日付の足りないカレンダー
あなたにとって、大切なものは何ですか?
「今日も、新しい朝が来たよ」
私の目線の先には、使い古された日めくりカレンダー。
ただ、一つ…他のカレンダーと違うのは、この日めくりカレンダーには、19日のページがないということ。
つまり、このカレンダーは、日付が足りないのだ。
何故、このカレンダーには日付が足りないのか…
それは、幼い頃の私が原因だった。
あれは、10年前の事だった。
私は、とにかくおばあちゃんっ子だった。
おばあちゃんの事が大好きで、いつもおばあちゃんに引っ付いていた。
そんな私をおばあちゃんは、本当に可愛がってくれた。
折り紙やお手玉…色々な事を教えてくれるおばあちゃんは、私にとってヒーローだった。
いつもと変わらず、おばあちゃん家に遊びに行った時のこと。
「あらっ、けいちゃん! 今日も遊びに来てくれたの?おばあちゃん、嬉しいわ。」
と、私の大好きな笑顔で出迎えてくれる筈なのに、いくら待っても出て来ない。
そんな様子を不審に思ったお母さんが、合鍵でドアを開けて、おばあちゃんを呼びながら、リビングに向かっていった。
リビングの方から、お母さんの大声が聞こえた。
「母さん、母さん!! 大丈夫? 返事して!母さん!!」
悲痛な声が、こだまする。
いつもと声色の違うお母さんに、戸惑い…ただ、傍で突っ立っていることしか出来なかった。
10分後、お母さんの通報で到着した救急車におばあちゃんは運ばれていった。
私は、後から合流したお父さんと一緒に車で病院に向かった。
病院に到着し、院内に入ると…そこにはお母さんが立っていた。
「あなた、ちょっと…いいかしら。母さんの事なんだけど。」
「あぁ、いいよ。 けい、お父さん…今からおばあちゃんの事でお母さんと話があるから、ここで大人しく待っていられるかな?」
「うん! けい、ここで待ってる。」
二人は、そう言うと…廊下の奥まで行ってしまった。
ここで待っていると言っても、特にする事がない。
最初は、椅子に座っていた私も、退屈になり…お母さんとお父さんが行った廊下の方へ歩いて向かった。
もう、二人の話は、終わっただろうと思って…
そんな時、お母さんの声が聞こえ、咄嗟に壁に隠れた。
「さっき、お医者様が言ってたの…もって、あと一週間だって。」
「そんな! あと一週間って…一週間後は、けいの誕生日じゃないか!!けいの奴、おばあちゃんがケーキ作って誕生日パーティーをしてくれるって、喜んでいたのに…なんで、そんな…」
「だから、けいには、母さんの事言わない事にしたの。もしも、言ってしまったら、ものすごく悲しむと思うから」
「そうか。 でも、言った方がいいんじゃないか」
「いいえ。けいには、笑っていて欲しいから。言わないわ」
「分かった。お前に任せる」
コツコツと、お母さんとお父さんの足音がする。
見つかったら怒られると思った私は、急いで椅子の方に走り、椅子に座った。
少ししたら、お母さんとお父さんがやってきた。
「けい、お待たせ。おばあちゃんの所に行きましょ。」
お母さんにそう声を掛けられ、黙ってついていく。
「けい、おばあちゃんは少し元気がないんだ。 だから、あまり騒がしくしちゃダメだよ!」
おばあちゃんの事で頭が一杯になっており、お父さんが話し掛けてきた事にも気が付かなかった。
歩いている内に、おばあちゃんがいる病室に辿り着いた。
コンコンと、お母さんがドアを叩く。
「空いているからどうぞ。」
いつもより、か細いがしっかりとしたおばあちゃんの声が返ってきた。
「おばぁーちゃーーん!!」
私は、叫びながらおばあちゃんに抱き付いた。
「あらあら、けいちゃん。来てくれてありがとう。心配かけてごめんね」
「うぅん、おばあちゃんと会えて良かった」
「あら、ありがとう。けいちゃん、今日は何して遊ぼうか?」
「今日は、あやとりするー!!」
