番外編:ハロウィン
「あらたん、ハロウィンってあるよな」
交際を始めてから一週間、あれだけのことがあったのに、結局先輩との関係は変わらない。
いつも通り行われることは変わらずいつも通りだ。 にやにやとした人を食う笑みと共に先輩が僕の前に現れる。
最近入部した葵さんとのオセロの最中なのだからやめてほしい。
ただでさえ、先輩のにやけ面はイライラと苛立ちを誘うのに邪魔をされてはイライラが五割増しだ。
「僕はキリスト教徒ではないので、あまり馴染みがないですけどね。 お菓子はあげれませんよ? 用意してませんし」
先輩のにやけ面に対抗してしかめっ面に変えて先輩に低い声で接する。
そもそも先輩は自称神なのに、なんで他の宗教の行事の話を持ち出すのだろうか。
ゴッドと神は違うという話なのかもしれない。
「んー? 宗教行事だったんだ」
葵さんがポッケから取り出したロリポップのキャンディこと棒付き飴を先輩に渡す。
「いや、お菓子の催促じゃなくてだな」
先輩はポッケに飴をしまいながら、僕に紙袋を押し付ける。
「ハロウィンって言ったらコスプレだよな」
「コスプレじゃなくて仮装って言ってください。 ……なんですか、これ」
オセロをひっくり返した後、紙袋を開ければ布が入っていた。
取り出せば、黒い猫耳カチューシャと、尻尾。それに黒い羽織りやすそうな上着にニーハイソックス。
「わっ、かわいい」
葵さんがそんなゆるゆるふわふわな言葉を発するが、こんなのを着させられそうな僕からしたらたまったもんじゃない。
「制服の上からでも行けそうなのにしてみた」
確かに靴下以外ならかんたんに装着出来るが、そういう問題じゃあない。
「恥ずかしいですよ……こんなの」
顔に血が行きそうになる。 先輩にそんな顔を見せたくなくて、葵さんの方に顔を向けてオセロを乱雑に置く。
「いや、そんなぶかぶかのコートのが恥ずかしいだろ。
何かのコスプレ?」
「先輩が前くれたやつですよ!」
それは先輩のコスプレというべきなのか。 よくわからないが、葵さんが僕をかわいいかわいい言ってきて非常に鬱陶しい。
「なら、これも俺からのプレゼントだから付けてよ」
下心丸出しというべきか、なんて言うか変態っぽい。
服のサイズが合っているのは、まぁ八年ストーカーじみたことをしていたらしいのでおかしなことではないが、よくこのサイズのを買ってこれたなと思う。
絶対店員に変な目で見られただろう。
「……一瞬だけですよ?」
「ああ!一週だけでいいから!」
「何か恐ろしい食い違いが発生したような気がするんですけど……」
この場で着ても問題ないが、靴下を履き替えるのを見られるのにほんの少し抵抗がある。
先輩には足フェチの気もありそうだからか。
かといって、トイレまで移動するのもあれなので、葵さんと先輩から離れた部室の隅で履き替えて、コートを脱いでローブのような上着を羽織り、猫耳と尻尾を付けて先輩の元に戻る。
「うわ、かわいい! にゃんって言って!にゃんって!」
妙にテンションの高い葵さんを一瞥して先輩の方を見る。
そういえば、先輩に「かわいい」なんて直接的に容姿を褒められた覚えがない。 もしかしたら、容姿は好みではないのだろうか。
媚び媚びになりそうな声を我慢していたが、今こそ自らを解放する時が来たのかもしれない。
意識して少し低くしていた声を、僕のしたかった媚びた声に変えて、恥ずかしくて直視していなかった顔を見る。
羞恥に少し顔を赤くしながら、僕は意を決する。
「せ、先輩。 お菓子くれなければ、イタズラしちゃいますよ?」
「…………」
「…………」
「……よし、このナタデココキャンディをやろう」
ナタデココキャンディ……だと。 味が分からない僕だが、食感が面白そうなのでちょっと嬉しい。
僕のことをよくわかっているな。
一つ放り込んでみるが、どうにも美味しくない。硬い。
「赤口先輩はコスプレしないんですか?」
葵さんまでコスプレ言うか……。 やはり恥ずかしくなり、猫耳と尻尾を外し上着を脱いで先輩に突き返す。
「しないな。 俺、無宗教だし」
人にさせるだけさせて流しやがった!
恨みがましい目をつくり、先輩を睨むが効果はない。
「返すなら靴下も」
「嫌です。 だって先輩、絶対匂い嗅ぎますもん」
「なら、さっきまで履いてたやつでいいや」
「嫌です。だって先輩、絶対舐めたりしますもん」
「さすがに舐めたりはしねえよ」
嗅ぎはするのか。 先輩に何か私物を渡すことはありえないことに決めた。
オセロで負けたところで、どしんどしんと大きな足音が聞こえてゆっくりと部室の扉が開かれる。
「たのもー!」
威風堂々とした仁王立ち、その言葉、おそらくだが道場破りである。
「やばいですよ、先輩。 道場破りです。 僕の部活の看板が取られちゃいます」
「看板ねえだろ。 俺の客だ」
そう言われたのでよく見ると、戦部さんだ。 あまり見た事がないのと、迫力がありすぎたせいかビビってしまった。 情けない。
先輩が戦部さんに近寄り、睨み合う。
「用意はしてきたか?」
「もちろんだ」
そう返事をして、戦部さんはポッケから取り出した頭に黒い猫耳カチューシャを付ける。
いや、猫耳なんて可愛らしいものではない……。 あれは、黒豹のコスプレだ!
