第五話 アンドロイド・ガール 前編
車に乗って署を出発してからというもの、小川は終始無言だった。彼は今、石山が運転するエイトマンの助手席に座って窓の外を眺めている。
一方、後部座席には同乗した刑事課の署員二人に挟まれる形で、ボロ子が乗せられていた。あの後新しいズボンを穿かされた彼女は、すぐにエイトマンに押し込まれたのだ。
万が一暴れた時のことを考えて護送車に乗せるべきでは、との声も上がったが、最終的には電源をオフにさえしておけば、余程のことがない限りは大丈夫だろうとの判断がされた。現にいま、バックミラー越しに見えるボロ子の額からは活動中であることを示す青いランプが消えている。
ロボ・ストリートを先日とは違って緩やかな速度で進みながら、石山は次々と流れ去っていく周囲の街の光景に思いを馳せていた。極めて計画的に整備された街というのが、石山がこの街で暮らし始めた頃に抱いた第一印象だった。しかし最近では、その実態は極めて歪なものであるという印象に変わりつつある。
多摩ロボットシティはその誕生当初から、子供や老人すなわち弱者のための街、福祉を第一とした街であることを掲げていた。その代表が、ディアーロイドを含むアンドロイドたちだ。彼らは多忙で脆弱な人間に代わって、介護や育児などを率先して引き受けてくれる。ロボットシティにおける孤独死の発生率は同規模の都市と比較して全国一少ないとされるし、公共施設や介護施設などで人手が足りないという事態も滅多に起こらない。何よりアンドロイドが本格登場してからのこの十年で、老若男女問わず精神疾患を訴える人間の数が激減したというのは有名な話だった。
これらだけ見れば、ロボットシティは確かに既に理想的な社会像を実現しているかのように思える。が、実際には、それらはごく一面的なものでしかなかった。その一端が、巷ちまたに溢れかえったロボットたちの不法廃棄問題である。
ロボットたちは基本的に、人間には逆らわない。彼らは本来工業製品であるから、それらは一見至極真っ当なことのように思える。実際、冷蔵庫や掃除機などの家電製品が使用者の意に背く行動を取ったら、石山を含め誰もが腹を立てることだろう。
けれども最近、ロボットたちだけにはある程度例外を認めるべきではないだろうか、と石山は思い始めていた。曲がりなりにも記憶と思考能力を持ちながら、抵抗することが許されないというのは実はかなり残酷なことではないのだろうか? 壊れるまで使い込まれた挙句、文字通りゴミのように放り捨てられてしまうロボットたちの現状を見ていると、嫌でもそう感じざるを得ないのである。
ロボットの台頭は、人間社会の弱者を救ったという。しかしながら、社会から歪みそのものが消えてなくなったりした訳では決してない。本来ならば人間たちが自分自身で背負うべきことを、より低コストかつ従順であるという理由でそっくりそのままロボットたちに押し付けただけなのだ。人間の弱者を救うために、ロボットたちは自分自身が新たなる“弱者”と化したのである。
それが彼らの存在意義なのだ、と言ってしまえば身も蓋もないかもしれない。だが、知能や行動がある程度制限されているならばともかく、ディアーロイドほどのレベルともなればそれはもはや本物の人間と殆ど変わらない。少なくとも、アレほど明確に意思や感情の発露が見られるならば、そこには既に『心』だとか『命』と呼べるものが宿っていると見做みなして構わないのではないだろうか?
