第一話 アイ・ロボット
最悪の目覚めだ、と栗原真琴はそう思った。
その日の朝、老いた彼を眠りから覚ましたのはよりにもよって怪獣に襲われる夢だった。
巨大な口を開けた肉食恐竜のような怪物が、その巨体を揺らして真琴を追いかけてくるのだ。真琴は必死に逃げたが、ついにはオフィス街の袋小路に追い詰められ、怪獣が破砕したことで飛んできたコンクリートの破片に押し潰されてしまう。
死を体験した次の瞬間には目が覚めた。この上ない悪夢だった。
真琴は肩で息をしながら、繰り返し今のは夢なのだと自分に言い聞かせる。
もう、自分は決してあんな目に遭うことはないのだ、と。
数分もすると、ようやく呼吸が落ち着いてきた。静かに深呼吸する。
真琴は周囲を見渡した。彼が今いるのは、自室のベッドの上である。
カーテンを閉め切った薄暗い部屋に、朝日がひとすじの光線となって差し込んでいる。それが照らし出すのは、座席部分がコンパクトに折りたたまれた旧式の車イスだ。
それをしばらく見つめてから、真琴はホッとため息を吐いた。
真琴はベッドの中から手を伸ばして座席を展開すると、起こした上半身全体を寄り掛からせるようにして車イスに掴まり、腰を浮かして素早く操縦席に乗せた。
掛け布団から出てきた真琴の両脚は、同じ年齢の男性と比べてもさして痩せ細っている訳ではないが、一方で自発的には全く動作していなかった。
そんな自分の脚を、真琴はこれまた手早く持ち上げると、慣れた手つきで車イス下部の所定の位置に押し込む。そうしていつもの体勢に移行すると真琴は両手で車輪にかかったブレーキを外し、自力で車イスを発進させた。
部屋を出てからベッドの上が乱れたままになっていることに気付いたが、後で自分のメイドに直させればいい、と思った。
彼女は多分、ガレージにいるはずだ。その証拠に今も真琴の自宅の一階部分から何か金属製のものを動かすガチャガチャという音が聞こえてくる。いつまで経っても起きてこない日があるかと思えば、時には年寄りの自分さえ驚くほど早起きしていることがある。それが真琴の家のメイドであった。
しかし、と真琴は思う。
任せたまではいいが、果たして彼女は自分が見ていなくてもちゃんとやれるのだろうか。これまでの例で言えば、油断した頃に大失敗をして、何か大事な物を壊してしまうのがお決まりになっている気がするのだが。
それならそれでもいいか、と考えてしまうあたり、真琴も大分甘くなってきているようだった。
* * *
備え付けの小さなエレベーターを使って自宅の一階に降り、そのままガレージへと続く扉を開けると、途端に真冬の凍えるような外気が寝巻からはみ出た真琴の肌を突き刺した。現在は十一月の初旬。屋内とはいえ、シャッターを開け放っていればガレージに吹き込む空気は屋外とほぼ変わらない。真琴が思わず身を縮こまらせる一方で、それよりも前からガレージにいたはずの女性メイドは寒さなどものともしないかのように作業を続けていた。思った通り、電動車イスを修理中のようである。
だがしかし、その後ろ姿は傍から見ると中々に滑稽でもある。
まず、明らかに手間取っていると分かる。彼女の周辺の、ガレージの床にはそこかしこにネジやビス、歯車といった細かなパーツが散乱し、悲惨な様相を呈している。精密機械部分を覆っていた合金製のカバーが取り外されて工具などと一緒に床に放置されているが、取り外した張本人は果たして元に戻すことまで考えているのだろうか。
いや、確実に考えていないと断言できた。この不器用メイドは、出会ったときから変わらずそういう性格だ。
やれやれ、と真琴は首を振る。本当は最初から専門の修理業者に頼んだ方が早いのだが、彼女がどうしても自分で直してみたいと言うので任せたのだ。が、結局は予想していた通りこの有様である。素人目にも、今のこの状況は修理ではなく解体処理にしか見えない。
