第七話 ジャイアント・デストロイヤー
多摩ロボットシティはいま、空前絶後の混乱の中にあった。
数日前から主に街の北西部にて、尋常ではないレベルの電磁波放射が観測され、それと同時に電子機器類、特に住民の多くが所有する一般家庭用ロボットの誤動作・暴走事故が相次いで発生した。
ボロ子というディアーロイドの暴走もそのひとつだった。
ディアーロイドとは、街を牛耳るロボット開発会社・DR技研の製造した最新鋭ロボットである。技研の情報統制により大っぴらにこそなっていないが、ボロ子は電磁波を利用した何者かによる操作を受け、自らの主人である老人を殺害したものと見做されていた。
彼女を市内の専門施設に移送中だった多摩ロボットシティ警察署の刑事たちは道中、不可解な地震と電子機器の異常に遭遇した。更にその直後、ディアーロイド・ボロ子は謎の苦痛を訴え再び暴走を起こしそうになった。
一連の出来事を経て、街を覆う不穏な空気は最高潮に達しようとしていた。
しかし人々は気付いていなかった。
本当の事件はまだ、始まってすらもいなかったのである。
* * *
再び森林公園の水道を借りボロ子のボディを冷やしている最中だった石山と小川は、ズズゥン、という腹の底に響くような物音が遠くから聞こえたのに気付いて、顔を上げた。
音のした方向を探して一瞬辺りを見回してから、石山は見る見るうちに顔が青ざめていくのを感じた。
「小川さん、あれ!」
「……おいおいおいマジかよ冗談だろ!?」
思わず目を見張る石山たちの前で、公園から数百メートル離れた位置に建っていた廃ビルが盛大な砂埃と共にあっという間に崩壊した。
ところがそれだけでは終わらなかった。ビルが崩れた直後、いきなり足元から巨大な振動が伝わってきたかと思うと、ビルの残骸をはね飛ばし地中から巨大な円錐状の物体が姿を現したのである。
その物体にはらせん状の溝が刻まれ、ギュルギュルと嫌な音を立てながら猛烈な速度で回転運動をしていた。見た目通りの巨大なドリルだった。やがて続けざまに、そのドリルを先端に装備した鋼鉄の巨体がガレキの山から這い出して来る。
石山たちは絶句した。それは異様に巨大な昆虫のような姿をしていた。
日本の古典的な特撮である「海底軍艦」という映画作品には、轟天号という先端部にドリルを装備した陸海空の万能戦艦が登場する。あるいは数年後にイギリスでテレビ放映されていた人形特撮「サンダーバード」にも、ジェットモグラなる黄色の地底戦車が登場する。ビルを破壊して出現したその鋼鉄の昆虫は、それらの機体と似たドリル付きで寸胴体型の本体に三対・計六つの足を生やしたような奇怪な外見をしていた。
そこらの家屋や雑居ビルなどよりも遥かに大きな体躯を完全に地上に露出させた鋼鉄の昆虫は、一度だけ身震いして全身にかかったガレキや塵を振るい落とすと、まるでガラスを擦り合わせるような不快な叫び声を上げて、次第に六本の足を前後させ始めた。
そこに来て、石山たちはようやく自分らが置かれた状況に気が付いた。
森林公園の西側から、鋼鉄の巨大昆虫がこちらへ向かって一直線にやって来る。考えるまでもなく、とんでもなく危険な状況だった。
小川が咄嗟にこちらを振り向き、ようやく冷却しかかったボロ子の肩に手を置いた。
「おい、こっから移動するぞ。ボロ子、立てるか?」
それまで水道の前にしゃがみ込んでいたボロ子は、時間をかけながらゆっくりと立ち上がろうとして、突然バランスを崩してよろめき倒れた。人工の筋肉と皮膚で形作られたその顔が悲痛な色にゆがむ。
