つまらないと望むことは
ああ、つまらない。 クラスの中はとてもとてもつまらない。
面倒ごとを嫌い、文化祭を面倒なことと割り切って、斜に構えているクラスメートを羨ましく思う。
僕もこんな、一部の人が楽しむための下働きをさせられるのが嫌だと断れたらよいものの、揉めるのが恐ろしく「はい」と言ってしまう。
その自身の弱さのせいもあり、部室に向かうことも出来ずにこのクラスの中心的な人物が文化祭の出し物である劇で着用する衣装をチクチクと縫う羽目になっている。
白雪姫のドレスをチクチクチクチク。
シンデレラのドレスをチクチクチクチク。
急かすように教室の時計がチクタクチクタク。
浦島太郎のドレスをチクチクチクチク。
隣の女の子の指がチクチクザクザク。
不思議の国のアリスの服をチクチクチクチク。
無駄に多い衣装を切ったり縫ったりとしながら、何度も時計を見上げる。
今日は行けそうにないかな、と判断して少しだけ手を緩める。
今頃、メインキャラクターを担当する人達は何処かで練習と称して遊んでいる頃だろうと思うと、精彩を欠いてしまい妙なドレスを作りそうになってしまう。
こんなときに、先輩がいたら寂しくつまらなくなくて助かったのにな。 そんなたらればを考えながら、ひたすら淡々と縫い続ける。
隣の女の子が、ドレスと自身の制服を合体させているのを横目で見ながら、突然鳴りだした携帯を取り出す。
番号はやはり先輩。 高くなりそうな声を抑えて「少し失礼します」とだけ残して、教室の外に出てから電話に出る。
「はい、もしもし。 空亡です。
先輩ですか?」
分かりきっていることを尋ねながら、隠れるように廊下の隅に移動する。
「そうでござるよ」
先輩は先輩でも、夏先輩ではなく、ござる口調とちょんまげが特徴の山根先輩だった。
「山根先輩? なんで夏先輩の携帯から……。
んぅ、まぁ問題ないですけど、何か御用ですか?」
「ふえぇ……新ちゃんの声が1オクターブ下がったでござるよぅ……。
いや、大した用ではないのだが、文化祭の出し物について提出するように催促がきたので、早めにくるようにとお伝えしたかっただけでござる」
あぁ、体育館とかの使う順番とか決める必要や、危険なことや変なことをしないかのためにのやつか。
些か、というかかなり遅いような気がするけれど、それはきっと顧問の先生が伝えるのを忘れていたからだろう。
複数の部活動の顧問を掛け持ちしているからしかたないだろう。
「はい、分かりました。
クラスの仕事、一段落したら向かいます。 まぁ、すぐにクラスの方に戻ることになりますけど」
教室に戻り、急用が出来たので少しの間席を外します。 と残して教室から抜け出す。
教室に残って服を縫っているメンバーは、僕と同じようにクラスの中心人物にそれを押し付けられた人たちなのもあってそれに文句を言うことはない。 断れない性格の女の子。 その人の良さに漬け込むようなことをしている気がして、情けなく罪悪感が心に残る。
あの中だと裁縫が一番得意なこともあって、少々席を外した程度では仕事量は僕の方が多い。 そう、誰かに言い訳しながら、早歩きで部室に向かう。
中に着込んだワイシャツや、その中に着ているTシャツや下着と違い、僕にあったサイズのなかった制服のブラウスが、僕の肩からずり落ちそうになる。
ずり落ちそうになるのを手で止めながら歩いていると、前から、何故か見覚えのある男子生徒の姿が見える。
「また、会えた。
君に聞きたい。 ここは……何なんだ。 君は何だ」
見たことのないはずなのに、どうしようもなく見覚えのある人。 歳は先輩と同じくらいだろうか。
僕は、見たこともないこの人を知っている。
「引田さん……?」
既視感というのだったか。 奇妙な感覚が頭の中に渦巻き、引田さんの言葉が僕の頭の中に居座る。
ここはどこだ。 六曜高校の、職員室近くだ。
君は誰だ。 僕は空亡新だ。
そんな当然の答えを吐き出す術を僕は持っていなかった。
ーーーーお前は新じゃない。 新じゃない。 誰だお前は。
聞いたこともないはずの、先輩の酷く悲しそうな声が僕の頭の中で再生される。
「もう一度聞きたい。 君は……何なんだ」
ーーーーお前は新じゃない。 新じゃない。 誰だお前は。
引田さんの表情が歪み、悲しそうな物へと変質する。 それに、見たこともない悲しそうな表情の先輩が重なり、幻視する。
僕は空亡 新。 だ。 それは間違いないはず。 である。
それを肯定するのはあまりに簡単だ。 今迄、僕は空亡 新として生きてきたし、僕以外にそんな人がいるわけでもない。
戸籍だってしっかりあるし、財布の中には保険証もあれば、僕の顔が写った写真が学生証に貼られている。
その理性による理解を、僕は否定する。 先輩が違うと言っている。 覚えてはいないが、きっと言っていた。
なら僕は空亡 新とは違うのだろう。
「僕は、普通のここの女生徒ですよ?」
「じゃあ、ここはどこだ? 何故突然……世界が変わった」
世界が変わった?
その言葉の意味が分からず、ぽかんとした表情をしてしまう。
「わからない、のか」
引田さんは、なら仕方ないと、すぐに何処かに引き返す。
なんだったのか、理解もできないまま引田さんは姿を消した。
またずり落ちそうになる制服を肩に引っ掛けて、しばらく立ち止まっていると、部室にいかなければならないことを思い出し、歩みを再開する。
あれは、なんだったのか。 奇妙なことから目を背けて、日常へと戻る。
「すみません。 遅れました」
「夕暮れまでにきたので、問題ないでござるよ。 みんなクラスの方が忙しいということで、拙者しかおらぬのでな」
先輩の携帯から電話が来たので、先輩がいるだろうと思ったのだけど。
「ああ、それはさっきまでいたからでござるよ。 さっき突然「用がある」などと捨てて何処かに向かったでござる」
「あっ、口に出ちゃってましたか……?」
「いや、赤口からの伝言でござる」
「遠隔未来読心術……」
表情に顔が出やすいとはよく言われるが、流石にこれはないだろう。 まるで、先輩が「僕」の全てを知っているかのように感じる。
いや、事実そうなのだろう。 先輩とは短い間の付き合いではあるけれど、全てを知られている気がする。
僕が気まぐれに散歩していたら、先輩は迷いもせずに、暇だからと適当に歩いている僕の元にたどり着く。
勉強を教えてくれるときも、僕が分からない箇所のみをピンポイントで教えてくれる。
一緒に遊びに行ったときも、何も僕が言っていなくても大抵気まぐれな僕の食べたい物のお店に連れて行ってくれるし、遊ぶ場所なんて100%僕が行きたい場所だ。
もし、僕の言動が先輩の予想から外れたら、外れてしまったらどうなるのだろうか。
ーーーーお前は新じゃない。 新じゃない。 誰だお前は。
幻聴が聞こえた。