腕の良い魔法師と役に立たない相棒 中
魔族・・・魔力もつ生き物。精霊族とよく対照的に扱われる。場所によって認識度や印象の良し悪しが違っていたりする。この舞台・時代ではあんまり良くない扱い。
数時間後。
時刻は、すでに夜と言うべき頃合いになっていた。当然日はとっくに落ち、色濃い宵闇が辺りを包む。橙色の柔らかな明かりを立ち上らせる焚き火に新たな薪を突っ込み、枝でがさがさとかき回して空気を送った。吹く風に弱まりそうだった火の勢いがまた、強さを取り戻す。
静かだった。動物の気配はおろか、風の音と木々のざわめき、草のそよぎの他はなんの音も聞こえない。
いや。
「そんな……あたし、まだ食べられる……のに」
傍らから心底幸せそうな、そして腹立たしいほどのんきな声が。
「そう……もっと綿飴、を……」
「何が綿飴だいい加減目覚めやがれお荷物」
「ふがっ」
放っておくと窒息させたくなる寝言を、妥協して鼻だけ摘むことにより中断させた。
ふがふがと豚のような音を洩らしながら苦しそうに手足をばたつかせる。ちなみにぬかるんだ山道の泥は殆ど魔力で取り除かれ、俺もこいつも一見綺麗な風体になっている。取り除くべき物質がはっきりしているのなら、操作移動系魔法を細かく応用させればこの程度は可能なのである。さすがに身体の垢のような細微すぎるものは難しいが。
数瞬のち、大きな双眸がぱちりと開いた。周囲を窺う仔リスのような視線が現状を把握したのを見て取る。音がしそうな睫毛を瞬かせ、毛布代わりのマントに包まったまま、小さな唇が俺の名らしき音を紡いだ。
「ふぃん」
「おう」
「ほはよう」
「……」
のんきに挨拶かます娘っこ。本気で窒息させてやろうか。
「ほほどこ?」
「場所か。ドノヴァ南東、その山道脇。ちなみに今はもう見ての通り夜半だ。のんきに気絶したかと思えばぐうすか寝こきやがって」
「ほ、ほめん」
「謝って済めば警察はいらねえ。おかげで今日は野宿だ」
「へ? なんれ?」
「一番近い街まで三里。寝こけた重い小娘背負って延々と歩き続けろと? 以上、説明終わり」
「―――ほんろうに、ほめんなふぁい」
「反省してるならとっとと起きろ」
未だ毛布に包まって寝転がったままの奴にそう促せば、なぜか恨めしそうにこちらを見上げてきた。
「どうした、起きねえのか」
「……ねへ、はらひて」
「なんだって?」
「はらひて、はら」
「何言ってるのかわからねえな」
「ひひわる。はらひてよー!」
篭った鼻声のまま涙目になっていく様子に、流石に押さえつけていた手と鼻を摘んでいた指とを放してやった。
「ひ、ひたた、いたた、痛かった……」
赤くなった鼻を小さな手でさすりながら、細い身体を起こす。はらりと、今は解かれている長い瑠璃色の髪が肩を滑って落ちた。きっとこちらを睨むなり、口早に怒鳴り立てる。
「鼻。なんで鼻摘むの。あたしあんまり高くないのに!」
怒るポイントはそこか。と内心ツッコミを入れる。
「知ってる。これ以上低くなりようがないから安心しろ」
「ひどいっ」
ぶううっと見事なまでに頬が膨らんだ。あれだ、あれに似てる。この前訪れた国の縁日で、屋店に出てた玩具の面。あれそっくりの不細工顔。
「おかめっつったか」
人差し指で潰してやれば、ぶりゅっと変な音がした。
「ブスなツラになってっぞ、ルル。元からだけど」
「んもー! ばかばか、ばかジン」
解かれた髪を揺らし、瑠璃色のお荷物はまたもおかめ面を作った。ぐりぐりと威力の無い頭突きをかましてくるのを片手で押さえ、ついでにわしゃわしゃ柔らかい髪をかき回してやる。すると瑠璃色な鳥の巣の完成。おかめ面が更に膨れる。どうでもいいことだが、こいつをつい構いたくならない奴がいたらお目にかかりたい。
今宵は濃い雲が空を覆っている。月の光も無ければ星も見えない。けれど、こいつの髪に当たる薪の明かりはほの明るく反射し、辺りを照らすように光る。きらきらと縁取られた横顔。
今は不細工なツラに鳥の巣頭になってるが、元はそんなに悪くない。誇り塗れの旅装を脱いで年頃の娘のように飾り立てればそれなりに目を引くだろう。本人には絶対言ってやらないけど。
