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第三話 はだかの太陽

 暴走バイク男を捕らえてから一時間もしないうちに、石山はエイトマンに小川を乗せて多摩ロボットシティ警察署へと戻ってきた。

 冬真っ只中の突き刺すような寒さを味わいながら庁舎内へと入ると、受付のある一階部分のロビーは異様なほど大勢の人間でごった返していた。記者かテレビクルーらしい姿もちらほら見られる。というか、大半はその類の人種だった。各々が手帳か何かを携えながら、ロビーの奥に見えるエレベーターや階段を注視している。担当の人間が出てくるのを、今か今かと待ち構えているのだろう。街全体に影響があるような、何か大がかりな事件が発生したときによく見られる光景である。小川の無茶な行動を聞きつけた連中がまた吊し上げにやってきたのかと一瞬思ったが、どうやらそういう訳ではないらしい。

 自分たちの留守中に何かあったのかな? と若干興味を抱きつつも、誰にも遠慮せずロビーの真ん中を突っ切っていく小川を見て、石山は慌ててその後を追いかけた。


「石山巡査」

 ふと、声を掛けられて立ち止まった。振り向くと、受付担当をやっている同期の婦警だった。ここに配属されて数年、顔を合わせることも多かったが、生真面目な彼女は未だに石山や他の同期生たちを階級名で呼んでくる。彼女は先に通り過ぎていった小川の方をチラッと目で確認してから、石山に向かって言った。

「署長が呼んでいましたよ。帰ったらすぐに、署長室に来るようにとのことです」

「……ああ、そういうことか。ありがとう」

 石山はそれだけで全てを理解した。要するに、小川を連れて来いということだ。

 かなりの年月、多摩ロボットシティ警察署に勤めている小川だが、その粗暴でハチャメチャな言動から、彼を怖がったり、苦手意識を抱いていたりする署員は少なくなかった。特に新任の警官にはその傾向が強い。


 そのため、数年前に石山が小川と事実上のコンビを結成してからというもの、小川に連絡事などがある場合は殆どの場合、石山が窓口として利用されていた。石山は、小川とは対照的に物腰柔らかで人当たりも良く、男女問わず話しかけやすいと思われているので、自然とそういう風潮が出来上がったのである。

「おい石山、早く行くぞ」

 廊下の奥の暗がりから小川に声を掛けられて、石山も軽く急いでその後を追う。

 石山が呼び止められた理由を察したのか、何も説明せずとも小川はエレベーターに入るなり署長室のある最上階の七階のボタンを押して、それっきり何も言わなかった。



    * * *


「特捜班班長・小川、ならびに石山、ただいま署に戻りました」

 署長室の奥に横たえられた執務机の前で立ち止まるなり、小川は僅わずかに姿勢を正して敬礼した。他の人間に比べればやや崩れた姿勢だが、小川の普段の言動を知っていればこれでも充分すぎると感じるぐらいである。石山も後に倣ならい敬礼する。

 そんな石山たちの様子を、デスクに頬杖を突きながら半目になって眺めているのはこの多摩ロボットシティ警察署をまとめ上げるやり手の女署長・窪田警視正くぼたけいしせいだ。丸眼鏡に小太り体型、そしてキッチリと身を包んだ青い制服に左胸に光る金バッヂと、あらゆる面で小川とは対照的に映る女性である。

 そんな窪田署長はデスクの表面を指でコツコツと叩きながら、じっと小川の顔を見つめるとゆっくりと口を開いた。


「小川、いや良司…………お前また、やらかしたんだってな?」

 静かだが威圧感を与える口調。少し離れていても、間違いなく小川がタラリと冷や汗を流すのが分かった。そう、小川は窪田署長に頭が上がらないのである。

 どちらかと言えば威厳や迫力には欠けているように見える窪田署長だが、その実、署内では唯一と言っていい“小川を本気で叱ることの出来る人物”である。石山とて、それなりに小川に対しては影響力を持っている自負があるが、それでも立場はあくまで後輩である。諫言かんげんこそ出来てもどやしつけることなど不可能だ。

