世界は異世界に
インターホンが鳴り目が覚める。 二つの意味で。
顔を洗おうかと思ったけれど、携帯電話を見てみたら先輩に電話をかけてから十分しか経っていないので身嗜みに問題が出てはいないだろう。
一応手で髪がボサボサになってないかを確かめながら玄関に向かう。
「夢じゃなかったんですけど、先輩」
先輩の黒い髪の色の後ろに見える緑色。 それは先ほどまでのことが夢でないことを分かりやすく表していた。
「そうだな、まぁテレビでも見ようぜ?」
食事の最中に呼び出したのに苛立つ様子もなく、手で僕の頭をこすりながら僕の横を通る。
「どこのアメリカンですか。 靴脱いでください、靴」
廊下を土で汚したのに、悪びれるフリもせずに「あぁ、失礼」とだけ言って靴を脱ぐ。 所構わずボケようとするその姿勢は認めるが、廊下を掃除する手間を考えると小言を言いたくなるものだ。
先輩がそのまま無遠慮にリビングに向かうのを見ながら、台所に行き先ほどと同じプリンとジュースを持って先輩の方に向かう。
「あのさ新後輩よ」
「なんですか?」
まるで自分の家かとツッコミたくなるぐらいだらけた格好の先輩にプリンを手渡しながら、いつの間にか点けてあるテレビを見る。
「あのアナウンサー、猫耳付けてる」
また変な企画でもしているのだろうか。 今の時間にニュースを見る人なんて主婦がメインなのだろうからそんなに効果は見込めない気がする。
というか、そんな変なことをしている暇があるのならば今の天変地異について報道してほしいものだ。
猫耳フェチでもあるのか、先輩はじーっとテレビを眺めている。
嫌がる先輩からリモコンを取り上げて各局の番組を見ていくが、今日先輩に来てもらった本題の理由である天変地異について知りたいのに、それについての情報が一切無い。
「……見てたのに」
「そんな場合じゃないと思うんですけど」
僕は先輩の愚痴を無視しながらリモコンをひたすら連打する。 何処かこの現状を取り扱ってる局があるはずだ。
十周ほどしたあと、苛立ちながらリモコンを先輩に手渡す。
おかしい。 どう考えても異常事態なのに誰もその話をしない。 外でさっきまでパシャリパシャリと写真を撮っていた人もいたのに、今は空を見上げる人すら存在しない。
まるで、緑色の空が、空に浮く土地が、普通の事態かのように。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
世界の何処かの白い部屋。 いや、部屋と言っていいのだろうか。 部屋というよりかは空間と呼称した方が正しいだろう、そんな場所に一人の少年が立ち尽くしていた。
茶色がかった黒髪に黒い目、日本人にはありがちな姿をした少年、引田 友は混乱していた。
俺は死んだはずだ。 学校の屋上で自殺しようとしていた人を止めようとして……落ちた。
ならばこの白い部屋は死後の世界か。 それとも、夢の中か。
携帯小説によくある設定を思い出し、もしかして……という期待を思い浮かべ、それを恥じる。 彼はアニメ、漫画、ラノベなどのサブカルチャーが大好物で毎日読みふけているが、現実とそれをごちゃ混ぜに考えることはなかった。
「でも、じゃあここは何処なんだよ」
頭を抑えるながら唸ると、それに応えるように頭の中に声が聞こえる。
「ここは……どこでもなく、どこでもある場所。 まぁ、分からないでしょうから、死後の世界とでも言いましょうか」
異世界チート転生はあり得たのか、あり得ない。 事実異世界から来たやつなんて見たことも聞いたこともない。
「えっと、それでですね。 実は引田様、貴方はまだ死ぬ運命では……」
どこからともなく聞こえる声を聞き、引田は発狂したかのように叫ぶ。
「異世界チート転生きたぁぁぁぁああ!!」
「えっ、あの……異世界? そんなのないんですけど……」
「異世界チート転生きた!異世界きた!チートきた!転生きた!
