第四話 ヤクザ刑事と最初の難事件
「小川さん、俺の拳銃取ってもらえますか」
「ほらよ」
石山の呼びかけに、小川が壁際の保管庫から黒光りするスライド式自動拳銃を一丁取り出すと、事務机の上を滑らせてこちらに寄越した。続いて銃弾を保管したケースが机の上を滑ってくる。石山はカチャカチャと弄って銃の調子を確認すると、ケースから取り出した弾をマガジンに限界まで装てんした。
銃の機種は、いわゆるベレッタに近いタイプのものだった。多摩ロボットシティ警察署では人型に限らず、あらゆるロボットを悪用した犯罪が発生した場合に備えて、同規模の一般的な警察署よりも高性能な銃火器が配備されている。これはロボットシティ独自の条例で定められていることであり、一般市民にも認知されている事実だったが、それでも普通、バイクを暴走させているぐらいで未成年を相手に特殊弾を撃ち込むような真似はしない。製造されるロボットの安全基準も含めやや特例尽くしと言われるこの街だが、その住人から見ても小川と言う男はやはり無茶苦茶なのだ。
「これでよし、っと……」
安全装置がしっかり働いていることを確認した後、石山は拳銃をスーツの内ポケットに突っ込んだ。それから、手帳にスマホ、手錠に加えて、小さく折りたたんだ特殊警棒までの一式をひとつひとつチェックし直し再装備する。
石山が全ての工程を終えたのとほぼ同じタイミングで、私服姿の小川も自分の作業を完了した様子だった。
「うし、行くぞ」
着古したコートの端を僅かだけ整えると、小川は石山の返事も待たずして部屋の出入り口へ向かった。石山の方も、何も言わずにすぐさまその後を追いかける。こういった光景はいつもの事だった。
退室の際に石山が部屋の電気を消し、続いて扉がバタンと閉められる。そこは、署の五階のフロアの端にあるこじんまりとした部屋だった。扉の上部に『特殊機動捜査班』という張り紙がされている。
警視庁多摩ロボットシティ警察署・刑事課・特殊機動捜査班。
通称を『特捜班』という。そこはまさに、小川と石山のためだけに設置された部署だった。もっと平たく言えば、“小川という破天荒な男を隔離しておくための部署”でもある。その基本任務は、市内のパトロールとその過程で遭遇した事件の専任捜査である。
本来、パトロール業と事件捜査は管轄部署そのものが違う、全く別系統の業務である。特に刑事は事務方の仕事が多いので、捜査以外ではむやみやたらとパトロールに行ったりはしない。県警などが保有する機動捜査隊はこれらを同時にやってのけるのだが、それでも担当するのは初動捜査のみである。事件が長引いた場合、大抵は専門の部署が捜査活動を引き継ぐ。
しかし、特捜班だけは違う。班長である小川が納得するその瞬間まで、一度関わった事件は徹底的に捜査を行い、協力こそすれども、決してそのまま他部署に引き継いだりはしないのである。
このような特異な部署が設置された理由のひとつは、予てから小川が管轄を守ろうとしないことにあった。既存のどのような部署に入れておいても小川の場合、自分が関わった事件にはとことん介入しようとしてしまうので、ソレが原因でトラブルが発生したことも一度や二度ではない。そこで窪田署長は正式に現場判断が許される階級である警部補へと小川が昇進するのを待って、どの課が担当するはずの事件でも等しく捜査が可能な部署を独自に創設して、小川をその班長に任命したのである。
これは、常日頃の無茶苦茶な言動で殆どの部署が受け入れを拒否する小川という男に自分で自分のケツを拭かせることに加え、署長直轄の特殊部隊を用意し緊急時に備えるという二つの目的があった。よって今回のように特別任務を任され、一種の特命刑事として立ち回ることも珍しくはないのである。
小川と石山は四階に降りてくると、そのまま一直線に留置場へ向かった。出入り口の両脇に立っている警務課の署員に軽く挨拶しながら、ゲートを開けて貰う。ガチャン、という重厚な音が響くと共に鉄製の分厚い扉が内側に開いた。
石山たちが中に入っていくと、薄明かりの中に鉄格子の小部屋がいくつも浮かび上がった。その中のひとつに、あのディアーロイドがいた。ご丁寧に膝を抱えて、部屋の真ん中にうずくまっている。確か、ボロ子とか名乗っていた。