「か、顔が濡れて力が出ないですよぅ!」
「こんな時に、冗談言ってる場合か!?」
悲鳴にも近い小川のツッコミ。と、石山だけがあることに気が付きボロ子の前にしゃがみ込んだ。
「小川さん違いますよ……こいつの額、見てください」
言われて小川が、石山の指差した箇所を凝視する。
そこでは今の今まで青色一色だった宝石型のランプが、いつの間にか赤い警告の色に変化しチカチカと点滅を繰り返していた。これが示す状況はたった一つである。
「バッテリー切れか……タイミングばっちりじゃねえかよチクショウ!」
「どーすんですか、あのデカい奴どんどん近づいてきますよ!」
石山がボロ子たちと自分の背後とを交互に見るたびに、鋼鉄の六本足は刻一刻とその距離を縮めてくる。このままでは数分としないうちにここに辿り着かれてしまう。あんな巨体に通り抜けられたら、石山たちなどいとも簡単に踏みつぶされてしまうだろう。
すると小川が、決意の表情で一同の前に進み出た。こちらに向かってくる巨大昆虫とボロ子たちとの間にひとり立ち塞がる。
「こうなったら仕方ねぇ……俺が時間を稼ぐ。石山、お前はその間にボロ子担いで逃げろ!」
「時間稼ぐたって、一体どうやって……」
石山の疑問を尻目に、小川はその懐から再びあの黒光りする拳銃を取り出すと、何やらマガジンを取り換える作業をしつつ背中越しに一喝した。
「考えてる暇があったら……とっとと走れぇ!」
ガチャリ、と無機質な音が石山の耳に届く。
そうして弾の装てんを終えた小川は拳銃を構えたまま、ダーッと鋼鉄の巨体に向かって疾走を開始した。先程の少年たちの時と殆ど変わらぬぐらいの速度で、小川の背中があっという間に小さくなっていく。
「ちょ……小川さん!」
石山の声も、もはや小川には届かない。元々思いこんだら止まらない、猪みたいな気質の男である。とはいえ長いコートの裾をはためかせ、到底敵いっこない巨獣に突撃していく姿は、さながら敵国の戦艦目掛けて航空機ごと突っ込んでいくかつての特攻隊を想起させた。生きて帰ってくる算段があるようには、到底思えない。
石山は小川の言いつけも忘れて、彼の動向を思わず注視してしまった。
「おらおらぁ! こっち向けドリル野郎!」
小川が少しずつ進路を右に逸らしながら、絶叫と共に拳銃の引き金を引いた。
と、次の瞬間、全身鋼鉄の巨獣の体表でパァンという炸裂音がして軽く火花が飛び散った。
あの音には石山も聞き覚えがあった。着弾時の音が通常の弾丸とは微妙に異なる。おそらく多摩ロボットシティ警察署の射撃訓練場でしか、聞くことの出来ない音だ。
「あ、アンチ・ロボット弾……!? あの人はまた勝手に持ち出したりして!」
小川を心配するよりも、呆れる感情が先に来てしまう石山。
それは暴走バイクを吹き飛ばす際にも使われた、対ロボット専用の特殊弾丸だった。目標を貫通するのではなく、着弾点で炸裂することにより暴走したロボットの駆動系を破壊することに特化したロボットシティならではの武装。
その持ち出しと使用には、毎回技術班を含めた各所からの許可が必要な決まりになっていたが、小川は面倒くさいなどと言って今回のように無断で持ち出してきて使用するケースが殆どだった。
帰ったら署長に大目玉だ、などと真っ先に考えた石山だったが、そもそも無事に署に帰れるかどうかすら分からない状況なのだということを、一瞬遅れて思い出した。
「こっち向けっつってんだろ、コラァ!」
一向に進路の変わらない鋼鉄の巨体に向け、小川は殆どヤクザみたいな怒声を上げながらアンチ・ロボット弾を撃ちまくる。特製の弾丸が次々とビルより巨大なその体表で炸裂し、無数の火花を散らした。