ルルット。俺の、全く頼りにならない相棒。
こいつとの付き合いはもう十年以上になる。とんでもなくも情けない偶然が重なり、成り行きで一緒にいるといってもいい関係。それくらい俺たちはそれまで全く関わりの無い間柄だった。
風が吹き、焚き火がまたもゆらめく。枝で効率よく酸素を送り新たに燃材を加えながらさり気に場所を移動し風上に腰を降ろした。背に風がぶち当たるが、我慢。吹きさらしの野宿で火を絶やすことほど避けたいことはない。俺はともかく、連れが連れだ。周囲に獣避けの魔力結界を張ってはいるが、内部の気温調整までするにはさすがに俺の魔力量にも限界がある。というかそんな七面倒くさいことはしたくない。
なぜ、生まれてこの方己が道を突っ走ってきた俺がわざわざ寒いなかこうして背を丸め、がさごそと枝を動かしているのか。毛布を首から下、雨避け坊主のように巻きつけた格好でほわりと気の抜けた笑顔を浮かべ、この小娘はなぜ横に座っているのか。
一から話せば大変長いことになる。
ので。
「……ね、ねえジン。お腹空いてない?」
「素直に言え。飯が食いたいと」
詳しい説明は先送りにする。これは面倒くさいとかそういうのではない、決して。
山道の奥詰まった箇所にある滝から澄んだ湧き水を汲んで戻れば、持ち合わせの携帯食と鍋も兼ねた金属製の蓋付き皿とを鞄から出したその傍で、火をつついているルルットが顔を上げた。
「ジン、聞くのも今更なんだけどさ」
俺の真似なのかぎこちない手つきで枝を折りながら(しかしまるで要領を得ていない)、ルルットはぽつりと問いかけてきた。古ぼけた金属と同じ色の大きな瞳に火が映りこんで赤々と燃えている。
「今日さ、どうなったの?」
忘れかけていた。そういえばそうだった。色々あって、身体のひ弱なこいつは途中でぶっ倒れて、俺は―――
「ジン?」
「……お前、どこまで起きてた?」
「え?」
「……聞いてねえなら、いい」
きょとんとした鈍色の双眸に構わず、俺はルルットの手から枝をひったくってばきばきと乱暴にへし折った。怪訝な顔をしてルルットは俯く。
「ねえ。あれからどうなったの? あの人達、昨日泊まった村の人たちだよね。あたしたちに何か用事があったんじゃないの」
見るとしおらしく毛布の中に顔を埋めながら、考え込むように呟いている。こいつなりに思い出そうとしているが、思い出せないらしい。
「あたし、気がついたら意識無くて。ジンに抱っこされたところまでは覚えてるんだけど……」
抱っことか言うな、正確に肩に担がれたと言え。と逐一訂正する。(なぜならその言い方は意味無く恥ずかしいからだ)
本日の数時間ほど前の出来事を脳裏で反芻した。ああそうだった、こっちは急いでたってのにあまりにとろいから辟易して肩に担いだはいいが、あいつらが追いついてきて。それから色々喋っていた頃にはもうこいつ気絶してたっけ。
こうしてみるとつくづく思うが。
「本っ当に役立たねえよな、お前って」
「……う」
しゅん、という効果音込みで項垂れる細い首筋。本気で不甲斐なく思っているのは承知なのでそれ以上俺も突っ込まない。汲んできた湧き水を皿に移しながら言う。
「まあいい。お前に期待はしてねえよ、はなから」
ずぅん、とまた効果音が増えた。このやり取りをこの十年何度繰り返してると思ってるんだ、こいつは。不器用な上に役立たず、且つ進歩が無い。
面倒くさいが、何十回目、いや何百回目かの言葉をまたも紡いでやる。
「前にも言っただろうが。お前と俺は、違うんだから」
そう、俺と旅の連れであるこいつは違う。性別やら年やら性格やら大雑把なところから細々したところまで逐一似通わない。何より、一番の差異は。
「俺以上のことをしろなんて、期待してねえ」
俺とこいつは、違う生命体。異種族だということだ。
人間と魔族の関係。
この時代、この異種族間においてのそれは決して親密だとか友好だとかいうものではない。