まあ、こうなると薄々勘付いていながら任せる自分も大概なのだが。
そしてもうひとつ、彼女の行動を滑稽足らしめているもの。それは作業を行う体勢だった。端的に言えば、尻を突き出しているのだ。
カバーを取り外した電動車イスの制御装置に頭を突っ込みながら、ありゃりゃおかしいな、などとブツブツ独り言を呟きつつ、その大きめの尻を右へ左へと振り子のように振っている。曲がりなりにも女性の姿形をしているのだから、もう少し行動には気を遣ってほしいと思うのだが、言うだけ馬の耳に念仏だろう。
真琴はすっかり呆れて、大きな声で彼女の名を呼んだ。
「おいボロ子…………ボロ子!」
「あいたっ!」
ゴツン、という鈍い音の後に、何とも間の抜けた声がガレージに響き渡る。車イスの下部に頭を突っ込んだまま上半身を起こそうとして、後頭部をぶつけたのだ。粗忽という言葉は彼女のためにあるようなものだった。
「ううう~、痛いですよぅ」
涙目でこちらを向いたその可愛らしい顔は、長時間作業をしていたためか、黒くすすけていた。両手で頭を大事そうにさすっているのを見て、真琴は思わず苦笑する。
「何をやっとるんだよ、お前は全く……。ほら、これをやるから顔を拭きなさい」
「ありがとうですよぅ!」
途端に元気になったそのメイド、ボロ子は真琴の手から真っ白なタオルを受け取ると、ごしごしと素直に汚れを拭ってから、多少マシになったその顔を上げて真琴にニコニコと笑いかけてみせた。
「真琴サン、おはようですよぅ!」
「はいはい、おはよう」
さっきまでの涙目はどこへやら、もう心から嬉しそうに破顔一笑している。ころころと表情がよく変わる女だった。しかしそんな態度に真琴も元気づけられてきたのだから、あまり悪くいうつもりはない。
むしろ、彼女の長所とさえ呼んでいいと思う。
人間の手伝いをするロボットとして、正しい動作をしているかどうかはよく分からないが。
「真琴サン、ちょっと顔色悪いですよぅ?」
「寒さのせいだよ。どうにも老体には堪えるんでね、最近なんか特に」
ついさっきまで悪夢にうなされていたせいだ、とは言わなかった。そんなことを言ったら、目の前のこのロボットはまた大騒ぎを始めるに違いない。近所の人間相手にあれこれと相談をして回った挙句に、考えうる中でも一番トンチンカンな対処法を実行に移すのだ。そのせいで真琴は何度この家を修理する羽目になったか分からない。
その部分だけ抜き出して考えれば、ボロ子は確実に故障していると言える。だがそれでも、簡単に手放そうという気にはならないから、不思議なものなのだ。
「真琴サン、無理しちゃいけないですよぅ。もうお年なんだから、養生するですよぅ」
「余計なお世話だよ。それよりホラ、お前は散らかしたこの部品を何とかしなさい。修理ならもういいから。足の踏み場もないじゃないか」
「ううう、面目ないですよぅ」
そう言ってボロ子は困ったように頭を抱えた後、悲しそうな顔でガレージの脇に置いてあった段ボールを持ってくると、自分がまき散らした電動車イスのパーツを拾い集め始めた。やれやれ、また余計な修理費を持っていかれる、と一瞬思ったものの、どうせいつもの事だからとすぐに諦めが入る。このぐらいのことは日常茶飯事だった。
とりあえずこの場は彼女に任せるとして、真琴は一旦暖房の効いた部屋の中へと戻ることにした。先程は適当に話を誤魔化すつもりで言ったが、実際問題、この寒さは真琴の体には少々厳しい。
自分のトーストとコーヒーを準備するついでに、ボロ子用に充電ドリンクでも用意しておいてやるか、と思って真琴は車イスを反転させた。そしてそのまま発進しようとした次の瞬間、真琴の乗っていた車イスがガタンと音を立てて斜め方向に傾いだ。