すると、どうだろう。しばらくして巨体の進撃が止まった。
同時に、体の先端で回転し続けていたドリルの運動もピタリと停止する。巨大な円錐形の表面に刻まれた、らせん状の溝がハッキリと目に見えて分かるようになる。
ブシュウ、という蒸気を排出すような音が小川の耳に届いた。直後、回転を停止したドリルがその表面に刻まれた溝に沿って、同時に四方向ぐらいに分割された。巨獣が体の先端に装備したドリルは、花びらのような構造をしていたのだ。
つぼみが開花するように、四枚の鋼鉄製の花弁がそれぞれの方向に広がると、その内側からドリルの回転軸を一直線に貫く巨大な槍の如き角が露わになる。その根元では、凶暴性を誇示するかのように真っ赤な光を放つ瞳が二つ、ギラギラと輝いていた。
「へへ……大層なツラしてんじゃねーか……。どうしたこっち来い!」
そう言って露わになった巨獣の頭部目掛け、もう一度アンチ・ロボット弾を撃ちこむ小川。弾丸の炸裂に伴って一本角の根元付近で火花が飛び散り、ギギィ、という不快な叫び声が再び公園中を席巻した。
敵の真っ赤な瞳が自分より小さな小川のことをギラリと見据える。鋼鉄の巨獣は地響きを立てながら方向転換すると、脇目もふらずに小川のことを追い始めた。
狙い通りだ。小川はチラッとだけ石山たちの方を見てから、時々背後を振り返りつつ人気のない公園の北側に向かって全力疾走を開始した。太い六本の足をガシャガシャと前後させながら、巨大な昆虫が小川一人を追いかけてその場を離れていく。
しめた、と思った石山は慌ててボロ子に肩を貸すと、その日一番の踏ん張りでもって彼女のボディを持ち上げた。やはり、ディアーロイドの体は人間のソレよりも重たかった。ロボットの本来の役割が人間の介護であるだけに、人間の自分が逆にロボットを介護しているという今の状況は、何だか奇妙な感じがした。
石山はぐったりしているボロ子を公園の外に停めてあるエイトマンの方まで引っ張りながら、気が付けば彼女を奮い立たせようと懸命に声をかけ続けていた。
「がんばれ、ボロ子! 小川さんが作ってくれたチャンスなんだぞ!」
「おがわだんちょーサン……ですよぅ……」
そうしていると、エネルギー切れで緩慢だったボロ子の両脚の動作が、驚くべきことに少しだけスムーズになっているようだった。人間も、ロボットも、他者の想いに応えたいと考えるのは同じなのかもしれない、と石山は思った。
* * *
「はあ……はあ……そろそろ、アイツらも逃げ切った頃か……?」
全力で走る小川は今一度背後の状況を確認した。
ガシャガシャと音を立てながら自分を追ってくる鋼鉄の巨体。その位置は先程いた芝生広場からは大分離れていた。石山、そしてボロ子からも充分に引き離したに違いない。
小川はここいらで自分自身の身の安全も図るべく、公園の北側に設置された小規模のアスレチック広場へと逃げ込んだ。大小さまざまな遊具で複雑に入り組んだその場所は、デカブツから姿を隠すのには最適に思えた。
いくつかの階段を駆け上っては下り、やがて見えてきた木製のやぐらの影に身を潜める。
ズズン、ズズン、と繰り返し地を揺るがす大きな足音が、徐々にこちらに近づいて来る。数々の修羅場を潜り抜けてきた小川でさえも、流石に肝が冷える思いだった。
だがやがて、その足音は途切れた。
重たい機械の駆動音らしいものだけが延々と小川の元にやって来る。なんとか、自分の姿を見失ってくれただろうか?
