彼岸花の季節に
彼岸花は遺伝子が三倍体であるため、種子を作らず鱗茎という球根で増えるのだとか。
だから日本にある彼岸花は、全て同一の個体であると知ったのは、大人になってからである。
というのも、ある場所で彼岸花の球根を売っているのを見たのをきっかけに、調べて初めてその生態を知ったのだ。
10年近く前、家人に誘われて、地元で有名なお寺にドライブがてら訪れることになった。
禅寺のそこは、地元の学校が授業の一環として座禅や写経をするために、学生たちがよく訪れるお寺でもある。
しかしながら私は訪ねたことはなく、そんな私のために家人がドライブに誘ってくれたのだ。
時期はちょうどお彼岸の真っただ中。
夏は終わって秋も半ばだというのに、とても暑い日だった。
昼の少し前に家を出て、観光地でもあるその場所で昼食を、という計画だ。
いつものように助手席に座り、しばらく走ったところで、強烈な眠気に襲われた。
もともと体調や気候によってはひどく車酔いする体質のため、その眠気も車酔いの前駆症状だろうと思った私は、症状が重くなる前にと、家人に断りを入れて眠りについた。
といっても、完全に眠るわけではない。
目を閉じてうつらうつらするくらいだ。
半覚醒状態で渋滞にはまったらしいこと、渋滞を抜けてもやけに信号に引っかかっているらしいことを認識しながら、シートに身を預けていた。
だから目的地に着いたのは、当初の予定を遥かに超えた時分であった。
車が駐車される動作で、ゆっくりと目を開ける。
しかし、少しは眠ったはずなのに、頭には霧がかかったままだ。
重い体を叱咤しながら車を降りて、降り注ぐ光に軽く眩暈を覚えた。
黄味を帯びた秋の日差しが、やけに眩しい。
先ほどまで寝ていたせいか、さながら白昼夢の中にいるようだ。
寺の境内から離れた場所にある駐車場には、私たちの車しか停まっていない。
こっちだと案内する家人の背中を追って、陽炎の立つアスファルトを私は歩き出した。
道路の左右には、田んぼが広がっている。
道端には、点々と赤い彼岸花が咲いている。
長閑な田舎の風景であるが、風もなく、照り付ける太陽の下では景色を堪能する余裕もない。
加えて、喉の渇きが身を苛む。
あいにく、飲み物は現地で買えばいいだろうと用意していなかったのだ。
けれども、辺りには商店どころか自動販売機すら見えない。
それでも寺の近くに行けば、土産物や食べ物屋の一つや二つあるだろうと期待して、私はひたすら重い足を運んだ。
時間にしたら5分ほどだろうか、多分10分は掛からずに、寺の入口に辿り着いた。
掃き清められた石段の先に、堂々とそびえる山門が見える。
ここにも、彼岸花が。
手入れの行き届いた緑の植え込みに、古びた石段。
両脇には、点々と咲く赤い花。
鄙びた中にも雅さを感じさせる雰囲気に、普段だったら嘆息して石段を上ったことだろう。
しかしその日は、全くと言っていいほど興味が惹かれなかった。
むしろ石段を上るごとに、酩酊感にも似た眩暈で頭がくらくらする。
やっとの思いで石段を上り切り、黒々とした山門をくぐる頃には、息切れと眩暈、そして吐き気とで、立っているのも辛い状態になってしまっていた。
境内の様子は、よく覚えていない。
広かったような気もするし、こじんまりしていたような気もする。
ただ、はっきりと覚えているのは、そこかしこに咲いている彼岸花の赤い花の色だ。
折角来たのだからお参りをするという家人に、体調が優れないことを伝え、一人来た道を引き返す。
とにかく気持ち悪くて、くらくらして、それ以上先には進めなかったのだ。
どうやって下まで降りたのかは、覚えていない。
参道らしき通りに、古民家風――というかそのまま古民家が軒を連ねている。
だが、食べ物屋らしき店は一つもない。
辛うじて土産物屋はあるものの、棚に並べられているのは木彫りの玩具や竹細工などで、飲料や食べ物を売っている雰囲気は一切ない。
ただ、印象的だったのが、軒先に吊るされた球根だ。
黒く煤けた木の壁には、筆書きで『彼岸花の球根、アリ〼』と張り紙が貼られている。
そこで初めて、私は彼岸花の球根なるものがあるのだと知った。
朱色のネットに詰められて、軒先から吊るされた彼岸花の球根。
他の店には、『白い彼岸花の球根アリ』の張り紙もあり、その下には白い彼岸花、薄桃色の彼岸花が咲いている。
いっとき私は、喉の渇きを忘れてその光景に見入った。
程なくして家人と合流し、再び飲食店を探して歩くも、それらしき店は見当たらない。
一通り歩き回って、私たちは諦めて車に戻ることにした。
古民家の壁沿いには、やはり彼岸花が点々と咲いている。