何が起こったのか分からなかったが、瞬間的に目に入ってきたのは、本体から離脱して横倒しになる一枚の車輪だった。真琴の体が車イスごと傾かしいたのは、その影響らしかった。
「うお……っ」
「ああっ、危ないですよぅっ!」
ボロ子が背後で悲鳴を上げ、咄嗟とっさに真琴の元に駆け寄ってきた。完全に転倒してしまうよりも前に、車イスの正面に回り込んできたボロ子が真琴の体を抱きかかえ、事なきを得る。
危ないところだった。
その瞬間まで気が付かなかったが、真琴の車イスは右側の車輪のネジが緩んでいたらしい。真琴は電動式の車イス以外は滅多に使わないので、何年間も整備がおざなりになってしまっていたようだった。正直言って肝が冷える思いである。もしボロ子が気付かなかったら、まともに受け身もとれないまま側頭部をコンクリートの床に打ち付けていたに違いない。
「真琴サン、大丈夫ですよぅ?」
「おかしな日本語を使うんじゃない……私は大丈夫だ」
「ごめんなさいですよぅ、ちゃんとボロ子が整備しておくべきだったですよぅ、本当にごめんなさいですよぅ……」
すっかりうなだれるボロ子だが、真琴も彼女を責めるつもりはなかった。ボロ子はこの家にやってきてから、まだ一年かそこらだ。それよりも以前から家にあったものなら、真琴自身が指示しなければボロ子が警戒できるはずもなかった。これは完全に真琴の責任だ。
「そう何度も謝るんじゃない。大丈夫だったら。それよりもお前、いい加減どっかに座らせてくれないか」
「ハッ、そうでしたよぅ! このままボロ子のおっぱいを押し付けていたら、真琴サンが興奮して大変なことになってしまうですよぅ! ロボットと人間の禁断の恋の始まりですよぅ!」
「下らんこと言ってないでさっさと座らせなさい」
「ハイですよぅ!」
そう元気に返事をして、正面から抱きかかえた真琴を電動車イスの座席に乗っけるボロ子。
ロボットだとか人間だとかいう以前に、彼女の外見はほぼ二十代前半ぐらいの健康的な体型の女性である。自分の孫ぐらいの年齢の女に欲情するほど、真琴は血気盛んではなかった。
しかし、と思う。
実際こうして眺めてみると、ロボットなのか人間なのか、一瞬分からなくなりそうである。先ほども言ったように、見た目だけなら完璧に、やや肉付きの良い二十代の女性である。腰をかがめて両腕を広げ、真琴の顔を覗き込んでくるその無邪気すぎる態度さえ改めれば、その辺の大学生だと紹介しても通じるだろう。
彼女のお気に入りの赤いエプロンを内側から押し上げる豊満な胸部は、押し当てられてみれば分かるが実物と大差ないぐらい弾力に富み、何より仄かに温もりがあった。彼女の手の平に触れたこともあるが、そこにも機械特有の冷たさは感じなかった。人間の体温までも再現してみせるとは、彼女を製作した者たちのこだわりの程がうかがえる。
だが何より、その天真爛漫な言動や豊富な表情の数々は機械のソレとは到底思えない。一体どのようなプログラミングをしたら、こんなに人間に近づくのだろうか。
彼女を明確にロボットであると判断できる部分は二箇所。腰の付近から伸びた屋内動作用の長い電源ケーブル、そして彼女の額の中央に存在する親指大の宝石型の装飾だ。後者は単なるオシャレ目的でついているのではない。現在は青く光り輝いているが、外部電源を切り離され内蔵電源が残り少なくなると、赤く点滅するようになる。エネルギー残量を知らせる、いわば“カラータイマー”なのだ。
他にも彼女には、コンピューター機器に接続するためのUSBポートやらがついているのだが、パッと見で判断できる材料は先に挙げた二点だけであった。逆に言えば、他の部分は人間と一見しては区別がつかないのである。
真琴は大きく息を吐くと、曖昧な記憶の倉庫を引っ掻き回してから、ボロ子を見て言った。
「ボロ子……すまないが、階段の下の倉庫からW24を持ってきてくれるか。仕方ないから、自分の脚で歩くことにする」