物陰に息を潜めていたのは数分にも満たなかったが、小川にとってはその何十倍にも感じられた。いくらなんでも、その場を離れていく音さえしないのは妙だと思い、小川は敵に気付かれないようそっと物陰から顔を覗かせた。
不意に、フッと小川の視界が何かに遮られて真っ暗になった。小川が慌てて物陰に引っ込んだ次の瞬間、いままで小川の頭があった位置を掠めて、巨大な何かがアスレチック前の大地を削りながら転がっていった。
目の前にあるそれが、根元から引き抜かれた一本の巨木だと気が付くのに、しばらく時間がかかった。そうしている間にも、やぐらの隙間から差し込んでくる日の光が瞬く間に途切れていった。
「うおおっ!?」
小川が咄嗟の判断でやぐらの影から退避した直後、降り注ぐ無数の巨木に押し潰され、木材とロープを主材としたアスレチック遊具は跡形もなく粉砕された。
衝撃でひっくり返った小川の耳に、再び動き出した鋼鉄巨獣の嫌らしい叫び声が木霊する。その背後には、うねうねとのたうち回る金属質の触手のようなものと、その先端でガチガチと硬質の音を打ち鳴らし続ける巨大なハサミのような部位が見えた。
その部分を使って、そこら中の木々を引っこ抜いては投げつけてきたに違いない。とんでもなく悪意に満ちた怪物だった。
「ンなろー!」
頭に血が上った小川は、目の前に見える巨獣の頭部目掛けてやけくそ気味に銃を乱射した。アンチ・ロボット弾の炸裂音が幾重にも響き渡る。だがしかし、敵は慣れてしまったのかもう一切怯む様子は見せなかった。
巨獣の頭部をエリマキのように覆う四枚の鋼鉄の刃が、今や扇風機の羽のように高速で回転しながら小川へと迫っていた。その切っ先が掠めるたび、地面は抉れ、ベンチは砕かれ、何もかもがチリとなって消え失せていく。こんなものに巻き込まれたら、小川など一瞬で挽き肉にされてしまうだろう。
こんなところで死んでたまるか、と逃走を企てる小川だったが、運の悪いことに巨獣の投げつけてきた無数の樹木が四方を塞いで、即席の袋小路を形成していた。よじ登って超えていくには、敵が余りにも接近し過ぎている。アンチ・ロボット弾も撃ち尽くしていた。もう完璧に打つ手立てがない。
「こいつは……いよいよやべぇかな……?」
殆ど詰んだ状態だというのに、却って小川の頭は冷静になっていた。こうなってしまうと、もうジタバタしても仕方ないと思えてきたのだ。
死ぬ前にせめて一服しようとポケットを探ったが、これまた運の悪いことにタバコは一本も残っていなかった。これも好き放題にやってきたツケかな、なんて思えた。
ツケといえば、いつだか石山を誘って近所の居酒屋に行った際、奢ってやると宣言していながら持ち合わせが足りずに二万円ほど借金し、結局そのままだったことを思い出した。死んだら流石にチャラにしてくれるだろう。悪いな、石山。
こんな時だというのに、小川の脳裏に甦るのは下らない記憶ばかりだった。
というよりむしろ、石山と出会ってからこの数年間で形作ったしょーもない出来事ぐらいしか、思い出す価値のあることが自分にはないのかもしれない。殆ど誰からも愛されたり、必要とされることのなかった人生だ。最後の数年間だけとはいえそこそこ楽しく過ごせたのは、むしろ幸運だったと言えるかもしれない。思えば石山にも随分と迷惑をかけた。
ヤツは、自分がいなくなっても一人でやっていけるだろうか?
久々にサングラスを外してみると、回転する刃がもう目前にまで迫っていた。巨獣のギラギラと光る瞳が小川の生の視線とぶつかる。銃撃への報復感情にとどまらない、何かもっと深く底知れない憎悪のようなものが、その赤い光の奥に見えた気がした。
ああ、終わったな、と思った。
ところがその瞬間。
目の前の巨獣が近づいて来るときにも聞いた、ズズゥンというあの地響きのような音が再びすると、いきなり回転する刃の前進がストップした。続いて、ガリガリと地面を削りながら目の前の巨獣が、徐々にだが小川の元から後退していく。巨獣が耳障りな叫び声をそこら中に響かせる。小川の勘違いでなければ、まるで苦痛を訴えているように見えた。
呆然とする小川の前で、鋼鉄の巨獣を後ろ向きに引きずった何者かが、ハサミのついたその触手を基点に巨獣の体を高々と持ち上げた。鋭い悲鳴と共に、六本足の怪物が遥か彼方の木立に向かって投げ飛ばされる。鋼鉄の巨体が生い茂った木々に叩きつけられ大地を揺るがした瞬間、それを上回る轟音を大気いっぱいに轟かせる真紅の聖獣がいた。
どっしりと地を踏みしめる二本の足。鉤爪を備えた筋肉質の両腕。空を覆い尽すかのような気高き翼。後頭部目掛けて反り返った冠の如き角。
「お……おぉ!?」
小川は思わず感嘆の声を漏らした。
映像でだけなら何度となく見た事がある。だがしかし、実際に遭遇することはないだろうとタカをくくっていた、生ける神秘の存在。
怪獣・レドラがいま、そこに立ちはだかっていた。
幸運なことにその日、小川は借金二万円をチャラにし損ねた。