水車の輪を壁に掛けた古民家の下にも彼岸花が咲いており、黄色い秋の日差しが降り注ぐ中、黒壁に赤が映えて夢のように美しかった。
そこから10年ほど、その寺を訪れる機会はなかった。
しかし昨年、寺の参道にジェラート屋が出来たと聞いて、行ってみようという話になった。
今度は眠気には襲われず、車に酔うこともなく、目的地に着く。
しかし、寺の駐車場だというそこに到着して、私は「あれ?」と首を傾げた。
記憶にある駐車場とは、全く違ったからだ。
しかしながら、前回は違う駐車場に停めたのだろうと、すぐに自分を納得させる。
けれども違和感は消えることなく続き、寺の入口の前で、私は盛大に戸惑いながら足を止めた。
目の前の景色は、記憶にある景色とは明らかに違うものだ。
来る途中に見た参道の店々も、記憶にないものばかりであったが、こちらは10年近い月日の間に店構えが変わったのだろうと、腑に落ちないながらも自分を納得させていたのだ。
しかしさすがに寺自体は変わるはずがない。
まず、石段が違う。
記憶の中の石段は真っすぐに山門まで続いていたが、目の前の石段は緩やかにカーブを描きながら山門へと続いている。
そもそも入口から、山門は見えない。
それでもきっと記憶違いと、石段を上って山門をくぐったところで、私は愕然としてしまった。
どう見ても、ここは初めて訪れる場所だ。
曖昧ながらも記憶では、山門をくぐって少し開けた場所に出た先にお堂があったはずだが、今は山門をくぐった先にはコンクリートで舗装されたゆるいスロープが続いている。
もちろん、お堂は見えない。
記憶とは全く違う光景に、半ば呆然としながら隣の家人に記憶と違う旨を話して、そこで。
家人の返答に、私は更に愕然とすることとなった。
家人いわく、一緒にこの寺に来たことはない、と言うのだ。
家人もこの寺に来るのは、学生の頃に授業で訪れた時と今日の、二回だけだと言うではないか。
それでもなお以前に一度一緒に来たではないかと食い下がる私に、家人が呆れたように肩を竦めて、その話はそれきりになった。
広い境内の中に点在するお堂をお参りした後で、石段を下って参道にあるジェラート屋へと向かう。
その間必死に記憶にある景色を探してみたが、やはりどう見ても今いる場所は初めて見るものばかりだ。
田んぼもなければ、水車の輪が掛かった古民家もない。
季節が違うからもちろん彼岸花は咲いていないけれども、きっちり舗装された道には彼岸花が咲くスペースはない。
食べたかったジェラートを食べながら、もしかして夢でも見たのだろうかと思うも、その時はおかしいなと首を捻っただけで、それ以上深く考えることはしなかった。
一連の記憶が異様であると気付いたのは、今年もお彼岸を迎え、先日彼岸花を見て、だ。
どんなに記憶を探っても、10年前の帰り道の記憶がないのだ。
車窓から『白い彼岸花アリ』の張り紙と白と薄桃色の彼岸花、点々と咲く赤い彼岸花を見たのは覚えている。
しかし、その後の記憶がないのだ。
自分で言うのもなんだが、私は食い意地が張っている。
あれだけの空腹と喉の渇きを覚えていたのなら、私なら絶対にどこか店に寄ったはずである。
そして寄った店(食べ物屋)は、まず忘れない。
店に寄らなかったら寄らなかったで、恨み節で覚えているはずである。
なのに、きれいさっぱり記憶にないのだ。
もちろん、家に帰った記憶もない。
では、夢であったのかというと、それでは彼岸花の生態を知ったきっかけの辻褄が合わなくなる。
間違いなく、10年近く前にその寺を訪れるまで、彼岸花に球根があることなど私は知らなかったのだから。
何より、夢にしてはやけに記憶が鮮明だ。
途中途中で記憶が飛んでるところは夢らしいといえば夢らしいが、それにしても色々と筋道が立ちすぎている。
石段から山門、境内の辺りは朦朧としているも、参道に連なる古民家の映像は、とても夢の中のものとは思えない。
第一、彼岸花の季節になるたびに、私は以前訪れたお寺のことを思い出していたくらいなのだ。
しかしながら、一つ、思うところがある。
あの時、境内に足を踏み入れずに引き返してよかったんだろうな、という思いだ。
多分であるが、私は迷い込んでいたのだろう。
それこそ、彼岸と呼ばれる場所に。
いつから、どのように、かはわからない。
そもそもどうしてそんな事態になったのかもわからない。
けれども、子供の頃から夢とも現実とも知れない不思議な記憶がいくつかあるが、これもその一つなのだろうなという確信である。
改めて、今、ここに居るということは、とてもありがたいことなのだと思う。