「じゃあ、今日はあやとりをしましょう。」
楽しい時間は、あっという間に過ぎた。
「けい、今日はそろそろ帰るわよ!おばあちゃんにバイバイって言いなさい」
「やだ!!まだ、おばあちゃんと遊ぶの!!」
「こらっ!ワガママ言わないの!おばあちゃんを困らせないの!」
「けいちゃん、また明日おいで!明日、おばあちゃんの大切な宝物を見せてあげるから」
「本当?? おばあちゃん、約束だからね!」
そうおばあちゃんと指切りで約束してから、家に帰った。
おばあちゃんの宝物って何だろう?と思いながら、ワクワクしながら眠りについた。
次の日、お母さんと一緒に病院に向かっていると・・・。
何だか、病院が騒がしい。
「何かあったのですか?」
お母さんが、息を切らしながら走っている看護婦さんに声を掛けた。
「604号室に入院している望田さんの体調が一気に悪くなって・・・。」
その言葉を聞いた瞬間、お母さんの顔色が一気に悪くなった。
「望田ですか・・・。それ、うちの母です!!」
「娘さんですか!早く、こちらに・・・。」
「けい、お母さん・・・この看護婦さんとおばあちゃんの所に行くから、椅子に座って待ってて。」
「嫌だ! 私もおばあちゃんの所に行く!!」
「ワガママ言わないで! お願いだから、大人しく待っててちょうだい。」
私が言う事を聞かない為、お母さんは強めの口調で言った。
「娘さん、急いで!」
私達親子の様子を見ていた看護婦さんが、そう叫んだ。
「こらっ、けい。あなたも行くなら、早くしなさい」
そう、お母さんが言うと、私の手を握った。
手を繋ぎ、走った。
そして、おばあちゃんが運び込まれた処置室に着いた。
「おばあちゃん、大丈夫かなぁ?」
不安になり、愚痴をこぼした。
「おばあちゃんなら、大丈夫よ。おばあちゃんを信じなさい」
そう言うお母さんの手は、少し震えていた。
「御家族の方、どうぞ」
処置室の中から、私達を呼ぶ声がした。
「はい、失礼します」
お母さんが返事をして、処置室に入る。私も、その後を着いていく。
処置室に入ると、その先には、一つのベットがあった。そのベットには、酸素マスクをつけて眠っているおばあちゃんの姿があった。
「おばあちゃ・・・「しっ! 静かにしなさい。おばあちゃん、疲れて寝ているんだから」
おばあちゃんに声をかけようとしたら、お母さんに咎められやめた。
おばあちゃんの額には、薄っすらと汗が滲んでいた。
ふと、おばあちゃんの隣に置いてある日めくりカレンダーに気付いた。
おばあちゃんを起こさないように、小声でお母さんに話しかけた。
「お母さん、これってなーに?」
「これはね、日めくりカレンダーって、言うのよ。新しい朝が来た時に、このカレンダーをめくって新しい朝が来た事を喜ぶものよ。そして、このカレンダーはおばあちゃんの大切なものなの」
「へぇー、そうなんだ。けいも、めくる!」
「こら、駄目よ!もう、今日の分は、めくってあるの。明日の朝が来たら、めくりなさい。今、めくると…明日が来ちゃうわよ」
「えっー! けい、めくりたいのに。」
「今日とお別れして、明日が来てもいいならめくりなさい。ただし、今日が終わるのだから、今日は、おばあちゃんと遊べなくなるけどね。」
「おばあちゃんと遊べなくなるのなら、めくるの我慢する…」
「そんなにめくりたいのなら、明日 おばあちゃんに頼めばいいじゃないの。」
「そうするー! おばあちゃんに頼んでくるー!!」
「ちょっと、待ちなさい! 今、おばあちゃんは寝ているから、後にしなさい!」
小声で話をしていたつもりが、知らない内に声が大きくなっていた。
「うぅ・・うぅん・・・。」
私を怒ったお母さんの声で、おばあちゃんが起きてしまった。
「母さん、ごめんね。 起こすつもりはなかったのだけど。」
と、お母さんは申し訳なさそうに、おばあちゃんに謝っている。