 しかし、この窪田にはそれが出来る。小川は基本的に石山以外の新任は勿論のこと、同期や先輩の忠告さえ無視するため殆どの人間から煙たがられていたが、窪田だけは別格だった。


「いや、ええ、まあ…………その…………」

 暴走バイク男を逮捕したときは打って変わって、しどろもどろになる小川。そんな小川から目線を逸らすと、窪田署長は今度は石山のほうを見て言った。

「お前もお前だ、石山。このバカが少しは大人しくなればいいと思って、お前にあんな最新鋭のパトカーまで与えたのに。暴走を助長してどうする?」

「は、はい。それはもう、すみません」

 直立不動の体勢で平謝りする石山だった。

 配属されて僅か四年かそこら、それも特別エリートでも何でもない立場で階級も巡査の石山だが、その腕にはパトロイド8という最新鋭のスーパー・パトカーがほぼ専用車として託されている。その理由はただひとつ、小川の暴走を阻止するためだ。


 石山と小川が初めて出会ったのは、数年前、石山の配属直後のことだった。当初はお互いにいけ好かないと思っていた両者だったが、当時街で発生していたとある事件を協力して解決に導いてからというもの小川が徐々に石山を認めるようになり、石山もそれに応える形で小川に付き従うようになった。今では自他ともに認めるコンビ刑事である。

 そして、それを見た当時の窪田署長は小川の長年の暴走に歯止めがかかることを期待したのか、署に試作機であるパトロイド8が一台だけ配備されると知ったとき、その専属ドライバーに真っ先に石山を任命したのである。


 パトロイド8には未来を担う多機能型警察車両の実験機体として、様々な機能が搭載されていたが、その中に小型発信器との連動システムがあった。丁度同じ頃、小川がほぼ十年ぶりとなる昇進試験で警部補けいぶほへの昇進が決まっていたこともあり、これに注目した署長は規則で警察手帳を更新することになった際、本人には内緒で小川の新しい手帳に超小型発信器を組み込み、石山の運転するパトロイド8からいつでも追尾が可能なようにしてしまったのである。

 下手をすれば人権侵害とも受け取られかねない行為だったが、バイク男を追跡している段階で「お前から俺の位置が分かるはず」と発言しているように、小川自身もとっくに発信器の存在には気付いており、半ばそれは公然の秘密となっていた。


 それはそうと、今回の一件で石山は発信器の自動発射システムの必要性を痛感した。旧来の白バイなどには逃走犯を追跡するためにペイント弾の発射機能が付いているものなどもあったが、それと似たような機能をパトロイド8にも搭載するべきだと思う。早めに要望書を出しておかねばと思う石山だった。


「……お前がもうちょっと早く来りゃ、やり過ぎずに済んだかもしれねえのに」

「俺のせい!? 出くわすなり犯人目掛けてアンチ・ロボット弾撃ったの自分でしょ!」

「どうせ持ち出すって分かってんだから、止めてくれりゃ良かったのに……」

「止めたって聞かないでしょうが、アンタは!」

 よりにもよってこちらの責任にしようとする小川の態度に、石山は堪たまらず反抗した。それを傍から見ていた窪田が容赦なく怒鳴りつける。

「バカ、良司! 後輩相手にみっともない真似をするな! 少しは自覚を持て!」

「失礼しましたっ」

 即座に姿勢を正して敬礼する小川。これではまるで学生である。もうすぐ四十路になろうかというのに、一向に年相応の落ち着きが見られないから困ったものだった。痙攣けいれんする眉間を指で押さえながら、窪田はどうにか落ち着きを取り戻そうとしている様子だった。


「ったく…………まあいい、始末書の件は後回しだ。それより今、お前たちには早急にやってもらいたい案件がある」

「はい」

 いよいよ署長室に呼び出された本題に入ると見えて、小川も石山も先程までのコントぶりは鳴りを潜め、一転して真剣な表情となった。窪田もその空気を察したのか、今度こそ冷静な口調になって説明を始める。