ロボットたちと同様に法律上人間の所有物として扱われる犬や猫などの動物たちには、動物愛護法といった形で限定的ながらも、ある種の尊厳とでも呼べるものが認められている。これはいわば『命あるもの』と見做されている証左ともいえる。しかしアンドロイドの台頭から十年以上が経過した現在も、人型ロボットをあくまでも『自動人形』と定義する司法は、未だに何の尊厳も彼らに認めてはいなかった。どれほどの感情を示そうとも、いまのところボロ子たちは“人間の真似をして喋る機能を与えられた機械”でしかないのだ。
ふと石山は、かつて小川が発したある言葉を思い出した。
「……小川さん、三年前のあの時に、自分で言った台詞憶えてますか?」
「なんだ、藪から棒に」
「いえ、ただなんとなくあの時のこと思い出しちゃって」
「……忘れちまったよ、そんな昔のこと」
そう言って再び顔を背ける小川だったが、どっこい、そんな誤魔化しは通用しない。小川がとぼける時は大抵同じような仕草をするから、ひと目で分かるのだ。
そこで石山は、ちょっとだけ意地の悪い声を出してみることにした。
「まさか、本当に忘れちゃったんですか? “逆らうこともできないなら、何のための感情だ
バカヤロー!”ってあんな大声で叫んでたじゃないですか」
「そういう小っ恥ずかしいこと人前で言うんじゃ……っていうか、テメェ全部自分で覚えてんじゃねえかよ!」
「いやー、久々に小川さんの口から聞きたいなぁ、と思いまして」
「下らねえこと言ってねえで、前見ろ、前。運転中だろが」
慌てて手を振って車の前方を指し示すと、またもそっぽを向いて黙り込む小川。その様子を見て石山は堪らず含み笑いを漏らすと、はいはいと返事をしてそのまま引き下がる。心底照れ隠しの下手な人だと思った。
すぐ後ろの席に座っている刑事二人は、何のことか分からずにキョトンとしていたが。
『まもなく、Cー3地区です。次の十字路を左折してください』
空気を読んだか読まないでか、エイトマンの無機質なアナウンスが車内に響く。
多摩ロボットシティ全体はロボ・ストリートとその支道を境目に大体A~Dという四つのブロックに分けられており、それぞれが異なった特徴を備えている。石山たちが今向かっているロボット検査センターというのは街の北東部にあたるC地区にあり、そこは他にも市役所や公営の総合病院など、市民が利用する公共機関が多く立ち並ぶエリアでもある。
エイトマンのアナウンスから一分もしないうちに、件の十字路が見えてきた。昨日のバイクとのチェイスではそこを右折したのだが、今回は逆方向である。
ロボット検査センターに到着すれば、熟達した専門家の手によってボロ子のメモリーを調べ上げることが出来る。純粋な映像記録としてのそれを一部でもサルベージすることが出来れば、ディアーロイドの人工知能そのものに欠陥が存在しているのかどうかはともかく、少なくとも事件が発生した当時の状況ぐらいは把握できるだろう。
しかし、問題はそこから先だった。人工知能そのものを詳細に調べるともなれば、おそらくDR技研の関係者が何かと介入を図ってくるに決まっているからである。また以前のように、事件の真相が闇に葬られたりはしないだろうな、と石山は検査センターに到着する前から一抹の不安を覚え始めていた。
と、その時である。
ブツン、と何の前触れもなく、運転席の傍のナビに表示されていたロボットシティの地図が消失した。変だな、と石山は思った。自分は何の操作もしていない。小川も同じことを思ったようで、怪訝な顔をしてカチャカチャといくつかのボタンを操作してみていたが、一向に反応がない。
「急にイカれたな、どうした?」
「うわっ!?」
石山は咄嗟とっさに急ブレーキをかけた。勢い余って、小川や後部座席の刑事たちが前方に投げ出されそうになる。遅れて、重量物同士のぶつかり合う音が車の前方から聞こえた。
石山はすぐにドアを開けて降車した。見れば、エイトマンの目の前に別の一般乗用車が飛び出して来ていて、その横っ腹にエイトマンのフロント部分が突っ込む形になっていた。石山は確かに信号が青であることを確認して進んだ。相手の車の明らかな信号無視だった。
「おいおい、勘弁してくれよ!」
小川もそう言って助手席から降りてきた。続いて、飛び出してきた車の運転手も車外に顔を出す。ところがその言い分は、驚くべきものだった。
「ちょっと刑事さん、急いでたのは分かるけどサイレンぐらい鳴らしてよ! 信号はこっちが青だったんだからさ!」