「分かりましたですよぅ! 乞うご期待、ですよぅ!」
そう言ってボロ子は腰から伸びていた電源ケーブルを物凄いスピードで体内に巻き取ると、クルリと体を反転させ、勢いよくスロープを駆け上って屋内へと消えていった。が、すぐさま出口まで戻ってくると、真琴に向かって満面の笑みを浮かべながら宣言した。
「ご老体が風邪をひかないよう、四十秒で支度するですよぅ!」
「こいつ」
タハハ、と笑いながら去っていくその後ろ姿を見つめながら、真琴は心の奥に暖かいものが広がっていくのを感じていた。何であれ、気遣ってくれる相手がいるというのは幸せなことだな、と。
* * *
「ですよぅ~、どこですよぅ~……」
などと独り言を呟きつつ、ボロ子は真琴に指定された階段下の物置をゴソゴソと漁っては、彼に装着するためのW24を探していた。
W24とはDR技研製のパワーアシストマシン「Walk-24」の略称である。主に身体障碍者が装着する、下半身専用のパワードスーツあるいは強化外骨格と考えて差し支えない。なんでも車イスと違って“機械に操縦されている”感覚が拭えないとかで、下半身の筋肉を維持するための定期的な運動の時以外、真琴はそれを使わないのだ。それさえあれば自分などに頼らなくとも、危険な目に遭わずに歩行できるというのに、つくづく人間の考えは分からないと思うボロ子である。
ただしボロ子自身は、たとえ真琴が一人きりで生活できるのだとしても、彼の買い物に付き添って出かけたり、身の回りの世話をしたりして過ごすのは決して嫌ではない。真琴は本当に優しい人間なのだ。
たとえばボロ子が今いるこの薄暗い倉庫も、最初に来た時は埃ほこりまみれで虫もいっぱい湧いていたのだが、現在では汚れてはいても虫の姿が見えることはなかった。真琴がボロ子のために、最新式の殺虫剤とゴキブリホイホイを使ってくれたのだ。
ボロ子は昆虫が大の苦手である。特にゴキブリは駄目だ。あれと遭遇してパニックに陥ったことも一度や二度ではない。そのたびにこの家をあちこち破壊する羽目になった。
しかし真琴はそんな不良品の自分を追い出すこともなく、ボロ子が家に居続けられるようにとわざわざ配慮してくれたのだ。本当に頭が下がる思いである。
それにしても、見つからない。W24はどこにあるのだろうか。もしかして、真琴の思い違いではないのだろうか。
実のところ、ボロ子は気付いていなかったが、彼女はとっくにW24を倉庫から取り出していたのである。ただし、それは購入時と同じ段ボール箱に収納されていた。階段下から取ってこい、と命令されたボロ子は、W24がてっきり裸のまま放り込んであるものだと思い込んでいたのだった。つくづく頭の悪い人工知能である。
それでも終始ボロ子は自分の見過ごしに気付くことなく、散々倉庫の周囲を散らかした末に探すのを諦めてしまった。真琴も大分年を取っているから、きっと記憶が曖昧になってしまったのだろうと、そう思うことに決めたボロ子だった。
「そうですよぅ、こうなったらボロ子が自力でおんぶしてあげるですよぅ!」
そうだ、それがいい。
何時のことだったか、真琴はボロ子の体に触れた際に「人間よりも温かい」と言っていた。だったらば、今まで寒い中で自分を待ってくれていた真琴をボロ子の背中に乗せて運び、ついでにその体温で暖めてあげるのが一番なのではないか。何故そんな簡単なことに、今まで気が付かなかったのだろう。
ボロ子は外で待っている真琴の元へと向かうべく、早急にその場に立ち上がった。
が、次の瞬間、
「あ…………れ…………」
ぐにゃあ、と世界全体がねじ曲がったような感覚がした。あっという間の出来事で、何が何だかちっとも分からない。視界が歪み、意識が朦朧もうろうとし、耳鳴りのようなものが聞こえる。
次第に、何かが彼女の頭の中を占領し始めた、