本来、ロボットは証拠物件扱いなので留置場に入れておくのはおかしいのだが、そこは署員も対応に苦慮している部分であった。なにせ額のランプ以外はあまりにも人間に似ている上、恐ろしいまでに怪力だ。普通に電源を切って保管部屋へ放り込んでおけばいいと言う者もいたが、ある別の事件で押収されたロボットにそのような措置をしたところ、事情を知らない人間が「死体が転がっている」と勘違いして大騒ぎになったケースもあるので、一筋縄ではいかなかった。結局、暴れられた際の安全を考慮する意味でも、留置場に入れておくのが一番無難な対応なのである。
「おい」
鉄格子に近寄った小川が、軽く鉄扉をノックして中のディアーロイドに注意を喚起した。
「お前をC地区にあるロボット検査センターに連れていく。起きろ」
ボロ子なるディアーロイドが、ゆっくりと膝にうずめていた顔を上げる。そんなハズはないのだが、石山には一瞬、彼女が目を泣き腫はらしているかのように見えてしまった。思わず石山はドキリとする。
それは、実際は人工皮膚と人工筋肉が精巧に「悲しみ」の表情を再現しているだけだった。いや、DR技研ならそのうち涙の再現までやってのける気はするが、現状ではディアーロイドにその機能がついているとは聞いていない。頭ではそう分かっている。分かっているのだが、石山にはどうしてもボロ子というディアーロイドが涙を流しているようにしか思えなかったのだ。一体これはどういう事なのだろう。
「はわわっ、ですよぅ!?」
そのとき突然、物凄い音を立ててボロ子がその場に立ち上がった。むしろ、飛び上がったというほうが適切かもしれない。そのぐらい凄い勢いだった。続いて、ダダダと妙に重い足音を響かせて鉄格子に駆け寄ってくる。小川が咄嗟とっさに身を引いた直後、ボロ子が猛スピードでその身体を鉄格子に激突させた。
「うわ!」
ガッシャーン! という音が留置場の鉄格子や金網に目一杯共鳴して拡散していく。鉄扉を開けようとしていた警務課の署員が、途中まで突っ込んでいた鍵を鍵穴から引き抜き、慌てて飛び退いた。
ディアーロイド2027の重量は、素材密度の問題で同じ体格の人間の1.3倍程度だと言われている。ボロ子は、外見は石山より若干背の低い女子大生といった風だが、実際の体重はむしろ小川の方といい勝負なのだ。そんな身体で体当たりなどされたらひとたまりもないに違いない。警務課の署員がそこまで知っていたのかは不明だが、ともかく彼は慌てて留置場を飛び出すと他の署員たちを呼びに走っていってしまった。
その場に残されたのは、小川と石山だけだった。
「……大丈夫ですか、小川さん」
「別に平気だ。それよりもお前……ボロ子っつったか? お前、自分が無実だっていうなら、どうしてこんな……」
「……ですよぅ」
「あ?」
「本物の、団長サンですよぅ!」
そう叫ぶボロ子の目から、先程までの絶望的な色合いが消え去っていた。代わって、その瞳いっぱいにビーズを敷き詰めたような、非常にキラキラとした光が満ち溢れる。そう、それはまるでテレビの中のヒーローを見つめる小さな子供のような。彼女の視線はまっすぐ小川へと注がれていた。
「軍団長ですよぅ! デカ長ですよぅ! 本当にいたですよぅ! ボロ子感激ですよぅ!」
そう言って目の前の鉄格子を両手で握りしめたまま、ピョコピョコと小刻みに飛び跳ねまわるボロ子。行動がまるっきり小学生だった。ジャンプするたびにする音がその辺の成人男性といい勝負なのが痛いところだが。
「はっ、そんな場合じゃないですよぅ! だんちょーサン、ボロ子は犯人じゃないですよぅ! 何も覚えてないのは本当ですよぅ! 何者かにハメられたですよぅ!」
石山と小川は、思わず互いに顔を見合わせた。
団長。デカ長。なんとなくその言葉に察しはついた。原因はおそらく、小川が常時装着しているサングラスであろう。
どこで見たのか知らないが、ボロ子は小川をドラマの中の登場人物か何かとごっちゃにしているようであった。何ともコメントのし難い状況である。それより石山は、今の今まで不安に思っていたボロ子の悲しげな雰囲気が一瞬にして消え去ってしまったことに、微妙にショックを覚えていた。
