導かれて
導かれて
「下の子は損だよねえ。先に嫁いだもの勝ちだもんね」
若いころ、知り合いの人たちからよく言われた言葉だ。
長女としていちおう跡をとると思われていた姉は、同じ県内の方とご縁があったものの、夫となる人の仕事の都合で、結婚当初からずっと、関東圏在住になってしまった。
ゆえに、残されたのが私だけとなれば、私が跡を継ぐしかない。でも、そのことに対し、不幸だとか損だとか思ったことはみじんもなかった。むしろ、幼いころから、私は神主になるかもなあとなぜか漠然とした思いがあったのである。
ただ、母の願いとしては、普通に結婚をして、子どもを産み育てて、お宮のことを考えるのは、それからあとでも十分ということだった。
最近になって、郷里で再会した旧友たちが、口をそろえて、こんなことをのたまう。
「結婚できてよかったなあ。ほら、お前と結婚したらな、お宮継がんといけんからな」
「あー、旧姓のままやったけん、てっきり独身貫いたんかと思った。お宮継ぐからなあ」
ねえちょっと、お宮を継ぐことって、そんなにハードル高く見えるわけ?
たしかに学生時代から、自分は自由な恋愛はできないんだなと覚悟はしていた。
たとえそうやってお宮を離れても、それはきっと本当の幸せにはならないだろうと信じてやまなかったのだ。
けれども、神様が導いてくださった赤い糸のおかげで、私の夫となった人は、いっしょにお宮を守っていこうと決心してくれ、以来、仕事とお宮の二足の草鞋を履いて、大変ながらも頑張ってくれている。
やがて、大きな力に導かれるように、私も神主になるときがやってきたようだ。