空挺作戦
飛行機に穴が開いた。
がくがくと揺れながら、機首に大きく傾いていく。
旅客機のようなシートはない。ベンチを並べただけのキャビンだ。とてもじゃないが耐えられない。
バランスを崩した少女が何人も倒れ、装甲を打ち合わせながら塊となって転がっていく。
「くっ」
壁に指を立てて体勢を保つ。手甲が駆動音を立て、指先の装甲が鉄板に食い込んだ。
目の前で赤い粘液が真横に滑っていく。
誰かの流血だ。壁に垂れるほど大量の。
「くそっ」
空気があらかた抜けていた。吹き抜ける風が切るように冷たい。腕や肩を覆う装甲に霜が降りている。
窓から見える雲が大きく迫る。
主翼の表面が剥がれた。骨組みが風に軋む。もう風をつかまない。
「!」
日が翳った。
遮るもののない、雲より高い空のなかで。
投げ出した体と紙一重。鈍色の鉄板が窓を突き破った。風に踊るガラスから顔を守り、
「この、化け物めっ」
腕をひねる。ウェポンハンガーからアサルトライフルが放られた。空中でストックを握る。フルオート。天井を撃つ。天板がたわみ、弾んだ。
緑色の粘液が滴る。血だ。やつらの血。空になった弾倉が自動で吹き飛ぶ。銃を投げ捨て、腰にマウントされた鉈を抜いてベンチを蹴った。天井を貫く。
鉄をねじ切るような、この世のものとは思われないひび割れた悲鳴。
そう。これは悲鳴だ。
断ち切った天井が裂け、虫の幼虫のような顔がだらりと落ちてくる。
「ぃっ」
悲鳴は、上げられなかった。
鉈に胸を貫かれた虫が、咳き込むように緑の血を吐き、
防ぎきれなかった血が顔に垂れて、
マグマがへばりつくような激痛で正気が飛んだ。
頭が裂ける。裂かれた傷に鉄箸をねじ込まれている。頭蓋骨が斧で叩かれている。
顔を振っても背中を丸めても痛みが張り付いて離れない。
視界が流れる。衝撃。ぶつけた。どこを、なにで打ったのか分からない。
やがて。
焼け付く痛みに慣れるような、地獄の隙間が訪れる。脳が吐き出したβエンドルフィンが苦痛を忘れさせたのだ。
全周囲が空だった。
腕も足も風に叩かれる。落ちている。
乾いた額がぱりぱりと鳴る。そうだ、傷に対処しなければ。
腰のポーチからジェルバッグを取り出す。飲むゼリーそっくりのパッケージに赤の大字で”たべられません"。
ジェルを傷口に塗り付ける。緑の粘液が固くなって、ぼろぼろと剥がれ落ちた。これを開発するまでに、何人が犠牲になっただろう。火傷跡に軟膏を塗りながら顔を上げる。
飛行機は頭上に遠い。
頭から地面へ飛び込む飛行機に、巨大な蟷螂が次々と取り付いていた。
機体に鉄板の如き鎌が突き立てられ、滅多刺しにされる。何人もの少女が壁を突き破って空に飛び出した。胡椒が撒かれる様子をスローモーションで見ているようだ。
こうなると空は狭い。風に翻弄された少女が、他の少女と衝突する姿が見える。どちらも腕を絡ませ、首の据わらない子どものようにくらくらと風に遊ばれている。
失神しているようだ。
「しょうがないな」
このまま墜死するのを見るのも忍びない。両手を広げ、肩装甲を展開させてエアブレーキにする。ぐっと肩にかかる空気抵抗が急増し、吹っ飛ばされそうになる上体を保つ。そんな抵抗をしている間に少女たちに追い越された。
再びエアブレーキを格納し、今度は「気をつけ」の姿勢を取って頭から落ちる。
二人に追いつき、腕を慎重に伸ばして握った。背部ラックを引っ張って、素早く離れる。
落下傘を開けた少女が上空にすっ飛んだ。相対的に。
「次」
もう一人の少女を同じように捕まえて、背中のパラシュートを掴む。
と、少女の腕に力が戻った。
「う、あれ?」
「お目覚め? それじゃあ、ハバナイスフライト」
あ、の形に口が開かれたまま、少女の背中から布が噴出し、次いで当人も吹っ飛んでいく。
パラシュートを開いたところで再び衝突するかもしれないが、そこまで面倒は見られない。開かれたパラシュートに近寄るのは厳禁だ。絡まってしまう。
