祈ることとは?
祈ることとは?
毎年、年の暮れには、地元の会社や、老人介護施設などの団体から、新年祈願祭の予約を受ける。
一昨年前からは、地元の小学校の野球部からも予約も受けるようになった。この小学校は、私の母校でもあり、タイガースと名のついた野球部は長い伝統を持っている。半世紀前は私の同級生の男の子たちも、こぞって野球部に所属していた記憶があるが、時は流れ、今や彼らの孫たちが、タイガースに入ったという話もちらほらと聞く。
さて、今年のタイガースの新年祈願祭は昨年に引き続いて私がご奉仕することになった。
お祭りの予約の際に、私は選手全員と監督にあることをお願いしていた。それは各自の今年の目標をできるだけ具体的に紙に書いてもらうことだ。それをお供えしてお祓いし、神社の印鑑を押して各自に戻す。目標を書いた紙は、一年間机の前に貼っておき、一年後、自分がどのくらい達成できたかを反省してもらう。昨年は「野球が好きになる」「がんばる」などの漠然とした目標が多かったが、今年はさらに具体的になり「毎日素振り五十回」「一週間に三回ランニング」などそれぞれに頑張る目標が見受けられた。
祈願祭では、キャプテンに代表して目標を読みあげてもらい、玉串は選手と監督、その保護者ひとりひとりに心をこめて拝礼してもらった。
試合に勝ちますように、試験に受かりますように、この時期お参りは多い。しかし拝むだけで願いが叶うわけはない。祈りは自分への誓い。努力を積み立て初めて神様に通じるものがある。そして何事にも感謝の気持ち。監督・コーチはもとより、汚れたユニホームを洗い、美味しい食事を作ってくれる家族、そしてきちんと闘えるように自身の健康を整え、練習のできる環境を与えてくれる目に見えないご加護の力を大切にしてほしいと切に願う。
その夜、タイガースの面々にならって私も今年の誓いを立ててみた。
【毎週一冊読書 エッセイ・月に五話 創作・年に五話以上】
このくらいシビアにいかないと、目標を達成できないけれど……。
でっきるかなあ! 書くは易し。されど行いは難し。