「お前たち二人がバイクと追いかけっこを始める少し前……九時半ごろだったかな。反対側のDー7地区にある民家でコロシがあった。被害者は車イスに乗ったご老人だ」

「Dー7……っていうと、カミユギの辺りですかね。技研の工場がすぐ近くじゃないですか」

 小川の疑問に、窪田は黙って頷いた。

「あのあたりの土地は、大部分がDR技研の所有だからな……何が起こっても不思議じゃないとは思っていたが、よりにもよって、だよ」

「…………まさかとは思いますけど署長、」

「お前の想像通りだよ、小川」

 最後まで言いきらないうちに、窪田が重々しく頷うなずいた。そうしてから小川たちに背中を向けると、窓の外の街を見やってこう告げた。


「どうやら老人を手にかけたと思われるのは、ロボットなんだ」


 署長室に唐突に沈黙が流れた。しばらくの間、誰も何も言葉を発しない。石山は、チラリと横目で小川の様子を確認した。

 その顔には何も浮かんでいなかった。サングラスで目元を隠しているのだから、本来はそれで正しいのかもしれない。けれども小川の場合、それでもハッキリと読み取れるぐらい、普段は感情豊かであった。

 ソレが今は、何の表情も読み取れない。

 否、読み取らせまいとしているのだろう。

 口元が半ば強引に結ばれているのがその証拠だった。何かを必死に堪こらえていることが窺えた。

 石山はその様子を見て、妙に心がズキズキとした。

 四年前にも感じたあの痛みだ。

 だが今の小川は、おそらくもっと強い痛みに耐えているのだろう。

 そう思えば思うほど、石山の胸は小川に追いつこうとするかのようにますます痛んで悲鳴を上げるのだった。




    * * *




署の三階にある取調室に向かいながら、石山は窪田から聞かされた事件の概要を再整理していた。

「死亡したのは栗原真琴、六十七歳、『大山エンタープライズ』元社長。四年前まで神奈川県横須賀市に在住し……ああ、この爺さん“東神奈川事変”の被害者みたいですね」

「ああ……」

「怪獣に襲われたせいで半身不随はんしんふずいになって、それからずっとこの街で一人暮らしってことか。容疑者……って呼ぶべきなのかなこれは? まぁ、容疑者、であるディアーロイドと一緒に暮らし始めたのは、この一年ぐらいのことみたいですね」

「おう……」

「小川さん、そっち違います。取調室はこっち」

「ああ……」

「…………生返事ばっかりですね」

「そうだな……」


 まさに心ここにあらず、といった様子だった。石山より遥かに歩き慣れているハズの警察署内部で、放っておいたら遭難してしまいそうな雰囲気さえある。散々迷惑を掛けられても小川を見捨てないのは何故かと、石山は問われることが多い。目の前のこれは、たぶんその理由のひとつと言えた。

 三階の一番奥のフロアまで進むと、隣り合っている二つの扉が見えた。奥が取調室そのものに繋がっている扉で、手前は隣接された監視部屋だった。取調室の片側の壁がマジックミラーになっていて、そこから内部の様子を観察することが出来るのである。

 二人が音を立てないようにして監視部屋に入室すると、そこには既に何名かが待機し取調室の様子を窺っていた。石山はすぐに、手前側に立っているのが誰かを把握する。向こうも石山の存在に気が付いて、すぐにヒラヒラと手を振ってきた。


「おう、おかえり石山」

「うっす。……って三谷みたに、お前自分の仕事は?」

 石山がそっと声をかけた相手は、若くして贅肉ぜいにくのついた首を左右に傾け骨を鳴らすと、頭を軽くかいてから自分の背後のマジックミラーを示して言った。

「とっくに終わったよ。コンビニで昼飯買って帰ったら、この有様だ」

 そう呟く彼の手には、よく見るとビニール袋に入ったカツ丼と缶ジュースが入っていた。しかもどう見てもカロリーが最大レベルの組み合わせだった。ただでさえ腹が出ているのに、節制しないと若くして糖尿病にでもなるのではないか、この食いしん坊は。