まさかそんな、と思いつつ再度周囲を見渡してみる。すると石山の目に飛び込んできたのは、横断歩道も含めて全方位の信号が青に変わっている奇妙な光景だった。一瞬石山は、自分の目を疑った。困惑しているのは他の車や歩行者も同じだったようで、進むべきか進まないべきか迷って途方に暮れる者、車両を前に進めようとしては一時停止を繰り返す者など様々だった。どうして急にこんなことになったのだろう。
するとそこへ、一人の市民が車に轢ひかれないように注意しながら車道を突っ切ってやってきて、石山たちに話しかけてきた。
「お巡りさん、お巡りさん。今さっき、大きめの地震があったんですよ。その直後から、この辺の信号がみんな変なことになっちゃったみたいで」
「地震? そんなのあったか」
「俺は気付きませんでしたけど……」
石山も小川と共に首を傾げる始末だった。もし信号機が正常に作動しなくなるほどの大きな揺れなら、いくら車を運転していたって気付かないということはないハズだし、警察署からも即座に連絡があるハズである。
それどころか、その市民はこんなことまで言うのだった。
「さっきから、そこら中でケータイの調子も悪くなってるみたいですよ。地震の影響で電磁波でも発生したんですかね? 単に回線がパンクしてるだけかもしれないですけど」
それを聞いて、石山はすぐさまエイトマンのドアを開けると、運転スペースの脇にある機器を操作して警察署との通信を試みた。が、やはりと言うべきか、失敗した。妙なノイズが入るばかりで本部とまともに繋がる気配がない。エイトマン本体のAIも、相変わらず全く反応がなかった。
「どうなってんだ? どっかで強い電磁波が発射された影響だとしても、地震まで起こるって何かおかしくねぇか?」
石山も全く同じことを思っていた。SF好きな人間なら人工地震発生装置による攻撃だとか言い出しそうなシチュエーションだが、いくらなんでもそれは有り得ないと思いたい。
それよりも今は周囲の交通整理をする方が最優先のようだった。さっきから交差点の真ん中でエイトマンを含む車両が二台立ち往生している上、信号も相変わらず狂ったままだった。一向に前進することの出来ない車両が、イライラを募らせてけたたましくクラクションを鳴らしまくっている。このままでは暴動でも発生しそうな雰囲気だった。
その気配を察したのか、小川はエイトマンの後部座席に向かって声をかけた。
「おい、車降りろ。交通課の連中呼べるようになるまで、俺たちで交通整理だ」
「いや、しかし彼女が……」
刑事二人は戸惑っているようだった。非常事態なのは分かるが、言ってみれば容疑者であるボロ子を一人だけ車内に残していくというのは、保安上あまりよろしくない。だが誘導灯すら持っておらず交通整理そのものに慣れている人間も一人もいない現状では、人手は多いに越したことはない。
「スイッチ切ってあるんだから平気だろ。ほら、お前ら早く!」
小川に急せかされ、仕方なしに車を降りる刑事たち。それから石山の手でひとまず車体を道路の脇に移動させると、不慣れな四人の刑事たちによる即席の交通整理が始まった。イラついていた無数の乗用車も、ゆっくりとだがようやく目的の方向に向かって進み始めた。
一方、十字路の片隅に放置されたエイトマンの車内では、電源の入っていないボロ子が車同士がぶつかったときの衝撃で運転席と助手席の間に傾かしいだ状態のまま、ポツンと取り残されていた。
ところが、である。
不意にその額のランプと、ふたつの瞳の奥がチカチカと明滅し始めた。それから間を置かずに、何処からともなく電子音声が発せられた。
《非常事態を検出。非常事態を検出。ディアーロイド2027、緊急起動します》
「…………ですよぅ?」
特徴ある口癖と共に両目をパチクリさせ、キョロキョロと周囲の状況を見回す。
なんと、ボロ子は勝手に目を覚ましてしまっていた。
小川たちは知らなかったが、実はディアーロイド2027には事故や災害が発生した場合に備えて、一定以上の衝撃や気温を感知すると人間を救助ないし救援を呼ぶため自動的に電源がオンになる機能が搭載されていたのである。それが何故か、時間差で起動したのだった。
「……だんちょーサン、どこですよぅ?」
そう呟く彼女の頭脳を、即座に何か妙な感覚が貫いた。ボロ子は停車しているエイトマンの車内から、交差点のすぐ目の前に見える公園の入り口を凝視した。そこはロボットシティ建設当初から存在する、サッカーコート二面分ぐらいの面積を持つ森林公園だった。
「……誰かがボロ子を呼んでいるですよぅ……?」
