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帝国辺境の公用語塾  作者: 寺野怪衆
プロローグ
1/28

1.さらば帝都


「ええっ! ほ、本気だったんですか!?」


 ふいに、塾長のトメイニ氏が素っ頓狂な声を上げた。単眼鏡(モノクル)が吹き飛び、自身の禿頭に乗ってしまったほどだ。

 私は大きく、それはもう深々と、ゆっくりとうなずく。


「はい。本日限りで辞めさせていただきます。数週間前にお伝えした通りです」

「そんな、困りますよ! だって、アレクサ……あなたは副塾長になったばかりなのですよ!? まだ一年も経っていません!!」


 お説ごもっとも。

 実際、就任当初から責任感が付いて回り、ここ数か月の間は決意を口にすることも難しかった。だが、なにごとにも限界はある。


「モロニ語塾は現在、大盛況です。そして帝都だけで数百はあると言われる中、このトメイニ塾はさらに売り上げを伸ばしています。帝国の後押しもあり、あなたの給金だって、下手な公職よりも」


 まくし立ててくる相手に、私はどうにか切り込んだ。出てきたのは、自分が想像する以上に重々しい声だ。


「はい、ですから。……大変、心苦しいのですが」

「やはり、あの件ですか」


 塾長も落ち着いたらしく、ようやく理由に思い至ってくれる。彼は大きなため息を一つ吐くと、頭に乗っていたモノクルを元の位置へと戻した。


「あんなものは……些事ではありませんか。人は楽な方、楽な方を求めて、努力の欠如を他人のせいにする。語学が相手なら特にそう。そんなことは、あなたが一番理解しているのではありませんか?」

「はい」


 これでも十年近く勤めたのだから、知らないわけがない。「お客様」の身勝手さ、傲慢さなんて腐るほど見てきた。

 それでも、我慢ができなかったことがある。


「ですが、塾長。あればかりは、ダメでした。絶対に、あってはならないことだったのです」

「…………」


 じろり、と。

 それなりに追随してきた私に向けるとは思えない目を向けてから、もう一つだけトメイニ氏は息を吐く。


「忠告しますがね。田舎は()()()ですよ。そして、あなたは自身の役割を過大評価している。教師はすでに聖職ではないし、あなたはあくまでも私塾の講師です」

「あるいは、そうだとしても」

「いい年をした紳士が、いつまでも青二才でいるべきではないと思いますがね」


 トメイニ氏のことは、別段、好いているわけではなかった。経営者として以上に、どこかゲスな性根が昔から合わない。正論を言えるだけのことをしていないのに、部下にはそれを叩き棒として用いる所なんて、特に最悪だ。


 けれども、やはり……とにかく、こんな言葉を彼に向けられるのはつらかった。これでも長年連れ添ってきた、この塾とともに生きてきた意識だけはあったから。


「お世話になりました」

「…………」


 頭を下げて塾を後にする私に、トメイニ氏はなにも言わなかった。


 その後、名門のトメイニ塾が経営難に陥っていくことを、この時の私は予感すらできていなかった。

 とにもかくにも、新たな職場、新たな環境での再スタートで頭がいっぱいだったからだ。


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