コロコロと感情が変わり過ぎなのだ。石山の心配は一体何だったのだろうか。
そのうちドタバタという音がして、留置場に体格のいい警官数名を引き連れ、先程出ていった警務課の署員が戻ってきた。ロボットが暴れはじめたと聞いて、飛んで駆けつけてきたのだろう。彼らには申し訳ないが、真相は極めてしょうもないものであった。
ボロ子を押さえつけるべく早急に鉄格子を開けようとしていた他の署員たちも、小川に手で制されて驚いた様子だった。
呆れ気分でため息をついた石山は、開けっ放しになっている留置場の出入り口を振り返った。と、そこに三谷がひょっこりと顔を出す。
「石山、ちょいちょい」
一瞬野次馬にやって来たのかと思った石山だが、物陰から手招きされて、すぐに違うということに気が付いた。何か新しいことが分かったのだろうか? ああ見えて三谷は元クラッカーである。更生した現在はクラッキング行為自体からは足を洗っているとはいえ、その情報収集能力は侮れないものがあった。
石山は事件に進展があることを願って、同期の小太り男の元に小走りで向かった。
* * *
「だんちょーサン、ボロ子どこに連れて行かれるですよぅ?」
「検査センターっつったろ。あと、団長じゃねえって何遍言わせりゃ気が済むんだ」
「だんちょーですよぅ! 自分はロボットシティ署の南大門だ! ですよぅ!」
そう言って無邪気にはしゃぐボロ子。小川も実にやりにくそうであった。自分の今置かれている状況が分かっていないハズはないのだが、一体どうしたらこんな明るく振舞えるのだろうか。それとも、分かっていて敢あえてこうしているのか。
石山はボロ子の腰に何本も繋がれた紐の一本を持ちながら、眼前で繰り広げられるボロ子と小川の取り止めのないやり取りをずっと眺めていた。
小川はどちらかと言えば、普段は他人を振り回す方だ。主な被害者は石山なのだが、そんな小川をも振り回すボロ子の破壊力は、それはそれは凄まじいものである。こんなディアーロイドと一年近くも一緒に生活してきた栗原真琴という老人は、心底すごい人物なのではないかと思う石山だった。
と、ちょうど一階のホールに降りてきたところで、石山たちの前方から別のグループが歩いてきた。所謂いわゆる『お巡まわりさん』スタイルの警官と、彼に連行される被疑者の二人組だった。驚いたことに被疑者の左腕には白い包帯が幾重にもまかれ、更にその上着の左側には血液と思われる黒ずんだ染みが広範囲に広がっていた。
より驚いたことに、石山と小川はその男に面識があった。小川もすぐに気付いたようだ。
「あ、おい中田じゃねえか。テメェ、今度は一体何やらかした?」
「小川のダンナ! い、いやちょっとねえ、えへへ……」
まるで誤魔化すようにバツの悪そうな笑みを浮かべたその男は、中田といって空き巣の常習犯だった。小川に逮捕されたのも含めてこれまでに何度も捕まっているが、一向に懲りる様子のない困った人物である。何度も署内で見かけるせいで、石山もすっかり顔なじみになってしまった。
「ったく、テメェはいつもいつも。なあ、コイツどうせまた空き巣だろ?」
小川の問いに、中田を連行してきた制服警官が姿勢を正して話し出す。
「ハッ、血まみれの男がいると先日市民から通報がありまして、現場に駆けつけて事情を聞いたところ空き巣を自供しました。住居侵入を試みた際、怪我をしたとのことです」
「あ~あ……ホントにいつになったら更生すんのかね、オマエは」
「えへへ、出来れば俺も教えてほしいです、ええ」
「バカ、他人事みたいに言ってんじゃねえ!」
小川の怒鳴り声に半笑いで身をすくめる中田の様子に、ああ、こりゃまた駄目だなと遠い目になる石山だった。こんな職に就き、特に小川のような男に付き従っていると、段々人生諦めが肝心だと思うようになってくるのだった。
そのときふと、中田が小川の背後を覗き込んだ。単なる興味本位だったのだろうが、何故か次の瞬間、中田の顔色が変わった。サーッと血色が悪くなり、顔全体が青ざめていく。
「ば、ばばば、化け物!」