 三谷が脇に避けて空けてくれたスペースに、石山は小川と共に入り込んだ。音を拾うため、可能な限りマジックミラーの表面に顔を近づける。そこまでやっても、取調室の方からは一切こちらは見えていないのだ。


 まず目に入ったのは、真っ白な部屋のど真ん中に設置された一対の白いテーブルだった。多摩ロボットシティ警察署は設置自体が比較的近年であるため、取調室もかなり小奇麗で清潔感のある様相になっている。

 テーブルの上には傘つきのライトスタンドが一台。昼間で、かつ晴天の現在はまだ点灯していないが、それがあるだけで妙に雰囲気が違った。出入り口に近い方のパイプ椅子には、石山たちの同僚である取り調べ担当の刑事が一人と、ノートPCを開いた記録担当の刑事が一人。前者が男で、後者は女だ。

 そして、鉄格子のはまった窓側に座っているのが、問題の容疑者だった。思った通り、女性の姿をしている。厳密には容疑者というより証拠物件扱いである彼女は、取り調べ担当の刑事を不安げな表情で見返していた。


「おまわりサン……真琴サンに酷いコトしたのは一体誰なんですよぅ……?」


「……それは、こっちが君に聞きたいんだけどなあ」


「何度も言ってるですよぅ! ボロ子は何も覚えてないですよぅ! 気がついたら手が血まみれだったんですよぅ! 真琴サンを探して走ってたら、おまわりサンたちがやってきたんですよぅ!」


「……で、君が作業をしていたガレージに戻ったら、栗原真琴さんの遺体が転がっていた、と」


「そうですよぅ! いや、やっぱり違うですよぅ! ボロ子は家の中で真琴サンのW24を探していたですよぅ! 瞬きしたらもうガレージに立ってたですよぅ! 手も血まみれだったですよぅ!」


 すると途端に、取り調べをしていた刑事が怪訝な雰囲気になるのが分かった。隣で記録担当をしていた女刑事と顔を見合わせる。「こいつは何を言っているんだ?」という顔だ。


「そこがよく分からないんだよなあ。瞬きしたら、もうガレージにいたの? それじゃ、どうやって君は家の中から一瞬でガレージに移動したの? 君たちのメモリーは、毎日決められた時間に整理されるまでは、最低でも二十四時間は記録が残るハズだろ? どうして家の中からガレージに移動するまでの記憶がないの?」


「それは、ボロ子がおまわりサンに聞きたいですよぅ!」


「いや、僕に聞かれても困るけどね」


「ボロ子は人殺しじゃないですよぅ! 何かの間違いですよぅ! 弁護士を呼ぶですよぅ!」


 そう言って、ボロ子と名乗ったディアーロイドは気休め程度に結わえつけられた腰紐こしひもごと、座っていたパイプ椅子や机をガタガタと揺らして暴れはじめた。たちまち廊下側の扉が開け放たれ、屈強な体格の刑事たちが部屋に飛び込んで来て取り押さえにかかる。

 悲惨ひさん、という二文字しか石山の頭には浮かんでこなかった。彼女は完全にパニックに陥っているように見えた。

 一見すればその外観はやや豊満な体格をした女子大生にしか思えない。しかし暴れる彼女の額を見れば、そうでないことが一発で分かった。そこに煌きらめく親指大の青いランプは、彼女が蛋白源たんぱくげんを摂取して動く生物ではなく電力を供給されて活動する機械――すなわちディアーロイドであることを証明していた。


挿絵(By みてみん)


 事実、そのパワーは人間よりも遥かに強力であった。今も、外見だけなら到底敵うとは思えないようなガタイの良い男たち数名と、同等以上の力で競り合っている。一瞬でも気を抜いた者は跳ね飛ばされそうな勢いである。泣き喚きながらフルパワーで暴れようとするその姿は、確かに私がやりました、と公衆の面前で叫んでいるようなものだった。それ以上見ていられなくなって、石山は思わず取調室の光景から目を背けた。