ちゃんとしろよ!!」
引田は話を聞かない。 声はその誤解を解こうと説明するが、話を聞かない者には何を言っても伝わらない。
異世界などない。 生き返らせてはやる。 その二つを伝えるためだけに声は時間をかけるが引田は話を聞かずに転生特典とやらについての要望を伝え続ける。
「もう……分かりましたよ。 別に地球とかどうでもいいですし、これ以上は面倒ですし。
えーっと、剣と魔法のファンタジーな世界に超絶イケメンでチートとやらを付与して送ればいいんですね、分かりました分かりましたよ。やりゃあいいんでしょうやりゃあさ」
世界は一つしかない。
しかし剣と魔法のファンタジーな世界に転生させなければならない。 声は仕方ないと、世界の作りを変えていく。
少年の望む剣と魔法の世界へと。
「うっし!うっし!うっし!」
何度もガッツポーズを取りながら、チートにミスがないかを考える。
第一のチート:無限の魔力。 これはチートとして必須の存在だ。 剣と魔法のファンタジーは魔法が基本だ。
第二のチート:イケメン化。 いくら力が強くとも化け物扱いされると悲惨である。 ブサイクならば化け物でも、イケメンなら英雄になるものだ。
第三のチート:不老不死。 死ぬのは怖い、だから死なないようにしよう。 なんて考えは誰にでもあるだろう。
第四のチート:不老不死付与。 イケメンになって嫁が出来たのに嫁に死なれると嫌だ。だから任意で決めればいいか。
第五のチート:黒髪ショート敬語僕っ娘合法ロリの嫁。 黒髪ショート敬語僕っ娘合法ロリの可愛い女の子と異常に縁があるようになる能力。 そして好感度も上がりやすくなる。 ムラムラして決めた。
以上の五つのチートを手に入れた引田は剣と魔法の世界になっていく世界に降り立った。
だが、引田は気がついていない。 自身は主人公ではなく、ただのギャグキャラであることを。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「結局、収穫なしですか……」
パソコンに近づけていた顔を離し、小さく伸びをする。
テレビは先輩が占領しているのでパソコンで情報を調べていたが「依然から空は青ではなく緑色だった」ことしか分からなかった。
「むしろ僕の方がおかしいのではないかと思ってしまいますよ、これ」
「……まぁ、どっちにしろ俺たちの方が異常であることには変わりないな。 猫耳と尻尾は普通らしいし」
僕達が正しいかどうかは別として、世間からはずれている。 頭がおかしくなりそうだ。
「大したことじゃないんだけどさ」
「なんですか?先輩」
「俺の髪の毛の色変わってね?」
はあ? 何を言ってるのか……そう思って先輩の方を向くと、先輩の髪の毛の毛先が金色になっていた。 こわ。
「えっ、ごめんなさい。 何か怒らせるようなことしちゃいました? あっ、プリンつまみ食いしたのばれちゃいました?」
「サイヤ人じゃねーよ。 空が緑色になったりしてんのと同んなじ感じか?
ウィルス? 隕石? それとも……」
「色彩感覚がおかしくなるウィルスですか……。 でも、コンビニが浮いているのは説明出来ませんよね」
意味が分からない。 なんでコンビニ浮いてるんだよ、どうやって登ればいいんだよ。
「それもそうだな。あっ、そろそろ帰るな。 もう日も暮れるし、若い男女が二人きりとか変な噂立ちそうだし」
「なんで突然常識的なんですか……。 というか、日って暮れるんですかね」
もう少し居てくれてもいいのに。 手を出すなんてことはしないだろうし。
何より、まるで異世界のような現状に一人でいるのは怖い。すごく。
「まぁ、また何か分かったら電話するさ、じゃあまたな」
「家まで送っていきましょうか?」
「いや、お前が俺ん家まできたら、お前が帰るときにここまで送ることになるじゃん。 永遠ループになるわ」
「別に送ってもらう必要はありませんよ」
「それは俺のセリフだろ……」