⑤
「私にとって、悠莉くんはヒーローなんだよ?」
口が勝手に動いていた。
私の好きになった人が、自分を自分で貶しているのが辛かったから。
「だって、男嫌いだった私が、初めて、恋をしたんだよ?」
知ってほしい。
私が恋したこと。
それがどれだけ、すごい奇跡なのか。
男なんて嫌いだ。
いまだって、ケダモノだと思っている。
ウチのお父さんのように、少女漫画に出てくるような眼鏡の似合うクールでインテリア系のかっこいい男性は極少数。
それ以外の男たちは、皆同じだ。
胸が膨らみ始めてきた小学生時代、本気でそう思っていた。
あの頃は、ほんとうに男性が怖かった。
どこを出歩こうが、同級生だけでなく、大人や教師までもが私の歳不相応に発育した身体をジロジロと見てくる。
幼くとも、それが性的な意図を含んだ視線であることは理解できた。
彼らの頭の中で、自分がどんな恥辱を受けているのかと考えるだけで、怖気が奔った。
一時期は、不登校になるほど、外に出ることが怖くなった。
厳しい父は学業を疎かにするとよく私を叱ったものだが、そのときばかりは、労わるように接してくれた。
父がそうしてくれなかったら、本気で取り返しのつかない男性恐怖症に陥っていたことだろう。
代わりに根付いたのは、男性への絶対的嫌悪。
身内の男性は辛うじて許容できても、それ以外の男性は生理的に受け付けられなかった。
交際とか結婚とか、想像すらしたくなかった。
自分が誰かのものになるなんて、絶対にイヤだった。
自分は恋なんかしない。
そう固く決めた。
それでも……
「それでもね、ときどきお母さんを見てると、羨ましくなったの」
私は初恋相手に語る。
「私のお母さんはね、ホントいまでも恋する女の子みたいにお父さんにベッタリなの。もう見てるこっちが恥ずかしくなるぐらい」
けど無理もない。
お父さんは娘の私から見ても素敵な人だし。
激しい競争率の中でお母さんは勝利を勝ち取ったという話だから、どれだけ歳月が経ってもその愛が損なわれることはないのだろう。
そんなお母さんに反して、お父さんは素っ気なくあしらうのが、ほとんどなのだが。
でも、結婚記念日には毎年欠かさずお祝いのプレゼントを用意する。
態度には出さないだけで、父も同じく、母を深く愛しているのだろう。
「そんな両親を見てると、こういうのって素敵だなぁ、って憧れちゃうんだ」
……でも。
「でも、男嫌いを治さない限り、お母さんたちみたいにはなれないんだよね」
当たり前のことだ。
だけど、どうしようもできない。
嫌悪感っていうのは、理屈でどうにかできるものじゃないから。
「そんな私は一生恋なんてできないんだろうなぁって、半ば諦めてたんだ」
諦めてた、のに。
「でも、したんだよ」
自分を忘れてしまうくらいに、夢中になるような恋を。
「好きです、悠莉くん」
私は言う。
何度だって言う。
この気持ちは、本物なんだって。
「周りから笑われるとか、釣り合ってないとか、そんなの関係ない」
人の恋路を笑いのネタにするような奴の声なんて無視すればいい。
意識にすら入らない。
好きな人と一緒に過ごしているときが、いちばん有意義だもの。
「私は、悠莉くんに恋をしたんだもの。悠莉くんじゃなきゃ、イヤなの」
男に対して芽生える生理的嫌悪。
それが悠莉くん相手には、まったくない。
こんなこと、本当に初めてだった。
……大の男らしさを感じさせない悠莉くんだから、そんな風に感じるのかもしれないけど。
でも、それだけで、ここまで人を好きになるなんてことはない。
「悠莉くんだからこそ、私は恋をしたの」
呆然と私を見つめる彼の手を、そっと握る。
私よりも小さな華奢な手。
だけど、握っていると、とても安心する。
男に触れると、必ず身体が震えるのに、それすらもない。
それどころか、どんどん胸がドキドキする。
ほら。
悠莉くんは、やっぱり特別なんだ。
ずっと男が嫌いだった。
でも、それは、勝手な思い込みで、目を背けていただけかもしれない。
お父さんのように、そうじゃない人だっている。
頭では、それがわかっていたけど、どうしても認めたくなかった。
悠莉くんに助けられる前までは。
「悠莉くんが自分のことをどう思っていても……私はあなたを尊敬してるんだよ?」
女の子が男の子に憧れる。
そんな当たり前のことすら、私にはなかった。
悠莉くんなら、それができるんだ。
「初めてなの。男の人を、そんな風に思うの」
悠莉くんと一緒なら、いままで軽蔑ばかりしていた男性のことを、もっと理解できるんじゃないかなと思う。
ただ一方的に男を嫌う。
そんな自分を情けないと思うときが、最近増えてきた。
子どもの内ならまだいい。
でも大人になってもそれが続いたら、私はいつまでも精神的に成長できない、しょうもない人間になってしまうかもしれない。
この先、本当に誠実に接してくれる男性の思いやりすら、切り捨ててしまう、薄情な女になってしまうかもしれない。
そんなことで、母のように幸せなれるわけがない。
そしてなにより……
悠莉くんにふさわしい、女性になれない。
「私、変わりたいの」
男嫌いを克服できるように。
悠莉くんの隣に立てる、女になれるように。
「悠莉くんと一緒なら、変われる気がするの」
悠莉くんに出会って知った、たくさんの初めて。
それを、もっともっと、知っていきたい。
この人の、隣で。
ダメだ。
やっぱり、諦めきれない。
母は言ってた。
私とお父さんは運命で結ばれたんだ、って恥ずかしげもなく。
でも、いまはその言葉が私を勇気づけてくれる。
私も自信を持って言おう。
私の運命の相手は……悠莉くんなんだ!
「悠莉くん、ごめんね。もう一度言わせて?」
何度断れても、諦めない。
だって、この恋は……
「――私を、あなたの彼女にしてください」
きっと、もう二度とない、最初で最後の恋だと思うから。