ボロ子は不思議そうな表情をしながらも自力でドアを開けると、とうとう勝手に車外に出てしまった。そしてそのまま、まるで磁石にでも吸い寄せられるかのように、フラフラと公園の入り口に向かって歩き出す。石山たちを含め、誰も気が付かなかった。
少し遅れて、エイトマンの通信システムが回復していた。ちょっとしたノイズの後に、警察署本部から小川たち宛てに連絡が入った。
「“本部から特捜石山。本部から特捜石山。Cー3付近で異常事態発生の通報あり。現在位置と詳細を報告せよ”」
応える者は誰もいない。自動で現状を報告できるエイトマン本体のAIも、まだしばらくは再起動する様子がなかった。そもそもシステムが稼働していれば、ボロ子が逃げ出した段階で周囲に警告を発していたハズである。
一方ボロ子は公園内に林立する木々の間を縫って、ひたすら歩き続けていた。本人も何処に向かっているのか分かっていない。ただ、そっちに向かわねばという考えだけがひたすら頭の中に満ちてくるので、それに従っているまでなのだ。
いつの間にかボロ子は、広い芝生のような場所にやってきていた。
少し離れた場所で、背の高い高校生ぐらいの少年らがボールを蹴って遊んでいる。その様子を見てボロ子の表情が、文字通り花が咲くかのようにパアアッと輝きだした。自分を呼んでいたのはきっとこれだ、と根拠もなくそう思い込んだ。
「ボロ子も混ぜてほしいですよ~ぅ」
タタタと小走りになって少年たちの元に近づいていくボロ子。それに気づいた少年たちが、ボロ子の方を見て瞬間的にビックリした表情になった。
当然である。仮にも彼女はいま、容疑者兼証拠物件として検査センターに移送中の身。その腕にはハッキリと手錠がかけられていた。そんな女性が嬉しそうな顔をして、比較的大きめの胸を揺らしながら駆け寄ってきたら、驚かない男はいないだろう。
「ど、どうしたの? ってか、何で手錠なんかハメてんの?」
早速その疑問を口にする少年の一人に、ボロ子はうーんと困ったような声を出しながら僅かに項垂うなだれた。ショボン、という擬音がよく似合いそうな姿だった。
「これには深い深いワケがあるですよぅ……話すも涙、聴くも涙の大スペクタクルですよぅ」
「そ、そうなん?」
「……おい、見ろよこいつの額。こいつ、人間じゃなくてディアーロイドだよ」
そう言われてボロ子の顔を覗き込んだ少年たちが、その額に装着された親指大の宝石のような物体を目にして、改めて感嘆の声を上げる。なんだかんだ言ってもディアーロイドという存在自体は現行最新鋭のロボットだ。まだ手元にない者も少なくないのだった。
「ホントだ。よく出来てんな、こいつ。人間にしか見えなかったよ」
「つーかマジで、どうして手錠なんかハメてるんだ? なんか妙にバカっぽい顔してるけど、もしかして壊れてんじゃねえの、こいつ」
「試してみるか……ねえ、君の名前はなんて言うの?」
「ボロ子ですよぅ? ボロ子は一流ロボットのボロ子ですよぅ!」
訊ねられてすぐさま、ボロ子はしゅた、と背筋を伸ばして元気よく返事をする。その様子を見た少年たちが顔を見合わせゲラゲラと笑いだした。その意味が分からず笑顔のまま首を傾げているボロ子に対し、少年たちの中の一人がまだ若干笑いを堪えながらも前に進み出てきて彼女に向かって言った。
「じゃあさ、ボロ子ちゃん。俺らの頼みを聞いてくれたら、仲間に入れてあげてもいいよ」
「ホントですよぅ!? 何でもするですよぅ!」
「そっかー、それじゃあね、」
一人の少年がワザとらしく腕を組んで考え込む素振りを見せる。しばらくそうしてから、彼は地面を指さして言った。
「おすわりしてごらん。お・す・わ・り!」
「ハイですよぅ!」
ぴょこん、とボロ子はその場にしゃがみ込んだ。折り曲げた両脚の間に手錠で繋がれた両手を置く形になり、さながら本物の飼い犬のようである。取り囲んだ少年たちが一斉におおー、と声を上げる。
「そのまま這い這いして、わんわんって言ってごらん」
「わんわん! ですよぅ!」
ボロ子は両腕を繋がれたまま飛び跳ねるように四つん這ばいになり、命令の通りに鳴き声を上げる。今度は別の少年が前に進み出て言った。
「じゃあさ、そのまま地面を転がってみて」
「ですよぅ! ですよぅ!」
ボロ子は言われた通り芝生の上を転がった。同じ場所を右に行ったり、左に行ったりを繰り返す。土が剥むき出しの部分を勢いよく通過したためか、たちまち顔や髪の一部が茶色く煤けて汚れていく。その姿を見て少年たちがギャハハと笑い転げた。
当のボロ子はというと、期待に満ちた表情で少年たちを見上げていた。おそらくまだボール遊びの仲間に入れて貰えると思っている。その純粋さや状況を理解できていない無知さが、より一層少年たちの下劣な欲望を刺激していた。
