決まり事を破った罰として、後宮を追い出されるに違いない。


 追い出されるだけならまだ良い。

 もしかしたら、皇帝以外の男と同衾(どうきん)した罪で処刑される可能性もある。

 菊花を抱き枕にしているこの男が、皇帝陛下その人であることを願うばかりだ。


「死ぬのは嫌、死ぬのは嫌ぁ」


 皇帝以外と同衾した場合、処罰は何だったか。

 庶民の浮気は罰金で済んだはずだが、相手は皇帝である。

 一族郎党、皆殺し……なんてこともあり得る。


「あ、それなら私一人だし、誰にも迷惑にならないわね。あぁ、良かった!」


「おい」


「ひゃあっ!」


 唐突に耳元でささやかれ、菊花は素っ頓狂な声を上げた。

 とっさに跳ね起きようとした体が、男の手足によって強く拘束される。


「夜明けまではまだあるだろう。もう少し、寝かせろ」


 寝心地を整えるように、男は菊花を抱き直す。

 うまくいかないのかしばらくモゾモゾとしていたが、最終的には菊花の両胸の間に頭を落ち着けた。


「なっなっなっ!」


(なんてとこに、寝ているのよぉぉぉぉ!)


 菊花の言葉にならない叫びに、男が喉を鳴らして笑う。


「良い肉だ。あたたかくて、気持ちが良い」


 またしても肉と言われて、菊花はムッとした。

 言い返そうと口を開いたが、文句を言う前に男の手が出る。


 むにゅん。

 菊花の豊かな二の腕が、男の手のひらに掴まれた。


 白くて長い指が、菊花の腕を鷲掴んでいる。

 感触を確かめるように数回揉みしだかれ、菊花は沈黙した。


「っっ!」


(うわぁぁぁん! 頑張って思い出そうとしてみたけど、こうなった理由なんてさっぱり分かんない! なんで?! どうして?! 誰か教えてよぉぉぉ!)


 長々とした回想は、意味がなかったようだ。

 とはいえ、全くの無意味というわけでもない。


 だって回想でもしていなければ、菊花は意識を保てなかった。

 目の前の男の、信じられないような美しさに、昇天しかねなかったのである。


 白銀に金を少しだけ混ぜたような色合いの、絹糸のようにサラサラとした長い髪。色が抜けてしまったように白い、滑らかな肌。林檎飴のような深紅の目は、眠そうにとろりとしている。


 眉があって目があって、鼻があって口がある。

 菊花と同じ人間であるはずなのに、どうやったらそうなるのだと不思議になるくらい、男の顔は整っている。


 もしや、今度こそ神仙の類か。

 人外であるというならば、納得の美しさである。


 抱きしめられていなかったら、手を合わせて拝みたいくらいだった。


(色だけなら、白に似ているけれど……)


 白銀に金が混ざった鱗に、真っ赤な目。

 寒い日は、菊花に絡みついて暖を取っていた。

 全身を使って菊花の腕に絡みつく姿は、今の男と似ていなくもない。


(まぁ、白は蛇で、この人は男の人なのだけれどね)


 なぜかしらと首をかしげる菊花の、空いた首筋に男が鼻先を寄せる。

 無防備な首筋辺りですぅっと呼吸されて、菊花は慌てて手で防御した。


「ぴゃぁぁぁぁ!」


「ぴゃあ、って。一体何の鳴き真似だ?」


 微かに風を感じた首筋が熱い。

 きっと、真っ赤になっているだろう。


 首だけじゃなくて、顔も真っ赤になっているかもしれない。

 だって、すごく、恥ずかしい。


「どれ。面白いからもう一度鳴かせて確かめてみるとしよう」


 そう言ってもう一度鼻を寄せようとする男に、菊花は慌てて首を竦めた。


「おい、肉。それでは匂いを嗅げないではないか」


「嗅がないでください! それと! 私には菊花という名前があるんです。肉って呼ばないでください!」


「そうか。では、菊花。私のことは香樹(こうじゅ)と呼べ」


「香樹……香樹って……え!? やっぱり、皇帝陛下なんですか?!


 菊花は勢いのまま、香樹と名乗った男を見た。

 ジッと見上げてくる真っ赤な目と視線が絡む。

 先程までのとろりとしていた目が、今はすっかり冴えてしまったのか、涼やかに菊花を見ていた。


 そうかも、と思わなかったわけじゃない。

 だが、会えるなんて思ってもみなかった。


 蛇香(じゃこう)帝、(はく)香樹。

 現皇帝であるその人が、目の前にいる。


 今すぐにでも、平伏するべきだろう。

 だって、相手は皇帝陛下だ。


 菊花如きが対面できるようなお方ではない。

 見ることさえ、おこがましいのに。


 しかし、それは叶わない。

 菊花の体は、香樹に抱き付かれたままだからだ。


 急いで視線を外す菊花に、香樹は薄い唇をへの字に曲げて、拗ねたように言った。


「む。私をなんだと思っていたのだ?」


「てっきり、落陽様の罠かと。皇帝陛下以外の男と同衾させて、その罪で私を陥れようとしているんじゃないかと思って……」


 だって、誰が予想できただろう。

 菊花を推薦してくれた登月を好敵手と認識している落陽が、わざわざ密室に呼び出して皇帝陛下と二人きりにする。

 年頃の男女が密室で一晩二人きり。何かないわけがない。


(普通に考えたら、珠瑛(しゅえい)様と二人きりにするものでしょう? 既成事実があれば、正妃確定だもの)


「ふむ。落陽にはそのような大それたまね、できまいよ」


「そうなんですか?……あ、いえ、そうなのですか?」


 今更ながらに口調を改めてくる菊花に、香樹は不満げに「む」とつぶやいた。

 だが、それも一瞬のこと。すぐさま意地悪そうに目を(すが)めた香樹は、長い指で菊花のあごをくすぐりながらニタリと笑んだ。


「言い直さなくても良い。私とおまえの仲ではないか」


 妙に色気のあるしぐさだった。指先であごを撫でられているだけ。

 それだけなのに、菊花の背筋をゾクゾクとしたものが這い上がってくる。


「いえ、そういうわけには……」


(ど、どんな仲だっていうの⁈ だって私、ただの田舎娘で、単なる宮女候補でしかなくって、たぶん宮女になんてなれないし、できるだけ長く後宮に残って可能な限り知識を得られたらそれだけで良いと思って……って違う! そうじゃなくって! 皇帝陛下と宮女候補の仲ってどういうやつなのよぉぉぉ!)


 少なくとも、「香樹」と呼んで良い仲ではないのは確かだ。

 しどろもどろで言い返す菊花に、香樹は楽しそうである。混乱して頭がしっちゃかめっちゃかになっている彼女が、見ていて面白いらしい。


「私は、菊花がいなければ死んでいたかもしれない身だ。つまり、おまえは私の恩人。畏まる必要はないから、いつもの調子で話してくれ」


「え? 私、陛下をお助けしたことなんてありませんよ?」


「いいや。散々世話になったぞ。おまえは私を(はく)と呼び、四六時中一緒にいたではないか」


「……はい?」


「というわけだから、菊花。あの時のように、私をあたためておくれ」


 知らしめるように、香樹の腕が、足が、菊花の体にまとわりついてくる。

 それはまさに、蛇に絡みつかれているようで──。


「本当に、白なの……?」


「なんなら、私しか知らない菊花の秘密を教えてやろうか?」


 耳に注がれた秘密の話。

 それは確かに、白しか知らないものだった。


読んでくださり、ありがとうございます。

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