アンダーグラウンド
「これで、最後……っと」
繭のような膜の薄い穴蜂の卵に、鉈を振り下ろして潰す。
足の痛みが脈動する。ジェルのギプスと筋力補助を使っても、足の負担はゼロにできない。
と、偵察に出ていた彼女が通路から降りてきた。
「大丈夫ですか?」
「平気。そっちこそ、出口は見つかった?」
道を穴蜂に潰された私たちは、出口を探さなければならなかった。それも、別の虫に捕捉されないうちに。
そうなれば身軽な彼女に任せた方がいい。
「ちょっと、厳しいかもです。地上への出口はありませんでした。ですが、別のトンネルに繋がる道はありました。遠くに虫の足音も」
嫌悪が顔に出たようだ。
彼女は顔を曇らせる。
「他の道を探しましょうか?」
「いや、もたもたしてこの辺りから虫が湧くほうが困る。行こう」
その脇道の先。
金属製の非常口を引き開けて、そろっと顔を出した。耳を澄ます。虫はいない。
巨大なトンネルが広がっていた。
「小田急線の線路だね。新宿方面に行けば、虫の卵を潰しに行ける」
「無茶です」
「同感。じゃあ、行こう」
しかし、行軍は隣駅にたどり着く前に終わってしまった。
道がなくなっていたからだ。
「浸水……当然か」
線路をすっぱり切り捨てるような地底湖の水面が広がっている。
排水設備が虫に蝕まれたのだ。地下鉄なんてあっという間に水没してしまう。
戻ろうと振り返ったところで、音に気付いた。
足音。無数の。
「虫の群れが近づいてる」
告げながら、苦いものがこみ上げてくる。
トンネルの響きやすさを差し引いても、足音が多すぎる。正面からやり合う選択肢は最初からない。
しかし道中、変圧器と消火栓があるくらいだった。脇道も避難所も、抗戦の拠点になりそうな地形はなかった。
「あの」
ミカがざぶざぶと水に入っていく。
「え……? ちょっと!!」
「あれ、使えませんか?」
ミカが指差す先に、白い影が揺れている。
引き上げたソレは片側線路に車輪をかませるゴツい台座の形をしていた。
「トロッコ」
「はい。防御力には不安がありますが、突破できるかも、と」
モーターは使い物にならないが、手漕ぎハンドルでの稼働には問題なさそうだ。油圧もしっかりしている。
「それは良いけど。もう二度と迂闊に浸水に足を踏み入れないで。漏電してるかもしれないから」
「あっ」
今さら青くなる彼女をおいて、トンネルを振り返る。
足音は大きい。他の選択肢を探している猶予はない。
「やろう。私が漕ぐ」
「あたしが虫を牽制します。鉈を持ってください」
戸惑った私に、彼女が笑う。
「銃を撃ちながら扱えません。それに、虫に近寄りたくないんです。気持ち悪いじゃないですか」
ふっと笑ってしまった。
「分かった」
しっかりと鉈を受け取った。
ミカはトロッコの支柱に背中を押しつけて座り、銃を股で挟み込む。両手両足で銃の反動を制御する、掃射の構え。
「行くよ」
「はい!」
装甲の割れた肩が駆動音を立てる。人並外れた膂力が片手でトロッコを漕ぎだした。
走り始めてすぐ、虫の先頭が見えてくる。地を這う巨大な蟻だ。自動車ほどもある大きさが十数匹。
連射の弾幕が群れの鼻っ面を襲い、線路の前が開けられる。
トロッコを加速させながら鉈を振り上げ、薙ぐ。すれ違いざまに虫の顎を砕いた。
「ミカ、目を狙って!」
「え?」
「目! 甲殻は硬いけど、目なら貫ける! 殺せないけど怯ませるには充分!」
「はいっ!」
ミカがいっそう力を込めて銃を扱う。びす、ばす、と虫がもんどりを打って悶絶していく。見事な腕だ。
片手間に鉈で虫の頭蓋を叩き潰し、また近寄る頭を追い払う。
ミカが鋭く声をあげた。
「スピード落として! この先はカーブです!」
「了解!」
慌てすぎて脱線したら意味がない。
勢いよく動くトロッコに力をこめ、エンジンブレーキの要領で速度を緩める。ブレーキ装置を使う腕は余っていないし、減速しすぎても困る。
「もう少しです!」
聞きながら鉈で虫を薙ぐ。
管理通路に通じる鉄扉が、虫の群れの向こうに見えた。
なのに。
虫の数が多すぎる。
目を撃たれた虫の頭が盾になり、後続の虫を追い払うのが遅れる。そんな誤差が積み重なる。鉈で払える距離には限界がある。
「く、ダメッ!」
ミカの悲鳴と同時に。
車輪が虫の足を巻き込み、鈍い音を上げて弾け飛んだ。
トロッコが冗談のように跳ねて、虫を蹴飛ばしながら吹き飛んでいく。
一緒に吹き飛ばされながらも、姿勢を返してミカの腕をつかむ。ブースト。体勢を整え足から着地した。耐えきれず、地面に撥ねられて転ばされる。
骨折した足に壮絶な激痛が走るが、ジェルが機能している。単にものすんげー痛いだけ。