一説によれば、人間は自分より弱そうな相手を見つけた途端、その本性が露になるという。今のこの状況は、その理屈を端的に示していた。ロボットが人間に逆らえないと知っているが故に、倫理的なタガが完全に外れてしまっているのだ。
「……ボロ子、もう仲間に入ってもいいですよぅ?」
「うーん、まだちょっと足りないなぁ」
「えええっ、どうすればいいですよぅ!?」
「どうって……ねぇ?」
少年たちは互いに顔を見合わせた。誰からともなく、やがてそこにいる全員の顔に下卑げびた笑えみが広がっていく。
「……いいのかな?」
「別にいいだろ、どうせロボットだぜ」
「言っちゃえ、言っちゃえ」
同じぐらい低劣な仲間たちの言葉に後押しされ、やがて少年のひとりがニヤニヤしながらもボロ子の目の前に歩み出る。先程から変わらず彼らを見上げているボロ子に向かって、少年はしゃがみ込んで言った。
「それじゃあね、君はまず服を全部――」
言いかけたその時、メリッ、と少年の顔面に何か硬いものがめり込んだ感触がした。次の瞬間には、少年の身体はまるで棒切れを弾き飛ばしたかのように縦方向に回転しながら低空を舞う。視界が何度も回って状況が分からなかった。仲間たちの足元に落下し転がってから、ようやく痛みが襲ってくる。
「いいい、痛ぇっ! 何だよいった――」
少年の言葉はそこで途切れた。目の前に、サングラスを装着した強面こわもてのオヤジがコートの裾を翻して立ちはだかっていたからだった。男の右の拳が握り込まれている。その途端、少年は初めて自分が殴られたのだと気が付いた。
その男――小川の背後から、石山はなるべく急いでボロ子の元に駆け寄った。可哀想に服も顔も髪も、草や土まみれだった。緊急事態だったとはいえ、彼女から一瞬でも目を離してしまった自分たちを罵倒してやりたくなる。
「テメェら…………コイツに一体何してやがった! 答えろ!」
小川が少年たちに向かって吼える。彼らは一様にお前が言えよ、といった風に視線を交わしあっていたが、誰が主犯であっても小川にとっては同じことだろうと石山は思った。やがてその中の一人が前方に押し出されてくる。その顔が未だに半笑い気味なのを見て、石山は無性に彼らを殴ってやりたい衝動に駆られた。
「べ、べつにその? ちょっと彼女に言われて遊んでいただけというか……」
「つまらねえ言い訳してんじゃねえクズどもが! こんな真似して恥ずかしくねえのか?」
「だってしょうがないじゃないですか、ソイツがそんな馬鹿だと思いませんもん」
勇敢なのか愚かなのか測はかり兼ねるが、少年の一人が小川に向かってそんなことを言った。一同の中でも特に頭が良くてリーダー格にいそうな、眼鏡をかけた少年だった。たちまち小川が件の少年をギロリと睨にらみ付ける。
「……なんだと?」
「大体、恥ずかしいってなんですか。ロボットってのは、人間の言う通りに動いてこそ意味があるんじゃないですか。そもそも、そんなオイル臭い機械オンナに興奮するヤツなんか、いるワケないでしょ。どうせ血も通ってないのに、馬鹿馬鹿しい」
その瞬間、小川の中の理性が音を立てて切れたのが石山には分かった。僅かばかり沈黙が流れた後、小川がワザとらしくうんうんと首を何度も縦に振った。
「そーかい、そーかい…………それじゃ、俺も遠慮はしねえよ」
言うが早いか小川は懐ふところから拳銃けんじゅうを取り出して少年たちに突きつけた。ガチャリ、と敢えて大きな音を立ててスライドを動かし、その銃口を見せつける。それまで余裕ぶっていた少年らの顔から、サーッと血の気が引いていくのが分かった。
「テメェらに人間の血が通ってるかどうか、俺が一人ずつ確かめてやる。全員そこに並べ!」
「やべぇ、逃げろ!」
もはやひと目で分かるほどに顔面蒼白となった少年らが誰かの合図で一斉に逃走を図った。とりあえず物理的には血が通っていることが証明された訳だが、もちろん小川はそんなことでは納得しない。死に物狂いで走る少年らを追って、小川も鬼の形相で駆け出した。
「待てやコラァ!」
呼び止める間もなく、小川はまるでサバンナの猛獣かと見間違みまがうほどの速度で、公園の外に走り去っていった。当然のことながら、ゴツい拳銃をその手に携えたまま。
目撃した市民からの苦情が殺到することは想像に難くなかった。
こりゃまたお説教だ、と思いながらも、石山は何故だか久々にスッキリとした感覚を覚えていた。
そんな中、ボロ子だけが事態の推移についていけず、小川が走り去った後をキョトンとした目で見つめていた。