スクーリングの悲劇③
スクーリングの悲劇③
緊張の連続の祭式講習から、お昼時になれば、解放されると思っていたのは実に甘かった。
講習中の昼食は、近くにある割烹からの配達弁当だったが、それはとても豪華で美味しそうだった。 幕ノ内弁当が主流だったが、うな重もあれば、揚げたての天ぷらをのせた天丼のときも。
長テーブルに班ごとに座り、お茶をつぎあい、これで和気あいあいと食事ができると期待した瞬間、なんとすぐとなりの長テーブルに、さきほどまでみっちりとしごかれた講師陣が、並んで着席していくではないか。彼らも講習生と食事を共にするというのだ。
当番が前に進み出て、食前感謝の祈りを捧げ、全員で奉唱する。
―たなつもの百の木草もあまてらす 日の大神のめぐみえてこそ 頂きます
食事中は私語はいっさい禁止。もくもくと食べる。目だけはキョロキョロ周りの食事の進行状態を探る。これが実にのどに詰まるのだ。おまけにすぐ隣には講師陣。しんと静まり返った中で、ものを食べる音、お茶をすする音のみが響き渡る。それでなくても食べるのが遅い私は半分までいかないうちに、周囲がどんどんお重にふたをするので、仕方なくそれにあわせていた。全員が終わったのを当番が見届けると食後感謝の祈りを奉唱する。
―朝よひに物くうごとに豊受の 神のめぐみを思へ世の人 ご馳走様
のちに、長男が伊勢の皇學館で一ヶ月間、神職の研修を受けることになるのだが、そのときはお残し自体は絶対禁止という厳しいものだったらしい。好き嫌いの激しい長男はかなりゆううつだったようだ。
古来よりお米は神事に欠かせないものである。
お天道様のおかげで稲が育ち、日々の食卓にのせられるご飯。あたりまえのように食べ、残している私たち。いかに恵まれているか、食前食後の挨拶の意味を今一度かみしめてみたい。