「別にいいわよ。 せっかく、けいちゃんが遊びに来てくれたのだから」
「おばあちゃんにね、お願いがあるんだー!」
「あら、何かしら? おばあちゃんに教えてちょうだい」
「あの・・・あのね、そのカレンダーを明日 めくりたいの!!」
「カレンダーって、これの事かしら?」
「うん! そのカレンダーのこと!」
「ふふっ…もちろん、いいわよ」
「ありがとう、おばあちゃん! あっ、そう言えば…今日 おばあちゃんの宝物を教えてくれるっていう話だったよね? おばあちゃんの宝物って、なーに?」
おばあちゃんは、とても優しい笑顔を私に向けながら、言った。
「私の宝物は、この日めくりカレンダー。 この日めくりカレンダーは、亡くなったおじいちゃんから結婚記念日に貰ったものなのよ… これからも仲良く同じ時間を共に過ごして下さいって…おじいちゃんは、無口な人だったけど…そう恥ずかしそうに言っていたのよ…」
「へぇー、このカレンダーが宝物なんだね! おじいちゃんからのプレゼントなんだー! 素敵な宝物だね…」
「けいちゃん、ありがとう! でも、何十年と使っているから、結構 汚れているんだけど…これからも、大切に使おうと思っているの。 おじいちゃんとの大事な思い出の品だから」
「うぅん、汚れてなんかいないよ!けいは、本当に素敵だと思うのー」
日めくりカレンダーを机の上の元の位置に戻してから、おばあちゃんは、優しく私に再び笑いかけた。
「じゃあ、今日は何して遊ぼうか?」
「今日はね〜、お手玉にするー!」
「じゃあ、今日はお手玉をしましょうね。」
「母さん、体調が悪いのに、無理しないでよ!」
「みのり、あなたは心配しすぎよ。 これ位、大丈夫よ」
そういうと、ベットの引き出しの中からお手玉を3つ取り出した。
「じゃあ、けいちゃん…今日は3つでやりましょうか。確か、前は2つだったわよね」
「うん!」
「こうやって、この時に次のお手玉を投げるのよ」
おばあちゃんが、やり方を教えてくれるが、うまくお手玉をキャッチする事が出来ない。
悔しくて、何回も繰り返し夢中になって練習していた。
その時、おばあちゃんがいきなり咳き込み始めた。
「ごほっ、ごほっ…ぐはっ!」
「おばあちゃん、大丈夫? お母さーーーん!!!」
咳き込み続けるおばあちゃんの姿をみて、思わずお母さんを大声で呼んでいた。
私の声を聞いたお母さんが、急いで病室に入ってきた。
「けい、どうしたの?母さん、大丈夫? しっかりして!!!」
母の声に気付いた看護婦さんがお医者さんを連れて、病室に入ってきた。
緊迫した雰囲気の病室に、ただ立ち尽くす事しか出来なかった。
「けい、あなたは外で待ちなさい。 お父さんを呼ぶから」
お母さんに、病室から出ていくように言われたが、素直に従う事が出来なかった。
「嫌だ! おばあちゃんの傍にいる!!」
「ワガママ、言わないの! あなたがいても、何も出来ないでしょ! だから、外にいなさい!!」
最後は、少し泣き叫ぶようにお母さんが言った。
「分かった。 また、おばあちゃんが元気になったら教えてね」
おばあちゃんの様子が気になったが、お母さんから病室から出るように言われた私は、病室から出ようとした。
その時、ふと机の上のカレンダーに目が行った。
"もしかしたら、おばあちゃんを助けてあげられるかもしれない"
そう思った私は、机の上にあるカレンダーに手をかけて19日と書かれたページを破り、病室を出た。
そして、お母さんに呼ばれていたお父さんと一緒に家に帰った。
その日、お母さんから連絡はなかった。
次の日、お父さんと一緒に病室に向かうと、そこには目を腫らしたお母さんが立っていた。
そして、私の顔を見るなり、こう言った。
「なんで、こんな事したの!」
母の手には、おばあちゃんの大切な宝物のカレンダー。
「だって、おばあちゃんが・・・」
