田舎神職の悩み
田舎神職の悩み
どんな職業にも悩みはつきものだと思うが、神職にも悩みがある。とりわけ生理的なこととなると、悩みは深刻だ。
当地では、十一月から十二月にかけてが秋祭りの最盛の時期となる。十二月はかなり寒くて、拝殿にいるだけでも、足先や腰が冷えてくる。そうなると、どうしてもトイレに行きたくなるものだ。
実家のお宮には、社務所にひとつ、外にひとつ、社務所は和式だが、外のは煖房設備もあり、掃除も行き届いてかなりきれいだ。だからお宮のトイレはどこもと安心するのは甘い甘い。トイレのない山の中のお宮や、あっても反射的に戸を閉めてしまいたいほど汚れているトイレのお宮など、宮司である父に不平をもらしたことがある。父いはく、田舎は男性社会なので、女性がトイレを使うことなど、誰も考えつかなかったそうだ。だから大半のお宮にトイレがないのである。
そうなると、大祭の当日は朝から水分も食事も控えるのはもちろん、その数日前からお腹を壊したりしないよう細心の注意をはらう。トイレのないお宮で腹痛がきたらと想像しただけで恐ろしい。一度だけ、我慢できずにあるお宮のトイレに入った。外にあるわりにはきれいなトイレかと安心した矢先、カギが開かなくなった。そこは社務所とかなり距離のあるところで、ちょっとやそっと叫んだくらいでは聞こえない。おまつりが始まる寸前に、あれ?宮司は?となって初めて探しにくるのだろう。そうはなりたくなくて力の限り、内側からドアをぶったたき、蹴とばし、およそ宮司とは思えない豹変ぶりで、助けを呼んだ。ちょうどそこを通ってあけてくれたのは、優しそうなおじさんで安心したが、以来、私はそこのお宮のお祭りはなるべく主人に行ってもらうようにしている。
今の時期はトイレの心配より、顔にかく汗とあせもである。神職は顔に汗をかいてはならない、腹にかけと習ったが、果たしてそんなことができる神職がいるのだろうか。蒸し風呂のような拝殿で、汗は目に入り、頭を下げれば、ぽとぽとと汗がしたたり落ちる。おそらく化粧も落ちてしまい、どんなドロドロの顔になっていることやら。まだまだ当分悩みはつきない。




