たぶん魔王が降ってきた。
「ちっぱいって言葉あるじゃんか?」
セクハラなのか、それともただの悪口なのか。 判断に困りながら先輩の方を見るが、いやらしい顔も意地の悪そうな顔もしていない。 至極真面目な顔をしている。
真面目に貧相な胸の話をするのも馬鹿らしいので昨日今日で大きく変化した窓の外を眺めるが、スーパー地球人に変身してきている先輩の話は続く。
「どこからどこまでがちっぱいなのかね。 カップの測り方なんぞ知らないから間違ってるかもしれないが、Cあればちっぱいとは言い難いわけじゃん?
つまり【C>ちっぱい】なのだが、あらたんレベルのAカップまでいくとちっぱいではなくないちちとかまな板とか絶壁などと呼ばれるから【C>ちっぱい>?】になる。
【?】の中に入るのがBだとすると成り立たないのでAと仮定すると【ちっぱい=B】になる。
でも、それはなんか違うじゃん? Bって普通ぐらいなんだろ?」
「……先輩。 先輩は知らないと思いますが、Aより下にAA、AAAってのがあるんですよ。 あと、あらたんって呼ぶな」
「AAAってなんかかっこいいじゃん。よかったじゃんカッコ良くてさ」
「先輩は他人を慰める前に、貧乏な不良みたいな毛根付近だけ黒いプリン頭をどうにかするべきだと思います」
先輩は小さく口角を上げ、毛先から金に侵食されている男性にしては少し長い髪を軽く指に巻きつける。
楽しそうだ。 いつもヘラヘラと愉快そうに笑っている先輩が、照れを隠すように小さく笑う。
「ん、先輩は随分と楽しそうですね?
そういえば先輩ってこういうチープで陳腐なファンタジーが好きなんでしたっけ」
「チープとか言うなよ。 これでも一応現実なんだしさ。
ああ、そうだ。 今日は学校サボって、変化してるであろう図書館に行くつもりだけど……」
「お供しますよ、学校でさっきみたいな異常事態が起こらないとは限らないですし」
僕は吐き慣れた言い訳を言って立ち上がり、先輩のぶかぶかの服の上に先輩のコートを被せられる。
「じゃあ、まだ開館してないけど、新の着替えを取りに行ってから向かうとするか」
まだほんの少し湿り気のある黒髪をくしゃくしゃと撫でられ、それを振り払うように玄関へと向かった。
二人して見慣れない緑を見上げながら外に出た。 だいたい八時前ぐらいのこの時間は、小学生が近くの小学校に登校する時間のため、ランドセルを背負った子供が賑やかに歩いている。
少し前に「JSっていいよな」なんて怖いことを言っていた先輩の前に妙にカラフルな漫画のような色をした少女達が通りすぎる。
が、先輩に反応がない。
「オークが……赤いランドセル背負ってる……」
「あー、本当ですね」
長々とゾンビに追いかけられたせいか……へんな話ではあるが、慣れ親しんだ光景でなくなることに慣れてしまった。
よく考えるとゾンビも普通に僕と同じところの制服を着ていたし、オークがスカートを履いてランドセルを背負っていてもおかしくはないだろう。 いや、おかしいけど。
「やっぱり、六曜小の子なんですかねえ」
なんてことを考えていたらオークの少女がこちらに駆けてきた。
左手にリコーダーを持ち、リコーダーと右手を振り回しながら走っている姿はまさに歴戦の部族。 あまりに恐ろしい光景に逃げ出すために先輩を囮にする覚悟を定めるとともに後ろに下がった。
だが、少々離れたところでオークの脅威はさらない。
野生の力、オークはそれを行使するためか大きく息を吸った。
化け物は地を揺らすような低音で吠えた。
「あらたおねえちゃーん!」
知り合いの変質した姿のようです。 何故だかよくわからないけど涙が出た。
先輩の厨二コートの袖で涙を拭い、誰がを確認するために名札を見上げる。
「土田……あぁ、姫ちゃんですか。 ちょっと見ない内(二日間)に随分と大きくなりましたね……。
もしかして100cmぐらい伸びました?」
「えぇー?そんなに姫伸びてないよー」
いや、伸びてるよ。昨日まで僕より小さかったじゃないか。 今は先輩よりもデカイじゃないか。
大きく振りかぶって突っ込みたいけれど、中身は姫ちゃんのままみたいなので、大声を出すのも悪い。
突っ込みたい衝動を抑えながら、巨体で毛深い姫ちゃんの無邪気に手を振り回す動きにビクビクしていると、青髪の少年が姫ちゃんを呼んだ。
「じゃー、またねー!」
「あ……うん。 またね、です。 はい」
またしても出てきた涙をコートで拭い、溜息を吐く。
「妹さん? 随分と……なんというか、モリモリしてるね」
「妹じゃないです。 僕の近所の土田さんの娘さんです」
「あー、魔王の?」
「土田さんはよく家庭菜園を枯らすだけですよ。
それにしても……姫ちゃんが……僕の姫ちゃんが……」
姫ちゃんは可愛かった。 同い年の小学三年生の中でも特に小さく、フリフリした女の子らしい格好を好んでいて、僕のことをおねえちゃんと呼んで懐いてくれていたのだ。
「いや、あれはあれでつぶらな黒眼がくりくりしていて可愛かったと思うぞ? 食べちゃいたいぐらい」
「愛玩動物的な話じゃないです。 それ、完全にイノシシ扱いじゃないですか」
「せやで? まぁ……なんか強そうでいいじゃんか」
何の慰めだよ。
携帯電話の中にあるツーショット写真の僕の隣の可愛い女の子だった物が画面から大きく見切れているのを確認し、また大きく溜息を吐く。
大きすぎて顔映ってないよ、新生姫ちゃん。
「行くか。 やっぱり魔法とかあるのかね?」
「あるとしたら、早く姫ちゃんの呪われた姿を治してやりたいです。
あっ、試しに姫ちゃんにちゅーしてみてもらえません?」
「いや、俺は王子様みたいなキャラ違うから。 それにJSにキスって捕まりそう」
「なるほど、つまり先輩は姫ちゃんをどうにかするよりも己の保身の方が大切だと。
いや、別にいいんですよ?」
「いや、まずキスしても治らないからね? 皆大好き先輩さんが豚箱にぶち込まれるだけだからね。
豚人にキスして豚箱に行くのってなんか違う意味っぽいな」
なんて軽口を話しながら、僕の家まで歩く。
見たこともない草木に不快感を抱くが、多少の慣れもあり我慢できないほどでもない。
「あっ、あの鳥……縮尺がおかしいです。 3mはありそうなんですけど」
「すげえな、あっあっちにも変な……っ!」
不思議生物を見ていたら、突如遥か遠くの前方に、赤い光の柱が出現する。
またか、またですか、今度は何が起こるのか……。
諦めの混じった視線で赤い光の柱を注視すると、光の柱の中で、何かが落ちてきている。
「あれは、豚? いや、猪かな?」
「魔王……じゃね?」
ああ、なるほど。 ついに予言の魔王が降ってきたのか。