「これが我の……『黒猫萌え萌えコス』だ!!」
なん……だと? そういえば、また勝負をしているのだろうか。
コスプレ……いや仮装勝負といったところか。
夏先輩はどんな格好になるのだろうかと楽しみに見守っていると、先輩は僕を呼ぶ。 ニーソックスが必要だったパターンかな?
「なんですか?」
不思議に思いながら先輩に尋ねると、先輩は僕を指差して高らかに宣言する。
「この子が俺の作品……『女子高生風コス』だ!」
「いや、元々女子高生なんですけど」と言いたかったが、戦部さんが突然崩れ落ちたために言葉が変更される。
「だ、大丈夫ですか!?」
「まさか……そんな手でくるとはな……。
普通女子高生のコスプレと言えば、若作りをした大人の女性がするものだ。
そのテンプレートなパターンを敢えて外し小学生を起用することで新鮮さを与え。
まったくサイズの合っていないぶかぶかな制服により子供っぽいちんまりとしたちんちくりんな体がさらに小さく見える……。
我の、完敗だ」
「えっ、なんで僕、ちんまりとか、小学生とか、ちんちくりんとか馬鹿にされまくりなんです? なんですかこの手の込んだ嫌がらせ」
「戦部、お前の敗因はただ一つ。
『コスプレは中身』ということを忘れていたからだ。 いくらお前がピクピク動く猫耳を付けたとしても……全然可愛くないんだ。 なぁ、ちんちくりんあらたん」
高らかに勝利宣言をした先輩。 僕はちんちくりんとか言われたショックで、葵さんの元に戻って葵さんのお腹に顔を埋めた。
いつの間にか戦部さんは帰っていった。 先輩も早く帰ればいいのに。
「新」
先輩が僕の名前を呼ぶが、葵さんのお腹に顔を埋めたままでいて、反応はしてやらない。
ストライキである。 先輩がちんちくりんを訂正して、ナイスバデーのボンキュボン娘であることを認めるまで無視だ。 無視無視。
「それにしても、柔らかいですね。柔軟剤使ってます?」
「えっ、使ってないよ? 高いし」
使っていなくてこの柔らかさか……。 太っているわけでもないのに、不思議だ。 何かいい匂いもするし。
「ふへへ、揉んで大きくしてあげますよ」
「やめて、お腹大きくされたら困るよ」
そう言いながら、葵さんは僕の頬を触りまわす。
「うわー、下膨れになるー」
僕と葵さんがイチャイチャムニムニしてる間に、扉が再び開く。
「トリックオアトリート」
やってきたのは、包帯男だ。 というか、引田さんだ。
すぐさま葵さんがロリポップキャンディを渡しにいく。
あの人はそういうのが好きだな。 僕ももらった。 食べるの面倒だけど。
「久しぶりに合ったと思ったら、その包帯……どうしたんですか?」
右足だけグルグル巻きで、松葉杖をついている。 なんていうか、仮装っぽくない。
「ああ、ちょっと引かれそうになってた人がいたから」
「……また、ですか」
「ん? 初めてだけど」
僕の時も。 なんて言いそうになったが、葵さんに先輩の正体をバレる訳にはいかないので黙っておいた方がいいのだろうか。
「すごいですね。 ヒーローっぽいです」
そういうと、引田さんは微妙に嫌がっているような顔をする。
引田さんはまわりを見渡す。
「今日は人少ないな。 俺も受験生だし帰ってゲームでもするか」
「受験生なら勉強しろよ」
「赤口、お前もな」
そう言って、引田さんは扉を閉めて帰っていく。
もう四時半だ。 今から帰れば五時前になる。
「あっ、僕も約束があるので帰ります」
「じゃあ、赤口先輩も帰るの? 」
何故分かったのだろうか……。
もしかしてエスパー的なあれなのだろうか。
「えっ、だって新ちゃん。 赤口先輩と以外にそういうのに積極的な人いないよね?」
「いや、まぁそうですけど」
何かぼっち扱いされてるようで、どうにも納得がいかないような。
先輩はもう用意を済ませたようなので、軽く葵さんに頭を下げて鞄を背負う。
「じゃあ、帰ります」
空はまだ明るい。 太陽の方角に家があるせいで前を向くとどうにも眩しいせいで、先輩の方を見てしまう。
先輩も僕を見ている。 眩しいからだろう。
「ハロウィンの仮装、ちょっとしてしまいましたけど、家の中だけですからね」
結局「かわいい」なんて言ってもらっていないので乗り気にはなれないが、まあ約束は約束だ。
「新、トリックオアトリート?」
「先輩、僕お菓子持ってないって言いましたよね?」
「知ってる」
なら、なんでそんな意地悪を言うのか。
不満を表す様に先輩を睨む、先輩はそんな僕を見詰める。
肌寒い秋風がお互いの髪を揺らし、体を冷やす。
すぐにその寒さはなくなった。
先輩に右手を掴まれて、彼の口が僕の耳元にきて囁く。
「悪戯、出来るだろ?」
そのまま柔らかく抱きしめられる。 暖かい、そう感じた途端に恥ずかしくなり、先輩を突き飛ばすように押して遠ざける。
「……先輩のえっち」
やっぱり、今日は先輩を家に上げるのはやめよう。 逃げるように走って、家に帰った。
帰宅後、魔除けの塩代わりに大量の砂糖を玄関の前にぶちまけて置いたので、先輩からの悪戯はきっと避けれるだろう。