その理由は主に、人間側の認識にあった。世界最古の聖典の言葉を借りればそのまま「魔の力を礎とし糧とする者」の総称である『魔族』。自然的なものを変えようとする「意思あるもの」もしくは「力あるもの」の一種とも言われる。これは、魔族の礎である力『魔力』が現存するものを動かす意志の力とされているからであり、その考えに拠るならば彼らは邪悪なものでない、ただ特殊な力を持つだけの生命体であるのだが。その考えは未だ一般的ではないのだ。
魔族とは。
魔界に端を発する、人間や人間界の動植物とは違う生命体である。生息地は主に魔界だが、人間界に棲むものも多数存在する。その種類は実に多岐多様、共通点といえばただ、生命維持に魔力が不可欠であること、それのみと言われる。そのため未知なる部分が大きく、いまだ厳密な分類は難しいともされる。
魔力の恩恵を多大に受け、生命基盤すら魔力そのものである魔族は総数こそ人間に及ばないが比較にならぬほど強靭な身体と力を有する。その身体を占める魔力が尽きぬ限り生き続けることが出来るため、ひとどころに留まらない適応性をも持つ。高魔力を有する魔族の一部は、精霊族が支配する超自然区域においても(短時間だが)消滅することなく活動できるという。弱点といえば魔力の有無、それのみであるため、外患的な怪我や病気ではほぼ死ぬことが無い。逆を言うなら、魔力の供給を断ってしまえばそれだけでアウトなのだが。
多くの魔族が強大な力と見合った性質や外見、そして戦いに特化した力主義的とも言える本性を持ち、且つ実際に危害を加える者も多いため、その多くが人間にとって害あるもの、邪悪なものだという認識が消えない。魔力と対を成す『霊力』を操る精霊族、引いては魔族と対を成す種族の台頭によりその傾向はますます強まった。
聖なる種族である『精霊族』に対し、悪なる種族である『魔族』。
魔族、イコール、悪。
つまりは、差別意識。
創成期より2500年。魔族という種族が人間界で確認されてから2000年。魔法が成り立ってから1300年。だというのに、未だその認識は覆らない。
ましてや、魔族と生活を共にする人間なぞ、変り種か物好きの域を通り越して忌避の念で見られる。俺とルルットのように、共に旅をするなどとよほどの理由かもしくはなんらかの打算抜きでは考えられない。
むしろ、さきほどの村人の態度こそ世間における一般的な反応なのだ。
それはともかく。
「大したことじゃねえ。せっかく妖魔退治してやったってのに、後になってやっぱ報酬が高いとかいっていちゃもんつけてきただけだから。丁重な話し合いの末、お引取り願った」
「嘘。ジンのことだから、テイチョウなハナシアイなんて出来なかったくせに」
「うっせ。とにかく、お前が気にすることでもねえさっさと飯にしよう」
「またそうやって有耶無耶にするーっ」
「うっせ」
ルルットは暫く撫すくれていたが、やがて呆れたように笑みを浮かべた。
「……。まあいっか。ジンがそう言うならなんとかなったんだろうし」
「…………」
場を持たせるため、俺はまたもルルットの髪をわしゃわしゃとかき回した。
しばらくして湯が沸いた。荷物から引っ張りだした干し肉を全部放り込み、そこらに生えていた食用野草(ハーブとも言う)を千切って一煮立ち。味付けは非常用に持ち歩いている岩塩を削り取りほんの少し。ちなみにルルットはその間、俺の横でそわそわと見守ったり俺の指示でわたわたと手際悪く薪を追加したりしていた。不器用なのでこういったことしか出来ないのだ。いつものことなので気にしないが。
やがて貧弱なスープが完成し、そのまま質素な夕食を済ませる。その日暮らしの旅人の身ではあるが、食い物に困るほど身銭が足りないわけではない。にも関わらず今夜の夕餉が貧相なのは、ひとえに予期も準備もしてなかった野宿だからである。
「ごちそうさま」
俺に弄られた髪をなんとか直したルルットは、両手に持った器――皿の蓋に申し訳程度に盛られた具をのろのろ食い、残り汁を子供のような仕草でこくこく飲み干し、幸せそうな顔でにっこりした。ちなみに飯の食う量は俺より断然少ないくせに、食べ終わるのは俺より遅い。こういうやつだ。