ぴ、ぴ、と規則的な電子音が耳元で起こる。高度警報が起動するほど落ちてしまっていた。人助けも楽じゃない。
腕を上げて体を回転させ、空で腹ばいになる。ガントレットをねじり、振り下ろした。バックパックから落下傘が打ち上げられる。
急激な減速に肩が蹴り上げられた。鈍痛にうめき声が漏れる。パラシュートコードで装甲に分散させてこの衝撃だ。気を失ったままのパラシュート展開はむち打ちになりそうだ。
上から降ってくる味方に当たらないよう、また障害物に直撃しないように向きを調整する。
足下には、灰色だけが広がっている。
都庁の特徴的な双子の塔が、半ばからばっきり折れて倒れていた。高層ビルは溶けるように瓦礫に沈み、コンクリートの雪崩に建物が押し流されている。
やつらに更地にされた旧都心だ。
落下傘を切り離す。十メートルほどの高度は一秒も経たずに消えるのに、地面が迫ってくるせいで体感時間は少し長い。薄ら寒さを押し殺し地面に足を叩きつける。コンクリートが粉になり、衝撃を変換する緩衝剤が蒸発して周囲に陽炎を巻き起こす。
ハードポイントを備えた肩の装甲、二の腕まで伸びるガントレット、重要な臓器を守る胸部装甲に、基幹動力を仕込む巨大なレッグガード。
よし。問題ない。
ガントレットをひねって、軽い手ごたえに意表を突かれた。飛行機で銃を使い捨てたことを思い出す。毒づいて、逆の手をひねった。大型のハンドガンが手に収まる。
空からは次々と後続が降りてきている、
移動しようと周囲に目を走らせて、
「フゥ」
ハンドガンの銃口を水平に向ける。
呼吸を整え、一気に地面を蹴った。
ガントレットを引く。スラスターが起動し、体が水平を保って地表を滑る。壁の残骸を回り込んだ。蟷螂が立っている。頭蓋へ向けて腕を上げ、三点連射。頭蓋が弾けて緑色をぶちまけた。
感慨を抱く暇もない。右のつま先を地面にこすりつけ旋回。背後に銃口を向ける。翅を広げている虫に向けて四射。移動の向きを変えてバランスを戻しながら、狙いをつけて二射。虫が体勢を崩す。
即座に間合いを詰めながら腰に手を回し、
唖然とした。
鉈がない。
飛行機のなかで、取り付いた虫を斃したときに落としてしまった、のだろう。
「やばっ」
跳んで宙返り。寝かせた体をすり抜けて虫の鎌が空を切る。ショックを受けている暇もない。
虫は首を傾げて私を見る。対峙の寸隙もあればこそ。蟷螂の刃は再び振るわれた。
「くっ!」
ガントレットの装甲で受け流したはずが、上体を大きく持っていかれた。潔く跳んで宙返り、着地をずらして横に転がる。鎌が隣に落ちた。ガントレットをひねり、ブースト。虫をすり抜けて跳躍する。
背後を取ったものの、鉈がなければ虫は殺せない。特殊なレアメタルでコーティングした鉈でしか、虫にまともなダメージを与えられないのだ。
せっかく転ばせた二匹目の虫も、図体を起こして私を見ている。一匹目が祈るように両手をそろえてにじり寄る。
じっとりとにじむ汗をぬぐった。
「最悪」
ハンドガンを握りなおす。
そのとき。
「とおぉおおおおおおう!」
空から女の子が降ってきた。
虫を踏みつけ、鉈を首筋に突き立てる。虫ごと倒れ、ごろごろと転がった。高い音を立てて鉈が滑ってくる。
「た、あっ、助けに来ましたっ!」
膝をつく少女を無視して跳ぶ。滑ってきた鉈を拾いざま、ブースターを起動させて噴射炎を踏む。
少女を飛び越え、彼女の背後に迫っていた虫の鎌を断ち切った。さらに回転に乗せて顔を裂く。とどめに半回転して脇を通し、虫の腹を貫いた。抜いて、振り返り、袈裟に斬る。
剣術の的に使う藁束のように、虫はばっさりと崩れ落ちた。
血が煙る。彼らの血は腐食性だ。およそ地上にあっていい生体ではない。
凝然と青ざめる少女に、親指を向ける。
「ナイス」
装甲少女ってかわいいですよね。
来いよ同士! 考証なんざ投げ捨ててかかってこい!!