急にそんなことを叫び出した中田の様子に一同は疑問を抱いたが、石山はすぐにその視線の先に何があるのか分かった。ボロ子だった。彼女自身もそれに気づいた様子で、
「ど、どうしたですよぅ?」
「よ、寄るな、寄るな化け物! あっちいけ、しっしっ!」
目の前で手をぶんぶん振ってボロ子の接近を拒むその怯えように、小川はますます呆れた表情を見せた。
「何言ってんだ、オマエ?」
「お、小川のダンナ、頼むからその化け物をどっか遠くにやってくれ!」
小川の身体の陰に隠れてビクつく中田。その態度と、何度も繰り返し化け物呼ばわりされたことで、ボロ子も若干腹を立てたようだった。プクッと頬を膨らませ、中田のことを睨にらみ付ける。耳の穴から蒸気が噴き出るんじゃないかと思うぐらい、分かりやすいというか、あざとい態度だった。人間と円滑にコミュニケーションをとることが目的の存在なのだから間違ってはいないのだろうが、単に開発者の趣味ではないかという気もする。
「ボロ子は化け物じゃないですよぅ! ボロ子は一流ロボット・ボロ子ですよぅ!」
「……オマエが一流なら、ディアーロイドの大半はポンコツ揃いじゃねえのか」
小川がボソリとそんなことを呟いた。そもそも、一流なのに名前がボロ子とはこれ如何に。
一方、それを聞いたボロ子はますます怒って、何かを決意したようだった。
「ムカポッポ! そんなに言うなら、今ここでボロ子の精密ボディを見せてやるですよぅ!
オープンザ☆エプロンですよぅ!」
そう宣言し、ボロ子は何を思ったか自分の服の裾すそを掴んでめくり上げようとした。曲がりなりにも年頃の女性の姿をした者がそんな行動をしたので、石山は一瞬びっくりしたが、すぐにあることに気がついた。
「あ、あれ? おかしいですよぅ、腕が上に上がらないですよぅ」
そのまま、ジタバタともがき始めるボロ子。当たり前である。いま、彼女の両腕は体の正面で手錠を掛けられ、更にその手錠も腰回りに回された頑丈な紐に結わえつけられているのだ。
それは普段、人間の犯人を送致そうちするときなどに行う拘束方法とほぼ同じだった。唯一違うのは、その怪力に対抗するため彼女ひとりに対し、石山を含めた四人もの警官がそれぞれ別々の紐を握っていることである。こんな状態で、腕が上がるはずもなかったのだ。
だがしかし、ボロ子は一向にそのことに気付かない様子で、無理やりにでも腕を動かそうとしていた。
「むむ~、おかしいですよぅ。腕が、あがらない、です……よ……ぅ……!」
ここまで抵抗すると、周囲の警官たちも放っておくわけにはいかなかった。何人かが慌てて彼女の両肩を掴んで大人しくさせようとしたが、少し遅かったようだった。
「ですよーーーぅ!」
ブチブチッという嫌な音が石山の耳に届いたその瞬間、手錠がかかったままのボロ子の両腕が天井に向かって勢いよく掲げられた。その鎖部分には、石山たちが掴んでいた紐の末端部が絡みついたままぶら下がっていた。
つくづく凄まじい怪力だと思った石山だが、どうやらそれどころではなくなっていた。
その宣言通り、ボロ子の身体がオープンになっていたのである。
ただし上半身ではなく、下半身のほうが。
バサリ、とベルト部分のちぎれたジーパンが足元に落下し、安物量販店に三枚ワンセットで売っていそうな、洒落っ気のない下着が露わになっていた。これには石山を含めて、男性警官一同が仰天した。
周囲を歩いていた無関係の警官たちにもどよめきが広がる。
そして何故かボロ子本人は、その様子を見て人々を見返せたと思ったようだった。両目を閉じ自慢げに胸を反らし、如何にもな様子で踏ん反り返っていた。
「ふふん、どうだ見たかですよぅ。ボロ子は偉大なロボット・ボロ子なのですよぅ」
それよりも早く、今の自分の状況に気付くべきではなかろうか。
「お、おいバカ! 何してる、早くしまえ! おい、石山っ!」
ひどく慌てふためいたようなその声を聞いて、あ、と石山は我に返った。少し視線を逸らせばハッキリとその様子が目に映る。下着姿の下半身を隠そうともせず仁王立ちしているボロ子の向こう側。そこに、恥ずかしさで赤面した顔を片手で覆い隠し、もう一方の手で必死に石山を呼ぼうとしている小川良司の姿があった。