「……別にご馳走でもねえし」
そのあまりに能天気な様子に、要らない一言が出てきてしまう。我ながら余分な口だ。ルルットはというと、気にする風でもなくのほほんと言った。
「食前食後の挨拶は基本だよー」
「俺らしかいねえんだ、礼儀もクソもあるかよ。しかも普通に美味くねえだろ、こんなん」
またも聞き分けなく言い返しながら、殆どが俺により空になった皿に目をやる。こいつの意味無い言動は本当にいつものことなのだが、個人的に不条理な晩飯をここまで嬉しそうにされると、こちらとしては立つ瀬が無い。俺にもプライドってもんがある。というのが言い訳。
実際は。
なんでこんな季節、身体の弱いこいつに野宿なんてさせてんだろう俺、という自己嫌悪が心の奥底に溜まっていたから。なんてことは言えない。
「食べ物はなんだって感謝して食べなきゃ、それに」
そんな俺の葛藤を知ってか知らずか、手の中の平べったい蓋(一度にそれぐらいしか食べられないのだ)を大切そうに折れそうな両手で包み、ルルットは笑んだ。ふわり、蕩けそうに甘い顔。そんな表情で、こんなことを言うのだ。
「ジンの料理だもの、なんだってごちそうだよ」
「…………」
いつも思うことだが、こいつはもう少し羞恥心というものを知るべきだ。俺に髪の毛を鳥の巣にされたくないのなら、そのこっ恥ずかしい物言いをやめた方がいい。この十年、一向に聞きゃしないが。
皿と蓋とを綺麗に拭って鞄にしまい、湧き水で口を濯いだ後はもう寝るだけだ。幸いこの山には凶暴な動物は生息してはいないし、出たとしても返り討ちにして翌朝の食事にする自信がある。俺の実力及び料理の腕的な意味で。まあ残念なことに季節は冬に入りかけているせいか、虫は殆どいないが晩飯になりそうな動物も出没しない。
明日はさっさと人里におりるためにも、体力を早めに回復しておくべきだろう。俺達の風体も魔力で泥を粗方取り除いたとはいえ、当たり前であるが万端ではない。先ほどから身動きするたびにざりざりとした感触が服の合間にある。つくづく風呂に入りたい。
ぱちぱちと傍らの薪が爆ぜた。先ほども説明したが時刻は既に夜半で、辺りは闇色が厚く漂う。ここら地域の気候もあって深刻でもないが、それでも日が落ちれば肌寒さは拭えない。風も出てきたのでルルットの身体にぐるぐるとマントを巻きつけ、その上から俺の上着も被せた。蓑虫状態になりながら瑠璃色おかめが何やらぶーたれていたが、無視。
「ジン」
しかし暫くして、蓑虫がのそのそと擦り寄ってきた。
「なんだ」
「まんと」
「毛布がどうした」
「あったかいよ」
「良かったな」
それがどうした、と言わんばかりに目を眇めると、ルルットはごにょごにょと口ごもりながら言った。
「一緒に」
被れってか。
「馬鹿か」
ふんと鼻を鳴らし、布の端を差し出す細腕を追いやった。
「寒さなんぞ魔力でどうにでも出来る。お前ひとりで被ってろ。風邪でも引かれたらそれこそすげえ迷惑」
本心だ。実際、この女の身体は呆れるほど脆弱なのである。
「……わかった」
今度はがっかり、という効果音付きで項垂れ、ルルットはもそもそとマントと上着を被り直した。なんでそんなに落胆するのかは不明だが、取り敢えず素直に引き下がったことに安堵する。人間と魔族は同様に性別があるが、肝心の男女間における倫理・道徳的な常識に相違はあるのだろうか。俺にそこまでの知識は無い。やっぱりこいつはもう少し羞恥心というものを以下略。
「おやすみ。夜更かしは身体に毒だからジンも早く寝てね」
「毒にはなり得ねえ」
そんなやり取りの後数秒も経たないうち、すうすうとした寝息が聞こえた。
というか、寝るのが早過ぎる上に寝汚いだろうこいつは。半日以上寝こけてたその身体でまた寝るってか。しかも明日の朝は俺よりも寝坊するのだ。いつものことだが。
……まあ、しょうがないといえばしょうがない。
寝返りを打ってずれかけた上着を直してやる。実に暢気で幸せそうな寝顔と寝息をうかがっていたらこちらまで眠気が伝染したらしい。少しうつらうつらとしながら、ふと昼間の出来事を思い出していた。