「ぐ……、……ッ……! くぅ……! そっちは、無事……?」
「銃が……!」
ミカが泣きそうな声を震わせた。
彼女の手にあるアサルトライフルが"くの字"にへし折れていた。
驚きは押し殺して、あえて笑う。
「あとちょっと。大丈夫」
ミカに鉈を押しつけて、アサルトライフルを取り上げる。この状況で鉈を借りるのはフェアじゃない。
虫の群れを見据える。連中の隙間から、非常灯の消えた非常口の鉄扉が見える。
「走れ!」
脱線したトロッコが開いた通り道を、ふさがれる前に通り抜けたい。足の痛みに構っている余裕はなかった。
ミカが付いてきてくれると信じて走るしかない。
銃身を握り、ストックで虫の眼を叩き潰した。片手に拳銃を落とし、集まり出した虫を撃つ。
ぎぃ、という虫の断末魔が背中に届いた。笑みがこみ上げる。背中を預けるに足る心強さだ。
一気に走れたのは数秒だけ。扉まであと10メートル。間に五匹。
裏腹に、状況は悪い。
目にストックを叩きつけても、体重の差は絶望的だ。片目をへこませた虫の顎にアサルトライフルをつかまれた。手を放す。
拘泥したら、膂力の差で私自身が振り回される。
「くっ!」
虫が顎を開けて迫ってくる。倒れ込んで避け、ブーストを噴かせて地面を滑る。あと6メートル、扉は目前。あと二匹。
ちらりと後ろを振り返る。
彼女は虫の頭蓋を叩き割り、ときにこすり、最小の攻撃で駆けている。いい調子だ。
調子に乗った。
視線を戻すと、二匹の顎が待ち構えていた。慌ててガントレットをひねり、ブーストが爆ぜる。血の気が失せた。
燃料切れ。
片方に足を乗せて跳ぶ。
が、筋力補助は装甲重量を覆せない。二匹目の顎に左足を捕らわれた。
やばい、死ぬ。
冷え切った背筋を怒りで満たす。痛みも恐怖も、自我すらアドレナリンが押し流した。拳銃を乱射する。動けない。
「くそおっ!」
めちゃくちゃに引き金を引き、当たるを幸いに腕を振り回し、自由な足で顎を蹴りまくる。足が抜けない。ふざけるな、ぶっ殺すぞ。
浮遊感。
「がはっ!」
肺の空気が全部抜けた。頭がくらくらする。壁にたたきつけられた。さらにもう一度。視界がくらむ。
「逃げてください!」
声。見れば、虫の首は落ちていた。彼女が斬り落としていたのだ。死後硬直だけで足をつかまれている。
急いで足を引き抜く。くそっ、固い。脳みそが半分流れ出てるくせに。ようやく足を引き抜いた。
そこでミカの腕が他の虫に捕らわれた。
ぶらりと身体を振り上げられたミカの絶叫。
「逃げてえっ!」
「ミカっ!!」
背後の鉄扉まで残り二歩。死んだ虫に刺さったままの鉈。弾の残っていない拳銃。
「ああああ!」
走る。壁を背に。虫に向かって。
ばきりとミカのガントレットが不可解にひしゃげた。腕の"湾曲"が深まる。
死骸にたどり着いた。鉈を引き抜きざま、振り返り、振り上げて。
「はなせええええええッ!」
顎を叩き折る。
「きゃああ!」
「走って!」
落ちた彼女に肩を貸し、鉄扉に向かって走る。
彼女の脇を突き飛ばすように扉に向かわせ、振り返りざま鉈を切り上げた。虫の顎が片方だけ吹き飛んでいく。
「邪魔すんな!」
鉈を返して唐竹割り、脳天を潰す。
虫の死骸でできた即席のバリケードだ。もちろん、虫はあっという間に回り込んでくる。
「早く、メグさん! こっちです!」
きびすを返し、彼女の開けた鉄扉に体を滑り込ませる。
閉じる寸前、虫の前肢が挟まった。
「ひぃ! 閉まら、閉まらない!」
「押さえてて!」
ばたばたと動く肢の先端をつかみ、鉈を叩きつけた。二度、三度、四度目で重い音をあげて足がもげる。ばきゅり、と割れた肢を潰して鉄扉が閉じた。
がらんがらんがらん、とコンクリートの暗闇に反響する。鉈を落としてしまった。膝に手を突く。立つのがやっとだ。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」
どっと汗が出る。体中がざわざわと騒がしい。過剰なアドレナリン分泌でこめかみが痛む。
「閉じまし、た、よね?」
少女が不安げに鉈を拾う。つばを飲み込んで体を起こし、大きく息を吐いてから、うなずく。
「うん。がっちりハマったから、この扉はもう開けられないね」
どのみち、虫の巣窟に戻る気はない。
もう一度大きく息をして、あたりを見渡した。
細い道だ。管理通路。壁の電灯は光を失って久しい。
壁にはペンキで区画コードと、横に駅名が添え書きされている。
新宿駅。
私は拳銃を手甲に戻し、最後の給弾を行う。ストレージいっぱいの12発。これがすべてだ。
ミカを振り返る。
「さて、どうやって生き延びようか」