……せ。
…………ろせ。
………………ころせ。
………………………殺せ。
殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセ私は体の奥が赤熱していくのを感じた今まで発揮したこともないパワーがみなぎっていくのが分かったその力で何かを捻りつぶしたい締め上げたい壊したいグチャグチャにしたい引き千切りたい踏みにじりたい目の前で男が悲鳴を上げていた怯えたその顔を見て私はかつて感じたこともなかった喜びを感じたその男に飛び掛かった男が泣き喚いた男を床にたたきつけると私は男の首を掴んで締め上げた男がジタバタと抵抗する男は固いもので私を殴りつけた私はその様子がうれしくて男を固い壁にたたきつけた角に命中した男の体から血が流れ始めた興奮するもっと傷つけたいなぶりたいいたぶりたい踏みにじりたい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したいコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイアハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ
…………おーい、ボロ子!
「――ハイハ~イ、ですよ……ぅ……?」
自分を呼ぶ声に元気よく返事をしたボロ子だったが、すぐに周囲が妙なことに気が付いた。
「ありゃ? ボロ子、どうしてこんなところにいるですよぅ?」
それもそのはず。彼女の記憶では先程まで、階段下の、一階のリビングに続く小奇麗な廊下に立っていたはずだった。それが何故か今は、ガレージにいた。しかもその場に真琴の姿は見えない。制御部品を取り外されただの座椅子に成り下がった電動車イスも、どういう訳なのか横倒しとなり、辺りも片付けたはずの部品が散らばって酷いことになっていた。
「真琴サン、どこいったですよぅ…………ぎゃ、ぎゃぎゃぎゃっ!」
ボロ子は何気なく見た自分の両手に、びっくり仰天した。なんと血まみれだったのだ。
「な、何が起こったですよぅ? 真琴サン、いったいどこにいるですよぅ? ボロ子が血まみれですよぅ! 鉄の匂いですよぅ!」
ボロ子は必死になって年老いた主人を探し始めた。ガレージから出ると、家の外に向かって大声で真琴の名を呼びながら駆けまわる。いつまでも、返事はやってこない。我慢ができなくなったボロ子は家の敷地を出て、一軒一軒、近所の住民の元を訪ね始めた。
栗原家のガレージの隅では不自然に折り重なるようになった段ボールの山が、吹き込む寒風によって崩れ出していた。カサカサ、という乾いた音がコンクリートの立方体の中に響き渡る。
乾いた音を立て、皺だらけになった男性の手が段ボールの中から垂れ下がったが、気付く者はだれ一人としていなかった。
* * *
「…………っ!」
ゾゾゾッ、と背筋に走る何かを感じ、青年は咄嗟に街の方を振り返った。
姿の見えなくなった主人を探して、ボロ子が住宅地をうろつき始めたのとほぼ同じ頃、そこより少し離れた山中では、一人の青年が何かを察知して警戒の色を強めていた。
やはりこの街には、己と敵対する存在がいる。
青年はそう直感した。
その姿は、一見すると古代の狩人のようだった。強いて言えば、ただの狩人よりも少しだけ上等そうな格好である。赤の衣を、毛皮か何かで縁取っている。顔つき自体は比較的日本人のそれだが、そこに浮かんだ険しい表情は、俗世間の者とはどこかかけ離れた空気を男に纏わせていた。少なくとも、単にその辺の猟師が迷い込んできたという訳ではなさそうである。
青年は自らの内に湧き上がってくる嫌悪感を頼りに行先を定めると、ボロ子たちの住む街に向かって即座に疾走を開始した。
青年の名は、紅焔といった。