 すると石山たちから少し離れた場所で同じものを見ていた何人かの刑事たちが、唐突に顔を寄せ合ってヒソヒソと何かを話し始めた。

「……なんかあれ、ウソ泣き臭くないか?」

「まあ実際ウソ泣きだろ。だってロボットだぜ。泣き声出したって、所詮人間の真似事でしかないんだからさ」

 その姿を見て、石山は気付かれないよう静かに嘆息した。


 一般に多摩ロボットシティは日本初、いや人類史上初となる、人型ロボットとの共生を成し遂げた都市として外部に宣伝されている。確かに今現在の全国的ロボットブームが、ロボットシティを発信源として拡散したものであることは紛れもない事実である。だがしかし、そこで日常を営む石山のような人間から見れば、その実態は『共生』とは程遠いと言わざるを得ないのが正直なところであった。


 多摩ロボットシティを訪れた人間の多くは、最初は石山を含め、ロボットとの交流に素直に感動を覚える。ロボットたちが日常風景に溶け込み、人間を手伝い、人々と何気なく会話などしている様子を見て驚き、これが未来の社会の姿なのかと感嘆する。

 一方で、ロボットと言う存在に未だに違和感を覚える者、あるいは人間と同じ姿をしながら人間ではないという事実に明確に嫌悪感を示す者も、確実に存在した。特に先程の刑事たちのように、ロボットを「単なる機械」と受け止めドライな態度を示す人々もそう珍しくはない。それは正論としか言いようがない反面、仮初めにも人間の姿形をした存在に対する言動としては、いささか寒気を催すところもあった。


 多摩ロボットシティを起点に人型ロボットが大量生産されるようになってから十数年、人間と同レベルの意思疎通が可能な個体が本格的に社会に流通し始めたのは、その半分程度の年月でしかない。

 一部の社会学者たちはその手のロボットを「機械の国からやって来た外国人」であると表現したが、まさしく言い得て妙であった。人間は、自分たちと似て非なる存在へは潜在的恐怖や嫌悪感を向ける。“個性を持った一人のニンゲン”として認知されなければ、“ただの異物”として扱われるだけだった。

 人間とロボット。生物と機械。その壁は、国家や民族に匹敵する新たな「壁」を人間社会に突きつけていたのだ。


「……え?」

 そのときだった。不意に小川が背後で動くと、隣にいる三谷の持っていたコンビニ袋の中に手を突っ込んでまさぐった。何しているんですか、と尋ねる間もなく、小川はその手に三谷が買ってきた一本の缶ジュースを握りしめていた。

 缶を掴んだ小川の手が速攻で右に振り払われる。止める暇などなかった。ガシャン! という凄まじい音を立てて、小川が真横に投擲とうてきした缶ジュースがヒソヒソ話をしていた刑事たちの顔の近くの壁に命中し跳ね返った。

「「わ!」」

 びっくり仰天した若い刑事たちは声を出して一瞬身をすくめてから、恐る恐るこちらの様子を窺った。狭い監視室内に、気まずい沈黙が広がる。


「あー、悪い悪い。つい手が滑っちまった。ごめんなー」

 棒読み口調でそう呟いた小川は、怯える彼らの目の前までツカツカと歩み寄っていくと、小さな音と共にタイル製の白い床を転がってきた缶ジュースを拾い上げ、軽く埃ほこりを払ってから元の持ち主である三谷の眼前に差し出した。

「悪いな三谷。ジュース、ちょこっと凹へこんじまったわ」

 それだけ言うと、小川は黙々とその場を後にし監視室を去っていった。

 本当にしょうがないな、あの人は。そう思った石山は、三谷に軽く謝罪してから小川の後を追うことにした。バタン、と監視室の扉が閉まる。

 直後、後に残された若い刑事たちはホッと胸をなでおろした。

 三谷だけは、ひどく凹んだ缶ジュースを持って一人途方に暮れた表情をしていたが。



    * * *



 ディアーロイド2027。それが、今回の栗原真琴殺人事件で容疑者とされた人型ロボットの、製品としての正式な名称だった。

 英字表記は“DEAROID-2027”。それが示す通り、コンセプトは「人間の親愛なる友人」である。

 開発元はここ、多摩ロボットシティに拠点を置き、またその建設に多大な影響を持った新興企業・DR技研である。彼らは2010年代の後半から、主に高齢者介護や育児支援を目的とした製品を開発することで、日本経済の中枢に食い込み始めた。初期の頃は人間自身の運動を補助する最新鋭の電動車イスやパワーアシスト機器の開発、そして途中からは明確なコミュニケーション能力を持った人型ロボットの開発にシフトしていき、それらはやがて現行最新鋭機であるディアーロイド2027に結実した。


