初宮祈願
初宮祈願
神社にはさまざまな祈願がある。
安産、初宮、七五三、厄除け、合格、交通安全、数え上げたらきりがない。
実家の神社は、祈願は要予約としている。お守りなどすべて一つ一つ手作りをしているし、マンパワーが足りないので急に言われても対処できないせいでもある。
昨日二件の初宮参りがあった。準備は前日から。神事に必要な祝詞やお守り、玉串はもちろんのこと、お食い初めのセットやでんでん太鼓などの授与品を揃え、お供えの買い出し、お赤飯を炊く支度となかなか忙しい。けれども様々な祈願の中でも、初宮参りのご奉仕だけは心がわくわくしてくる。生まれたばかりの赤ちゃんを囲むご両親やご一家の嬉しさが、素直に伝わってくるせいだろうか。ひいじいちゃんやひいばあちゃん、おじさんおばさんなどひとりの赤ちゃんに十人以上の大人が、ずらずらと続いて一緒にお参りすることもめずらしくない。
権禰宜になって初めてのご奉仕は、やはり初宮祈願だった。可愛らしい赤ちゃんの寝顔やご家族の喜びを味わうことより、お祭りをぬかりなくやれるか不安の方が先立った。
祈願の間、赤ちゃんは眠ってばかりで、うんともすんとも言わなかったが、宮司が言うにはむしろ泣いてくれた方がいいのだそうだ。
初宮参りは、氏神様に、赤ちゃんを氏子と認めていただき、まだまだ不安定な赤ちゃんの心と体に神様のご神徳をいただくのだから、氏神さまへご挨拶代わりに泣き声をお聞かせするといったことかもしれない。
新しい命を授かったご夫婦へ、女性神職として送る言葉は、親の愛は祈りですということだ。
子どもが幼い間も、晴れて成人になってからも、親である限り、子どもを永遠に心配し続ける。
どうぞこの子の人生が、幸せなものでありますようにと神様に手を合わせる。すべての母親にとって、それはすでに安産祈願から始まっていたのかもしれないけれど。
昨日の祈願は二件とも、赤ちゃんのおじいちゃんは中学校の同級生だった。
丸坊主で学生服を着ていた彼らが、孫を抱いている姿。
時の流れの速さをしみじみと感じた。