そう、意外に思われるかもしれないが、小川とは実はこういう人間なのである。それまでの張りつめた空気の反動もあっただろうが、不謹慎と知りつつ石山は思わず笑ってしまった。
とりあえずボロ子にズボンを穿はき直させようと思ったが石山だが、男の自分がやるのもアレなので、近くにいた顔見知りの婦警を呼んで、ボロ子の現状をなんとかしてもらうことにした。いくらロボットで、下着が単なる飾りでしかないと分かっていても流石にちょっと気が引けるのだ。
今の状況がよく分かっていないボロ子が数名の婦警に物陰に連れて行かれると、石山は早速小川に声をかけた。
「小川さん、もう大丈夫ですよ。小川さん」
「……ふぅ、いきなりだから驚いちまった。アイツが戻ってくるまで、少し待つぞ」
「はいはい」
いつの間にか元の様子に戻っていた小川の指示に、適当に返事をする石山。当人はまるで何事もなかったかのように振舞っているが、周囲の警官たちの何割かは、先程の小川の様子に驚いたらしくヒソヒソと何かを囁ささやき合っていた。
初めて小川のああいう姿を見た人間は確かに驚くと思う。小川が外見によらずウブな反応を見せると石山が知ったのはコンビを組んでから間もない頃だった。案外可愛いところもある、というのが率直な感想だったが、以前それを口にしたところ妙な噂が立ったことがあるので、あえて黙っておくことにする石山だった。
それにしても、と思う。ボロ子と小川は、案外似た者同士ではないのだろうか。
背負った過去の重さを覆い隠すかのように、普段はハチャメチャな言動を繰り返しているところなど、まさにそうだった。といっても本人たちに自覚はないだろうが。
実際ボロ子は、ああ見えて気の毒な境遇らしかった。
そのことを石山が知らされたのはついさっき、ボロ子が留置場から連れ出される直前のことである。
* * *
『結論から言っとく。今回の事件、十中八九は反ロボット主義者か何かの仕業と思って間違いないそうだ』
石山を留置場から呼び出した三谷は、ある小部屋に入るなりそう言った。心なしか、石山の鼓動が早くなった気がした。それでもひとまず落ち着いて、冷静に状況を尋ねることにした。
『……根拠は?』
『D地区のあの辺一帯で、最近妙に家電の不具合が多発してるらしいんだわ。コンピューターやテレビなんかは勿論、携帯が一斉にバグるなんてのもかなりあったんだと。で、そこら中に設置してある電磁波メーター調べてみたら……案の定だったわ』
三谷はうんざりしたように、大げさに首を横に振ってみせた。
『栗原真琴が殺されたのとほぼ同じ時刻に、あの周辺だけ異様に高い電磁波が検出されてたよ。しかもだ……同じ現象が昨日から今日にかけて、D地区のあちこちで報告されてる。とどめに、その発生場所がどんどん東に向かって移動してるときやがった。これ見るか?』
そう言って三谷が取り出したのは、いくつかのグラフと地図が記された数枚の資料だった。石山が受け取って目を通してみると、ザッと見ただけでも何か異様な事態が発生していることが分かった。
多摩ロボットシティでは、街の各所に高性能の電磁波測定器が設置されている。携帯電話やスマートフォン以上に人間に身近で、尚且つ多くの電磁波を発しているであろうロボットとの共生を模索する一環として、更には病理学的な知見を進展させるための一助として、電磁波が人体に与える影響を普段から積極的に観測しているのである。
特に街の北西部にはDR技研所有の広大なロボット工場が存在することもあって、そこから漏れだした電磁波が人体に悪影響を及ぼすのでは、というロボットシティ建設当初からの住民不安を解消する意味合いもあった。さながらそれは、原子力発電所の周囲に設置される放射線メーターのようである。
その電磁波測定器が、ここ数日間にわたって尋常ではないレベルの電磁波を検出していた。具体的には、同じ地区で普段観測されている量の、十倍から数十倍。時刻によってはメーターが振り切れているものさえあるから、実際はもっとかもしれない。しばし都市部では電磁波が過密だと言われるが、そういったものが生ぬるく感じられる規模である。とにかく、短期間のうちに有り得ない量の電磁波が何処からか放出されていることは確かなのだ。
