スクーリングの悲劇①
スクーリングの悲劇①
八月と十一月には四泊五日の日程で、大阪国学院での祭式実技のスクーリングが待っていた。宿泊場所は、もちろん自分で探さなくてはならない。私は毎回、学院にいちばん近い東横インにお世話になることにした。
毎朝着いた順から着かえをする。ふだん使う実技の教室を、カーテンで仕切り十人ほどの女性の更衣室をこしらえる。初めて出会う人同士、なるべく素肌を見せないように、さっさと装束を身に着けていくのだが、毎朝ぎりぎりにかけこんでくるKちゃんという女性にはたまげた。恥ずかしさもなんのその。上着からストッキングまで、どんどん脱ぎ捨てていくのだ。あまりの脱ぎっぷりのよさに女性陣は唖然。
当時まだ二十代だった東北出身のKちゃんは、一番最年少で、少女のように愛くるしい顔だちをしていた。講習の時には、本当に淑やかなのに、なぜ着かえのときだけは、あんなに大胆だったのだろう。今でも同期生の語り草となっている。
着かえのあとは朝拝。そして九時から五時までみっちり授業。六十人前後はゆったりと入れる大きな教室で、祭式の練習をする。堅い畳の上だったと思うが、毎日八時間は正座。それに耐えきれない人は、悲しくもそこで没落である。
まずは基本動作。祭式で神様を拝む身体の傾きの角度は、三十度、六十度、九十度いろいろある。
そして、男性なら笏、女性であれば扇の持ち方や、それらを持つ角度などを体得させられる。
次に足の回転方法。ひざを使って前後に進む膝進、膝退等々。皆いっせいに、拝とよばれるおじきをしたところでストップをかけられ、十人の講師がいっせいにチェックに走る。もっと曲げろだの、猫背にならないだの諸々諸注意を受け、何度も身体で覚えさせられる。
そういうことを延々と繰り返し、一日終わると、足腰はガクガクで、五十代六十代の受講生は、悲鳴をあげていた。そしてほとんどの講習生が、足腰に湿布をはって、翌日を迎えるのだった。




