introduction~紅~
闇に満たされた街。夜空を覆う厚い雲は月の光が大地を照らすのを拒み続けている。
暗く冷たい世界。音も、匂いもない世界。
――誰も、いない世界――
俺は何の為に今も生きているのか、たまに見失いそうになることがある。どこまでも広がる闇。そこに満ちるのは狂気と死だけ。もうどこにも希望なんてないのかもしれない。
――いや、そもそも希望なんて求めてはいない――
この世界にあるのは絶望のみ。俺にそれを覆す力なんてない。なら、本当にどうして生きているんだ。この壊れた世界で、たった一人で。
背後で足音がする。ひた、ひたと。酷く緩慢で聞いていると苛立つ程に。俺はその足音を迎えはしない。振り向きもしなければ声をかけることもない。何故なら、無駄だから。
暗く冷たい世界。そこにあるのは死者の音と匂いだけ。希望なんてない。絶望だけが満ちている。そんな世界で生きる意味は、理由は。
背後で死者が鳴く。とっくに朽ちた身体で、意志など宿さない器で、死んだ空気を震わせて呻き声を響かせる。聞き慣れてしまった死者の声。忘れかけている生者の声。だが、この声が俺を生かし続ける。
――殺せ――
光を失った夜景から目を伏せる。鞘から刀身を引き抜く。紅い刃が暗闇に儚く咲く。
――すべて、壊せ――
背後の死者が呻く。俺の身体をそんなに噛み千切りたいのか、焦ったように足音の間隔が狭くなる。
――俺は、復讐者――
目を開く。右足を大きく下げて振り返る。身体の回転のまま刃を水平に振り抜く。
「わかってる。この世界を壊すまでは死なない。死ねない」
紅い刃を鞘に納める。目の前では首から上を失った死者が後ろに倒れるところだ。
――この壊れた世界を壊すまで、俺は死なない――
雑居ビルの屋上に鮮やかな紅が広がる。本体から離れた頭は灰色の夜空を眺めている。
「休憩は終わりか」
次から次へと死者が集まってくる。狭い入り口からわらわらと、数を数えるのも面倒になった。各々が呻き声を溢しながら寄ってくる。両手を前に突き出し、頭をグラグラと揺らしながら、その死んだ瞳に俺だけを映して歩いてくる。
左手で太腿のホルスターからハンドガンを抜き、右手は腰の短刀に添える。チカラを使えば一瞬で片づけられるが、こんなところで症状を進行させるのは損だ。これ以上人間の部分を失うとどうなるかわからない。
暗闇は依然として冷たい。雲が流れたのか、月の光が死者を照らす。
「復讐の続きだ」
腰から短刀を抜き、アスファルトを蹴る。
月の光は、闇に散っていく紅をより鮮明に際立たせていた。