瓦礫の行軍
「っぷは」
私を助けに空から落ちてきた少女が、水差しから口を離して大きく息をついた。
私に頭を下げてくる。
「すみません、情けなくて。空でも助けて頂いたのに……」
「気にしないで。慣れないうちはそんなものよ」
武器を検めながら軽く答える。
強力な武器を真っ先に失った私は、自分の手札をしっかり把握しておかなければならない。と言っても、大型ハンドガンとブースターしかないのだけど。
少女はすまなそうに私を窺う。
「あの。よければ、武器を譲りましょうか。あなたのほうがうまく使えると思うので」
ぱちん、とハンドガンをガントレットに収める。
「それはあなたの武器でしょ。あなたが戦い、敵に抗い、生き残るための手段。他人に明け渡していいものじゃない」
「す、すみません」
「謝るのは私のほうね。勝手にあなたの武器を使ってしまってごめんなさい。でも、助けたからイーブンでお願い」
「え、いえっ! あの、はい。お互いさまで、はい」
少女はわたわたと慌てている。
さて。腕から巻物状の画面を引っ張り出し、地図を表示させる。
目的地は、小田急線新宿駅地下プラットホーム。
そこに、虫の卵があるという。
「もう行ける?」
「はい」
「それじゃ、私がクリアリングする。カバーよろしく」
「はい。えっ」
彼女に背中を任せ、廃墟の間を縫って進む。
ビル街のままであれば身を隠せる場所もあろうが、更地になっていては難しい。私たちは身を隠せないのに、虫は隠れることができる、最悪の立地だ。
もっとも、ビル街も立体的な死角に囲まれる危険な地形ではあるのだが。
そんな作戦環境のもしもを語っても仕方がない。
周囲を索敵して、形の残る壁に背を預ける。近くにマンホールはない。
おいで、と少女に手招きした。彼女は慌ただしく、瓦礫に足を取られながら走ってくる。
「ひぃ。あ、あのっ!」
「話は後でもいい? この建物、料理店だったみたいだから水道管があるの」
ひぎ、と息を呑んだのを返事と受け取る。背中を離し、強く駆け出す。
地下道の入り口が通りの向こうに見えた。一度止まって彼女を招き、待つ間に様子を窺う。
地下鉄の階段だったようだ。屋根が崩れて塞がっている。奥の通路に虫が潜んでいる気配はない。幹線道路で徘徊している虫もいない。ありがたいことだ。
ハンドガンを構え、歩いて入り口に向かう。
「うぇ……」
虫がたかっている。近寄ると羽音がひどい。
侵略者たちの”虫”ではない、水溜まりで繁殖した蚊だ。古来よりの隣人である地球産の羽虫たち。
「迷惑な隣人だけどね」
アマゾンキャンプで、蚊取り線香を焚いても構わず突撃してくる蚊には辟易した。感染症を流行らせるのだから笑えない。
追いかけてこようとする少女に手のひらを向けて止め、別の道を示す。この入り口は水が溜まるほどしっかり塞がって、水没している。水没していない地下道があると嬉しい。
もっと駅に近い入口へ行こう。南口に回れば小田急が近い。
瓦礫に足を取られ、回り道を強いられながらの行軍だ。
地図の通りには歩けない。進むだけでもひどく時間がかかる。警戒しながらではなおさらだ。
崩れたビルの登山をして、尾根で小休止を取る。見晴らしがよく、それでいて周囲の瓦礫に体を隠せる好立地だ。
隙間から周囲を見渡しながら水分を取る。ここまでの行軍は、おおよそ順調。
「あの。話、いいですか」
身をかがめる私の隣で、彼女が怯えたふうに声をかけてきた。
「ん。そういえば、何か言いかけてたね。なに?」
「……こうなってはいまさらで、なんだか申し訳ないんですけれども。あたしでよかったんでしょうか」
「なにが?」
「探索の相方です。あたし、実線は初めてで、索敵も道の策定も全然……」
真面目なだけでなく、心配性な子のようだ。おまけに臆病でもある。
それなのに、今も戦場にいる。
兵士向きだと思った。ちくりと胸が痛む。
「言ったでしょ、みんなそんなものだって。あなたは目もついてるし耳もある。銃も持ってるし、作戦に必要な訓練も積んでる。あなたは助けになる」
少し考えて、言葉を足す。
「及び腰に動きを止められさえしなければ」
「うっ」
彼女は声を詰まらせた。
「迷わず、ためらわず、訓練で得たものを発揮すれば、あなたも人を助けられるよ」
ぱくぱくと口を開閉させて、彼女は言葉が見つからないという様子で私を見ている。
「最初は難しいかもしれないから、今はとにかく生き残ることだけを考えて……」
「ぐ、うぅっ!」
つかえて出てこない言葉に業を煮やして、彼女はアサルトライフルを引き抜いた。片手で構えて私のほうに銃口を向ける。
硬直する私の視界のなかで、マズルフラッシュが閃いた。
慌てて顔を背ける。だが一瞬遅く、私の視界は半分ほど眩んで潰された。悲鳴が耳をつんざく。
虫の悲鳴が。
転がるように身を避ける。すると彼女はアサルトライフルを両手で保持し、遠慮なくフルオートで撃ち放ち始めた。私もハンドガンを抜く。
「鉈!」
叫ぶ。至近の発砲音で耳もやられたらしく、自分の声が聞こえない。
顔を傾けて、眩んだ視界の端に虫を捉える。ハンドガンを三点連射。今度は虫の肘にもう一度。さらに膝に一度。左の肘と膝を割り、翅を付け根から撃ち落とす。
身をよじる虫の頭蓋に、鉈が振り下ろされた。
胸元まで割られた虫は大きく震え、力を失う。
鉈を握って震える少女を見る、肩で息をしながら、彼女は私に顔を向けた。
「ご無事ですか」
「おかげさまで」
彼女は手元の鉈を見て、ようやくずるりと引き抜いた。虫が倒れる。死骸を見下ろして、言う。
「……ほんとに、動けば、助けになれるんですね」
私はうなずいて、目頭を押さえた。
「そうだね。でも、銃を撃つときは一言欲しいな。運が悪いと失明するから」
「ご、ごめんなさい」
「ううん、ありがとう。おかげで命拾いした」
彼女は恐縮したように肩を縮めて、
力を抜いて笑った。
そして改まって私に向き直り、胸に手を当てて言う。
「あの。あたし、ミカっていいます」
「ん? なにが?」
「いえ、その。自己紹介してなかったから」
「そんなの、別にいいのに」
面接したいわけでも、相棒を公募したわけでもない。相手の素性にこだわる意味はなかった。
少女は――ミカは口の端を強張らせて首を振った。
「そういうわけにも。あの、あなたのお名前は?」
「ん?」
そんなの聞いてどうするつもり……とまで考えて、どうも話が通じないわけに気づいた。
ずれてるのは私だ。戦場で行き会った"誰か"としてではなく、私を一個人として捉えようとしているのだ。
もうずいぶん忘れて久しい感性だった。
「私は、ええと。なんだっけ、ちょっと待ってね」
やめときゃいいのに、私もわざわざ首に下げるタグを引き出して自分の名前を確かめた。
「メグだ。私はメグ」
口にしておいて、他人事のような響きに笑えてくる。私はこんな可愛らしい名前だっただろうか。
「よろしくお願いします、メグさん」
「はいはい、よろしくね」
ずいぶん懐かしく感じる呼ばれ方に笑い、握手をする。
まるで友達かなにかみたいに。
ポストアポカリプス、激萌え!!