加えてそのエリアが移動しているともなれば、答えは明白である。
『確かにお前の言った通りだけど……つまり意図的に電磁波をばら撒きながら街の中を移動してる奴がいる……ってことか?』
『他に考えられるか? ここだけの話、ロボットが急におかしな行動を取ったって報告自体はあちこちから上がってきてるからな。まぁ、人が殺されるなんて最悪のケースは栗原真琴だけだから、まだそこまで騒がれちゃいないけどさ。マスコミの連中だって、昨日はあの後すぐに帰っていっただろ』
三谷の指摘した通り、史上初のアンドロイドによる殺人――実際は史上初ではないが――を取材しようと押しかけてきた記者やテレビクルーたちは、石山たちが事件の概要を説明された少し後、各自が本社からの連絡で早々に引き揚げさせられていた。
大方、技研から各方面に対し圧力がかかったのだろう。昔から技研は、こういった裏工作に関しては余念がない。郊外で発生した事件ということに加え、被害者が実質独り暮らしということ、さらにハッキリとした目撃者がいないことなどから、現状ではディアーロイドは無関係だと主張されるのはほぼ確実だった。仮に今後反ロボット主義者が逮捕されたとしても、製品のイメージを優先する技研は、ディアーロイドが人間を襲ったという事実そのものを頑として認めない可能性が非常に高い。
石山は一旦目をつむると、自分の中で情報を整理した。
『……オーケー、ほかには?』
『鑑識からの報告じゃ、栗原真琴の家に誰かが侵入した形跡があるってさ。これでもう、殆ど決まりだな』
そう言って三谷は突然、ため息を吐いた。壁際にドスンと背中を預けると同時に、その腹部の贅肉が小刻みに震えた。この男にしては珍しく思い悩んだような顔をしているな、と素直に石山はそう思った。
『…………なんか段々、あのボロ子ってやつが可哀想に見えてきちまったよ。こう何度も何度も、身勝手な人間に振り回されてるんだと思うとな』
『何度も……って、前にも何かあったのか、あのディアーロイド』
『あれ、まだ知らないんだっけ?』
三谷はそこで、大事なことを思い出したように石山のほうを向いた。
『あのディアーロイドが、元々は栗原真琴のものじゃなかったって話は聞いてるか?』
『それは一応聞いた。確か、道端に捨てられてたのを被害者が拾ったんだってな。ディアーロイドが捨てられるってケースは珍しいけど、まあ有り得ない話じゃないよ』
そのぐらいのことは、石山も付近の住民から聞き出して知っていた。
ディアーロイド2027が発売される以前から、捨て犬ならぬ捨てロボットの問題は頻繁に取り沙汰されている。かつてのパーソナルコンピューターのように、黎明期は数十万円もした人型ロボットも、今や低価格であれば五~六万円で購入できる機体がある。それは極めて広範囲に普及が実現したことの証左であると同時に、世間にロボットが溢れ過ぎていることの表れでもあった。当然、古くなった機体は処分される運命にある。
中古売買されるケースはまだ幸運な方だった。ディアーロイド2027が普及する以前、アンドロイドの多くは如何にもロボット然とした外観の機体が多かった。フォルムから無骨さを取り除きこそすれ、二足歩行でなくタイヤ走行を用いるもの、顔面に人工の表情筋ではなくコンピューター式のディスプレイを持ち、顔文字の表示により感情表現するものなど、どこかにハッキリ人間とは異なる部分を擁しているのが普通だった。そういったロボットたちを処分するのに、人間は左程躊躇いを覚えない。
しかしながら、中にはどうしても買い手がつかないケースが存在する。生活環境の変化や、維持費がかさむなどの理由で不要になったロボット本体を処分しようとすれば、当然それには処分費用がかかったが、持ち主たちはそれさえも渋ろうとする。こうして最後まで引き取り手が現れなかったロボットは持ち主が扱いに困った挙句、まるで子犬を段ボールに入れて道端に放置するがごとく、自宅から離れた場所に遺棄してしまったりするのだ。