 DR技研が自社のロボットに高度なコミュニケーション能力を求めた理由はロマンの追及というよりも、近年の極端な少子高齢化に対応する製品を目指す必要があったという極めて現実的な側面が大きいとされる。特に多摩地方では予かねてから高齢化の進行が指摘されており、DR技研が目を付けたのも至極当然の流れであった。

 老人ホームなどにおけるコミュニケーション相手、または日常的に両親が不在の状況に置かれることが多い児童の保護者として、DR技研製の人型ロボットは急激にその需要を伸ばしていった。また日本各地で多発する自然災害の被災地において、避難者とのコミュニケーションから復旧作業の補助に至るまで、実験的に投入された支援業務の現場の多くで活躍する様子がマスコミに大きく取り上げられたこともプラスに働いたとされている。


 そうして本格的に到来したロボットブームの最中、2027年初旬に新たに発表された製品がディアーロイド2027だった。その完成度は史上最高峰とされ、情動は勿論のこと体温や瞬きに至るまで、「果たしてそこまで再現する必要があったのか」と疑問に思われるレベルまで人間に近づけられている。それでいて、消費電力は過去に製造された同じ体型の機体とほぼ変わらないというから、もはや脱帽モノだった。


 一体どうやったらこんなロボットが作れるのかと疑問に思う者は多いが、同系統の他企業にも増してDR技研の機密保持性は高いため、未だに殆どその技術について、特に制御システムであるDR-OS 27については、どのような経緯で開発されたのかすら謎のままである。



   * * *


「技研の連中が信用できないのは今に始まったことじゃない……が、ディアーロイド2027は特別だ。例の事件があってから新製品としての発表が行われるまで、半年もかからなかったからな。今度も連中は、何かを隠したがると踏んでいい」

「それで、我々が捜査を?」

 再び署長室を訪れた石山と小川は、今度はメインデスクから少し離れた位置にある応接セットの椅子に腰かけて、目の前のテーブルに置かれたディアーロイドの資料等に目を通していた。ちなみに先程から窪田署長とやり取りしているのは専ら石山で、小川は資料自体は読みながらも終始黙りこくったままだった。

 窪田はそんな小川の様子にため息をついてから、辛そうに頷いた。


「そうだ……今のところ、ウチの署でロボット絡みのコロシを本格的に扱ったのは、お前たち二人だけだからな。技研の下らん圧力を恐れず動き回れるという意味でも、残念ながら適任はお前たちしかいない」

 極めて複雑かつ入り混じった感情を、窪田署長は「残念ながら」という一語に集約させた。何かしら問題を起こすと分かりきっているのもそうだが、彼女なりに小川の精神面を気遣っていることの表れでもあるのだろう。しかしながら現状、この事件の真相に最も近づける可能性があるのは、小川たちを置いて他にはないのだった。署長と言う立場は、時として苦渋の選択を迫られる。

「……もし、」

 その時ふと、小川が顔を上げて呟いた。

「もし、反ロボット団体とかの仕業だったらどうします。いつかのときみたいに、電磁波を浴びせてロボットを操ろうなんてバカが裏にいるとしたら」

「……その時は、その時だ。迷わず捕まえろ。ただし、生きた状態でな」

「……分かってますよ」


 小川と窪田の何気ないやり取りだが、これにも一筋縄ではいかない事情があった。

 一般に『反ロボット団体』と見なされる集団は実在する。勿論、自ら明示的にそう名乗っている集団はごく僅かだったが、実際の運動や活動内容が反ロボット主義、もしくは反ロボットシティを含んでいる団体は数えきれないぐらい存在した。

