ニャットラン
ニャットラン
せんだて四月十日に、居住している市の市議会議員選挙の当選祈願を行った。
同じ地区から二人の候補者がたち、同日の同時刻に祈願をお願いしますということで、内心ではこんな切羽詰まった祈願はしたくないのだけれど、同じ氏子さんなので、夫とひとりずつ担当してご奉仕するしかないと腹を決めた。
私の担当するMさんは三期目ではあるが、前回かなり危なかったということで、今回は気合を入れていた。こちらとしても手抜きはできない。祝詞を考え、丁寧なお祭りを心がけた。もちろん夫の方もがんばっていた。それから一週間、狭い地区には毎日ウグイス嬢の声が響き渡り、ついに迎えた運命の日。
両氏とも無事に当選することができた。夫と顔を見合わせ、ひとまずやれやれである。
奉仕している神社には、この時期、夫婦連れのお参りが多い。子どもが希望の高校、大学に合格できますように。無事に出産できますように。以前に詣でて願った祈りが無事に叶えられたことに対するお礼のお参りなのである。こういう感謝の祈りは報賽と呼ばれている。
神様にお願いしたことが無事に叶えられた。それはもちろん本人の努力もあるけれど、その努力を最大限に引き出してくれた自身の健康状態や、まわりの環境はやはり目にみえないご加護のおかげではないだろうか。すべてが自分の力だけで叶えられたとは決して言えないと思うし、謙虚さを忘れてしまうことは、何より怖い。
件のお二人の議員さんたち。多分応援してくださった方々にはお礼を申し上げたと思う。けれど、祈願をした当の神様にはお礼を申し上げに参拝したであろうか。
そして思い出した。ちょうど同じころ、奥さんが手術を受けるから祈願をしてと頼んできた同級生がいたのだ。数日して奥さんが無事に退院できたと連絡があった。お宮に奥さんと一緒に、報告においでと誘ったがそのままだ。
「どう思う? クロ」
拝殿に置物のごとく座っているクロに問うてみた。彼なら答えそうだ。
「ニャットラン」