「だってじゃないでしょ! おばあちゃんの宝物だって教えてもらったじゃないの!」
「だって、だって・・・」
自然と、目から涙が溢れていた。
途切れ途切れの言葉をお母さんは、黙って聞いてくれた。
「日付をめくると、次の日が来るんでしょ?じゃあ、日付をめくらなければ、次の日は来ないんだよね? だって、お母さんが教えてくれたもん。 だから、おばあちゃんがいなくならないかと思って…次の日が無ければ、今日は終わらないと思ったの」
お母さんは、一瞬驚いた顔をした。
そして、涙を流しながら、私を優しくそっと抱きしめた。
「お母さん?」
「時間はね、止めたくても止める事が出来ないの・・・だから、人は今という時間を大切に過ごすのよ」
そう言って、優しくわたしを抱きしめ続けた。
「お母さん、おばあちゃんは?」
お母さんは、何も言わず、ただ泣くばかりだった。
「望田さん、すみません!」
そこに、お医者さんが現れ、二人で、どこかに行ってしまった。
そして、その後、おばあちゃんが亡くなった事をお母さんから知らされた。
しかし、おばあちゃんが亡くなったという事を信じる事が出来なかった。
「けい、おいで。おばあちゃんと最後の挨拶をしなさい」
そう言ったお母さんの目は赤く、腫れあがっていた。
「いや!おばあちゃんとお別れしたくない! まだ、おばあちゃんと遊ぶの!」
「いいかげんにしなさい!お母さんだって、本当は、お別れなんてしたくないの」
おかあさんは、また涙を流していた。
おばあちゃんの葬式も終わり、荷物の片付けを手伝っていると、お母さんから呼ばれた。
「けい、あなたに伝えたい事があるのよ。 しっかり、聞いてね」
そう言って、お母さんはおばあちゃんが亡くなった日の事を教えてくれた。
「母さん! 母さん! しっかりして!」
何度も、呼び掛ける。
「うぅ、大丈夫よ・・・しっかり聞こえているわ。 みのり、最後に聞いてほしいの」
痛みを堪えながら、一語一語丁寧に言う。
「嫌! 母さん、最後なんて嫌よ!!」
「いいから聞いてちょうだい。 みのり、私は幸せだったわ。 あなたを生んで、そして育て、あなたがけいちゃんを生んで、母になった。 成長した娘と孫を見れて、本当に幸せだったわ」
「私も母さんの娘で幸せよ!」
「でも、わたしも少し心残りがあるのよ・・・けいちゃんの誕生日を祝えそうにないわ」
「そんな事ないわ。 頑張って、母さん!」
「わたしの体だもの、わたしが一番分かっているわ。 みのり、あなたにお願いがあるの。 けいちゃんにこのカレンダーを誕生日プレゼントとして渡して欲しい」
「分かった。 分かったわ、母さん」
「そして、けいちゃんに、おばあちゃんはお空に行くけど、寂しがったりしないでね。いつでも、見守っているから、毎日毎日を大切に元気に過ごしてね。と伝えてちょうだい。 そして、みのり・・・あなたの事も愛しているわ。 じゃあ、お父さんの所に行くわね」
そう言って、おばあちゃんは、笑いながら目を閉じ、寝るように亡くなったらしい。
その話を聞いて、涙が止まらなかった。
「おばあちゃん・・・」
「おばあちゃんはね、けいの事を本当に愛していたの。 最後まで、けいの事を考えていたわ。けい、あなたは、おばあちゃんの事、大好きかしら?」
「もちろん! おばあちゃんの事、大大大大好きなの!!!」
涙と鼻水を垂らしながら、精一杯笑った。
大好きなおばあちゃんに、心配されないように。
けいは、元気だよって伝わるように。
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「じゃあ、行ってきます!!」
元気よく、玄関のドアを開ける。
そんな私の背中を見つめるのは、おばあちゃんから貰った日付の足りないカレンダー。
小さい頃は、日めくりカレンダーはめくれば、次の日が来ると思い込んでいました。
そんな思い込みから出来たお話でした。