日常に潜む危機に不幸にも巻き込まれただけ
その日、俺は人生最大の危機に直面していた。
直裁に言ってしまうと、パンツ・イン・ザ・ポケット。
これは、妹の巧妙な罠だ。
別に、前ポケットに入っていたわけではない。さすがに、そこまで愚かではない。
後ろだ。
後ろのポケットに、戦場が広がっていった。
「お兄ちゃん、ハンカチぐらい持っていきなよ」と言って、後ろのポケットに、布らしきものを入れられたのは分かっていった。
妹からの背後の攻撃に対して、安心しきっていった俺は、まさかペネトレイトされたのは、三角状のフォルムのブツとは思っていなかった。
たしかに昨日の夜、ささやかな妹との喧嘩はあったけど、まさか、学校にパンツを忍ばされるなんて思わなかった。
これなら、額に『肉』と書かれている方がマシだ。
さて、人生のジャックポットに無理やり払いこまされたわけだが。
冷静になって、対処すれば問題はない。
そう、トイレの個室に隠れて、俺が履いてしまえば、バレることはない。冗談だ。
トイレに流してーー、詰まったら、俺の人生も詰みそうだ。
大人しく、トイレに荷物を持っていって、隠すとした。
なるほど、これが便所メシというやつか。ちょうど弁当箱を入れる袋は、隠れて持っていって、パンツを入れるのに、ちょうどいい。
バカらしいことこの上ないことをしているな、俺。
あとは、妹の教室に行って、弁当を交換しておこう。
策士よ、策に溺れるがいい。
弁当を間違えて、持っていったことにしよう。
そして、まぁ、いいか、と開けた瞬間、お前は、自分のパンツのご尊顔を拝むことになるんだ。
兄は妹より強し。
ちょうど妹のクラスが体育の時に行こう。
まぁ、妹の授業の時間割は、兄として把握していて当然だからな。
「お兄ちゃん、弁当、間違ってたよ」
兄の教室に弁当を届けに来る、だとっ!
そんな妹はフィクションの中にしか存在しない。お前、妹じゃないな。
しかし、兄が、そんなことを予測していないと思ったか。
「悪いな。もう、こっちの弁当をつついてしまって」
チャイムが鳴った瞬間から弁当を高速で開けて、食べ始める男。まるで友達という存在を公然と否定するかのような速弁。妹よ、兄は、男だから、一人で黙食できる人間なのだよ。
「じゃあ、一緒に食べよっ。というか、わたしの箸で食べないでよ。間接キスだよ」
バカな。こいつ、お兄ちゃんと一緒にクラスで弁当を食べる鋼のメンタルの持ち主なのか。そんなことをできる妹なんて、この世に存在していいはずがない。いや、ない。
しかも、恥ずかしがりながら、間接キスだよ、とか。俺の関節の方がキレそうだ。だいたい間接キスとか言ってたら、そんなもの、いくらでもしてるよ、浴槽のお湯を換えたいお年頃じゃないのか。
「待て。妹よ、そのパンドラの箱を開けるな」
妹が開けようとしたパンツ入りの弁当箱の袋を止めようとしたが、間に合わない。妹の手は、滑らかに、袋の紐を緩めてしまう。
「よせ、その中にはーー」
「弁当だけだよ」
ん、そうか。
いや、そうだよな。抜いているよな。
助かった。ここで、パンツを広げて、兄妹で会話とか、修羅場が冷たくなる勢いだ。パンツをかぶってでも、顔を隠したくなる。
「お兄ちゃん、今日、わたし、ノーパンだったの」
バカなやつが。ノーパンだと。体育の時間があったことを忘れているのか。
どうやって、更衣室を乗り切ると……ちょっと待て。
それはまさか、今、あのパンツを履いているという宣言か。
ど、動揺するな。
別に、俺は、妹にパンツを届ける兄でない。パンツを貸すことなんて。
「男もののパンツって、スカスカだね」
こ、こいつ、履いているというのか。
俺のパンツを。
「それでね、どうしてお兄ちゃんは、今日、わたしがノーパンだって知ってたの?」
そんなこと知るか。知るもんか。
てか、冗談だよな。俺への高度な嫌がらせ。ブラフだろ。
分かってるさ。これぐらいの修羅場、いくらも、くぐり損ねてきた。意味不明なところから状況は進んで来るんだ。
「妹がパンツを履いているかどうかなんて、仕草を見れば分かる」
そう俺の目は、妹の僅かな仕草にでも気づくのだ。
俺、何言ってんだろう。
「お兄ちゃん、シスコンだね」
「兄のパンツを履く妹に言われたくはない」
「それで、昨日のケンカの原因、覚えてる」
「ああ」
「じゃあ、わたしのパンツ返してよ」
「妹よ、お前には、まだ早い。もっと年相応の下着をーー」
バキッ!!
あ、俺の箸が折られた。
待て、俺は悪くない。
わかった。冷静になろう。
俺のパンツを選ぶ権利と交換だ。それで手を打とうじゃないか。