石山たちの調べが正しければ、ボロ子もそういったロボットのうちの一体だった。街の外れを彷徨っていたところを今から一年ほど前、栗原真琴に拾われたというのである。尤もっとも石山が口にしたように、現行最新鋭機であるディアーロイド2027がそういう目に遭うというのは随分稀有な例だった。不良品と見做みなされたにしても、捨てるぐらいならDR技研にリコールを要求するほうが自然である。
『お前と小川さん、あのディアーロイドを検査センターに連れて行くんだよな? 何か変だと思わなかったか。今どき、どんなパソコンだってロボットと接続すりゃ内蔵メモリーの確認ぐらい出来るし、たとえロックがかかってようが、いざとなったら俺がいるわけだろ』
『言われてみれば、そうかもな』
かつて小川に見出されたことで更生した三谷は、現在ではロボットシティ署秘蔵のハッカーとして活躍している。万が一やり過ぎるといけないとの理由で前線に投入されることは滅多にないが、それでも署内ではコンピューター関係のちょっとしたトラブルぐらいなら彼に解決を依頼するのが恒例と化している。少なくとも今回のようなケースなら、真っ先に三谷が頼られていてもおかしくなかった。
ボロ子の内蔵メモリーを調べるというのは、言うなれば証拠品として押収したカメラの内部から画像データを吸い出すようなものである。仮にロックがかかっていても、それを外すことには法的に何の問題もない。無論、三谷がやればあっという間に終わる作業である。
それでも敢えて、わざわざ検査センターに連れて行くことにしたのは何故か。
三谷はその答えを、神妙な面持ちで口にした。
『昨日、あいつの後頭部を開けて調べてみたんだよ。そうしたら、ひと目で分かった……あのボロ子ってディアーロイド、人工知能やその周辺回路が滅茶苦茶に壊されてる。元の持ち主が捨てる直前に、二度と帰ってこれないように細工したんだ』
『えっ』
『バーナーで炙ったのか、薬品でも流し込んだのか分からないけど……とにかく、外部機器に接続するための端子が、殆ど溶けちまってて使い物にならないんだ。捨てられる以前の記憶も殆ど残ってないっていうし、きっと奥にある人工知能そのものも相当酷いことになってるよ。下手にいじったら、あの人格ごと今あるデータが全部ぶっ飛んじまう可能性もあるから、俺には手の打ちようがないって署長に話したんだよ』
石山は何か言おうと思ったが、すぐには上手く言葉が出てこなかった。それぐらい非道い話だったからだ。
ロボットの不法投棄はそれだけで腹立たしい行為だが、中にはハードディスクに保存されたデータをキチンと削除もせずに捨てるものがいる。廃棄されてからも中途半端に電力の残っていたロボットが動き出し、持ち主の元に帰ろうとして街中を彷徨った挙句力尽きる、といった悲惨な事例はしばし報告された。
けれども、流石にここまでの仕打ちをした人間の例は未だかつて聞いたことが無かった。
と同時に、今までのボロ子の奇矯な言動にいくらか納得できる面もあった。
つまり、言い方は悪いが、ボロ子というディアーロイドは反ロボット主義者に操られるまでもなく、最初から壊れてしまっていたということなのだろう。取調室での一件では必要以上に膂力を発揮しているという印象があったが、あれももしかすると、人工知能に予め設定されたリミッターが外れてしまった影響かもしれない。
人間の勝手な都合で作り出された挙句、捨てられ、仕舞いには主義者に利用され親切な拾い主さえ殺害させられる。ロボットとはいえ、こんな悲惨な一生があっていいのだろうか。
『なあ、石山』
三谷がこちらを直視して、いつになく真剣な表情で言った。
『犯人見つけたら言っといてくれるか。どんだけご大層な理屈があるか分からねえが、テメェらは最低のクズ野郎だ、ってさ』
『……ああ、任せとけよ』
実際は、石山が言わなくても小川が言うだろうと思った。主に拳でだが。
ついでに言うと、部屋のすぐ外で小川が会話をコッソリ立ち聞きしていたのも、とっくの昔に気が付いていた。今は徐々に、小川の足音が遠ざかっていくのが分かる。彼はボロ子の境遇を知って、何を思ったのだろうか。聞いても答えはしないだろう。
確かなことはただひとつ。
今日これから待ち構える犯人もまた、無事では済まないだろうということだけだった。