 その半数ほどは、ロボットの極端な増加が人間社会を圧迫すると主張する人々である。雇用の問題は当然のことながら、『機械』が人間の愛情を独占してしまうことが、従来の家族関係や親子関係の崩壊につながると危惧しているという。


 しかしながら、中でも最も対処に困るのは『宗教』を根拠に活動を繰り広げる人々――特に唯一神教を強く信奉する人々だった。

 端的に言えば唯一神教とは、世界そのものの創造主を崇拝する集団である。一般にはキリスト教やイスラーム、ユダヤ教などとして知られる人々がこれに当たる。彼らの思想においては、『人間』を作ることは創造主のみに許された行為であるとされる。クローン技術が西欧諸国で非常に強い反発を受けていることは有名だが、直接的にはその発展が“神以外のものによる人間の創造”に繋がると考えられているからだという。


 ここで問題なのは、DR技研による人格を備えたロボットの大量製造がその大原則に反すると捉えられていることである。

 技研が製造しているのは単なるロボットであって人間ではないから、そんな主張は狂信者のたわごとに過ぎない、と一蹴する者は多い。がしかし、事はそう単純ではなかった。

 技研がそれまでのパワードスーツタイプのロボットから、自律行動する人型ロボットの開発に本格的にシフトし始めた丁度その頃、技研の上層部の一人が自社の高度な技術力に慢心したためか、人々の前で「まるで人間を作っているようだ」と口にしたと、そのような噂が流れたのである。


 真偽のほどは定かではなかったし、DR技研もそのような事実はないと否定している。

 けれども、それまで人型ロボットの急激な増加に微妙な面持ちをしていた唯一神教の崇拝者たちにとって、これは看過することの出来ないものであった。事実ならば、それは文字通りの『神を冒涜する』態度だからである。クローン人間の製造と同レベルの大罪と非難されても、大げさな物言いではなかった。


 かの有名なASIMOアシモを開発したことで知られるホンダ――本田技研工業は、その開発過程でカトリック系キリスト教会の総本山であるローマ教皇庁に断りを入れに行ったという逸話がある。人型二足歩行ロボットというものは、西欧諸国にとってはそれほどまでにデリケートな存在だったのだ。

 こうして、多摩ロボットシティを『悪魔の巣窟』扱いする集団は誕生した。そして、そんな集団の中でも特に過激な一派は、特殊な装置を開発してロボットたちに異常な電磁波を浴びせ、破壊ないし誤動作させることにより積極的にロボットの危険性を証明する、などと意気込んでいるのである。


 街の住人の大半にとっては迷惑極まりない話でしかなかったが、そもそもそういう活動に精を出す集団にしてみれば『ロボットシティ側が先に自分たちに宣戦布告をしてきたのだ』ということになっており、何を言っても聞き入れられる気配はない。誠にややこしいことこの上なかった。


「とにかく、あのディアーロイドが何者かに操られたのであれば、犯人は必ずもう一度狙ってくる。そうでないにしても、技研のクソったれどもが隠し事をしているなら、それを突き止める必要がある。頼んだぞ小川、石山」

「…………いいですよ、やってやりますよ」

 小川は窪田の言葉に応えるようにして応接椅子から立ち上がると、持っていた資料の数々を大き目の茶封筒に乱暴に詰め直し、石山の手の中に放ると再び窪田の目の前に歩いていった。姿勢を正し、爪先をそろえて敬礼する。

「ロボットシティ警察署・特殊機動捜査班の意地ってやつを見せてやります」

「…………任せたぞ」

 窪田が、その日初めて小川に返礼する。

 それは普段の私的な事情も関係も抜きにし、公人として正式に任務を命ずる、という決意の表れでもあった。

 石山の目には、ブラインドの隙間から差し込む光で小川と窪田、二人の周囲が煌めいているように見えた。それは確固たる信頼関係を持った、二人の刑事が任務を与え、そして与えられた瞬間であった。


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