④
瀬賀悠莉が、まだその見た目相応の年ごろだった頃。
彼には強く憧れる人物がいた。
近所に住んでいた、従姉弟の青年である。
従姉弟はいわゆる、ヒーローだった。
曲がったことが大嫌いで、許せないものに対して容赦しない。
常に義侠心に満ち溢れ、正義というものを誰よりも信じていた。
だから当然、いじめられている子どもがいれば、必ず助けた。
当時いじめられっ子だった悠莉は、間違いなく誰よりも従姉弟に助けられる頻度が高かった。
その頃の悠莉はいま以上に大人しく、尚且つ周りの女性にチヤホヤされることが多かったため、それを面白く思わない悪童たちの恰好の的だった。
彼らはたびたび人目のつかない場所に悠莉を連れ込んで、好き勝手に暴力をふるったが、そのたびに従姉弟は駆けつけてくれた。
誰かが助けを求めれば、どこだろうと必ず来てくれる。
従姉弟はそのような、本当にヒーローのような人物だったのだ。
従姉弟が現れるだけで、悪童たちは一目散に去るのが、もはや馴染みの光景となっていた。
そして、助けた悠莉に対し、「男なら泣くな」と説教をするのもお約束と化していた。
従姉弟はよく悠莉に言った。
やられっぱなしで悔しくないのか。
ただ泣くだけで何もしない自分を好きになれるのか。
たとえ勝てないとわかっていても、それでも挑むのが、男というものだ。
きっと、悠莉の将来を案じて、敢えて厳しい言葉を送ったのだろう。
一方的に助けることだけが正しいことではないと、従姉弟は知っていたのだ。
実際、従姉弟のその言葉があったからこそ、悠莉は泣き虫を卒業できたのだ。
幼い悠莉は思った。
従姉弟のように立派な人物にはなれないかもしれない。
それでも、せめて自分を誇れる程度の男にはなろう。
そう奮い立った悠莉は、自分に可能な範囲で、人助けをし始めるようになった。
道に迷った人を案内し、ケガをした子どもがいれば応急処置をし、階段を昇るのに苦労している老人に手を貸す。といったものだ。
大人や教師の視点からすれば、いわゆる《お利巧さん》というやつである。
従姉弟の過激な人助けと比べれば、ほほ笑ましく感じるレベルのものだ。
しかし、そういった善行の積み重ねは、悠莉に日々、自信を身につけさせていった。
いつしか、弱々しい態度は霞み、風のように澄んだ落ち着きと、氷のように静かな貫禄が備わるようになっていた。
憧れの人物に少しでも近づけるよう、悠莉は努力を欠かさなかった。
それは、従姉弟との約束でもあった。
少しでも自分が、いまよりも良い人間になれるように日々頑張ると。
従姉弟は現在、地方で警察官をやっている。素敵な奥さんにも恵まれ、街の住人たちから慕われる、立派なおまわりさんをやっているとのことだ。
悠莉も将来は、そんな警察官になりたいと密かに考えており、日々訓練と勉学を欠かさなかった。
従姉弟とはメッセージを通して、たびたびアドバイスを貰ったり、軽い雑談に興じたりしている。
そんな折、憧れの人物がこんなメッセージを送って来た。
『結婚してから感じたことだけどな、好きな人ができると人間ってより強くなれるみたいだ。この人を幸せにするためにも、しっかりしなくちゃって。だから辛いことも頑張れるんだ』
惚気のようにも聞こえる内容だったが、向上心が人一倍強い彼が言うことは、常に高みを目指す男の訓示となるなのだった。
『守るべき相手がいると、芯っていうのかな。絶対に譲れないものができて、一層励めるようになる。だから悠莉。お前も今の内に恋としかして、好きな人見つけたほうがいいぞ』
こればかりは、憧れの相手でも、余計なお世話だと思った。
確かに、独り身では決して得ることができない熱意というものが、恋にはあるのだろう。
理屈では、それはわかっている。
しかし、恋というのは、まことに不確定要素なものである。
やろうと思って、できるものではない。
そして、なによりも。
こんなチビを男として好いてくれる女性が、いるとは思えない。
悠莉は、自分が一般的男性としての魅力に欠けていることを自覚している。
小柄なカラダや愛らしい顔は、一部の女性の需要に沿っているのかもしれないが。
しかし、悠莉が理想とする男性像には程遠い。
中性的な容姿や、一向に成長の兆しを見せない身体は、悠莉にとってコンプレックスの何物でもない。
同級生にはからかわれるし、ときどき見知らぬ女性が目を据わらせて襲ってくることもあるし、散々である。
だが、従姉弟にこんなことを愚痴づこうものなら「見た目を気にするな。他人の目など気にするな」と喝を入れるに違いない。
実際、見た目を引き合いに言い訳をする自分は、まだまだ未熟な男としか言いようがない。
いかに善意や正義心を日々磨こうとも、要はまだ自分に確固となる自信がないのだ。
なればこそ、恋愛などに構っている暇があるのなら、一日でも早く立派な警官になれるよう自分を鍛えるべきなのだ。
悪事を許さず、助けを求める者がいれば助け、困っていれば手を差し伸べる。
小さなカラダでも、自分の可能な範囲で、世の中を良くしていきたい。
それは、いじめられっ子だったからこそ胸に抱く、切な願いだった。
やっていることは、かつての従姉弟の真似事に過ぎないかもしれない。
それでも自分の行いで救われるものがあるのなら、決して見捨てたりしない。
そうすることで、こんなチビでも、立派な男として成長できると信じていた。
だから、悠莉は別に見返りは求めてなどいない。
所詮は、自己満足に近いものなのだから。
なにより、感謝をされるほどの偉業を成し遂げているとも思っていない。
憧れの従姉弟は自分と同じ年ごろのときは、もっと凄いことをしていた。
当の人物は悠莉に恋をしろとは言っているが、それはずっと先のことになるだろうと思っている。
なぜなら、他人を好きなる以前に、悠莉自身が自分を好いていないからだ。
立派な男として、まだまだ中途半端な自分を誇れない以上は、恋愛など遠い世界の出来事でしかない。
だからこそ、いま悠莉は戸惑っていた。
「私にとって、悠莉くんはヒーローなんだよ?」
こんな自分を好きだと言ってくれる少女がいる。
憧れの人物の、かつての称号で呼んでくれる少女がいる。
悠莉には理解できなかった。
女性として誰よりも魅力に溢れる少女が。もっと素敵な男性と付き合えるはずの美人が、なぜここまで、自分に好意を向けてくれるのか。
告白されたときの対処法。
そればかりは、さすがの従姉弟も教えてはくれていない。