こんにちは、虐待の通報を受けてやってきました。
かれこれ10年ほども前の話になるだろうか。
当時お子もまだ幼稚園に通っておらず、週に一度同じ市内に住む両親に会いに行くのが、K氏の習慣となっていた。
その日は夏真っ盛りのとても暑い日で、グランマーーつまりK氏のママンはかわいい孫のために買ったビニールプールで水遊びをするのだと張り切っていた。
大盛況のうちに水遊びは終了し、軽くシャワーを浴びてから着替えようと、グランマはお子を風呂場へと連れていったーー事件はそこで起こったのである。
突然、パパンとおしゃべりしながら夕食の用意をしていたK氏の耳にお子の激しい泣き声が聞こえてきた。
すわ、何事か!? と駆けつけたK氏の前には泣き叫ぶお子と、シャワーを片手におろおろ謝るグランマの姿。
「いったいどうしたのさ」
「それが、ちょっとシャワーの勢いが強かったのが、うっかり手が滑って孫ちゃんの目に当たっちゃったの……」
K氏の実家の風呂の水道は、なぜか昔から水の勢いがやたら強いのだ。
目に水が当たってちょっと痛かったのと驚きはしたものの、怪我もなかったことからこの件はこれで終わりーーとは残念ながらならなかった。
その日から、お子が今まで平気にしていたお風呂を怖がるようになったのである。
特に洗髪時、シャワーで頭を流すときがひどかった(まあ、当然の結果ではある)。
「やめて、やめて」と泣き叫び、時に「熱い!」と声をあげるーーシャワーは全く熱くない。
そんな夜が一週間ばかり続いたある日、遊びにやって来ていた友人氏と車載カメラの動画鑑賞会(たしかあれは酷道ーー酷い国道ドライブものだっただろうか……?)をしていたときのことだった。
ピンポーン
来客をしらせるチャイムの音。
「はい、どなた」
「ああ、すみませんね。ちょっとね、近所の方から夜子供の泣く声が聞こえるって連絡があったものですから……」
その二人連れのご婦人がたは、なんと、我が家に虐待の疑いありという通報を受けてやってきたお役所関係の人たちだったのだ!
K氏はあれか……と力なく答えた。
「あー、お風呂のときのやつですかね……」
「その、やめて、とか熱い、とか言っていたとか」
「あれ、この前うちのおばあちゃんがお子の顔にシャワーを間違えて当てちゃって、それ以来シャンプーをひどく怖がるようになったんですよ。うちでも大変困っているんです……ほら、じゃあ頭を洗わないってわけにもいかないじゃないですか」
「まあ、そうよねえ」
おばさまたちは、少し笑った。
「あの、そのお子さんに熱いお湯を当てたり、とかは」
「いえ、いたって普通の温度のお湯ですけど。むしろぬるいくらい」
「そりゃそうだわねえ」
困ったように笑い合うK氏とおばさまたち。
「それでね、もしよければ、お子さんに会わせてもらって、元気な様子とかを見せてもらえたらと思うんですけど、よければ、でいいの」
「ああ、はい、もちろんです。どうぞどうぞ」
K氏が名前を呼んだとたん、待ち構えていたようにお子が玄関にあらわれるーーそこでK氏は気づいた。蚊に弱く赤く腫れやすい体質のお子が刺し跡をかき壊さないようにと、この季節、お子の腕や脚は絆創膏だらけ、中には発見が遅れて絆創膏ではカバーできず包帯でぐるぐる巻きになっているところもあるということに!
内心ひやひやしながらK氏はお子に挨拶をうながし、お子は元気にそれに応えた。
「こんにちは!」
「まあ、元気で、とってもかわいい。いいわねえ、こんなに元気で、しっかり育っていると」
「ええ、ほんとに」
K氏はうなずく。
「その絆創膏や包帯は……?」
「蚊にやられたところをひっかかないように貼ってるんです」
「ああ、とびひになったらいけないものねえ。ーーねえ、娘ちゃん、お母さんのこと好き?」
「うん! 娘たんね、ママだいすき! あとあそぶのもすきだし、ごはんをたべるのもすきで、あと、あと……」
「まあ、いいわねえ」
娘はぴょんぴょん跳び跳ねている。その様子に納得したのか、おばさまたちは
「これだけ元気で楽しそうなら、心配なこともないですね。また、様子をうかがいに来させてもらってもいいですか?」
と尋ね、まったくもってやましいところのないK氏は、
「ええ、もちろん。いつでもいらしてください。こちらも気にかけていただいて助かります」
と答えた。
おばさまたちが帰っていき、放置しっぱなしだった友人氏に経緯を報告してひとしきり笑い合ったあと、二人してグランマの“うっかり”にため息をついたのだった。
おばさまたちは、その後二度と我が家にやって来ることはなかった。
こんな迷惑な通報をしたのはどのご近所だ、と憤る気持ちと、こうやって地域で見守ってくれているのはありがたい、と感謝する気持ちが入り交じり、こちらに身に覚えがなくても子供の泣き方がひどかったりすると通報がいくのだな、と妙な感心をしーーそして、今回こそ身に覚えはなかったが、こうやって不確かな情報をもとに訪問を繰り返すことで、防げる虐待、助かる命があるのだろうと思うと、いろいろ問題も報じられてはいるが、まことに、児童相談所の方々には頭があがらないのである。
ーーとりあえずグランマは絶対にゆるさない。
作中の会話は、当時交わした大体の内容を思い出して書いたものなので一言一句正確というわけではなありません。